第二章 勝ちヒロインは友達がいない その2

「ごめんごめんごめんごめん、なっちゃんごめん。あれは違うから。あの宣言はあくまであの場を乗り切るためだけのフェイクであってうちは決して………」

「わかってるわかってるって!」

 

 わかってるから耳打ちはやめてくれ。

 朝のSHR明け、血相を変えて飛んできたを視線で制した。まったく、あんな騒ぎになったのに、まだ懲りてないのかよ。

 あの後、教室の狂乱はSHRのために担任がやって来るまで続いたのだった。NTRコールこそ担任の一喝で収まったが、余熱はまだチラチラと燻っている。下手なことをするとまたどんな冷やかしの矢が飛んで来るかわからない。

 貝原を始めとする女子の軍団の皆様も一度は応援すると言ったものの、やはりの宣言を完全には信用していないようで、僕達が接触を図るとチラチラと探るような視線が飛んで来た。

 あんな騒ぎはもうたくさんだ。取りあえず今日のところは余計な誤解を生まないよう、コミュニケーションは必要最小限に留めよう。そんな取り決めを交わして、僕達はお互いの席に分かれた。


「なっちゃん、なっちゃん」

 いや、取り決め! 必要最小限だっつってんだろ。

 一時間目終了後、早速寄って来たに牽制の視線を送ると、空気を読んだ幼馴染みはごめんごめんと頭を摩りつついったん身を引き、


「なっちゃん、なっちゃん」

 次の休み時間にやって来た。

 そうじゃない。そうじゃないんだ、。絶対にまだ早いから。女子達が全員見てるから。そんな思いを視線に乗せれば、はまたぺしっとおでこを叩いて後退り、


「なっちゃん、なっちゃん」

 次の休み時間にやって来る。取り決めとは!

「なっちゃん、なっちゃん」

「だから、取り決めぇ!」


 そんなこんなで休み時間の度に襲来するを回避していたら、いつの間にか昼休みになっていた。今日の教室に長居は無用だ。鞄を引っつかみそそくさと席を立つ。

「なっちゃん、なっちゃん」

 後ろからまたぞろ誰かの声が聞こえた気がしたけれど、あくまで気がしただけなのでそのまま教室を後にした。

 

 

 学食に殺到する生徒達の流れから一人離れて渡り廊下へ出る。

 特殊教室棟へと繋がる廊下にはひとっこ一人歩いてはいなかった。無人の渡り廊下を足早に通過して階段を下る。

 ……いや、待てよ。

 気が変わって、そのまま二階のトイレに入った。尿意はないが手を洗って、口を濯いで、鏡に向かって髪型を直してみる。

「どうかな、今日の僕?」

 お世辞にもイケメンとは言えないけれど、特別悪いってわけでもないだろう。『まあまあだよ』、そんな答えが返ってきた。

 念のため、もう一度口を濯いでから高鳴る胸を押さえてトイレを出た。

 階段を下ると、中庭に面した一階東側に目当ての家庭科室はあった。キョロキョロと辺りを気にしつつ扉に手を伸ばすと、

 ——ガコン。

 と手が弾かれた。鍵がかかっている。まだ来ていないのだろうか。珍しい。いつもなら瞬間移動でもしているのかって速さで中にいるのに。

「迎えに行ってみよっかな……」

「……まむ」

 そう思って振り返ると、レモンティーのストローを咥えた姫乃と目が合った。


「……入って」

「おう」

 家庭科室の扉を開くと、姫乃は定位置の窓際の椅子に座り、僕のために隣の椅子を引いてくれた。家庭科部の唯一の部員である姫乃は自由に鍵を持ち出せるので、休み時間は毎日ここで過ごしている。もはや家庭科室の備品のような姫乃だが、

「今日は遅かったんだな? いつも僕より早いのに」

「……うん、ちょっと。人に捕まってた」

「へえ、珍しいね。クラスメート?」

「……さあ、知らない人」

「そんなわけないだろう。絶対向こうは知ってるつもりで話しかけてるぞ」

「……そうかな? 本当にまったく知らない人だったけど」 

 ストローを齧りながら首を傾げる姫乃。人の顔を覚えない、そもそも他人自体に興味のないこの性格がある限り、コミュ障克服は難しそうだ。お気に入りの窓辺で日を浴びてレモンティーを啜る姫乃は、光合成をする巨大な植物のように見えた。

