プロローグ これまでの境遇からの逃避

 世界が人間界と魔界に完全に分断されてからいくねんの月日が経ち。

 人間と魔族の争いは長く続いていたが、今から二十年前に大きな変化が起きた。

 それは最強の魔族である魔王のかくせいから始まった、歴史上最も大規模な人間界への侵攻。

 そして魔王を打ち倒せる力を持った人間界側の英雄、勇者と呼ばれる存在の顕現。

 三日三晩にわたる闘いの末に、魔王は勇者の手によって大きく弱体化したと言われている。

 その結果、現在人間界と魔界は互いに予断を許さないこうちやく状態へと移行していた。


「──え、また来たのか? 今日はもう無いと思って家に置いて来てんだよなぁ、武器」

「まぁ、くわでもいいだろ。休憩がてら狩ってこようや」

 ここは人間界の辺境。魔界に一番近いとされているルデスという村。

 村の規模は決して大きくは無く約五十人程が暮らしている長閑のどかな村で、農業や牧畜で自給自足している、そういう部分では何処にでもあるような村なのだが。

 農作業をしていた村人は鍬を片手に携えながら、畑に向かってくる魔族を見る。

 群れを成している魔族は、二人の村人に向かって一斉に襲い掛かって来るが。

 一人は鍬を振り回して、もう一人は強大な魔術を行使しながらそれをらしていく。

「──さて、作業に戻るか」

「まぁ、気分転換にはなったな」

 ものの十数秒も経たない内に、まさしく片手間に魔族の群れは片付けられてしまった。

 そして本当に何事も無かったかのように、二人は農作業に戻っていく。

 魔界に一番近い村。つまり、魔族との圧倒的な遭遇率の高さを誇る村ということ。

 彼等にとっては魔族とのたいは文字通り日常茶飯事。だから一つも動じない。

 本日だけで既に三回目。それに一切の疑問を抱かないのがこの村の普通。


「……せっかく気持ちよく寝てたってのに、魔族の金切り声で起こされたわクソが……」

 しかし、その『普通』から少しだけ外れている存在が村には一人。

 村に申し訳程度に設置されているものやぐらの屋根の上。そこでいつものように惰眠をむさぼっていた少年は、意識が覚醒してからも大きな大きな欠伸あくびをかましている。

「おはよう、セルト。とても可愛い寝顔だった」

「ふわぁ……。何でひざまくらされてたかについてはもう今更言及しないけども……」

 セルトと呼ばれた無造作な黒髪の少年。およそやる気が感じられないひとみと、同じく全く覇気が無い顔をしており、今もなお眠そうに眼を擦っている。

 途中からやけに寝心地が良くなったと思えば、いつの間にか少女に膝枕をされていた彼は多少疑問に思いながらもその柔らかいももに頭を預けるのを止めはしなかった。

「レリア、お前もサボってると怒られるぞ」

 セルトを膝枕していた少女の名前はレリア。彼の唯一無二のおさなじみ

 つややかな蒼色の髪に純白の二又のリボンを付けた、無表情だが一目見てわかる美少女。

 白のワンピースに身を包んだその少女は、彼の前だけはそれなりに表情を変える。

「セルトと一緒にいる為に全部終わらせてきた」

「わーお、有能。モチベーションって本当に大事な」

 この村では子供とはいえ仕事がある。極度の面倒臭がりな彼は当たり前にサボっていた。

 慈しむかのようにセルトの頭をでるレリアの口元にはわずかながら笑みが。

 もう十五になるのに頭を撫でられ続けるのが少し恥ずかしいセルトは身体を起こした。

「それにしても暇だな。勝手に暇にしてるんだけど」

 セルトは大きく伸びをし、もちになったレリアは少し残念そうな表情に。

 大した娯楽も無いこの村で暇をつぶすなら仕事をしていた方がよっぽど有意義。

 それでも彼は動かない。面倒と暇をてんびんにかければ、暇の方の天秤が壊れてしまう。

「……私の身体は準備万端。いつセルトに襲われても構わない」

