三、運命のカレンの誕生日(2)

 そして迎えた十月下旬の土曜日。今日がカレンの誕生日だ。

 俺は奮発して、この日はイタリアン・レストランの店を予約していた。

 ミシュランに載るほどの高級店ではないが、学生の俺としては十分に気張ったつもりだ。

 昼前にカレンと渋谷で待合せをして、予約したイタリアン・レストランに向かう。

「さすがに今日はファミレスとかじゃなくって、ちゃんとしたお店を予約しておいてくれたんだね」

 カレンも満足そうにそう言った。俺も今回は事前に店を予約した事を伝えている。

 レストランはランチのコースを予約していた。ディナーの金額に比べると半分程度だが、それでも一人八千円はする。それに飲み物については別料金だ。

 だがレストランの前まで来た時、カレンの表情が曇った。

「予約したのって、このお店?」

「そうだけど?」

 俺がそう答えるとカレンは「ふ~ん」と言って微妙な表情をした。

 店に入ってウェイターの案内によりテーブルに着く。

「お飲み物は何になさいますか?」ウェイターがそう聞いた。

 食事の方は既にコースで注文しているのだが、飲み物はお店で注文する。俺はメニューの金額欄に目を走らせた。

「じゃあこれで」

 何種類かあるワインの中でノンアルコールワインを選択した。

 この後のことを考慮すると、俺はここでアルコールは飲めない。

「承りました。ヴィンテンスメルローのグラスでよろしいですね」

 そう確認してウェイターは立ち去る。ノンアルコールでも結構高いんだなと思っていると、カレンがまた不満そうな顔をしていた。

「ボトルじゃなくてグラスにしたんだ。しかもノンアルコールだし」

「ボトルじゃ飲み切れないし、昼間から未成年二人でお酒もアレだろ」

 するとカレンは不満そうに口をとがらせる。

「彼氏だったらソムリエにボトルで注文して、スマートにホストテイスティングをこなして欲しいのに……」

 ホストテイスティングとは、ワインを頼んだ男性が試飲する事らしい。そのくらいの知識は俺にもあったが、その作法やマナーなんて俺は知らない。

「いや、俺にそんな洒落じやれた知識は無いし」

「別にそんな特別な知識じゃないんだけど……そういう所、***だよな……」

 最後の部分は『俺に聞えるか聞えないか』のかすかな声だった。

「それに誕生日なんだから、カレンの生まれた年のワインをボトルで用意くらいしてくれるとかさ……そういうサプライズも無いの?」

 カレンは一度不機嫌になると、中々それが元に戻らない。

 だからと言って知らんぷりをしていると、チクチクと怒りをぶつけてくる。

 まるで『怒っている自分を気遣え』と言わんばかりだ。

 だから俺はカレンの機嫌が本格的に悪くなる前になだめる事にしている。

「ごめん、そこまで気が回らなかった。でもちゃんとプレゼントは用意しているから。後で渡すね」

『プレゼント』の一言が効いたのか、とりあえずカレンの仏頂面は収まった。

 やがてウェイターが料理を持ってくる。前菜がトマト・モッツァレラチーズ・バジルのカプレーゼ、次に出て来たのがトマトのスープとパスタでカルボナーラだ。

 カレンが「イタリアンってプリモ・ピアットは炭水化物系なんだよね」と言う。

 俺が「プリモ・ピアットって何?」と聞くと、少し得意そうに説明する。

「『第一の皿』って意味。メイン・ディッシュはセコンド・ピアットって言って、肉料理か魚料理のタンパク質系が出るんだ」

「よく知ってるな」

 俺は特に深い意味は無くそう言った。すると……

「え、いや、これぐらい普通じゃない?」

 と少し焦ったように言う。そしてそのすぐ後に「だいたい優くんが知らな過ぎるんだよ。そもそもこういうお店に連れて来るなら、彼氏側が知っているのが当然じゃない?」

 と再び非難するような目で俺をにらんだ。

 メインディッシュはたいのパイ包み焼きだった。

 それを見たカレンが「カレン、フレンチの方が良かったな」とボソッと言う。

 ……せっかく予約まで取ってお祝いしているのに、そんなこと言うなよ……

 俺はなんだかやり切れない思いがした。

 今日のカレンはいつにも増して、俺にケチを付けて来るように思う。

 これは気のせいなのか? 俺の頭から『カレンと鴨倉の浮気』の事が離れないから、そう感じるだけなのか? もしあのSNSのメッセージを見ていなければ、こんなカレンのワガママも『可愛かわいい』と思って、俺は今日を楽しく過ごせたのか?

