第二章 異世界で経営戦略を③

 それから一時間後、私とラルスの二人は王都の南に位置する港の中を歩いていた。

 私が調べた情報によると、ダミアンとは王都の南部一帯を取り仕切っている元締めで、だんはこの港をきよてんとして活動しているらしい。

 歩いていると、いそかおりに混じってなまぐさにおいが鼻をつく。どうやら漁師たちの中には市場で売れ残った魚を数カ所に集め、放置している人たちがいるようだ。

「あの魚、もったいないわね。なんとか捨てずに活用できないかしら?」

 なんせ私の前世は日本人。もったいない精神を持つ国の人間としては、こういうムダを見ると、なんとかしたくなってしまう。しかし、この国では理解されない感情だったらしい。

「ずいぶん変わったことに興味を持つんですね。まさか次は魚の流通に手を出す気ですか?」

 ラルスから真顔で心配され、私は「いやいや」と手を横に振った。

「漁業のことを何も知らない素人しろうとが手を出したって、失敗するだけよ」

「その言い方、漁業にくわしい人と知り合えたら、そっちの商売にも参入するつもりですか?」

「うーん、まぁ、それは考えてもいいけど……あ、倉庫街はこの先みたいよ」

 私は一度足を止め、道の先を見やった。こんぺきの海を右手に望む形で、船の積み荷を保管する石造りの建物がいくつも並んでいる。ダミアンの根城はこの倉庫街の奥に存在するらしい。

 ここまで来て、私もさすがにきんちようしてきた。元締めというからには、どんなごついオジサンが出てくるのだろう? エリクと違って、話の通じる人だといいけど……。

「ヴィオラ様、大丈夫ですか? さっきから表情がかなりきつくなっていますけど」

「え、本当?」

 ラルスにてきされ、私は慌ててりようほおを手で押さえた。

 いけない、いけない。ただでさえ私は悪役づらなのに、険しい表情で根城に乗り込んだら、まとまる話もまとまらない。ここはやっぱりスヴェンの完璧な笑顔を真似まねて……。

「その悪人みたいな笑い方はやめてください。相手をかくする気ですか?」

「……ごめんなさい。気合いを入れたら、なんか変な顔になったみたいね」

「あなたでもこわいことがあるんですね」

「そりゃあ、あるわよ! だから、ラルスに付き添ってもらってるんじゃない!」

 ラルスがおどろいたように目を見開く。あれ? 私、何か変なことを言っちゃったかな?

 焦る私の顔をラルスは意外そうに見つめ、やがてその口元を皮肉げにつり上げた。

「そんなに俺を信じていいんですか? 今の俺はの位にあるとはいえ、俺の母はしよせん、旅の舞姫です。母が男たちにいつわりの愛を見せ、子どもを捨てて行ったように、俺もあなたをだまし裏切るかもしれませんよ?」

 まただ。ラルスは軽口をたたきながら、自分自身の発言に傷ついた目をしている。

「ねぇ、ラルス。そういうことを言うの、やめた方がいいと思うわよ」

「どうしてです? あなたもきたない現実にはフタをして見ないようにしたいのですか?」

「だから、もう!」

 私はいらつき、ラルスの頬を両手でピシャッとはさんだ。そのとつぜんこうにラルスが言葉を失う。私は驚きにれるとびいろの目をまっすぐに見上げ、きっぱりと告げた。

「そうやって自分で自分を傷つけるのはもうやめなさい。親とあなたは別の人間でしょう?」

「でも、俺は母親にすら捨てられるような人間で」

「そうね。お母さんがあなたを男爵家の前に置いて行ったことは、おこっていいと思うわ。お母さんにどんな事情があったにせよ、子どものあなたにとってはめいわくきわまりないことだもの」

「え……」

「親の事情は親の事情よ。そのせいで、あなたがくつになる必要はないわ。あなたの過去がどうであれ、私には関係ない。私は自分の目で見て聞いて、あなたが信じるに足る人間だと思ったからこそ、あなたに背中を預けているのよ。それじゃあ、ダメかしら?」

「……………………」

 ラルスは何も答えない。まるでめずらしい生き物にそうぐうしたかのように、私の顔をまじまじと見下ろしている。その口元がフッとみの形を作った。

「ヴィオラ様は変わっていますね。あなたと話していたら、今までなやんでいた自分が鹿らしく思えてきました」

 それってめ言葉じゃないよね? 私の考えは単純すぎるってこと?

