第一章 海辺の町、新しい生活(6)

 そうして私たちは波止から下りて、併設された駐車場へと進んでいく。するとそこで、私はふとその存在に気付いたのだった。

 なにやらものすごい勢いでこちらへと迫ってきている一台の自転車。それを走らせているのはどうやら女の子みたいで、私たちが着ているものと同じタイプのセーラー服を身にまとっている。

 前のめりのぎで、その自転車はどんどん迫ってくる。──そして、私はたまらず悲鳴をこぼして身をすくめた。

 甲高いブレーキ音を辺りに響かせ、私を目前にして急停止した暴走自転車。そうして降りてきた女の子はひどく息を切らしていて、次いでギロリとにらけてきた彼女に私は再びビクリとさせられた。

 そんな彼女は次いで汐見さんへとその目を向け、

「汐見ッ!」

 そう声を荒らげて鋭く言った。

「新入会員ってどういうことや。ウチはなんも聞いてへんぞ」

 その子は鋭い目付きであとを続ける。それに対し汐見さんは、

「教えたったやん。さっきLINEで」

 その軽い彼女の言葉は、その子の怒りの火に油を注いだ。

「そうやない! 事後やのうて事前に伺い立てろ言うとんねん!」

 ……相当お怒りの様子。緑のリボンで飾ったツインテールは、まるで主人の感情に共鳴する生き物みたいに言葉のたびにぴょこぴょこ動いている。

「はぁ? なんでそんなことせなアカンねん。アホちゃうか」

「誰がアホじゃ! お前、なんか勘違いしてへんか?」

「なにがやねん」

「ウチがナンバーツーやぞ」

「あっそう。で、それが?」

 バチバチと火花を散らす二人。どうやら彼女も海釣り同好会の関係者、ううん、ナンバーツーであるらしい。そして、そんなナンバーツーの彼女は全くと言っていいほど私の入会を歓迎していないみたい……。

 私は恐々としながら白木須さんの方を見やるも、彼女は二人のことを止める素振りを一切見せず、それどころかゆうしやくしやくというように微笑んでさえいる。

「なにがじゃ」

「はぁ?」

「なにが、それが? じゃ。ナンバーツー様に伺い立てんで、なに勝手なこと──」

「やからナンバーワン様が許可してんねん。会長の白木須椎羅様がな。ってか、椎羅が勧誘したんや。文句があんねやったら私やのうて椎羅に言えや」

 そう汐見さんが言い放つと、その子は途端に静かになった。と思いきや、今度は白木須さんへと迫っていくツインテールの彼女。

 次は白木須さんとやり合うつもり?

 そう恐ろしく思って見ていると、

「なんでなんですかぁー。椎羅さぁーん」

 ……え? 思わずそう零しかけた。ついさっきまで暴言をらしていた彼女の口から飛び出してきたのは、そんな一切のトゲがない甘えた声だった。

「ウチだけハミ子ですかぁー」

「ごめんごめん。今日はあくまで慣らしのつもりやったから。あかちゃんにもあとでちゃんと紹介するつもりやったよ」

「……それでも、声は掛けてほしかったです」

「うん。ごめんね。はい、よしよし」

 そう言って、白木須さんは彼女の頭を優しくでてあげている。ナンバーツーらしい彼女もそれを受け入れている様子で、一体なにがどうなっているのか……。と言うか、これは見ていてもいい光景なのかな。とりあえず目は伏せていよう。

 転校生であること、同じクラスであること、魚釣りの経験はないこと、その他もろもろ……。白木須さんはそんな私についてを彼女に話す。そして、ムスッとした顔でこちらを見てきている彼女についても白木須さんが紹介してくれた。

 づめ明里さん。私たちと同じ高校に通う同学年で、アングラ女子会の副会長であるらしい。なるほど。確かにナンバーツーだ。会長の白木須さんと副会長の間詰さん。その二人が同好会の立ち上げメンバー。意外なことに、汐見さんは発足後に参加したらしい。

 緑のリボンで飾ったツインテールを頭に生やし、つり目からは気の強さがありありと見て取れる。分かりやすく犬に例えるとするなら、白木須さんがまめしばで、汐見さんがハスキーなら、間詰さんは野犬っぽい感じ。なんだかガブリとかれそうな……。ごめんなさい。ちょっと失礼過ぎました。

 彼女がどういう子なのか現時点ではまだよく分からない。けど、私のことを良く思っていないだろうことは容易に察することができる。「よろしく」なんて言ってくれてはいるけど、明らかに言わされた「よろしく」なわけで……。初対面から随分と嫌われてしまった……。

