プロローグ

 思えばおいかわざくらは、子供時代から誰かの花嫁候補として生きてきた。

 葉桜が大人たちの輪の中で可憐に微笑めば、大人はこぞって「こんな可愛いのに、お嫁にあげなきゃいけないなんて可哀想」と父親に笑いかけた。柔らかい微笑と丁寧な物腰、蝶も花も気後れするほどのたおやかな仕草は「守ってあげたくなる」「年頃になったら引く手あまただね」などと評された。

 それほど葉桜は、分かりやすく乙女レデイだった。彼女が行うことは、全てが誰かのために見えたし、料理もお洒落も習い事も何もかも、未来に出会う誰かへの奉仕と思われてしまうような可憐でいじらしい少女だった。

 そんなおいかわざくらは卒業文集で、『将来の夢』という作文にたった一行の希望を記した。

『可愛いお嫁さんになりたい』

 元々、自分の内面を表出することを億劫がる彼女のことだ。作文が一行で終わっていたことは、ここでは別に問題ではない。

 重要なのは、彼女の運命の相手が誰なのか俺だけは知っていたということである。


わきくん」

 凛とした声に、ハッと我に返る。

 エメラルドを嵌め込んだような大きな瞳が、まっすぐに俺を見上げている。日本人離れした白銀の髪を夜光に煌めかせながら、彼女は細い人差し指を天空へと向けた。

「〈門〉が開きます」

 視線を、彼女が指し示す方向へと向ける。

 そこにあるのは、俺が通う学校だった。

 その屋上の真上──はるか上空に、巨大な城館が逆さづりになって浮遊している。

 荘厳な煉瓦造りの白塗りの外観に、王城のような威圧的な門。そんな威圧感のある城館が、俺の通っている学校の平凡な校舎の上に、まるで鏡映しのように君臨している。

 異世界から来たという銀髪の少女曰く、その学院はれっきとした都市だという。魔術師と異能者が集う一学院が他都市を凌駕するほどの影響力を持ち、その自治権を認められ、特例でその校舎自体が都市として、その学院に所属する生徒たちが学徒という市民階級として登録されているという。

「第八聖園指定都市──〈ストレイド魔術学院〉」

 色素の薄い唇を蠢かせて、彼女は言った。

 逆さづりになった学院の城門から、まっすぐに白い光の筋が伸びている。それこそが〈門〉が開いた合図であった。まるでバージンロードのようにも見える純白な光の筋は、まっすぐに俺が通っている高校の校舎の屋上へと繋がっていた。落下した光はゆったりと広がり、膜のように学校の敷地を覆い尽くそうとしている。

 そんな光に包まれた屋上に、一人の少女が立っていた。

 凛と背筋を伸ばしたその少女の表情は、光の筋で逆光になっていて見えない。しかし、彼女はおそらく笑っているのだろう。優雅に両手を広げて光の膜を受け止めながら、そのシルエットは悠然とこちらを見下ろしていた。

「我が【所有者】の《せいひつ》より──」

 銀髪の少女が、パチンッと指を鳴らす。

「──【顕現】する」

 その瞬間、俺の手中に一筋の白銀が光った。虚空から現れた白銀の剣は、俺の手に吸い付くように馴染む。

 剣を握り締めた俺を見て、銀髪の少女は縋るように尋ねた。

「止めてくれますか、わきくん。我々の世界の支配者を」


 とある事故で行方不明になっていたおいかわざくらは、異世界の支配者になっていた。

 そのことを教えてくれた銀髪の少女曰く、葉桜は暴虐と私情の限界に挑んで、酒池肉林の世界を作り上げたという。そして、そんな酒池肉林に招待するために、俺のもとを訪れたとのことだ。

 止めてくれますか。

 そんな理由でこちらの世界を訪れた彼女すら、その光景を見上げて身を震わせている。屋上に立っている少女の背後に、墨を飛び散らせたような歪な形の影がいくつも浮かび上がった。黒い影は、屋上の少女に纏わりつく。

 あの影こそが、おいかわざくらが従えている魔人たち。

 俺を異世界に連れていくために、葉桜が異世界に送り込んだ自分の配下である。


 止めなければならない。

 俺が止めなければ、葉桜はこちらの世界を蹂躙する侵略者になってしまう。


「ああ、勿論」

 短く、俺は応える。

「俺が葉桜を連れ戻す」

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