「もっと自分を大事にしなさい!! ……ったく、冗談にしても趣味悪いぞ」

 ワンピースのかたひもの部分を少しだけずらしたレリアを見て、セルトはすぐにそれを戻す。

 ド田舎の少年少女の娯楽などそれしかない、とレリアは抗議の目線を送っている。

「本気も本気。セルトの為に、絶対守り通すから」

「何を!? いや、ごめん、やっぱ言わなくていいや……」

 生涯のほとんどを共に過ごしてきた幼馴染同士。互いのことはよく分かっている。

 他愛の無い会話でも当然盛り上がる。というよりも、村という極めて狭い世界の中でも主にセルトが頻繁に会話をするのはレリアだけ。そしてその逆もまたしかり。

「じゃあ……二人の思い出を語るのは、ダメ?」

 少し間を置いてレリアは伏し目がちに、本当にやりたかったことをセルトに告げる。

 唐突のように思えるレリアのその提案も実は唐突ではない。

 その意図をセルトは分かっている。だからレリアの二の句を黙って待っていた。

「……セルトがいなくなっちゃう前に、もう一度共有したい」

「そんな顔されて、ダメとか言えるかっての」

 セルトは苦笑いを浮かべて座り込むと、肩にレリアの頭がそっと預けられる。

 そして二人は淡々と思い出話に花を咲かせていく。もう何度紡がれたか分からない追憶。

 それは全ての始まりの話。これから始まる物語の最初の一ページだった。


 魔族との対峙が日常の一部である村。それは彼等が幼少期の頃から変わらない。

 当時五歳であった二人はある日、ひょんなことから村の外れに出てしまった。

 当たり前のように魔族に襲われ、戦うすべを持たない二人にはそれは恐怖そのもの。

「あの時のセルトは本当に世界一格好良かった。今も目に焼き付いている」

「忘れろ!! 怖くて大泣きしてたことしか覚えてない!!」

 しかし、大事な幼馴染を守ろうとセルトは必死になって魔族からレリアをかばった。

 その行為は焼け石に水でしかなかったが、レリアにとっては最高の思い出。

 だからレリアはセルトを心底好いている。ただひたすらに心酔していた。

「つかさ。格好良かったって言ったら、俺達を助けてくれた人だろ」

「確かに。あの人がいなければ今の私達は無い」

 そんな窮地を解決してくれたのは、村にふらっと立ち寄った一人の男性。

 既にボロボロ寸前だったセルトが倒れそうになった時、一瞬にしてその男性によって魔族が斬り伏せられたのを二人はよく覚えている。あまりに衝撃的な出来事だった。

 そしてその勇敢でいて厳かで圧倒的な存在感を持つ姿が、隔絶された環境で過ごした幼子であっても人間界を平和へと導いた勇者なのだということがすぐに分かった。

「勇者ってのは本当にすげぇよな。俺の可能性をひらいてくれた」

 その人物には命を救ってもらっただけではなく、村以外の世界の話を教えてもらった。

 まっこと信じ難いことに、この村以外の場所では魔族との遭遇が日常ではないと。

 もっと世界は広くて、もっと平和だと彼に教えてもらった時の気持ちは忘れられない。

 レリアを魔族から庇ったことで同時に魔族に対して極度のおびえを抱いたセルトにとってその話は、まさに自分の運命を変えてしまうものであった。

 くだんの人物は名も言わず去ってしまった。だが彼等の脳裏にその姿は残っている。

「ま、大変だったのはそこからだった訳なんだが……」

 この村の日常である魔族に怯えることになり、外の世界を知ってしまった時点で、狭い世界の中の『普通』ではなくなってしまったセルトの苦悩は計り知れなかった。

 暮らしていた村への疑問と違和感。それをずっと抱えていたセルトの生きづらさ。

「外の世界がここより平和だろうが、力を持ってない人間には高い壁があるわな」

 だらーと体勢を崩してセルトは今まで村で過ごしてきた生活を振り返り始めた。

 何処で生きていくにも生き抜くための力が、魔族を打ち倒す為の力が必要になる。

