春の日のエスコート★小説最新3巻電子書籍配信記念!
※『グランドール王国再生録 破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです3』の本編読了後にお楽しみください。
春の日差しが心地よいある日、レナルドは王宮の一角にある衣装部屋で、驚きに目を
まるで王都のブティックがそのまま引っ越してきたかのようだ。手狭な部屋の中には、何着ものワンピースやバッグに靴の小物類、さらには金髪・茶髪・黒髪など様々な色のウィッグが並べられている。
それだけでも圧巻なのに、部屋の奥には、レナルドが見たこともないような化粧道具まで大量に置かれていた。
「これが全部、ヴィオレッタの変装に必要なものなのか?」
ヴィオラの正体が王女ヴィオレッタだと市民にバレた今、彼女が城下へ出かけるためには入念な変装が必要になる。そのための準備を命じたのはレナルド自身だ。けれど、まさかこんな大ごとになるとは思わなかった。
「ここにあるものをすべてヴィオレッタ様のご変装に使うとは、もちろん申しません」
レナルドのつぶやきに答える形で、落ち着いた声が後ろで上がった。声の主は、袖の先までパリッとアイロンの行き届いたメイド服を
彼女は元々王妃付きとしてレナルドの母に仕えていたが、母亡き今はレナルドの身の回りの世話をしたり、こういう個人的な頼み事を引き受けたりしてくれている。
エリザはきびきびとした足取りでレナルドの横を通り過ぎると、ワンピースとウィッグの置かれている一角で立ち止まった。
「レナルド様には、ヴィオレッタ様が明日お召しになるお衣装とウィッグをこの中から選んでいただきたいと存じます。その後、お召し物に合ったお化粧などを私の方で考えさせていただきます」
「わかった。そういうことなら、まずは俺の方で彼女に似合う服を選ぼう」
レナルドはそう言うと、手近にあったワンピースを手に取った。深みのあるワインレッドの生地に、飾りの白いレースが上品な雰囲気を
(ヴィオレッタの鮮やかな赤髪には、もっと涼やかな色の方が映えるか。いや、しかし明日は髪の色もウィッグで変えるんだったな。あのアメジストのような瞳には、赤髪と同じくらい黒髪も似合うだろうから、服の方をもっと明るくして……)
自分の衣装選びだって、こんなに真剣に悩んだことはない。レナルドが真面目な顔つきでワンピースを見比べていると、後ろでエリザがフフッと笑うのが聞こえた。
「レナルド様は本当にヴィオレッタ様のことがお好きなのですね」
「……なんだ、急に?」
レナルドが思わず手を止めて振り向くと、楽しそうに微笑むエリザと目が合った。
「レナルド様は幼い頃から王族としてのご自覚が強く、我が国のために政略結婚をなさるのが当然だとおっしゃっていました。それが、こうしてお好きな女性の装いを手ずから選ばれる日が来るなんて……しかも、そのお相手があのヴィオレッタ様だなんて、数年前の私が聞いたらきっと信じなかったでしょう」
「それは俺も同じだ」
かつてレナルドは、従妹であるヴィオレッタのことを誰よりも軽蔑していた。彼女は民の生活を
しかし、国王試験を境にヴィオレッタは別人のように変わった。その本当の理由を彼女は決して口にしない。そこに何か重大な秘密が隠されているようだと気づいて――その秘密を打ち明けてもらえないことで、自分は彼女に信用してもらえていないのかと悩むこともあった。
だが、今はもういい。かつて自分がマティアスのことを誰にも打ち明けられなかったように、誰にだって、人に言いたくない秘密の一つや二つはあるだろう。今の自分は、その秘密ごと彼女のすべてを受け止めたいと願うほどに、強く彼女に惹かれていた。
(明日は二人で外出できる貴重な機会だ。ヴィオレッタが即位したら、こんな機会は二度と巡ってこないかもしれない。それなら……)
ヴィオレッタにも外出を楽しんでもらうためには、どうすればいい? どんな装いなら、彼女の正体を周囲に気づかれることなく、その魅力を最大限に引き出せるだろう?
