プロローグ
「……遅い。遅すぎます。人を呼び出しておいて、遅刻するのは教授の悪い所です!」
「テト御嬢様、御気持は重々。ですが――人の目もございます」
王国大魔法士の一人、教授の大学校内研究室に所属する私、テト・ティヘリナはハワード公爵家副メイド長のミナ・ウォーカーさんに、小声で注意されました。
公爵家のメイドさん達は王都進出後、私達研究生の護衛を務めてくれています。
少し離れた後方をちらり。そこには、十数名の紅と蒼の軍装姿の騎士様達。
王国四大公爵家、ハワード、リンスター両公爵家幕下、最精鋭部隊『蒼備え』『紅備え』の方々です、設置された簡易魔力灯の下、私達を興味深そうに眺めています。
「……はい、ミナさん」
小柄で、外跳ねしている亜麻色髪が印象的なメイドさんへ頭を下げ、黒い魔女帽子を深く被りなおし、ローブの袖と木製の魔杖をぎゅっと握りしめます。
――今、私達がいるのは王都東方の小高い丘。
周囲には人家もなく、寂しい風景が広がっています。
夜空には紅い三日月と。二百年ぶりだという彗星の尾と降り注ぐ流星群。
眼下には王立学校中央に聳え立つ大樹と、王都の夜景。
灯の数は数日前より明らかに増え、日常が戻りつつあるのを実感します。
――ハワード、リンスター、そして西方のルブフェーラの三公爵家が王国東方を統べるオルグレン公爵家を首魁とした叛乱軍から、王都を奪還して早二日。
私達、研究生は『すぐに東都へっ!』と、強く主張しましたが……黒猫姿の教授の使い魔、アンコさんはそれをあっさりと却下し、王都各所結界の再構築を下令。
半妖精族の戦略転移魔法による東都強襲は成功。
叛乱は鎮圧されたようなんですが、詳細は未だ不明です。
……尊敬するアレン先輩とリディヤ先輩の安否も。
同居人に編み込んでもらった髪を指で弄りながら、ミナさんへ零します。
「それにしても……何故、こんな場所を封鎖して? 教授の指示ですよね?」
「申し訳ありませんが、分かりかねます。……妙な話ではございますが」
ハワード公爵家副メイド長の戦時権限は絶大。そのミナさんが理由を知らない。
教授が私だけを呼び出したのは、他の研究生達に聞かせられない話だから。
つまり――叛乱に巻き込まれた先輩絡み。私は魔杖を強く強く握り締めます。
――これを贈ってくれた人の名前はアレン。
私の大学校の先輩で、『剣姫』リディヤ・リンスター公女殿下の相方。
『剣姫の頭脳』の異名を持つ大陸西方でも指折りの魔法士。
頑固で、ちょっと意地悪で……誰よりも優しい、私達が敬愛して止まない先輩です。
研究生のみんなで決めた、秘密の約束を思い出します。
『何れ必ず――アレン先輩へ貰いっ放しの恩を御返しする』
なのに、私はこんな場所でっ! 憤っていると――左肩に重み。
「! アンコさん?」
私の肩に気配なく乗ってこられたのは黒猫姿の使い魔様でした。
アンコさんが戻られた、ということは……後方の騎士様達からざわつき。
「テト御嬢様、お越しになられたようでございます」
小柄な副メイド長さんの言葉を受け、振り返ります。
騎士様達の封鎖線を越え、此方へ歩いて来る眼鏡をかけた学者風の男性――教授が右手を振ってきました。紳士用の帽子に外套。旅人風です。
教授は私の傍へやって来られると、普段通りの気軽な口調で話しかけてきました。
「遅れてすまない、テト嬢。面倒な会議が長引いた。ワルターもリアムもレオも、僕に対する労いの精神を欠いている! 強行軍で皇都から王都へ移動させておいて、これだよ? 王女殿下にも責められるし、踏んだり蹴ったりさ。ミナ嬢、生徒達の護衛に感謝を」
「いえ。可愛らしい御嬢様とお坊ちゃまの御世話を出来て、皆喜んでおります」
副メイド長の言葉に、多少気恥ずかしさを憶えながらも、考えます。
『ワルター』『リアム』『レオ』――ハワード、リンスター、ルブフェーラの三公爵。
