第一章 規格外の少年 3

「アッシュ、帝国はかねてより我々に目をつけていたようです」

 ロス神父は森の中で話を続けていた。

「貴方が里を出て数日後、帝国は軍隊を差し向けました。しばらくは迎撃出来ましたが……間もなく主力を放たれましてね、ここまで逃げてきたわけです」

「――すでに、里の多くの人たちは捕まってしまったわ」

 シャルナが疲弊した声音で言う。

「警護団のラルゴさんやリーゲルさん、それにバッセルさんは捕縛された。警護長のガリウスさんも……わたしたちは神父さまの指揮で、何とかここまで逃げてきたの」

「そうだったのか……」

 焦燥を顔に浮かべ、ロス神父が付け加える。

「そして、一週間前に帝国軍に捕捉されました。アッシュ、あなたがこの森に案内してくれなければ危うかったでしょう。この森は安全なのですか?」

「……多少は、持ちこたえられると思います。森の隠者が残した魔道具もあるので……」

 アッシュは、森の下方から聴こえる爆発音や兵士の声に顔をしかめた。

「そう長くは持ちません。あくまで護身の魔道具ばかりです」

「そうですか。……ならば、ひとまず我々は山の反対側に向かいましょう。そこで分散するのです。固まっていると危ない。まずは逃げ延びることを優先し――」

 その瞬間。

 不穏な気配がし、アッシュはシャルナを抱きかかえて跳躍した。

 直後、上空から何かが振ってきた。立ち上がる土砂、舞い上がる木の破片と大地の欠片、無数の石や葉が千切れ飛び、視界を埋め尽くす。

 ロス神父が魔術を唱えて、後方へ退避する。

 立ち上がる噴煙、盛大に舞い、震動するその向こうから――。

「やははははははははっ!」

 狂笑に満ちた、人とは思えない怪音を発する誰かが居た。

「ようやく追いつきました! 時間がかかるのは頂けない! 時間の無駄遣い! それは人生の無駄遣い――よってわたくし自らが参上です!」

 爆散した粉塵を払い除けながら、ソレは言う。

 長い前髪に毒々しい肌。異形の入れ墨が特徴的。長い法衣にはいくつもの斜十字を掲げ、聖職者のように見えなくもない。

 ただし、肌は病的な白色、肌は死人のように真っ青で、目は落ちくぼみ枯れ木のよう。

 十の指全てに悪趣味な指輪をはめている、怪鳥のような叫びを発する男だった。

「お前は……何者だ?」

 抱きかかえたシャルナを地面に下ろし、アッシュは問いかける。

「おおっ、おおっ! ご挨拶が遅れました、英雄の末裔の方々!」

 白い怪人は大仰に頭を下げ、騎士のように大げさな礼をして宣言する。

「わたくしは、神聖ヴォルゲニア帝国、東方制圧軍が総司令官、名を『ゼーレハルト』と申します。貴方がたの捕縛と奴隷化を司る者です。以後、お見知りおきを!」

「帝国の――総司令官!?」

 ゾワリ、と。アッシュは嫌な汗が吹き出るのが止まらなかった。

 この気配、この魔力――今まで会ったどんな人よりも強大だ。

 戦闘に秀でた人間はこれまで何人も見たが、これほど邪悪な人を今まで前にした事がない。

「さあ! 狩猟パーティーの始まりですよ! 泣き叫び、猛り狂い、抵抗してください!」

 毒々しい十の指輪を鳴らし、ゼーレハルトは踊りかかってくる。

 咄嗟にアッシュは、聖剣シルヴァリガを真っ向から叩きつけた。

 しかしゼーレハルトは華麗に回避、凄まじい勢いで掌底をアッシュの胴へと叩き込む。

「ぐっ、あ!?」

