四月(二)その4
◇◇◇
「あー……情けねー」
リビングのソファにもたれかかって呻く様子は、我ながらゾンビのようだ。
光理に依頼された撮影の件。未だに返事を保留にしていた。
スマホの画面に表示された光理の連絡先を眺めながらただただ迷っている。
すべては俺の覚悟が決まらないせいだ。
でもしょうがないじゃないか。
一年。
それだけの時間をかけて、俺は自分にフォトグラファーとしての能力がないことを証明してしまったんだから。
光理が求めるだけのものを差しだせる自信がない。
「先輩……大丈夫ですか?」
「うおっ、ごめん、気づかなかった」
いつの間にか眠夢が俺の座るソファの横に立っていた。
眠夢にまで心配をかけてしまっていることに情けなさが募る。
「なにかあったんですか?」
「いや、なんでもないよ」
そんな情けない姿を眠夢に見せられるわけもなく、適当に誤魔化すために口を開く。
「そういえば──」
「先輩!」
眠夢が俺のすぐ横に座って手を握ってきた。心臓が大きく跳ねる。
「な、なに?」
「なにがあったのかは聞きませんけど……元気が出ること、してあげましょうか?」
胸元に手をかけた眠夢がちらっと上目遣いに俺を見て、ボタンを一つ外した。
「っ、そ、そういうのはやめなさい!」
「え~、そういうのってなんですか~?」
「からかってるだろ、お前……」
にやにやと笑う眠夢から顔を背けて、大きくため息をつく。
いや、まぁ、ね。確かに元気は出るよ? でもそれで元気が出るということ自体が俺にとってはまた新たな悩みになるわけで。
「はぁ~……」
というかそうだった。
光理の件だけじゃない。
半年前とはずいぶん変わった眠夢にどう接していけばいいのか。
それもまた悩みどころだった。
「あ、なんですか、先輩。ため息なんかついて」
「あのなぁ──っ」
振り返ると眠夢が身を乗り出していたせいで、思いっきり顔が近づいてしまった。ふわりと甘い香りがして脳髄が痺れる。慌てて身を引くと、今度は胸に目が行ってしまった。というかいつの間に二つ目のボタン外したんだお前。
「も~、どこ見てるんですか、先輩?」
「違っ、別に見ようとしたわけじゃなくて!」
「先輩ってばえっち~」
きゃあっ、とかはしゃぐ眠夢に思わず天を仰ぐ。
やっぱりいくらなんでも変わりすぎだよ。会わない間になにがあったんだよ……。ここまで違うと怖くて逆に聞けないよ。
「でもまぁ、先輩が見たいなら見せてあげてもいいんですけどね」
「はあっ!?」
「先輩だってお年頃ですし、そういうことにも興味ありますよね。女の子の体とか、キスとか…………その先、とか?」
眠夢の赤い舌がその唇を舐める。えろい。のだが俺は一周回って逆に冷静になってきた。
なんでこの子こんなにやたらと挑発してくるのだろうか。
「欲求不満なの?」
「なっ」
「あ、やばっ」
思わず口に出てしまった。慌てて手で口を塞ぐが、今さら引っ込めることはできない。
「もうっ、せっかく先輩を慰めてあげようと思ったのに! ひどいですよ、先輩!」
「いや、ごめん。そういえば最初はそういう趣旨だったよな」
うん、正直すっかり忘れてた。忘れてたのだが……。
「はぁ~……」
「ありゃりゃ。もしかして、先輩、けっこう深い感じの悩みですか?」
「いや、大丈夫大丈夫。眠夢には関係ないから。気にしないで」
「……そうですか」
寂しげに歪んだ眠夢の表情にぎょっとして、直後、あまりの本末転倒ぶりに奥歯を噛みしめた。
なにをやっているんだ、俺は。
眠夢にそんな顔をさせるくらいなら、情けなかろうと話すべきだった。くだらないプライドもすべては眠夢のため。肝心要の眠夢を悲しませては意味がない。
とはいえ流石に眠夢本人にどう接したらいいのかわからないとは言えないので、話せるのはもう一つの悩みだけだけど。
「俺に写真を撮ってほしいって人がいてさ。だけど俺は引き受けるべきかどうか迷ってる」
「先輩は撮りたくないんですか?」
「んー……撮りたくないっていうのは少し違うかな。なんていうか、そう、自信がないんだ」
「自信、ですか?」
「ああ。ただ撮ればいいっていうなら二つ返事で引き受けたよ。でも今回はそうじゃない。大事な写真なんだ。……だからさ。俺なんかよりもっと上手い人に頼むべきなんじゃないかって、そう思うんだ」
「なるほどー……」
眠夢が頷きながら少し考え込む。
「でもその人は先輩に頼んだんですよね?」
「? ああ、そうだけど」
「ならきっとその人は先輩に撮ってほしかったんじゃないでしょうか?」
「どういうこと?」
「えーっと、これはあくまで私だったらなんですけど。大事な写真を撮るってなったら、知らないカメラマンさんじゃなくて先輩に撮ってほしいです」