『皇都』というのは、北方ユースティン帝国の都。
『王女殿下』は、シェリル・ウェインライト王女殿下のことでしょう。
「あの……教授、よろしいですか?」
「うん? 何かね、テト嬢。――……もしや! 僕を労わってくれるのかい⁉」
「いえ、そんなつもりは微塵もありませんが」
「ぐぅっ! テ、テト嬢? ぼ、僕はユースティン帝国との講和案を纏め、ハワードの執事長であるグラハムへ引継いできたのだよ? かなり仕事をしていてだね……」
「足りません。もっと、馬車馬の如く働いてください」
「…………我が教え子の厳しいことよ。そういう所まで、アレンやリディヤ嬢を見習う必要はないと思うんだがね。ああ、そうだ。君にはまず伝えておかねば」
教授が背筋を伸ばされました。私とミナさんも緊張します。
「先程、ようやく東都と確認が取れた――アレンとリディヤは無事だ」
「!!!!!」
安堵が胸に満ち、身体の力が抜け、倒れそうになります。
「テト御嬢様」
ミナさんが優しく支えてくれました。視界が涙で滲み、曇ります。
――……良かった。本当に、本当に、良かったっ!
教授は帽子を直されながら、続けられます。
「……王都・東都間の鉄道と通信網はリディヤ嬢が破壊して未だ復旧中だし、それを補う『天鷹商会』のグリフォンも限定的。情報も依然錯綜中なんだが……アレンとリディヤ嬢、それにティナ・ハワード公女殿下が東都を救ったようだよ」
「⁉」
またですが、アレン先輩っ! どうして、何時もそうなるんですかっ!!
リディヤ先輩は……アレン先輩と一緒なら何の心配もいりません。
私を支えてくれているミナさんの身体と声が震えています。
「……ティナ御嬢様、満点の満点です。奥様が生きておいででしたら、どれ程、お慶びに……」
ティナ・ハワード公女殿下――現在、アレン先輩が家庭教師をしている女の子。
他国では『閣下』なのでしょうが、王国の東西南北を守護する四大公爵家には、かつてウェインライト王家の血筋も入っている為、『殿下』の敬称がつけられています。
つい数ヶ月前まで一切の魔法が使えなかったにも関わらず、今春には王立学校へ首席入学を果たした、と聞いています。……まぁ、アレン先輩絡み。不思議ではありません。
私は自分の足でしっかりと立ち、懸案について恩師へ質問します。
「教授、ギルは」
「無事なようだよ。……取り合えず、だが」
――ギル・オルグレン公子殿下。私や、もう一人の同期生で、同居人のイェン・チェッカーと、研究室で苦楽を共にしてきた掛け替えのない友人です。
彼がこんな馬鹿げた叛乱に参加したとは思えません。しかし……『オルグレン』である以上、何かしらの罰は免れないでしょう。アレン先輩と相談しないと。
「では行こうか。此処からは僕達だけだ。ミナ嬢、誰も通さないように」
「畏まりました。お任せください」
「教授、やっぱり、アレン先輩に関わる何かが?」
「……ああ。叛徒共の一部がこの丘へ向かった、という話があってね」
恩師の滅多に見ない、真剣かつ憂いを帯びた表情。
「踏み込まれていたなら……大問題だ。此度の愚挙以上の。アンコ」
黒猫様が一鳴き。
次の瞬間――教授と私は足下の『影』に飲み込まれました。
「テト嬢、もう大丈夫だよ」
「は、はい。……え?」
教授の言葉に恐々目を開けると、私は簡素な墓石の前に佇んでいました。
墓碑銘は――『果たすべき誓いを果たせし者、此処に眠る』。
見渡してみると、強大極まる黒の障壁。大樹が透けて見えます。
……ミナさんの魔力を感じるところを見ると、
「アンコさんの大規模認識阻害結界? しかも、この魔法式……アレン先輩の?」
左肩の黒猫様が鳴かれます。正解のようです。
教授が小さく頷かれました。
「墓石はアレンが建てた。『遺体が安置されている王立学校地下大墳墓には王族しか入れなくて、花とお酒を手向けられない』とね。埋められているのは、彼の遺品さ」