 ……いや、うたぐり過ぎるのは良くない。せめて誕生日くらいはカレンを信じよう……

 俺は軽く頭を左右に振って、考えを切り替える事にした。

 野菜料理が終わって、最後にデザートが出された。

 デザートはジェラートだ。するとそれを食べ終わったカレンが言った。

「この店って『カンノーロ』が有名なんだ。頼んでもいい?」

「いいけど『カンノーロ』って何?」

「イタリアのお菓子で小麦粉の生地を焼いて丸めた中に、リコッタチーズとチョコやピスタチオを詰めたデザートだよ」

「そうなんだ。カレン、詳しいね。このお店の事を知っていたの?」

 すると一瞬、カレンの目が泳いだ。

「う、うん。まあね。雑誌で紹介されていたから」

「ふ~ん、さすがに女の子は甘い物に詳しいね」

 その時の俺は、それ以上は突っ込まなかったし、深く考えもしなかった。

 一通りコースの料理が終わり、カレンが追加で頼んだカンノーロが来るまでの間に、俺はプレゼントの箱を取り出した。

「カレン、誕生日おめでとう。これ、プレゼントだから」

「ありがとう、開けてもいい?」

 受け取ったカレンは笑顔でそう言う。

「ああ、開けてみて」

 俺はそう言いながら、このプレゼントを選んでいた時の幸せな気持ちを思い出していた。

 あの時はカレンが浮気をしているなんて、じんも考えなかった。

 この誕生日プレゼントを買うためにアルバイトをしている時でさえ、『カレンに渡した時の事』を想像するとうれしく感じられたのだ。

「わあ~、コーチのサイフだ!」

 カレンが明るい声を出した。

「カレンは前に『大学生になったから新しいサイフが欲しい』って言っていただろ。だからそれにしたんだけど、女の子が好きそうなブランドとかよくわからなくって」

「覚えていてくれたんだね。ありがとう、優くん!」

 久しぶりに見る嬉しそうなカレンの笑顔に、俺の中のわだかまりも少し軽くなったような気がした。

 ……まさかこの後、鴨倉のヤツと会うなんて、そんな事ないよな、カレン……

 俺は勇気を出して聞いてみる事にした。

「カレン、今日はこの後はどうする?」

「この後って?」

「今日の夜、とかさ」

 一瞬、カレンの顔から表情が消えたように見えた。

 だがすぐに元の明るい笑顔に戻る。

「ゴメ~ン、今日の夜はさぁ、地元の友達が誕生日を祝ってくれるって言ってるの。それでさぁ、夕方くらいには帰ろうと思って。だから今夜は電話しなくていいから」

 ……『やっぱり』……

 ……『ウソだろ』……

 俺は心の中で、そんな相反する思いが交錯した。目の前が暗くなるような気がする。

「でも六時くらいに渋谷を出ればいいから、まだ時間はあるしタップリ遊べるでしょ。新しく出来たお店とかも見たいし。それまで楽しもう!」

 カレンのそんな言葉も、俺にはがらんどうの中で響いている意味のない音のようだった。


 レストランで食事の後、俺はカレンと一緒にウィンドウ・ショッピングをしたり、少しゲーセンで遊んだりしていたが、正直よく覚えていない。記憶が空虚と言うか、色が無いと言うか、そんな感じなのだ。

 午後六時。俺はカレンと渋谷駅で別れた。

 カレンの家は埼玉県越谷市で渋谷からなら半蔵門線を使えば一本で行ける。

 俺の家は千葉県の幕張だ。山手線で代々木まで出て、後は総武線で一本だ。

 どちらのルートでも、途中に鴨倉のアパートがある錦糸町を通る。

 俺はSNSのメッセージを打った。

>(優)いまカレンと別れました。これから錦糸町駅に向かいます。

 すぐに返信が来る。

>(燈子)了解。じゃあ私は、もう少してつを引っ張っておくから。

>(優)お願いします。レンタカーは俺が駅前で借りておきます。

 俺はSNSを閉じた。いよいよ本番だ。既にレンタカーは予約してある。

 俺は足早に山手線ホームに続く階段を上った。

 この後、カレンは鴨倉のアパートに姿を現すかどうか。

 俺とカレンの愛が試されるときだ。

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