「そろそろ……の、はず……」
連れてこられたのはさっきの場所からそう離れていない森の中だったが、朔はゼエゼエと息を乱していた。どうやら体力は変わらず底辺のままらしい。
「鍛錬が足りないのはどっちだよ」
「五月蠅い。あっ、いたわ……!」
木々の間から最初に見えたのは、背中に翼の生えた小さな真っ白い馬……
すげー、ペガサスだ!
朔の言う通り、ちゃんとペガサスがいたってことは、本当にここ、朔の作った『アスラグ』の世界なのか……!?
直後、仔ペガサスが、奇怪な生物に囲まれていることに気付く。あっ、これが魔物か!
パッと見、紫色のカマキリ。両手の鎌と全身のシルエットはまんまカマキリ。
ただ、体長が二メートルくらいあって、顔に目玉っぽいのが五つある。
それが三匹集まって、ギリギリ……と耳障りな鳴き声をあげながら、仔ペガサスを追い詰めていた。
「あの子は私が護るわ……月華流水剣!」
そんな技名だか流派だかを叫ぶや否や、朔が飛び出していったので、度肝を抜かれた。
マジであんな化け物と戦うつもりか!?
「バカ、無茶はよせ──」
止める間もなく、朔はもう一番そばにいたお化けカマキリ(仮)に接近していて、向こうも朔に気付いて、大鎌を振り上げる。
やられる──とゾッとした刹那。
「ひょーん!」
朔が腰に佩いていた剣を瞬息で抜き放ち、斬っ、とお化けカマキリを腰のところで上下に切断した。
かと思うと、今度はひらりと高くジャンプをし、
「ひょん!」
二匹目を脳天から真っ二つ。
そういえば『圧倒的剣才』の持ち主なんだっけ。すげー! でも……
「ひょーん!」
掛け声が変!!
瞬く間に三匹の魔物を駆逐した朔は、すちゃっと剣を鞘に納めると──
「何!? 何なの、この声!? なんでこんな腑抜けた音が出るの……!?」
絶望した顔で頭を抱えた。
「そういう設定は作ってなかったのか?」
「作るわけないでしょ! 完全にイレギュラーよ!」
どうやら本人にも不本意な発声だったらしい。まあ、シンプルに変だしな。
せっかく息をのむほど流麗な剣術なのに、これでは癖が強すぎて笑ってしまう。ぷぷぷ。
それにしても、ファンタジー世界に来たからって、いきなり剣を握ってあんな化け物に斬りかかっていけるか?
たとえこれがシナリオで確定された勝利だとしても、もっと躊躇うのが自然な反応だろう。
やっぱこいつ、ぶっ飛んでる……と、オレが朔のヤバさを再認識していたら。
ガクリと膝を折って「いったいなんの呪い……?」と落ち込んでいた朔の頬を、仔ペガサスがペロリと舐めた。
「慰めてくれるの……?」
ふっと頬をほころばせた朔だけど、立て続けに仔ペガサスが「ハアハアハアハア……」と目をハートマークにして迫ってきて、「ま、待ちなさい! 待て待て!」と狼狽する。
「ヒヒーン、ヒッヒーン、ハアハアハアハア」
「お、落ち着け、どうどう!?」
押し倒されそうな勢いだったので、オレも横から押さえ込んだところ、仔ペガサスの額に小さな角のような膨らみがあることに気付いた。
「朔、こいつ、ユニコーン混ざってねえ?」
「なん……ですって!? ユニコーンといえば有名な処女厨じゃない!」
「言い方!」
だが確かにユニコーンは、普段は獰猛だけど穢れなき乙女には懐いて服従する、ただしその乙女が処女じゃないと知るや激怒して乙女も殺してしまうというトンデモ性質があるらしい。
だから朔を異常に気に入ってるのか? まだ子どものくせに早熟というかなんというか。
「私の記憶では助けるのはペガサスだったわ! なんでユニコーンが……」
「ハアハアハアハア、ヒッヒヒーン、ヒヒーン……」
「興奮しすぎだろ、こいつ! こら、おとなしくしろ!」
ユニコーンが混ざったペガサス、言うなればペガコーンは、バサバサッと羽をバタつかせて「ブルルルル!」と苛立たし気にオレを振り返った。
かと思えば、一拍動きを止めて。
ハアハアハアハア、と今度はオレの方へ寄ってくる。
「うわっ、なんでオレまで!?」
「少年もイケる口だったみたいね……ロリコン・ショタコン・ペガコーン」
「最低な韻を踏むな! どうすんだよ、こいつ!」
「ユニコーンは処女の懐に抱かれるとおとなしくなるっていうけれど触れたくない……ええい、煩悩退散!」
朔が鞘に入った剣で仔ペガコーンの角をパコーンと打ちすえる。