 もろに衝撃を受け、そのまま体制を崩された。直後、さらに三度の流れるような掌底が打ち込まれ、アッシュは吹き飛ぶ。

 遥か後方にあった木々に激突する。背中に激痛。内蔵を痛めた。口から血が出る。視界が明滅する。

「アッシュっ!」

「おや、残念! 戦闘はあまり得意ではなかったご様子! これでは英雄の血が嘆くというもの!」

 ゼーレハルトが大仰に手を掲げてみせる。

 瞬間、追い打ちをかけるべくアッシュに襲いかけて――。

 瞬時に彼はその場から飛び退いた。

「ちっ、かわしたか!」

「だが隙だらけだ! 攻めろ、攻めろぉ!」

 ゼーレハルトに奇襲した影は、ダスト、ガート、ベルズの三人だ。

 彼らは帝国に追われた人々の遊撃隊。ここまで数々の帝国の追っ手を迎撃していた。ロス神父と相談し、司令塔が現れたなら奇襲する作戦を練っていたのだ。

「おらぁ、死ねっ!」「里の皆の恨み!」

『風邪魔術』、『虚脱魔術』、槍投げの三重撃がゼーレハルトを襲う。

 しかし、帝国の総司令官は小さく何かを呟く。

 ――瞬間、甲高い金属音がし、全ての攻撃がダストたちへ跳ね返ってきた。

「な……っ!?」「なんだ今のは!?」

「俺たちの攻撃が、跳ね返された!?」

 風邪魔術や虚脱魔術を返され、ダストとベルズが大きく呻く。

 ガートに至っては悪態をつく余裕もなく、跳ね返された雷撃で右腕を貫かれた。

「やははっ! 油断ですね! 伏兵が潜んでいたとは! しかし無駄ですねぇ! わたくしの恩恵ギフトには通じません!」

 アッシュたちは見た。ゼーレハルトの周囲に、何かが浮かんでいる。鉛色に輝き淡く白光し、華美な装飾をされた一抱えほどの金属物。

 それは、『鏡』だ。

 禍々しくも壮麗な意匠。薄く鋭利な鏡でダストたちの攻撃が跳ね返されたのだ。

「なんだ、あれは……っ!」

「あれも恩恵ギフトなのか!?」

「関係ねえ、攻めろ! 攻めりゃいつかはぶっ潰せる! ――らああっ!」

「――いけない! 全員退きなさい!」

 実力差を測ったロス神父が焦った声を響かせるが、間に合わない。

 猛り狂うダストたちが、『風の槍』、『虚脱魔術』、『雷撃』を用いて攻撃するが、尽く跳ね返される。

 いくつもの鏡が、何事もなかったかのように浮遊していた。

 あるものは同心円状に周り、あるものは不規則に周り、ゼーレハルトの周囲で宙を自在に泳ぎ、守護者であるかのように浮かぶ。

 ダストたちが苦痛に呻く。

「くそお、痛ぇ……」

「俺の攻撃が……嘘だ……」

「やははははは! 悲鳴こそ最高の演奏! 無駄ですよ。我が恩恵ギフトは、『反射』! すなわち、ありとあらゆる攻撃を跳ね返す! 超常の能力なのですから!」

「なん、だとっ!?」

「馬鹿な……っ、攻撃を跳ね返すだって……!?」

「面白え! ならその鏡、砕け散らせてやるよ!」

 ダストらが新たに投げナイフを投擲。同時にガートが天罰魔術を発動。ゼーレハルトの敵意を感知して、凄まじい雷がゼーレハルトに襲来するが――。

「うああああああっ!?」

「腕がっ、腕がぁ……っ!」

 容易く反射され、激しい雷撃に打たれ、ガートが大きく弾け飛ぶ。ダストとベルズも痛手を被り、いくつもの傷がその体に刻まれていく。

「駄目です、下がりなさい三人とも! 彼は君たちより遥かに格上です!」

 神父が必死に叫ぶもダストらには届かない。