「でな、明里ちゃん。その子の名前やねんけど、これがまたすごいんやで」

 重い心持ちでいる私とは対照的に、白木須さんはそんな軽い調子で話し始める。そういえば名前がまだだったっけ。確かに珍しい名前だとは思うけど、そんなにハードルを上げることでもないような……。

 そんな私の思いとは正反対に白木須さんはしばし焦らしたのち、

「なにを隠そう! 追川めざし、って言うんやで!」

 まるでサプライズであるかのように、そう私の名前を明かしてみせた。

「な? すごいやろ? 私とおんなじキラキラネームやねん」

 白木須さんは嬉しそうにあとを続ける。キラキラネーム? 私はそう疑問に思った。

 キラキラネーム。一時期テレビなどで取り上げられた、珍しくてキラキラしている名前を指した用語だ。それくらいは知っている。けど、分からない。

 白木須椎羅。確かに珍しくてキラキラしている。どこか上品さもあって、とっても素敵な名前だと思う。

 対して、私はどうか。

 追川めざし。確かに珍しい名前だとは思う。けど、キラキラしているとはとても思えない。どちらかと言えば地味な方だ。平仮名だし。

「おい。追川めざし」

「はっ、はい!」

 一人あれこれと考えていたところに、そう間詰さんに声を掛けられ私の背筋はピンと伸びた。彼女は鋭い目付きでこちらを見据えてきている。

「めざしってなんや」

「なんや? ……えーと、私の名前ですけど」

「そうやない。ウチはめざしの意味を聞いとんねん」

「意味、ですか? うーん。ちょっと両親に聞いてみないと」

「はぁ? なんやそれ。あぁ、知らんのか。ならええわ。ウチが教えたる」

 間詰さんはそんなことを言う。どうして彼女が私の名前に込められた意味を知っているのか。私が知らないというのに。

「めざしは干物の一種や。イワシを干して作った加工食品の名前や」

 次いで彼女はそんなよく分からないことを言ってくる。干物? イワシ? え?

 そんな理解が追い付かない私のことを置き去りに、

「つまりそういうことなんです。そいつの名前は魚やないんです。やから全然キラキラネームと違うんです」

 間詰さんはそう白木須さんに主張する。やっぱりさっぱり分からない。

「え? めざしは魚やで」

 対して白木須さんは反論する。

「だって私、何回も食べたことあるもん。こんくらいのちっちゃい魚やで」

 白木須さんは親指と人差し指を使ってそれのサイズ感を示してみせる。なるほど。少し話が見えてきた。

「いや、やから違くて──」

 そう反論を始める間詰さん。そんな彼女に笑みはない。

「めざしっていうのは加工後の名前なんです。あれの正体は実はイワシ。つまり、めざしなんていう魚はこの世に存在せーへんのです。分かりやすく言うと、めざしはハンバーグみたいなもんなんです」

 ……ハンバーグ。分かったような、よく分からないような……。一つ確実に言えることは、分かりやすくは決してないということ。

「ハンバーグ? どういうこと?」

 ほら。やっぱりそうなる。

「めざしとハンバーグは別もんやで」

 ついうなずいてしまいそうになるほど、白木須さんのその指摘はあまりに的を射ている。

「いや、やから──」

 間詰さんは取り乱した様子でそこまで言うと、しばし沈黙、そうして彼女は真剣な顔付きに変わっておもむろに口を開いた。

「分かりました。なら、これならどうです?」

 落ち着いた調子でそう言って、間詰さんは白木須さんとの問答を再開させる。

「例えばここに、鈴木かまぼこ、ってやつがおったとします」

「うん」

「そいつの名前はキラキラネームですか?」

「違うよ」

「なんでですか?」

「だって、かまぼこは魚と違うやん。かまぼこはかまぼこやん」

「ですよね? なら、鈴木ちくわ、ってやつならどうです?」

「違うよ」

「じゃあ、鈴木フィレオフィッシュ、ってやつは?」

「おっ、なんかハーフっぽいね。泳ぐの得意そう」

「キラキラネームですか?」

「え?」

「そいつの名前はキラキラネームですか?」

「なんて名前やっけ?」

「鈴木フィレオフィッシュです。そいつの名前はキラキラネームですか?」

「違うよ」

「ですよね? ちくわはちくわですよね?」

「うん」

「フィレオフィッシュはフィレオフィッシュですよね?」

「そらそうよ」

 そんな白木須さんの同意を受けて、間詰さんはあんしたように表情を緩ませる。そうして彼女は最後の仕上げというように、

「つまりウチが言いたいのはそういうことなんです。めざしはめざしであって、魚とは違うんです」

「えー? めざしは魚やで」

 安堵の表情が途端に真顔へと変わる。けど間詰さんは諦めずに、またあの問答を再開させた。

 間詰さんの言いたいことは、まぁ、分からなくもない。めざしは加工品名であって魚の名前ではない。恐らくそんなふうなことを言いたいのだと思う。

 見たことはないけど、めざしという食べ物がこの世に存在しているみたい。そこまでは理解した。けど、どうしてそんなことで熱くなれるのかが分からない。

 魚? 加工品? そんなのどっちでもいいのでは?