ひるんだところをすかさずオレがヘッドロックして、どうどう、となだめると、ようやく落ち着いた。神秘性も何もあったもんじゃないな。
「ブルルル……」
仔ペガコーンは翼としっぽを振ると、こっちだ、と言うように時々オレたちを振り返りながら、歩き始める。
後をついていくと、少しずつ森に霧がかかり始めた。
「魔法の霧よ。ペガサスの先導がなければ行けない場所に向かっているから、見失わないように」
どんどん濃くなっていく霧に不安になったが、やがて急に晴れたと思ったら、一気に視界が広がって、目の前に湖が現れた。
「なんかこの辺、空気が違うな……」
自然の中だからもともと綺麗だと思ったけど、更に澄んでるっていうか……水の透明感も半端ない。すごく静謐で神聖な空間って感じ。
空を溶かし込んだような澄んだ青をたたえる湖を、畔からのぞき込むと、よく実年齢より幼くみられるオレの顔が水鏡に映った。
うわー、本当に銀髪碧眼になってる……すげーイメチェン。
でも意外と似合ってるかも?
水をすくうと、ひやりと程よい冷たさ。……やっぱり、夢じゃなさそうだな……。
「この世界は、千年前に魔王ゾディアークによって滅亡の危機にあった。絶望のふちで魔王に立ち向かい世界を救ったのが、一人の慈悲深くも苛烈な美しい月の女神と、十二星座の加護を得た『十二聖』と呼ばれる選ばれし者たちだった……アスラグの民なら誰でも知っている、〈アスタリスク・ラグナロク〉と称される伝説よ」
朔が仔ペガコーンの首を撫でると、角を持つ天馬は「ヒヒーン」とひときわ大きく嘶いた。
同時に、湖の中央がポワンと輝き始める。なんだなんだ?
「月の女神は、星魔法『終焉の日』を行使して魔王を封印したの。そして、その究極魔法発動の鍵となったのが、神剣『セレスティア』。戦闘後、力を失ったセレスティアは、ひっそりとある場所に保管された……」
「もしかして、それがこの湖?」
「そういうことね」
頷くと、朔はブーツのまま、ジャボッと湖の中に足を踏み出す。
次の瞬間、湖の水がザアアッと朔を中心に左右に真っ二つに割れた。
うおおお、モーゼの出エジプト!? これは熱い。
湖の底の中央には、一振りの剣が刺さっていた。
「……! ……! ……!」
朔は無言で顔を伏せ、グッと両の拳を握りながらしばし感極まったように震えていたが。
やがてふうっと息を吐き出すと、なんでもないという様子で「行きましょう」と神剣へと続く湖底への道を歩き出す。
こいつ、表情はいつもほとんど動かないけど、感情はわかりやすいんだよな。
今も頬は赤いし目はキラキラしてるし、冷静ぶっても興奮してるのがバレバレだ。
水深は一番深いところで俺たちの身長の二倍くらい。
割れた湖の壁を横から見ると、キラキラ揺れる水面の下で水草が漂い、魚がスイスイ泳いでいた。
水の壁に触ってみたくなったけど、それがきっかけで魔法が解けたりすると困るので、ぐっとこらえる。
やがて辿り着いた、湖底の中央。
「千年の安寧は終わりを告げ、再び、魔王が復活しようとしている。その気配をいち早く感知し、神剣はペガサスを使って呼び寄せたのよ……月の女神の生まれ変わりである、私、朔=エクリプス=ミッドナイトを!」
朔が剣を引き抜いた瞬間、ひと際まばゆい光が放たれ、オレは思わず顔を伏せる。
少しして視線を戻すと、もう剣の発光は収まって、朔が色んなポーズを構えながら悦に入っていた。
えーと、設定を整理すると、地球で生きてた『最上朔』の前世が、今のアスラグの伯爵令嬢『朔=エクリプス=ミッドナイト』で、そのまた前世が千年前に魔王を倒した『月の女神』ってことか。
いくつ前世があるんだよ! つくづく転生大好きだな、こいつ……。
「……近くで見ると結構ボロボロなんだな、それ」
神剣の剣身は錆びているし、全体的にくすんで古ぼけた印象だ。
「まだ本来の力が蘇っていないからよ。特別な鞘に納めれば復活するわ」
なるほど、そういう仕組みか。
しかしながら、ここまで朔が話している通りの出来事が続くということは、この世界は朔が創作した厨二小説の世界であるというのは、認めざるを得ないようだ。
……いや、待てよ。
今までは朔のこと、ただの厨二病だと思ってたけど、この世界は創作じゃなくて本当に朔の前世の世界で、実は朔は前世の記憶持ちの転生勇者だった──なんて可能性もあるのか?
