第1話 メイド・in・異世界《ファンタジア》 その1

 短い秋が過ぎ、ブリタリカ王国バラスタイン辺境伯領は長い冬を迎えようとしていた。

 大きく左右に広げられたガルバディア山脈の両腕。砂糖菓子のような雪化粧が施された腕に抱かれ、美しい高原も牧草の青を吸われてどこか寂しげだ。

 だというのに。

 その『チェルノート』と呼ばれる高原は今、山脈の隆起以来初めてと言えるほどの喧噪と活気に包まれていた。

 無数の天幕が並び、その間を慌ただしく行き来する騎士や魔導士たち。

 ここは竜翼騎士団ナイツ・オブ・ドラクリアの野営地。

 対帝国の最前線である。

 ――その中を、少女が走っていた。

 少女は慌ただしく行き交う騎士たちをすり抜け、迷いなく駆ける。自慢の銀髪が乱れるのも、彼女の侍従が用意したドレスが汚れるのも構わず、野営地の中心部へと向かった。

 そこに騎士団の長を見つけたからだ。

「お父様っ」

 少女がが呼び止めると、天馬ペガサスに跨がろうとしていた彼女の父――ブラディーミア十三世は「おお、エリザベート」と巌のような顔を綻ばせた。

 全身を白銀の〔騎士甲冑サークイルド・シヤゼル〕に包んだ男は、飛び込んできた少女――エリザベートを優しく抱き止める。

「エリザベート、こんな所まで来てはいかんだろう。ミーシャはどうした?」

「お父様、どうかお考え直しください」

「何をだね」

「此度の出陣をですっ」

 二人のそばにいた騎士が慌てて周囲を見回す。騎士団長の娘が弱腰と取られては全軍の士気に関わるからだろう。

 けれどエリザベートは言わねばならなかった。

「なぜお父様が、しかもお一人で帝国と戦わねばならないのですか? ガラン大公やエッドフォード伯爵の援軍を待つべきです。そうでなくても帝国は――」

「エリザ」

 父は娘の口に指を当てて言葉を遮る。

「いつも言っているだろう。王や貴族というものは――」

「――民草の幸せのために戦えるからこそ貴いのだ」

 父の口癖をそらんじたエリザに、男は「そうだ」と微笑んだ。

 エリザベートはその微笑みに歯がゆさを感じる。

 父の信念は理解できる。ゆえに尊敬もしている。わたしもそうありたいと願っている。

 ――けれど、ソレとコレとは違うのだ。

「ですが、だからと言って――」

「ですがも何もない。今やルシャワール帝国軍は目と鼻の先。民が蹂躙されるのを見て見ぬフリなど出来ぬ。いつ来るかも分からぬ援軍など待てぬよ」

「お兄様たちもそう言って帰って来なかったのではありませんかっ!」

 エリザベートが語気を荒らげると彼女の父は「落ち着きなさい」と笑い、フワフワと癖のある銀髪を梳かすように撫でる。

「心配するな、エリザベート。帝国に騎士はいない。魔獣に乗った騎士もどきが何千何万いようと敵ではないよ。安心なさい。ヴィクトルとグラファールの仇は私がとる」

 言って、男は天馬に跨がってしまう。

 見れば、周囲の天幕から天馬や一角馬ユニコーン八脚馬スレイブニルといった幻獣たちが次々と天空へ飛び上がっていく。バラスタイン辺境伯領が誇る竜翼騎士団。その全四十八騎である。

 彼ら全てが一騎当千の騎士。一人一人が街ひとつを消し飛ばす力を持っている。その力には魔導士すら敵わず、故に騎士を倒せるのは騎士だけ。

 それは千年前から変わらぬ絶対の理――――の、はずだった。

 騎士を持たないはずの帝国は、既に数十の王国騎士を討ち滅ぼしていた。その中にはエリザベートの兄も含まれている。帝国軍は得体の知れない〝何か〟を隠し持っているのだ。

 そして父も、帝国が持つその〝何か〟に飲み込まれるのではないか。

 そうなればバラスタインの名を持つ者は、わたし一人になってしまう――――。

 エリザベートの顔があまりに不安そうだったからだろう。空に上がろうとしていた男は、少し考えこむように顎髭を撫でてから口を開く。

「そうだな。……そう、万が一、お前がひとりで民のために戦わねばならぬ時は、塊鉄炉フオージの印が押された棺を開きなさい。今は城の蔵で眠っているが、きっとお前の力になる」

「万が一なんて仰らないでくださいっ! それにわたしが心配しているのは、家のことではなくお父様の御身体のことで――」

「はっはっは!

 なに、初代様から受け継いだこの『万槍ばんそう』さえあれば、そんな事にはならんだろうさ」

 従者から受け取った槍を掲げ、父は空へ駆け上っていく。

 その姿は確かに勇ましく、千年もの昔、魔人軍と戦った初代ブラディーミアを描いた絵画を彷彿とさせた。


 そしてそれが、エリザベート・ドラクリア・バラスタインが見た、父の最後の姿だった。

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