 そう私は思うのだけど。

「めざしなんて名前、どこがキラキラしてるんですか! カッスカスでしょ、あんなもん!」

 間詰さんが反論の声を上げる。私はその言葉に思わずムッとなった。

 彼女はきっと加工品のめざしを指してそう言ったのだろうけど、その名前を持つ身としては言われて気分のいいものではないし、名前を付けてくれた私の両親にも失礼だし、もっと言うとめざしの加工業者さんにも失礼だ。

「アカンで、明里ちゃん。めざしちゃんに失礼やろ」

「……すみません」

「私やのうて、めざしちゃんに謝り」

「……はい」

 そう力なく言って、間詰さんはこちらへと体を向けてくる。そして、

「ごめん……」

 そう伏し目がちに謝罪してきた。

 しおらしく変わった間詰さんに私は少し驚きつつもニコリと微笑ほほえみ、

「気にしてないですから」

 伏し目がちでいる彼女に向けて私はそううそを返した。

「好きなように言っていただいて大丈夫ですよ。と言うか、めざしって干物だったんですね。今まで知りませんでした。教えてくださりありがとうございます。ふふっ。確かにカスカスですよね。干物ですし」

 私はそう笑って言って、白木須さんにとがめられた間詰さんのことを気遣ってあげる。

 これで少しは良い印象を持ってもらえたかな?

 そう期待して間詰さんが顔を上げるのを待っていると、伏し目がちな状態から持ち上がった彼女の顔はなぜかげんそうだった。


 あとでこっそり汐見さんに聞かされたのだけど、白木須さんたちが言っていたキラキラネームとは周知のそれではなくて、あれとは異なる意味を持った白木須さんの造語であるらしい。

 キラキラとは太陽の光を浴びてひかきらめく魚のうろこのことらしく、名字と名前が魚の名前である場合、キラキラネームになるとかなんとか。

 白木須椎羅と追川めざし。

 ネット検索で調べてみると、なるほど、そんな名前の魚の画像が表示された。

 シロギス、シイラ、オイカワ、めざし──。

 めざしについては間詰さんに聞かされていたから知っていたけど、まさか追川まで魚の名前だったなんて正直言って驚いた。

 ──な? おんなじやろ? 私らは一緒やねん。

 あの言葉の意味がようやく理解できた。確かに私と白木須さんは一緒だった。

 夕焼け色のあかりの下、私は布団の中で今日のことを思い返す。本当にいろいろあった一日だった。

 まさか転校初日に魚釣りをすることになるだなんて思いもしなかった。高価なロッドまでもらってしまって、断るなんて選択肢は最初からないのだけど、いよいよ退路を断たれた感がすごくある。

 私が魚釣りなんて……。同好会活動なんて……。大丈夫なのかな。とても大丈夫とは思えないけど……。

 ──めっちゃ嫌そうな顔してたし。

 汐見さんのあの言葉にはドキリとさせられた。結果的にイシゴカイから逃れられたので感謝と言えば感謝なのだけど、やっぱり汐見さんには気を付けないといけない、油断していると心の中をのぞられてしまうから。

 白木須さんは相変わらず距離感がおかしい。突然あんなに体を密着させてきて……。完全に不意をつかれた私は思わず悲鳴をこぼしてしまった。

 白木須さんには本当にドキドキさせられてばかりだ。私はできるだけ距離を取っておきたいのに……。

 そして、目付きと言葉が鋭い間詰さん。

 話に聞いていた四人目の女の子。ううん、四人目は私か。白木須さんも汐見さんもあまり得意じゃないタイプの子たちだけど、間詰さんに至っては私が最も苦手にしているタイプの子だ。とにかく怖くて……。あと、あの顔……。

「好きなように言っていただいて大丈夫ですよ──」

 私は間詰さんのことを思ってああ言ったのだけど、彼女はなぜか怪訝そうな顔をしていた。どうしてだろう? ……分からない。

 白木須さんと汐見さんに対しては及第点だと思うけど、間詰さんに対してはどうやら失敗してしまったみたい……。大丈夫かな……。血の気が多そうな子だったけど……。

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