「朔……だよな? その髪と目は……てかここ、どこだ!?」
周囲を見回すと、緑の芝生にところどころに野花が咲いた、のどかな丘の上みたいな場所にいる。
オレ、車に轢かれたんじゃなかったっけ? てっきり大怪我したと思ったけど、体のどこも痛くないし……。
「あら、壱星。貴方も目覚めたのね」
オレの呼びかけに、朔は上機嫌の微笑みを返すと、手を差し伸べる。
「おそらくここは『天馬の丘』……ほら、『ルクシアの町』が一望できるわ」
何が何だかわからないままその手をつかんで立ち上がり、朔に促されるまま、見下ろした先には。
オレンジの三角屋根に白い壁を持つ石の家が集まった、風光明媚なヨーロッパの町並み、みたいな光景が広がっていた。
「ようこそ、アスラグ世界へ」
……アスラグ?
「ってさっぱり意味不明なんだが!? オレたち交通事故に遭ったんだよな? それが気が付いたらこんな明らかに日本じゃない場所にいて…………んん?」
話しながら、ふと一つの可能性を思いつく。
「この状況、もしかして、アニメやラノベでよく見るアレ……『異世界転生』ってやつ?」
そんなまさか、と信じられない気持ちだったけど、「そうよ」と力強く肯定された。
「そして異世界は異世界でも、ここは私が前世で生涯を過ごした土地! 壱星にも読ませたことがあるはずよ。私が書き記した前世の記憶……『アスタリスク・ラグナロク─救星乙女運命録─』、通称アスラグ。貴方はすぐに青ざめて表紙を閉じてしまったけれど……」
『アスタリスク・ラグナロク』……?
……あー、そういえば、中二の時、朔がノートに小説みたいなの書いてたけど、あれがそんなタイトルだった気がする。
主人公の名前が『朔』で、なんかカタカナのミドルネームやファミリーネームがついてて、運命の神子だの圧倒的剣才だの魔王を倒す宿命だのと長いモノローグから始まってて、もうそれだけでオレは死にそうになって一ページでギブアップしたんだ。
「魂の近い双子ゆえ、私の凄惨な記憶にシンクロして精神に多大なダメージを受けることを無意識に忌避したのでしょうね……」
「ああ、あのまま読んでたら到底まともな精神状態は保てなかったな」
「あれから何度頼んでも、貴方はあの書に触れようとさえしなかったわ……」
「そりゃ肉親の書いたガチ厨二小説なんて読んでられるか! 拷問以外の何物でもないっつーの! ──って待て。ここがアスラグ世界って……なんでそうなるんだよ!?」
「この丘もルクシアの町も、私が思い描いた──もとい記憶に蘇った景色そのものだし、私と貴方のこの容姿も、まさしく前世の『朔=エクリプス=ミッドナイト』と『壱星=ジェミニ=ミッドナイト』そのままだからよ」
「出た、カタカナネーミング! そしてオレも登場キャラだったの!?」
知らん間に黒歴史に巻き込まれていたとは……。
「オレの見た目も変わってるわけ?」
「ええ、顔や体格はそのままだけど、私と同じ銀髪碧眼にね」
マジか……そのうち髪染めてみたいとは思ってたけど、いきなり銀髪はハードルが高い──ってとぼけてる場合じゃなくて。
つまり、なんだ? 何かの拍子にアニメやゲームの世界に転生するって話は聞いたことあったけど、オレが異世界転生した先はよりにもよって。
厨二の姉が創作した、姉が主役の厨二物語世界……ってことか!!??
「……………………しんどい」
「急な事態に混乱するのもわかるけど、これは夢幻ではなく、厳然たる現実よ」
「……………………いや無理」
「語彙力失くしたオタクみたいになってるわ、壱星」
「いきなり事故で死んだらしいとか異世界転生とかいうだけでもショックでかいのに、こんなん受け止めきれねーよ! 完全にキャパオーバー!」
「大丈夫、貴方の適応力は常人のそれとは比較にならないもの。すぐにこの世界にも慣れる……貴方のことを誰より知っている、この私が保証するわ」
やけに頼もしく言い切る朔。いや、おまえこそこの状況に即座に馴染み過ぎだから!
もう少し動揺しろよ、異常事態だぞ!?
「──あっ、なんだこれ、手に何か埋まってる。キモッ」
ふと、自分の右手の甲に、黄色の宝石みたいなのが埋め込まれていることに気付いてギョッとした。よく見ると、ローマ数字のⅡみたいなマークが刻まれている。
石自体はすごく綺麗だけど……。
「それは『双児聖』の『風聖石』。あなたが選ばれし『十二聖』の一人である証──」
そこで、朔がハッとしたように右手を耳に添え、左手の人差し指を唇に当てる。
なんだ? とオレも耳を澄ますと、小さく、馬の嘶きのようなものが鼓膜を震わせた。
「その件はまた、順を追って話すわ。今はこっち」
そう言うと、いつになく瞳を輝かせて、ダッと駆け出す朔。
あーもう、何が何だかわかんないけど、追いかけるしかないか!
「アスラグの物語は、ミッドナイト伯爵家の双子が天馬の丘で目覚めるシーンから始まるの。薬草を摘みにきて、休憩がてら日向ぼっこをしているうちに眠ってしまったのね」
走りながら、朔があらすじを話し出す。
あの妄想ノートの冒頭は世界観を説明するクソ長いモノローグだった記憶があるが、そこを越えたら、ってことか。
「この世界でも、オレと朔は双子……?」
「勿論。──他愛もない会話を交わしていたら、馬の嘶きが聞こえてくる。私はそれに不思議なSOSを感じ、壱星とともに森へ向かうと、ペガサスの子どもが魔物に襲われているの。助けてやったら、ペガサスは私に懐いて、秘密の場所へと連れて行ってくれるのよ……」
なるほど、さっきの鳴き声はペガサスのもので、もうシナリオが始まってるってわけか──って一応筋は通ってるけど、気持ち的には全然ついていけない。
なんだよ、朔の作った世界に転生って! ありえん!
これは夢だ、夢を見てるに違いない……って思ったけど、頬をつねったら痛みはあるし、大地を踏みしめる感触も、肌に吹き付ける風も、ドクンドクンとペースを上げていく鼓動も……五感に訴える情報全てが、夢にしてはリアルすぎる。
えー、オレ、本当に異世界転生したの? 嘘だろ? 嘘と言ってくれ。
百歩譲って異世界転生を現実だと受け入れるとしても、ここが朔が作った物語の中なんて、そんな馬鹿なことある!?
……しかし、五十メートルを十秒で走る運動音痴のはずの朔が、今日はやけに足が速い。とりあえず髪と目の色だけでなく、能力も変化してるっぽいな……。