監禁10日目

 ジャキ。

 ザク。

 ミシャ。

(ん……。なんだ?)

 不穏な物音に、目を覚ます。

「&#$#*&$――!」

 部屋の外から漏れ聞こえる、意味をなさない言葉。

 猿か子猫のような動物的な鳴き声であるが、誰が発しているものかは考えるまでもない。

 何をしているか気になる。

 ドアの方へ静かににじり寄った。

 もっと近くで声を聞きたい。

(あっ、鎖が昨日より長くなってるじゃん)

 どうやら、少女が調整したらしい。

 昨日まではドアに指先すら届かないくらいだった。

 でも、今はドアにおでこをくっつけることができる。

(漫画を描いたご褒美ってことか?)

 そんなことを考えながら、ドアの隙間からキッチンスペースを覗く。

 彼女は台所に立っていた。

 手には見慣れた包丁。

 その身体に隠れて、何を切ってるかまでは見えない。

 時折、奇声を発しながら、やみくもに包丁を振り下ろす彼女。

 何かの切れ端が宙を舞う。

 その不器用な手つきを見ていると、抵抗しなくて本当によかったと心から思えた。

 もし抵抗していたら、彼女にその気がなかったとしても、包丁が予期せぬ動きをして、脅しが脅しで済まない結末に至っていた可能性が高い。

 そっと扉から離れる。

 どうやら料理の練習をしているようだ。

 一つの漫画ができるまでには、いくつものボツネームがあるが、それは読者が知る必要のないことだ。

 同様に、彼女も苦労パートを見て欲しいとは思わないだろう。


 ガチャ。


 数十分後、彼女は何事もなかったかのようなすました様子で部屋に入ってくる。

「はい」

 俺の前に、食事のトレイを置く。

 いつもと同じ、三点セット。

 でも、今日のヨーグルトにはパイナップルがトッピングされていた。

(なるほど、これが彼女の実験台くんか)

 彼女の料理技術向上の犠牲となった哀れな果物を、ヨーグルトと一緒にスプーンですくう。

(ちょっとトッピングがあるだけで、いつものヨーグルトもだいぶおいしく感じるものだなー)

 ガリッ、グサッ。

「痛っ」

 唇に何かが突き刺さる感触。

 反射的にトレイの上にその異物を吐き出した。

「……パイナップルの棘?」

 茶色いトゲトゲを見て、俺は呟く。

 ヨーグルトが仄かな紅色に染まった。

「……」

 ペラ。

 彼女は無言でシャツの裾をめくり、例のウエストポーチに手を突っ込んだ。

 やがて俺の前に突き出される、日本国の最高額紙幣。

「な、なんでいきなり万札を?」

「慰謝料」

 真剣なトーンで言った。

「誠意は大切だけど、なんでもお金で解決しようとするのはよくないと思う」

「……」

 彼女は目を左右に泳がせながら、すっとお金を引っ込める。

「うんうん。こんなことくらいでお金を要求したりしないって」

「じゃあこっち?」

 いきなりスカートに手をかける少女。

「そういうことでもないから」

 視線をそらし、セルフスカートめくりを制止する。

 太ももの際どい所までは見えてしまったが、その先の布は見えてないからセーフだ。

「ならどうすれば」

「何もいらないよ。これくらい、気をつけながら食べればどうってことないし」

 俺は少女が気に病まないように軽い調子で言って、食事を再開した。

 彼女はいたたまれなくなったのか、そそくさと部屋を出て行く。

(これは手料理には期待しない方がいいかも)

 内心で彼女の料理へのハードルを下げた。

 慎重に棘を除けながら、少量ずつ口にして、食事を終える。

 頃合いを見計らったように、少女は部屋に戻ってきた。

 右手には包丁。

 そして、左手には――

「なんで耳かき?」

 マドラーに似た、先端の湾曲した細い棒を一瞥して尋ねる。

「痛みの補償は快楽、だから」

 少女はそう答えると、俺の隣までやってきて正座した。

 太ももを手でポンポンし、頭を誘導しようとしてくる。

 どうしても異物混入のお詫びをしたいということか。

「……参考までに聞きたいんだが、自分以外の人間に耳かきをした経験は?」

「ない」

 少女は堂々とそう言い放った。

 JKの耳かき。

 字面だけだと夢のあるシチュエーションだが、少女の不器用さを知っている俺としては、全然安心できない。

 ちょっと彼女の手元が狂っただけで脳みそを直接かき回される恐怖は、包丁での脅迫に勝る。

「せっかくだけど、遠慮しとく」

「……ならやっぱりこっち?」

 少女がスカートをめくろうとしてくる。

「――耳かきでお願いします」

 思わず敬語になり、横向きに寝転がる。

 スカートの布越しに彼女の肌の温もりを感じる。

 でも、胸のドキドキの由来はきっとそれじゃない。

 怖い怖い怖い。

「いざ」

 少女が出陣前の武士のような口調で言った。

「い、いのちだいじに」

 そう答えて目を瞑る。

 耳の穴の浅い所にくすぐったい感触。

 探るような手つき。

 これだけ慎重ならば問題ないか。

 そう思ったその時。


 ガリッ。


「っつ!」

 激痛。

 いきなり奥まで来た。

「大丈夫」

「いや、それを決めるのは俺」

「……」

 少女は俺の抗議をスルーして耳掃除を続ける。

 何回かひやっとする瞬間はあったが、何とか出血することなく、片方の耳を終える。

 俺は身体を反転させた。

 ガサゴソと、乾いた音が鼓膜を震わせる。

「……気持ちいい?」

 作業も半ばといったところで、少女が尋ねてきた。

「ああ、今までで三本の指に入るくらいにはいいな」

 嘘は言ってない。

 これまでに俺の耳かきをしたのは、俺自身と、親と、彼女しかいないのだから。

「……また、描いて。漫画」

 俺の答えに満足したのかしていないのか。

 少女は柔らかな口調で要求する。

「努力はする」

 ぶっきらぼうに呟く。

 包丁はなくとも、彼女に生殺与奪の権を握られていることに変わりはないのだ。

「――終わり」

 膝が引き抜かれる。

 俺の頭がゴチンと床にぶつかり、耳の穴が解放される。

 爽快だが、どこかかゆみが残っている感じもあった。


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試し読みは以上です。


続きは2021年12月1日(水)発売

『見知らぬ女子高生に監禁された漫画家の話』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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