「ほら、行きますよ。急がないと、元締めに会う前に日が暮れてしまいます」

 私が問いただすより先に、ラルスが手を差し出してくる。私は息をんだ。

 何かっ切れたのだろうか。ラルスの顔には晴れ晴れとした笑みがかんでいたんだ。

 これから敵の本拠地におもむくというのに、いまいちはくりよくが足りない。でもまぁ、彼がこれ以上悩まずに済むのなら、いいか。

 私はちょっと気が楽になって、差し出された手を取ろうとした。そのしゆんかん、ラルスが私の手を身体からだごと自分の方に引き寄せた。

「あの、ラルス?」

「しっ! 気をつけてください。近くにだれかいます」

「えっ……」

 ラルスのささやきに息を吞む。その直後のことだった。倉庫の後ろから数人の男が現れた。

「騎士の兄ちゃん、さすがだな。俺たちがかくれていたのに気づくなんて」

 男の一人がおざなりにはくしゆしながら、私たちの前に進み出る。

 年のころは三十手前か。浅黒く焼けた身体は引き締まり、もうきんるいを思わせる黒い目が油断なくこちらをえている。この迫力……この男が元締めのダミアンだろうか?

 緊張する私の前にラルスが立ちふさがる。その動きに、男が「おや?」とまゆを上げた。

「せっかく会いに来てくれたっていうのに、けいかいされるとは悲しいね。俺はここら一帯を取り仕切っている頭で、ダミアンという。以後、お見知りおきを」

 男がちやっ気たっぷりに言って、おおぎようしばがかった礼をする。やっぱり彼がダミアンか。見た感じ、相当食えない性格をしてるらしい。これは、気をいたらやられるかもしれない。

 私は気合いを入れ、スカートのはしゆうにつまんで頭を下げた。

「ごあいさつおくれてしまい、申し訳ございません。私はりよう院でアナリー様の補助をしている、ヴィオラと言います。今日は治療院を代表し、あなたにお願いがあって参りました」

「ほぅ、話が早いじゃないか。で、おじようちゃんのお願いってのはなんだい?」

「治療院への場所代の取り立てをやめていただきたいのです」

 ダミアンの後ろにひかえている男たちがざわつく。きようあくなご面相でいつせいににらまれ、恐くないと言ったらうそになる。でも、まんよ。ここでビビったら、なめられるわ。

 必死で笑顔をキープする私を前にして、ダミアンがフッと表情をやわらげた。

「思い切りのいい女はきらいじゃない。だが、場所代は耳をそろえてはらってもらう」

「なぜそこまで場所代にこだわるのです? 治療院から得られる収入など、ごくわずかに過ぎないと思いますが」

「そうだな。でも薬の転売ができなくなった今、それじゃ示しがつかないんだよ。治療院だけ理由もなく見逃したら、ほかの連中もなめて場所代を払わなくなるだろう?」

 やっぱり薬の転売もダミアンの指示だったらしい。彼には何か彼なりの理屈があって、資金を集めているのだろう。だけど、私たちまでその理屈に従う必要はないわ。

「失礼ですが、ダミアンさん、場所代の名目とはいったいなんなのでしょう? 一定の金額を納めたからといって、あなたたちは治療院のために何かしてくれるのですか? 場所代のように意味もようも不明なものに支払うお金など、治療院にはありません」

「このアマ、ダミアンさんに逆らう気か!?」

 周りの男たちが一斉に殺気立つ。ラルスの全身にも緊張が走ったように見えた。

 だが、このきんぱくした空気の中にあって、ダミアンだけはちがった。彼はさわぐ部下たちを一にらみでだまらせると、興味深そうに私の顔をながめて、やれやれとかたをすくめた。

「お嬢ちゃんのようにまっとうな人生を送ってきた人間には、よくわからない理屈かもしれないな。だが、俺のやり方に文句があるなら、それはおうこう貴族に言ってくれ」

 どういうこと? 今は場所代の話をしているのに、なぜ王侯貴族が出てくるの?