 いや、退けないのだ、彼らとて里の出身者、その中には矜持もあれば誇りもある。

「くそったれ! 帝国ごときに負けるわけにはいかねえんだよ!」

「一発ぶちこまさなきゃ腹が収まらねえ!」

「いい絶叫です! ひひっ! しかし悲しいかな、わたくしには敵わない! なぜなら」

 悪魔のように、唇を釣り上げながらゼーレハルトは高く狂笑する。

「この世には、決して倒せない正義があるのです! ――魔導鏡、第二形態、虐殺刃! さあ、死の花を咲かせなさい!」

 いきなり超速で鏡の群が猛回転する。それは薄く迅速に、秒間数十回という凄まじい速度で大気を切り、ダストらへ猛進。鋭角的な軌道で宙を飛び、音速で迫っていく。

「なんだと、てめえ何を――」

「こんな鏡、」

 直後、ダストとベルズの首が切断された。

 生首となり、驚愕の表情のまま地面に落ちる二つの頭。

 数秒後、思い出したかのように、ダストらの体から間欠泉のように血が噴出する。

「あ……あ……っ」

 アッシュの隣でシャルナが震えている。

 里の中でも精鋭のはずのダストとベルズが、虫けらのように殺された。

「――やははは! 綺麗な美術アートですね! ……おやぁ? もう一人、勇敢なる少年がいましたね?」

「ひ、ひいい……っ!?」

 先ほどの攻撃で吹き飛ばされた最後の一人、ガートが、その場から逃げようとするが、猛回転する鏡からは逃れられない。

 木々の壁を物ともせず鏡が追撃、逃げるガート、幹の奥から悲鳴が聴こえた。

 森林が崩れる音。木々が血に染まる光景。

 がたがたがた、と、シャルナは震えていた。アッシュの手を握り、気絶しかけている。

 ダスト達は、いけ好かない連中だった。人を小馬鹿にしていた外道だった。

 けれど、殺されて良い人間ではなかった。彼らなりの矜持、里への愛着、そういったものを持っていた。

 それを、ゼーレハルトは粉砕した。

 許せない。――しかし、アッシュの力ではあまりに無力だ。体が、大きく震える。

 転がる生首を、勲章のように掲げて笑うゼーレハルト。

「やはははは! 勇敢なる人を仕留める瞬間は楽しい! 命を摘み取るのは正義の特権! さあ次は、あなたたちです!」

「シャルナ! 逃げるぞ! 速く!」

「え、でも! ダスト達は……っ」

「――残念ながら! 逃がすわけにはいきませんねぇ」

 直後、肉薄するほど近くでゼーレハルトが笑っていた。

 猛回転する鏡とその風圧で、一秒も経たないうちにアッシュは吹き飛ばされる。

 呆然と、シャルナが地面に転がりその様を見つめた。

「そ、そんな……っ」

「はははっ! ああっ、いいっ! いいですねその顔! 死の淵に追いやられ、散りかける命! この世で最も美しいもの――それは、人の浮かべる絶望です!」

 ゼーレハルトが歓喜に身を委ね、顔を紅潮させていた。

 その隙に、機を伺っていた他の里の人間たち――奇襲隊の何人かがゼーレハルトへと斬りかかる。

 しかしそれを見もせず、浮遊する十数個の鏡で瞬殺するゼーレハルト。

 血飛沫が舞い、苦悶の声が流れる森の中、ゼーレハルトは身を震わせる。

「戦場が! わたくしを喜ばせる! 人の! 未来が! 希望が潰える! あああぁぁ……っ、いい! この瞬間が、最高の絶景だ! わたくしは思う! 人は幸せになるために生まれてきたのではない。絶望の種を咲かせるため生まれてきたのです!」