「……え?」
王立学校地下の大墳墓? そんな物が存在するのも初めて聞きました。
「彼の地へ葬られるのを許されるのは国家の英雄だけだからね。アレンに聞いた話だと普段の彼は、英雄から最も遠い男だったらしいけど」
「……アレン先輩のお知り合い、だったんですか?」
先輩は狼族の養子という社会的立場や、圧倒的な実績からの妬みもあり、友人が多くはありません。……大学校時代はリディヤ先輩がべったりでしたし。
私の問いかけに教授が首肯されました。
「彼の名はゼルベルト・レニエ。アレンの親友にして、リディヤ嬢の天敵。己が使命を全うし、四翼の悪魔から王都を救った勇士だ。この丘へ墓石を立てることは遺言だったそうだよ。王家は難色を示したが、アレンが頑として聞かなかった。『彼は、命を賭して王都を守り抜きました。僕には彼との約束を果たす責務があります』とね」
「…………アレン先輩らしいですね」
私の敬愛する大魔法使い様は、何が大切なのかを決して見失いません。
左肩のアンコさんを触れながら、質問します。
「それで、いったい何を懸念されて――……教授!」
首筋に寒気が走った瞬間、私は警戒の叫びをあげました。
――目の前の墓石に、薄気味悪い灰黒の線で印が描かれていきます。
この魔力……余りにも、余りにも禍々しい。肌が粟立ちます。
「…………聖霊教の印?」
線と線とが絡まりあい、墓石上で渦を巻いていき――結集。
怖気が走る巨大な蛇の集合体となり、虚ろな眼孔で私達を睥睨し、咆哮しました。
「っ!」
虚空に、数えきれない灰黒の幾何学模様が出現していきます。盾?
得体の知れない相手ですが……分かっていることは一つ。
私は帽子のつばを深く被り直し、魔杖を構え、左手に呪符を取り出しました。
「どういう存在なのかは分かりませんが……此処はアレン先輩にとって大切な場所。それを汚した相手を生きて返す程、私は人間が出来ていませんっ! 消えて――」
「テト嬢、下がりたまえ」
「!」
強烈な意思が込められた教授の命令を受け、私は魔法の発動を止め半歩後退します。
直後、中空を漂う形状が不安定な盾が次々と教授へ降り注ぎ――
「危ないっ!」「ふむ……『光盾』の残滓を混ぜ込んだか。と、なると」
私の悲鳴と同時に、その全てが漆黒の光閃によって切り裂かれました。本体もバラバラにされ、地面へ落下。血は噴き出ず、灰黒光を瞬かせ繋ぎ合っていきます。冷たい論評。
「『蘇生』もか。形状からして……」
蛇がその身を起こし、再度猛全と襲い掛かってきます。速いっ!
咄嗟に呪符を投げようとし――教授は帽子を抑えられながら、指を鳴らされました。
瞬間、黒い匣が蛇を包み込み収縮。完全に消失しました。
「へっ⁉」
い、今のも、魔法? アレン先輩の言葉が脳裏を過りました。
教授は間違いなく王国最高の魔法士だよ。
蛇が全て消失したのを再度確認し、私は質問します。
「教授! い、今のはいったい!?」
「大魔法『石蛇』の力だ。聖霊教の置き土産さ。おそらく……此処だけじゃない。奴等は、レニエの墓所を暴いたんだっ!」
重い……一介の学生が聞くには余りにも重い名を耳にし、私は言葉を喪います。
しかも、聖霊教絡みだなんて――後方に魔力を感じました。
教授が敵意むき出しの声色で問われます。
「……もしかして、君が全部仕組んだのかな? そうなら、潰すが?」
「まさか。私ならばもっと上手くやるし、これは『挨拶』に過ぎぬだろう?」
「……ふん」
背後にいたのは意外な人物でした。
――白い魔法士のローブに身を包み、左目には片眼鏡、長く伸ばした白い髭の老人。
現王国王宮魔法士現筆頭にして貴族保守派閥の巨頭ゲルハルト・ガードナー。
……アレン先輩の王宮魔法士就任を妨害したと思われる人物が、どうしてこんな所に?