 静かに混乱する私に向け、ダミアンはたんたんとした口調で話を続けた。

「なぁ、お嬢ちゃん。王侯貴族のように上に立つ者の本来の役目とはなんだと思う?」

「それは……戦時にはせんじんを切ってたみを守り、平時には民の暮らしが成り立つよう、税金を使ってすみずみにまで目を配ることではありませんか?」

「ああ、そうだな。だが、現実はどうだ? 王も貴族も、王都に住まう民のきゆうじようを見ようともしない。この一年間で行きだおれになったガキが王都に何人いたと思う? 家を失い、首をくくった家族の数は? 王宮にもってばかりの連中は、どうせ何も知りやしないだろう」

 私は言葉にまった。くやしいけど、ダミアンが言っているのは本当のことだから。前世を思い出す前の私がそうだったように、民をさくしゆの対象としか見ていない王侯貴族は多い。

「王宮の連中から見たらゴミみたいな人生でも、生きてさえいれば、そのうちいいことがあるかもしれないじゃねぇか。今苦しんでる連中にそう思わせるためには、まず連中を生かすための金がいる。王宮のやつらが何もしてくれねぇというなら、代わりに俺が仕切るだけだ」

 ……ああ、そういうことか。ここまで話を聞いたことで、私にもようやくダミアンの言い分が理解できた。彼は国に何も期待しない。その代わり、国のルールにも従わない。自分の周りの人間を食べさせていくために、彼は自分にできることをせいいつぱいやっているだけなんだ。

 ただ、ダミアンの主張や立場はわかっても、場所代の支払いにはやっぱりなつとくがいかなかった。人を助けるためのお金は、そうやって力ずくでちようしゆうすべきではないと、私は思うから。

 私とダミアンのそうほうが納得できる解決策はないかな? 例えば何か新しい収入源が見つかれば、彼もやつになって薬の転売や場所代の徴収をしなくなると思うんだけど……。

 私は短い時間内で必死に答えを導き出そうとした。でも、なかなか集中できない。風向きが変わったのか、辺りをただよう魚のにおいがいっそうきつくなってきて、私の思考をじやしたんだ。

 このなまぐささ、どうにかしてほしい! いらない魚はちゃんとはい処分して……って、魚か! この港では、れすぎた魚を持て余してるようだった。これは使えるんじゃない?

「どうだい、お嬢ちゃん? 納得したなら、おとなしく場所代を払ってくれないか?」

 今までのいかりが嘘のように、ダミアンがあいよく笑って手を差し出してくる。

 きっとこれが最後のチャンスだ。私はゴクリとツバを吞み込み、「わかりました」と答えた。

「お、物わかりがよくて助かるね」

「はい。あなたの話を聞いていて、わかったのです。王都で暮らす人々の生活を向上させるためには、より多くの資金が必要だと。ですが、今のあなたのやり方ではかせげる額に限界があります。私なら、もっともうかる方法をご提案できますのに」

「へー。世間知らずのお嬢ちゃんに、いったい何ができるって言うんだい?」

 ダミアンの顔からすっと笑みが消えた。危険を察したラルスが私をかばおうとする。でも、今ここで安全な場所に隠れるわけにはいかない。私はラルスの手を押しのけ、前に出て続けた。

「世間知らずでも、ご提案できることはあります。私があなたであれば、廃棄予定の魚を使って保存食を作り、新たなはんかいたくすることで資金調達をしてみせます」

「ハッ! そんなの、すでにやってる。魚を塩やけたり、干したり」

「私の方法は違います。塩や酢を極力使わずに魚を数ヶ月もたせてみせます」

 ダミアンが「本気か?」という目で私を見てくる。私は力強くうなずいて見せた。

 この時、私ののうに浮かんでいたのは、前世の一人暮らしでお世話になったびんめやかんづめの数々だった。こういった長期保存食を作る上で大切なのは、加熱さつきんみつぷうの二点だったはず。この二つをてつていすれば、缶詰は難しくても、瓶詰めなら生産できるかもしれない。