「………何?」

「いや、別に。なんか姫乃って花みたいだなーって」

「………そういうの、止めて欲しいって言ったでしょ」

「あ、違う。今のはそんな意味じゃないから」

 恥ずかしがり屋の姫乃は僕が可愛いと言うと怒る。もちろん、綺麗とか素敵とか『可愛い』に準じる言葉も禁止だ。僕の彼女は禁止事項が多い。

「あ、それで朝も言ったけど姫乃の写真撮らせて欲しいって話………」

「……ダメに決まってるでしょ」

 これもダメか。彼氏なんだから彼女の写真の一枚くらい欲しいところなんだけど……。

「……手なら撮っていいよ」

 手かい。

「……右と左どっちがいい?」

 どっちでもいいわ。

「……撮ったら見せて」

 チェックする意味あるのか、これ。首を傾げつつスマホを渡すと、

「……ん」 

 画面に指を滑らせる姫乃の眉が微かに動いた。

「どうした、姫乃?」

「……ごめんなさい、夏。別の写真見ちゃった」

 そう言って姫乃が見せた画面には、と母さんのツーショットがデカデカと。

「ぐぇっ、そ、それは、その………」

 のやつ、今度はこんなとこから出てきやがったか。

「これ、お母さん? 魔女のカッコしてる。ちゃんは……ゾンビ?」

「あ、ああ、うん。母さんの誕生パーティーの写真なんだ。昔から仮装するの好きだったらしくて……じゃあ誕生祝もコスプレしようってが言い出して……」

「若いね、お母さん。それに楽しそう。夏の写真はないの?」

「え? な、ななな、ないよ……全然」

「……あったけど」

 なんで捲るんだよぉー。ないって言ったのにー。

スライドさせた指を画面の角で固定したまま、じっとスマホを見つめる姫乃。

「夏の仮装はミイラ?」

「……う、うん。一応」

「包帯はトイレットペーパー……?」

「……は、はい、そうです」

「………似合ってるね」

 怖い怖い! なんで僕の仮装の質問ばっかりなんだよ。なんでそこしか触れないんだよ。その写真は…………僕とのツーショット写真のはずなのに。

 恐る恐る、姫乃の顔を盗み見る。相変わらず能面顔で感情は何も読み取れないけれど。

「………やっぱりちゃんがいると楽しそうだね」

「ごめんなさい、今すぐ消します。メモリーカードごと消去します」

「だめよ、お母さんの思い出なんだから。残しておいて………わたしは気にしないから」

 本当かなぁ、それ。すっごい気にしてそうなんだけど。

「わたしの手だけ消しておく………そぐわないから」

 やっぱ気にしてんじゃん! 絶対気にしてんじゃんよ! くそう、のやつめ。いてもいなくても邪魔ばっかりしやがって。

「はい、消した。ごめんね、勝手に見ちゃって。その代わり………これ」

 姫乃の鞄から出てきたのはお馴染みの聴診器。いつものように吸盤側を手に取ろうとすると、

「……違う、こっち」

 姫乃は耳に入れる側を差し出してきた。

「……スマホ見ちゃったお詫びに今日はわたしの音……聞かせてあげる」

「マジで?」 

 こくりと頷く姫乃。

 驚いた。それが何のお詫びになるのかは置いといて、とにかくめっちゃ驚いた。この一年ずっと聞かせるばっかりで、姫乃の音を聞くのはこれが初めてだったから。

「……ふぅっ」

 左手でシャツの襟を掴みながら右手に掴んだチェストピースを突っ込む姫乃、ヒタリとした冷たさに肩をぶるっと震わせた。

「……はい、どうぞ」

 なんか、エロっ! え、聞くの、僕。手も繋いだことないのに? 抱き合ったこともないのに? 何より先に心音聞き合うカップルで順番あってんのか、これ。

 色々腑に落ちないことは多いけれど何やら姫乃が真剣そうだったので、とりあえずY字形に分かれた管を手に取った。

「……まむっ」

 姫乃が恥ずかしそうにキュッと唇を噛む。その瞬間を捉えるように聴診器を耳に差すと、


「はい、お邪魔すんでー!」

 

 家庭科室の扉が、どばーんと寸法一杯まで開かれる音が元気よく耳に飛び込んで来た。

「うわあっ、? お前いい加減にしろよ、こんなところまで何しに来たんだよ!」

「それはこっちのセリフなんですー! なんでうちがこんなとこまで来なあかんのでしょうかー!」 

 しかも、めっちゃキレてるし。

 なんで? なんでこの状況で僕よりキレてんの、この人?

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