「その一枚の写真が今後の人生を左右することになるかもしれないとしても?」
「はい」
まっすぐ俺を見る眠夢になぜだか気圧されそうになって目を逸らした。
信頼が重い。眠夢は俺を過大評価している節がある。
だがきっとこうして眠夢が俺を買い被るのは、俺が「頼れる兄」になろうとした行動の結果だ。
なら俺は眠夢の「兄」として、眠夢が見る虚像の「俺」を、真実にしなければならない。
眠夢が俺にできると信じているなら、「俺」はできなくてはならないのだ。
「それに先輩、自信がないんだったら練習すればいいんですよ。前みたいに私がモデルになりますから」
「ははっ、眠夢を練習台にするなんて贅沢な話だな」
「えーっ、先輩、カメラ始めたばっかりの頃から私をモデルにして練習してたじゃないですか~」
あれは練習という名の本番だったんだよなぁ……。
「じゃあ先輩、今度私もちゃんと撮ってくださいよっ」
「そんなのでいいのか?」
「はいっ!」
「わかったよ。それじゃあお願いしようかな」
「わかりましたっ! ちょうど先輩に見てもらいたかったのがあるので、着替えてきますねっ」
「え? 今から?」
楽し気に自室へと引っ込む眠夢を見送って、力なく微笑む。
まあ、いいか。
眠夢が着替えてくるまでに俺も準備を進める。
といっても大したものではない。自宅ではできることも限られている。
すぐに準備が終わった。あの日に比べると、随分と手慣れたものだ。
最後に俺は預かり物のカメラを手にする。型落ちのオンボロじゃない。
「おまたせしましたっ」
衣装に身を包んだ眠夢がその場で回る。
「どうでしょうか?」
「よくできていると思うよ」
「えへへっ」
「それも自作?」
「いえいえ。流石に受験もありましたし、既製服にちょっとだけ手を加えただけですよ」
「それでもすごいと思う」
「ありがとうございますっ……って、なんか前もこんなやり取りしませんでしたっけ?」
「そうだったっけ?」
そう言われてみればそんな気もする。
「う~ん、なんか緊張しますねっ」
「そう?」
「だって先輩に撮ってもらうのって久しぶりじゃないですか」
「ははっ。大丈夫だよ。俺に任せて」
安心させるように自信あり気な笑みを形作る。
「はい、おまかせしますね」
そう笑って眠夢が簡易ブースに足を踏み入れた。
「ポーズどうしましょうか?」
「任せる。ああ、それとも指定した方がいい?」
「んー……じゃあ、お願いします」
「わかった。それじゃあ──」
眠夢にポーズを指定する。
といってもあまり細かいものは無理だ。眠夢はプロではない。ポージングの練習を積んでいるわけでもない。
細かすぎる指示を出したところで上手くできるわけがないし、ポーズにばかり意識が行って肝心の表情が硬くなってしまうことは目に見えている。
だから大まかにだけ指示を出して、あとは眠夢がやりやすいようにやってもらう。
「よし、こんなもんかな」
「え? もういいんですか?」
俺は一つ頷いて撮影したばかりの写真を見せる。
「どう?」
「いいですね……って、え? こんなに撮ってたんですか!?」
「え? 驚くとこ、そこ?」
「だ、だって、前に撮ってもらったときよりもずーっと短い時間だったのに。それにこれとか、先輩がシャッターを切ってるのわかりませんでした」
「……ああ、そうだっけ」
あの頃はまだ俺もカメラを始めたばかりで、シャッターを切るタイミングをつかみ損ねることが多かった。これもこの一年の成果なのだろう。確かに多少は進歩しているのかもしれない。
「まあ、あれだ。前のときはあのオンボロで撮ったから撮れる容量にも制限があったし、このカメラとは操作性も段違いだからな」
「えー、そんなことないですよー。きっと先輩が上手になったんです」
撮ったばかりの写真に目を落とす。
まだレタッチもしていない未完成の写真。構図も光の取り入れ方も教科書通りでなんの面白味もない。
師匠が撮った写真とは違う、心に訴えかけるものがなにもない無味乾燥な写真。
それでも眠夢が上手くなったというのなら、俺はそれを信じよう。信じて、それを本当にしてみせる。
それが俺の「兄」としての在り方だから。
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試し読みは以上です。
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※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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