「例えば一ヶ月間、私の提案する方法で魚をくさらせずに済んだら、治療院の場所代をめんじよしてもらえないでしょうか? ついでに、今後その生産方法で得る利益の一割を特許料として私に支払ってもらえたらうれしいのですが、いかがでしょう?」

 今後の生産について話すのは、さすがにやくしすぎかもしれない。だけど、将来の利益まで考えているとアピールすることで、私の本気が伝わると思ったんだ。

 案の定、ダミアンは利益の話が出た時点で、この提案を検討する態勢に入ってくれたらしい。彼はしばらくの間、うでを組み悩んでいたが、最後にはおうようにうなずいてくれた。

「利益の一割を欲しがるとは、見た目に似合わず、ごうつくばりなお嬢ちゃんだな。だが、本当にそんな方法があるなら、得られるもうけはかなりのものになる。その話に乗ってやろう」

 よし、れた! 一歩前進できたことを喜び、内心でガッツポーズを取る。そんな私を見下ろし、ダミアンがすっと目を細めて告げた。

「お嬢ちゃんの提案は、成功すればもうけもでかい。だが、失敗したらどうするんだ?」

「その場合は、おとなしく場所代をお支払い……」

「それじゃ足りないな。こっちもお嬢ちゃんの提案に乗って一定の労力をく以上、それに見合った支払いは追加でもらわないと割に合わない。例えばだが、失敗した場合に備え、お嬢ちゃんが一ヶ月間ここにとどまって俺たちの下で働くってのはどうだい?」

 やっぱりこの人は抜け目ない。ダミアンは私がちゆうげないように見張りながら、その労働力を活用する気でいるのだろう。ただその考えはわかっても、従うわけにはいかなかった。

 仮にも一国の王女が一ヶ月間も王宮から姿を消したら、どんな悪評を立てられることか。ただでさえ最悪な評判をこれ以上おとしめたくない。なら、どうやって彼の提案を断ろう?

 なやむ私の前に、その時急に今まで黙っていたラルスが進み出た。

「悪いがダミアン、あんたにヴィオラ様を預けることはできない」

「ほぅ? なら様、あんたがお嬢ちゃんの代わりにここで働くかい?」

「無理な相談だな。代わりに、あんたにはこれを貸そう。万が一計画が失敗したり、ヴィオラ様が途中で逃げ出したりしたら、これを売って、その金をあんたのふところに入れればいい」

 ラルスがダミアンの前に手を差し出す。後ろから見ていた私は息をんだ。彼の手の中にあったのは、お母さんの形見の指輪だったんだもの。

「ラルス、やめて。そんな大切なものをしちぐさあつかいするなんて」

「心配いりません。あなたは魚の長期保存を本気で実現させるつもりなんでしょう?」

「……ええ、まぁ」

「なら、あなたが俺を信じてくれたように、俺もあなたを信じるだけだ」

 ラルスがおどろくほどやさしいみを顔にかべる。こんな時だというのに、私は不覚にも胸が高鳴るのを感じた。ラルスって、こんな笑い方をする人だっけ? 急にどうしたんだろう?

「騎士の兄ちゃん、りようかいだ。あんたの言う条件を吞もう。で、おじようちゃん、あんたの言う魚の長期保存を実現するには、具体的に何をどうすりゃいいんだい?」

 ダミアンがラルスから指輪を受け取り、私の方を向く。いけない。今はラルスのことを考えている場合じゃなかった。私は気を引きめ、ダミアンに告げた。

「あなたの仲間に魚屋と瓶作りの職人はいる? もしいたら、協力してもらいたいの」

 私のたのみに、ダミアンはいつしゆん不可解そうな顔をしたが、深くは追求しないことに決めたらしい。彼はその日のうちに職人たちの手配をして、私たちと別れた。

 いろいろ不安はあっても、宣言した以上は明日あしたから全力で取り組むわよ! よし!

 こうして、まさかの魚を相手に、私の試行さくの日々が幕を開けた。

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