第一章 その2
*
「はい、これでもう大丈夫。痛くなくなったかしら?」
「うん! 痛くなくない! ありがとう、お姉ちゃん!」
足を負傷し歩けなかった猫族の少年は瞳を輝かせ、その場で跳びはねて見せた。
付き添っていた母親の瞳に涙が溢れ「有難う……有難うございます。聖女様」と何度も頭をさげてくる。今日だけで何度そう呼ばれただろうか。
――叛乱は幕を閉じたけれど、東都には甚大な被害が発生した。数多くの負傷者も。
正規の病院だけでは到底足りず、大樹には未だ野戦病院が開かれている。
その為、上級治癒魔法を使える私は親友のカレンと一緒に、一昨日から怪我人の手当をしているのだけれど……『ステラ・ハワード公女殿下は北方で『聖女』と呼ばれている』という噂が広まってしまったらしい。
近衛騎士団の方々と共に、瓦礫撤去へ出向いている妹のティナ達がからかい半分で言っていたのも影響しているのかもしれない。
アレン様にお話したら『僕もそう呼んだ方が良いですか?』と言われそうだ。
あ……でも、お話の切っ掛けには出来るかも?
退院されたら、たくさんお話したいし……えっと、あ、甘えたいし…………。
「お姉ちゃん、お顔が真っ赤ー」
! わ、私ったら、何を考えて。い、いけないわ。いけないことだわ。
「こほん。……魔法で癒しはしましたが、病院にも連れて行ってあげてくださいね」
「はい、必ず」「ありがとう、お姉ちゃん!」
母親は子供と一緒に天幕を出て行った。私は小さく手を振って送り出す。
机の上の小さな時計を確認。終了時間だ。……ふぅ。
疲れを感じ身体を伸ばす。軍服に白衣を羽織るのにも、随分と馴染んできた。
「……飲み物でも貰ってこようかしら」
ここ数日魔法を使うとよく舞う光の魔力を手で散らしながら、天幕の外へ。
後方には巨大な大樹が聳え立ち、眼下の大水路には多くのゴンドラや小舟。
どれも、木箱や人を満載。大樹前の広場も多くの人々が行き交っている。
各獣人族。エルフ族。ドワーフ族。人族の姿も多い。
種族関係なく話し合い、笑い合い、次々と復旧作業が行われる現場へ向かっている。
……北都でも、こういう光景が見られようにしないと。
私はステラ・ハワード。公爵家を継ぐんだから!
脳裏に、成長し蒼のドレスを着た大人の自分。隣には『魔法使い』さんの姿が浮かび――頬に冷たいグラスが押し当てられた。
「きゃっ」
「――お疲れ様、ステラ。はい、果実水」
「! カ、カレン。ありがとう、そっちも休憩?」
私へグラスを押し当ててきたのは、灰銀色の髪で獣耳と尻尾を持ち、王立学校の制服に白衣を羽織り、半妖精族の花帽子を被っている狼族の少女。
私の親友で、王立学校副生徒会長でもあるカレンだ。アレン様の妹でもある。
今回の叛乱劇では単騎、西方へと脱出。ルブフェーラ公爵家を参陣させる、という大功を立てた。
「ええ。軽傷者は大方治療し終えたみたい。さっき、母さんもそう言ってたし」
「そ、そう……」
カレンとグラスを合わせ、一口。爽やかで美味しい。
エリン様は、アレン様とカレンのお母様だ。
とてもとてもお優しい御方で、叛乱鎮圧後も大樹で珍しい増幅魔法を用いられて、治療行為の補助をされている。
……私も『お義母様』とお呼びしたいのだけれど、未だ言い出せていない。
「終わったら、兄さんの面会に行きたいわね。……ついでで、リディヤさんも」
「……そうね」
私の親友はアレン様に似て優しい。
――現状、極一部を除いてアレン様とリディヤさんとの面会は許されていない。
御二人共、大変疲弊されている為だ。許可が出たら、みんな退去して押しかけてしまう。
リディヤさんの魔力減衰も心配だし、ティナ達と計画した『アレン様の社会的地位を私達で引き上げる』は、一時的に棚上げ。
今は心と身体を休めていただかないと!
叛乱劇における論功行賞の情報は、逐次集めておけばいい。
カレンが嘆息した。
「兄さんのことだから、退院後は来る人を拒もうとはしないわ。昨日の夜、届け物をしに行ったら、蒼翠グリフォンの親子が来ていたし……」
蒼翠グリフォンは恐るべき魔獣。
人には慣れないと学んだけど……アレン様ならば納得だ。
でも、今は……私は親友を詰問する。
「カレン、昨日の夜、病院へ行ったの?」
「――……私は妹だし? 偶々、買い物帰りに寄ってみただけで、他意はないわよ。あと、頼まれていた本とノートを届けたの」
「……ふ~ん。てっきり、甘えたくて行ったと思ったわ」
「そ、そんな筈ないでしょう? ……兄さんとは少しお喋りしたけど。すぐ、リディヤさんとリリーさんに邪魔されて――ステラっ」
カレンが頬を染め、詰ってきた。
「ふふ、ごめんなさい」
嗚呼、私は今とっても満ち足りている。数ヶ月前の自分からは到底信じられない。
それも全部全部――胸ポケットに忍ばせている、蒼翠グリフォンの羽にそっと触れる。
ロストレイの地で、『勇者』様から受けた奇襲を思い出してしまう。
『有名になんかなりたくありません。私がなりたいのは』
『あの人のお嫁さん?』
………………あぅ。
自分の体温が急上昇するのを感じ、グラスの果実水を一気に飲み干す。
カレンが心配そうに顔を覗きこんでくる。
「ステラ? どうかしたの?」
「! な、何でもないわ、大丈夫――ティナ達、ちゃんと仕事しているのかしら?」
「ああ、それならさっき聞いたわ。張り切っているみたいよ」
「? 聞いたって、誰に――」
「はい♪ 私でございます☆」
私達の目の前に突如として現れたのは、栗色髪で細身のメイド――リンスター公爵家メイド長のアンナさんだった。
リサ・リンスター公爵夫人に付き従って、大樹内の会議に参加されている筈じゃ?