レナルドはそれから時間の許す限り、ワンピースとウィッグの組み合わせを何通りも並べ直しては悩みに悩み……最後に決めた組み合わせをエリザに渡した。それを見たエリザの顔に穏やかな笑みが広がる。
「春らしい、爽やかな装いを選ばれましたね。こちらの髪色もヴィオレッタ様のお顔立ちによくお似合いだと思います」
「そうだといいんだが……。これだけで、本当に別人のように変装できるだろうか?」
「ご安心くださいませ、レナルド様。明日はこのエリザ、腕によりをかけて、ヴィオレッタ様に特別なお化粧を施しましょう」
「ああ、元王妃付き侍女の手腕に期待している」
エリザは昔から変わらない。自分の仕事に誇りを持った人間特有の顔で胸を張って働いている。そんな彼女のことを頼もしく思いながら、レナルドは残っている仕事を今日中にすべて片付けるため、衣装部屋をあとにした。
翌日は街歩きをするのにふさわしい、爽やかな春の一日だった。
レナードの装いに着替えたレナルドは、王宮の裏口でヴィオレッタを待っていた。さっきから何度も懐中時計を取り出しては、前に時間を確認した時から三分も経っていないことに気づいて苦笑する。
エリザには、あのワンピースとウィッグの組み合わせで問題ないと太鼓判を押してもらえたが、果たしてヴィオレッタはどう感じただろう? 今日限りの変装と外出を楽しんでもらえたら、いいのだが。
そんなことを思いながら、再び懐中時計に手を伸ばした、その時だ。裏口の扉が開いたことに気づいて、レナルドは顔を上げた。思わず息を呑む。
涼やかな水色のワンピースに身を包み、黒髪を春風になびかせた少女がこちらに向かってくるのが見えた。普段の華やかな見た目と違うせいで、パッと見では誰かわからないかもしれない。しかし、どれだけ纏う雰囲気が変わろうとも、印象的な紫の瞳は変わらない。それはレナルドの大好きな、力強くまっすぐな瞳だった。
「あの、レナルド? 私の格好、変じゃない?」
自分があまりにも熱心に見つめすぎたせいだろう。目の前まで来たヴィオレッタがそう言って、気まずそうにウィッグの黒髪をなでる。
レナルドはハッとして首を横に振った。
「ちっとも変なんかじゃない。あんたの新しい一面を見られてよかったと思う」
「え? その言い方……やっぱりこんな
「違う! 俺はただ、その……見とれていたんだ。あんたがきれいすぎて」
「…………っ!」
ヴィオレッタの頰が朱を散らしたようにパッと赤く染まる。
レナルドも自分の耳が熱くなるのを感じた。
「……さぁ行こう、ヴィオレッタ。あちらに馬車を待たせている」
レナルドは照れくささを隠すように早口でそう言うと、腕を差し出した。それを見たヴィオレッタが、「え……」とつぶやいて固まる。
(しまった。つい浮かれて、一気に距離を詰めすぎたか?)
レナルドとしては、好きな女性をエスコートするのは当然のことだった。だが、先日も図書館で甘い雰囲気になった翌日に、朝議の席で目が合いそうになって、顔を背けられたばかりだ。
自分のことを相棒としか思っていないヴィオレッタにとっては、この手のエスコートですら早すぎたのかもしれない。しかし、それならこの腕はどうしたらいいだろう?
レナルドが差し出した腕を引っ込めるべきかどうか悩んだ、その時、横から腕にちょんと軽く触れる手があった。
「……ヴィオレッタ?」
「えっと、その、今日は一日よろしくお願い、します」
「急にどうした? 服装につられて、態度までしおらしくなってるぞ?」
「へ? そんなことないから! 私は極めていつも通りよ!」
「そうか?」
食い気味に否定するヴィオレッタに、レナルドは苦笑した。
ようやくいつもの調子が戻ってきたらしい。男として意識されないことは寂しくても、このまま変な空気になるよりはずっといい。
レナルドはモヤッとする思いを呑み込むと、ヴィオレッタと並んで歩き出した。
今日用意してもらった馬車はお忍び用で、王宮の前につけては悪目立ちしてしまうため、少し離れた場所に停めてもらっている。
今日のヴィオレッタは普段より高いヒールの靴を履いているから、慣れない彼女に合わせて自分も歩幅を狭めた方がいいかもしれない。この速度で大丈夫だろうか?
レナルドが心配して横を見ると、目が合いそうになったヴィオレッタが顔をバッと背けた。
(またか……。こうも露骨に避けられると、さすがに傷つくんだが)
レナルドの口から思わずため息がこぼれそうになった、その時だ。ちらっとこちらを窺うように見上げるヴィオレッタと再び目が合いそうになって、レナルドはハッとした。
上目遣いになった紫の
(もしかして照れているのか? 俺のことを男として意識しているせいで。もしそうなら……)
いけない。思わず口元が緩みそうになってしまい、レナルドは空いている方の手で慌てて口を隠した。隣で異変に気づいたヴィオレッタが首をかしげる。
「レナルド? 突然どうしたの? なんだか顔が赤いけど」
「……いや、別になんでもない」
「本当に? まさか仕事のしすぎで夜更かしして調子が悪いのに、無理してるんじゃ――」
「それはあんたがよくやることだろう?」
「うっ……」
心配してこちらの顔を覗き込もうとしていたヴィオレッタが、とっさに視線を泳がせる。
その反応がかわいいやら、おかしいやら、レナルドは我慢できずに噴き出してしまった。
ヴィオレッタがムッとした顔で頰を膨らませる。だが、そんな反応をされても、ますますかわいいだけだ。
たとえどんな格好をしていても、たまに挙動不審になっていても、やっぱり彼女のことが好きだとしみじみ思う。その気持ちを言葉にする代わりに、レナルドは腕にかけられていたヴィオレッタの手に自分の手をそっと重ねた。
ヴィオレッタが一瞬ビクッと震えて赤くなる。ああ、やっぱりそうだ。
また視線を逸らされたけれど、今度は傷つくこともない。それどころか、また緩みそうになった口元を引き締めるのに、レナルドは多大な苦労をするはめになった。
天気は心地のよい春の晴れ間で、隣には誰よりも大切な想い人がいる。今日が最高の一日になる予感を覚えて、レナルドは足取りも軽くヴィオレッタを馬車までエスコートしていった。