疑問を感じていると、ミナさんも中へやって来られ深々と頭を下げられます。
「申し訳ありません。火急の報せ、とのことでしたので」
「火急、ねぇ…………で? 用件は?」
教授が胡乱気にガードナーを見ました。友好的要素は皆無です。
けれど動じず、老人は淡々と事情を伝達しました。
「ジョン王太子殿下の遣いとして来た」
教授の片方の眉が上がりました。
――ジョン・ウェインライト王太子殿下。
将来の国王陛下となられる御方ですが、表に出て来たがらないと聞いています。
視線で促され、ガードナーがはっきりと口にします。
「『王都の清掃も必要だ』――確かに伝えた。私は今晩、この場に来ていない」
「…………どういう風の吹き回しだ?」
空気が一気に重くなりました。
――『清掃』。つ、つまりそれって。
「私は守役としての任とガードナーの使命を果たすのみ。クロム侯と、西都の陛下の御賛同もいただいている。王宮禁書庫の結界が一部破られ、略奪された。王都へ移送されたジェラルド王子も行方不明になっている……奴等は、急進的な聖霊教は危険過ぎる」
「……敵の敵は味方、と。いい機会だから、此度の愚挙に参加する根性もなかった派閥内の使えない者達をも一掃する、と。はっ!」
教授が眼鏡を直され、視線をやや下へ向けられると、妖しく光りました。
「悪くはない。王国は急ぎ変わらねばならない。それ程までに――敵は強大だ」
「貴殿の意見に同意なぞせぬ。例のアレンという者を王宮魔法士としなかったのは、正しいと今でも確信している。だが、王国の安寧はそれに勝る重大事だ……彼を王都へ戻し、この現場を見せるわけにはいくまい? 少なくとも敵の仔細と意図が分かるまでは」
私は身体を震わせました。
――アレン先輩は誰よりも優しい人です。
けれど、だからこそ……怒らせてしまえば世界で一番恐ろしく、誰にも止められない。
仮に、亡くなられた御友人の墓所が辱められていたのなら……例え王国と敵対することになっても、先輩は復仇を果たされようとされるでしょう。
教授が吐き捨て、苦々しく考えを口にされます。
「僕は君が大嫌いだよっ! ……三公爵へ話を通す。人員も必要だし、急ぎシェリル様を東都行きの列車へ乗せなければ。あの御方は絶対に反対されるからな」
「私も貴殿が大嫌いだ。が……汚れ仕事は歳を喰った者の責務。その一点において、貴殿と私は歩み寄ることが出来ると信ずる」
「「…………」」
王国の誇る大魔法士二人が睨み合い――冷笑。
「……では、確かに伝えた」
そう言ってガードナーは踵を返し、去っていきました。
アレン先輩、この件、研究室唯一の『一般人』である私には荷が重たいですっ!
音もなく近づいて来られたミナさんが、耳元で囁いてきます。
「(……アレン様から直接魔法を習い学んだテト御嬢様は、一般人枠ではないかと★)」
「(ミ、ミナさん⁉ こ、心を読まないでくださいっ!)」
あたふたする私を見て、アンコさんが呆れたように一鳴きされました。
教授が考え込まれ、零されます。
「問題は、どうやってアレンを王都から遠ざけるかだな。東都の混乱が収まれば……『外』へ行かせてしまえば良いのか。なら、リディヤ嬢も巻き込んで――」
恩師は私へ、怖い笑みを向けて来ました。
「申し訳ないが、テト嬢。君にも協力をしてもらう。アレンとリディヤ嬢へ、それぞれ手紙を書いておくれ」