メイド長さんが、イヤリング型の通信宝珠を差し出して来た。
「ステラ御嬢様、ティナ御嬢様と御連絡を取られたいのならばこちらをお使いください♪ 会議は煮詰まり過ぎて焦げ付き、現在大休止中でございます☆」
「あ、ありがとうございます」
受け取り耳に着け、妹に呼びかける。
「ティナ、ティナ、聞こえる?」
『? 御姉様ですか? ごめんなさい。今、少し取り込み中で――あ~! リィネっ! エリーまで! ま、まだ、開始じゃないですっ! あ~もうっ!!!!』
通信宝珠からは、リィネさんとエリーがはしゃぐ声と、近衛騎士達の太い笑い声。
瓦礫撤去で競争をしているようだ。
私はアレン様と魔力を繋げたのに元気一杯で、張り切っていた妹を注意しておく。
「……ティナ、はしゃぎ過ぎないようにね?」
『分かってますっ! でも……これは絶対に負けられない戦いなんですっ‼ だって、次の先生の面会時に、隣の席を――リィネ⁉ 『火焔鳥』は反則でしょうっ!』
私はカレンと顔を見合わせ、肩を竦め苦笑。……妹の前向きさが少し羨ましい。
アンナさんが指を鳴らし、静音魔法を張り巡らせた。
「王都・東都間の鉄道及び通信網の復旧も順調に進んでいるようでございます。早ければ週明けにも一部部隊が東都に入るかと。主力は、ハワード、ルブフェーラ両公爵家。リンスター公爵家及び南方諸家は南都へと帰還する模様です。王都には退避していた王都貴族の軍が入るとの報が届いております」
三公爵家が王都を離れる? 未だ混乱は収まったわけではないのに?
少し違和感を覚えつつ、アンナさんへ尋ねる。
「北方の講和は進んでいましたが……南方の戦況と、東方の様子はどのような?」
――現在、王国は三方に直接的な敵を抱えている。
北方のユースティン帝国。南方の侯国連合。東方の聖霊騎士団。
ユースティンと侯国連合は直接的な侵略を試み、それぞれ撃退された。
聖霊騎士団は東都で獣人族の方々を殺害。アレン様とリディヤさん、リィネさんの兄上、近衛騎士団副長リチャード・リンスター公子殿下と交戦したと聞いている。
その後は東都から自国領へ撤退。
東方国境で、二百年前の魔王戦争において、大陸に武名を轟かせた伝説の部隊『流星旅団』と睨みあっている。
アンナさんが困り顔になられた。
「教授の御力もあり、帝国との講和は纏まったようでございます。南方では、大奥様とフェリシア御嬢様が御活躍を。ただ……侯国連合側の世論がまとまらないようでして」
戦争には相手がいる。一度始めた戦争は、そう簡単に終わらない。
その渦中に私とカレンの親友が――フェリシア・フォスがいる。
身体は弱いのに、誰よりも心が強い。きっと、限界を超えて頑張ってしまっている。
カレンがアンナさんに問いかけた。
「大樹内の会議の内容はどのような……?」
「東都の復興をどうするか、が主眼でございます。アレン様の処遇については『大魔導』ロッド卿が、叙勲は受けないのではないか? と疑念を。『流星旅団』に参加されている各族長様からも、意見がある、と。全ては退院後となりましょう」
「「…………」」
私達は視線を合わせ、拳を握り締める。
――アレン様の社会的立場は脆弱。
狼族の養子で姓もなく……カレンの話では『獣人』と認められてすらいない。
王立学校、大学校を次席卒業され、数々の功績を挙げてもなお、分厚い『見えない壁』に阻まれる。
それを少しずつ改革していたのがウェインライト王家であり、守旧派の貴族達は少しずつ実績を積み上げていく、アレン様のような真の実力者達の影に怯え叛乱を起こした。
でも――……彼等は完膚なきまでに敗北した。
アレン様の社会的地位向上の下地は整っている、と言っていい。
……けど、あの御方はきっと、御自身のことよりも獣人族全体の地位向上を望まれる。
私はカレンを見つめた。
「……そんな顔で見ないでよ、ステラ。協力はするわよ。けど、想像以上に大変よ? 兄さんは変な所で頑固なんだから。……あと、偉くならないなら、わ、私が有利だし……」
「む……」「うふふ♪ 青春でございますね☆」
私は細目になり、アンナさんはニコニコ顔。
話を続けようとする前に、通信宝珠からティナとエリー、リィネさんの切迫した声。
『御姉様! お暇でしたら手伝ってください!』
『ス、ステラ御嬢様っ! た、大変ですっ!』
『石化が一部残っていて少しずつ増殖しています。浄化しないと‼』
魔獣『針海』に埋め込まれていた大精霊『石蛇』の力。
『閃雷』で吹き飛ばされ、消滅したと思っていたけれど……。
私はカレン、アンナさんへ目配せ。二人共も頷いてくれた。通信宝珠へ返事。
「ティナ、エリー、リィネさん、今からそっちへ向かうわ」
『『『はいっ』』』
……疲労感もあるけれど、浄化魔法の使い手は少ない。私が頑張らないと!
脱いだ白衣を近くの椅子にかけ、グラスをテーブルへ置く。
「アンナさん、カレン、行きましょう!」