…………いやいや、まさかな。だってこいつが昔、ノートに色んな単語を書き連ねて必殺技名をうんうん唸りながら考えてるの、見たことあるし。
朔はただの厨二病患者……のはず。たぶん。
オレたちが湖の畔まで帰ってくると、湖底の道には左右から水が流れ込み、湖は何もなかったかのように元の静かな姿を取り戻した。
「で、これから朔はその神剣を持って、魔王を倒す旅に出る、みたいな?」
腰の飾りリボンを外してクルクルと剣に巻き、臨時の鞘代わりにしている朔に尋ねると、「そんな他人事みたいに」と肩をすくめられた。
「壱星だって、『十二聖』の中の一人、双子座の加護を持つ『双児聖』なんだから」
「嫌な予感はしてたけど、やっぱりオレも巻き込まれるのか……! てか『十二聖』とやらも千年前から転生してるわけ?」
「『十二聖』は転生じゃなくて、力が代々引き継がれていて、世界の平和を維持する使命を背負った存在よ。『十二聖』は誕生したその時から、周囲から特別な存在と認識され、育てられるわ。その一方で、月の女神は〈アスタリスク・ラグナロク〉の大戦以降、完全に消息不明。だから前世の私もこの時点では、これが神剣であることも、自分が月の女神の生まれ変わりであるという宿命もまだ何も知らないの。全てを知るのは魔王の襲撃──」
そこまで話したところで、ご機嫌だった朔の顔が、サーッと見たこともないほど一気に青ざめた。
「なんだ、どうした!?」
「た……たたたった今、思い出した事実があああるのだけ、ど……おお落ち着いて、ききき聞いてく、れる……?」
「いやおまえこそ落ち着け! ろれつがまともに回ってないぞ?」
朔はブルブル震えながら、視線をキョロキョロと彷徨わせ、浅い息を繰り返す。
「とりあえず、深呼吸したら?」
「そそそ、そうね……」
すーはーすーはー、と大きく息を吸って吐いてを繰り返してから、朔は覚悟を決めたようにオレを見つめ、頬を引きつらせながら、告げた。
「あのね、壱星。貴方…………もうすぐ死ぬわ」
…………は!?
「約四ヶ月後、私たちは復活してしまった魔王の襲撃に遭うの。でも、神剣の力はまだ不完全で、私たちには反撃する力が足りなくて……」
説明しながら、次第に朔の大きな碧の瞳が、うるうると水気を帯びていく。
「為す術のない絶体絶命の状況下で、魔王の狙いが私の命だと知った壱星は…………その…………」
「……もしかして、双子の利点を生かし、朔のふりをして身代わりになって、魔王に殺される……とか?」
声を震わせて引き継ぐと、朔はコクリと頷いた。
「前半最大のクライマックスシーンよ」
「………………………………………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………………………」
「…………………………ひ」
長い沈黙の後、オレがぼそりと声を漏らした瞬間、朔の肩がビクゥッと跳ねる。
「人を勝手に殺すなーー!」「殺すなー」「殺すなー」「すなー」「なー」
オレの全力の叫びは、広い湖に響き渡り、何度も虚しくこだましたのだった。