「――口を塞げ外道! 聖言第一章、封魔の術!」

 横合いから、ロス神父が神秘的な光と共に、ゼーレハルトへ破邪の魔術を放った。

 一瞬だけ鏡を押しのけかけるが、それでも貫けず、反射される。

「う、ぐうううう……っ!?」

 邪気や魔を滅する光が、神父を包む。

「おや? 神父さーん、破邪の魔術で痛手を受けたのですか? ふふ、神聖なる神父さまが、破邪の力で呻くとは滑稽な! 邪な欲望でも抱いていましたか?」

「――殺意くらい神父にだって湧く。く、アッシュ! シャルナを連れて逃げなさい!」

「っ! でも神父さま……っ」

「聞きなさい。残念ながらこの男を倒す手段はありません。ならば誰かが足止めし、一人でも多く逃げるべきです!」

「でも……っ」

「ああそうです! それではつまらない! 一緒に踊りましょう! 死の舞踏を!」

 ゼーレハルトが狂気し頬の紅潮を強める。その言葉を無視してロス神父が叫ぶ。

「速く! アッシュ! 急ぎなさい! 私では何秒も保たない!」

 シャルナが絶望を顔に張り付かせ首を横に振った。

「嫌です! 神父さま! 逃げるなら一緒に! 捨て石なんて絶対にいや!」

 繋いだ手を通じて、シャルナの想いがアッシュに伝わってくる。

 老練な神父。厳格だった神父。物心ついたときから孤児だったアッシュたちを拾い、育ててくれた彼は、父親のような存在だった。

 子供の頃は、悪さをした彼らを叱ってくれた。鍛錬の時は監督なども行ってくれた。

 意外にも料理は苦手で、たまに料理をアッシュたちに披露しては「まずい」と言われ、陰ながら努力していた。

 そのロス神父が、苦痛に顔を歪め、アッシュたちの前で立ちはだかっている。

 ゼーレハルトが愉快そうに見やる。

「ふふ、同郷を守らんとする家族愛。わたくしはそれも大好きです。で・す・がっ!」

 鏡が猛回転する。軌道すら読めない鋭角的な、超速の凶器が神父へと迫る。

「アッシュ! 頼みます、シャルナを――」

 それが、神父の最後の言葉だった。

 彼は四肢も胴体も全て裂かれ、地に倒れる。血溜まりが地面に広がっていく。

「――そんな、神父さま……っ」

「あ……あ……ぁ……」

「ハハハハッ! 大いなる力の前には神の加護も意味はない! いえ、恩恵ギフトが神の贈り物というなら、これも神のなされた試練!」

「お前……お前ぇ!」

 血溜まりを踏み、ゼーレハルトはアッシュ達に悪魔の翼の如く両腕を広げてみせる。

「怒ってください。嘆いてください。感情とは、人が人である証。あなた達が吠え猛り、憤然とするほど、わたくしは昂ぶるのです!」

 アッシュが、ダスト達の使っていた短剣を投げた。

 しかしそれを弾き飛ばし、鏡がいくつも猛回転し、アッシュのもとへ迫る。

 いくつかは聖剣シルヴァリガで弾くが、勢いが強すぎる。

 徐々に押され、アッシュは地面に弾き倒される。木や地面に激突する。回転した鏡が、アッシュの両腕を凄惨に引き裂いていく。

「ぐうう、うぐうううっ!」

「ははっ! 愛する者を守ろうとする者もまた美しいですねぇ!」

 シャルナの叫びが聴こえる。ゼーレハルトの狂笑が聴こえる。

 アッシュは呻いた。――こんな、こんな奴に負けるのか? 何も成せず、神父や他の里の人たちも守れないまま、いいように殺されるのか?

 ――嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ!

 まだ何も出来ていない。シャルナへの感謝も、神父の仇討ちも、何も出来ていない。

 何より、この場の窮地を脱する隙すら作れていない。

 何か。何でもいい。何でもいいから力を! この場を打開出来る力を、寄越せ!

 神でも悪魔でもいい! 誰だろうと構わない! 目の前の敵を駆逐出来るなら、抗える力を――。

鮮血の芸術アートの時間です。さて頑張り屋の少年の死は――」


 ――瞬間、凄まじい白光が、辺りへ吹き荒れた。

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