 そして怯えたままでは環境を変えることも出来ない。今の環境にも適応出来ない。

「私はセルトがずっと頑張ってきたのを見てきた」

「実際は頑張らなきゃいけないような環境だった、が近いのが悲しいな」

 追い詰められた環境と、偶然にも外の世界のことを知って得たモチベーション。

 まずは魔族に対する怯えを克服する為に、克服した後は更に楽が出来るように。

 二度と同じような恐怖を抱かないように、セルトは幼少期から努力を惜しまなかった。

「村の人達に沢山馬鹿にされたし、眠れない夜もあった」

「血を流すより血を吐く方が多かったりな。今思い返すと全く笑えん」

 村での日常を怯えるようになったセルトは当然ながら、普通には強くなれなかった。

 行き着いた形は、真っ向から魔族を打ち倒してきた村の人間とは違っていびつなもの。

 それでもセルトが会得したものは、他の誰もが真似出来ない強い力だった。

 それに加えて人生の転機。怯えと外の世界へのあこがれが生まれれば答えは一つだけ。

「それもこれも全部、この村を出る為には必要なことだったからな」

 村人とは全く違う価値観を持ったセルトはずっと前から村を出ることを決めていた。

 その夢は本当にさいなもの。平穏無事に楽に生きていたい、ただそれだけだった。

「それを口にする時のセルトはいつも楽しそうだった。今もそう」

「そりゃな。それだけを夢見てこのクソ村で生きてきたんだ」

 そう言うとセルトは遠い空を見上げながら、まだ見ぬ世界に思いをせる。

 とにかく村にはいたくない。嫌な世界からの脱却が彼の人生の第一歩だった。


「そんじゃ……そろそろ行くか。今日という日を俺はずっと待ってたからな」

 セルトが村を出ると決めていたのは、村で大人として認められる十六歳の誕生日。

 もう子供でないというのなら自分で全てを決められる。その義理だけは通した。

 だらけていた体勢を起こし、もう一度大きく伸びをするとレリアに服のすそつかまれる。

「……私がいればセルトは何も困らない。それでも一緒に行っちゃダメ?」

 セルトが村を出ることについてはもうあきらめていたレリアだったが、自分も付いていきたいという願望についてはまだ諦めきれていない部分があるようだった。

「お前は俺の『当たり前』の象徴だ。だから連れて行かないって決めていた」

「それは……分かってる。私も、セルトの意思を尊重したい」

 村での生活の殆どを共にしてきた幼馴染である二人は、離れ離れになったことがない。

 つまりは一緒にいることが当たり前だった。しかしセルトはこれまでの当たり前を崩す為に村を出たいのであり、そういう意味でもレリアを置いて行くという選択を取った。

「セルトは私と離れて寂しくない……? 私は、やっぱり寂しい」

 すがりつくようにセルトの胸に自分の頭を埋めるレリアを、セルトは無造作に撫でる。

「二度と会えなくなるわけじゃない。お前も村を出たいならきっと、いつかな」

 セルトは決してレリアをないがしろにしている訳ではない。それでも意志は固かった。

 それを分かっているのか、レリアはセルトの手をギュッと握って微笑を浮かべた。

「全然諦めてないけど諦める。これ以上、セルトを困らせたくない」

「本当に全然諦めてないな!? 握る力が強過ぎる!!」

 困らせたくないという割には困らせている、とセルトは思わず苦笑い。

 それでも最終的には手を離し、レリアは控えめにその手をセルトに向けて振った。

「また、ね。約束」

「あぁ、約束だ。またな」

 魔界から一番近い村。そこで育った少年は、平穏と安寧を求めて旅に出る。

 小さな世界から広い世界へ。その一歩目は幼馴染の少女との些細な約束だった。

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