遠くない未来の話

 小さな孤児院があった。

 廃村の外れに建てられたその孤児院は、少し前までほんの数人しか生活していない静かな場所だった。だがこのところ急激に住人が増え、子供の声の絶えないにぎやかな村になりつつあった。

 もっとも、人が急激に増えた理由を聞けば誰もが口籠もるだろう。戦争により、孤児が急増したからだ。

 おまけに戦争は、孤児院に更なる危機を及ぼそうとしていた。すぐ近くの森に、敗残兵の集団が迫っていたのだ。


   ◆


「おい、見つけたぞ。あれがまだ人がいるって孤児院だ」

 彼らは数か月前、この地に侵攻したロヴェーレ帝国の兵士だった。

 強力無比とうたわれる帝国軍だったが、本隊はあえなく壊滅。生き延びた兵士たちの多くは帝国へ逃げ帰ったが、この異国の地に残る選択をした兵士たちも少なくなかった。

 略奪のためである。

「こいつぁいい。あれだけ女子供がいるんだ、食い物もかなりあるはずだぜ」

「おまえら、ガキは奴隷にするんだからな! この間見つけたガキみたいに使い潰すんじゃねえぞ!」

「へっへっへ、ようは潰さなきゃいいんだろ? 今度は気をつけるさ」

 帝国は長い戦争のなかにあり、へいたんと士気を維持し、かつ敵国に被害を与える略奪は、軍上層部が認めた正当な行為であった。

 だが民衆に暴力を振るい、金品や食糧を強奪し、婦女子を奴隷として連れ帰るという欲望に忠実な行為を繰り返していれば、略奪そのものが目的となる兵士も増えてくる。

 ただでさえ長い戦争で帝国の経済状況は悪化している。平民の生活は圧迫されており、故郷へ帰ってもロクな職がないとなれば、他国で賊まがいの行為にふけっている方がよほどマシだった。

 とはいえ、この辺りの土地からはすでに多くの住民が逃げ出しており、あらかた略奪された後だ。彼らも四日前、たまたま避難民の群れを見つけて略奪の限りを尽くせたものの、それ以降はまったく幸運に恵まれなかった。昨日からは食べ物すらロクに口にできておらず、だからこそ人が残っている孤児院を発見できたことに狂喜した。

 彼らは意気揚々と森を出て孤児院に近づいた。その数は五〇人近くにのぼる。女子供相手に警戒の必要はまったくなかった。

「しかしよ、将軍がいた本隊がやられたのってこの辺りじゃなかったか?」

 兵士の一人が、ふと抱いた疑問を口にする。

「知らねえよ。そうだとしても、敵がいる様子はどこにもねえだろ」

「でもよ。この辺りに残ってる農民なんざもう一人もいないってのに、なんであの孤児院にだけはあれだけ人が残ってるんだ?」

「ガキを数十人も連れて逃げられなかったんだろうよ。そんなに心配ならてめえはこの場に残るんだな」

「い、いやそんなのゴメンだぜ!」

 村の周辺に敵などいるはずがない。心配性な兵士の疑問を、残る全員が笑い飛ばした。


「おまえたち、そこで止まれ」


 彼らの前に、一人の男が立ち塞がったのはそんなときだった。

 年齢は二〇代前半といったところか。普段から鍛えているのか、体格がよく、目つきも鋭い。特に印象的だったのは、やたらと落ち着いているところだ。五〇人近い敵国の兵士たちを前に、じんも動揺している様子がない。

「なんだてめえは!?」

「この先の孤児院の者だ。おまえたち、見たところ帝国の兵士のようだな。今すぐ立ち去れ、この先は兵士の立ち入りを禁止している」

 兵士たちは一瞬あっに取られた後、大声で笑い出した。

「馬鹿かてめーは! ここまで来て『はいそうですか』と帰るわけねーだろ!」

「いやいいじゃねえか、帰ってやろうぜ。女子供と食い物を全部頂戴した後にな!」

「孤児院にゃ美人のシスターもいるって聞いたぜ。ガキは持ち帰るとして、シスターはその場で可愛かわいがって──」

 最後にそう言いかけた兵士の一人は、なぜかそこで発言を中断した。何かが潰れるような鈍い音を合図に。

 どうしたのか──と仲間たちが反射的に視線を向け、そして異常に気付いた。その兵士の頭に大きな岩がめりこんでおり、顔が潰れていたからだ。顔がなければ声など出せるわけもない。

 一瞬の思考の後、彼らはようやく仲間が殺されたことに気付いた。

「う、うわああああああ!? テッド!? テッドが殺されたぞ!」

「気をつけろ! こいつ精霊使いだ! 土の精霊を呼び出しやがった!」

 その指摘が正しいことを証明するように、男のそばに不可思議な生物──土の精霊ノームが召喚されていた。

 精霊使い、あるいは召喚士。異界に存在する精霊と契約を結び、万物を操るという魔法使いのような存在だ。

「子供たちとシスターをどうすると言ったか? おまえたち」

 男が静かな声で言った。決して大きな声ではなかったにもかかわらず、兵士たちは一瞬声を失った。男の全身からにじみ出る殺気に圧倒されたからだ。この男には手を出すべきではないと、本能が告げている。

 だが、相手はたった一人。しかも数日ぶりの獲物がそのすぐ向こうにある。兵士たちは得体の知れぬ恐怖をただの弱気と振り払った。

「こ、殺せ! 召喚術を使われる前に殺せば済む!」

「相手はたった一人だ、女と食い物が待ってるぞ!」

 兵士たちは自分たちを鼓舞するように声を荒らげると、武器を構えて男に接近しようとした。一人対五〇人だ、あと一人二人は殺されるかもしれないが、結果は見えている。

 だが精霊使いは微塵も動揺することなく、召喚術の行使を続けた。


でよ、ノームたち」


 次の瞬間、兵士たちはどうもくして足を止めざるを得なかった。

「な、なんだあの数は!?」

 ただの兵士であった彼らも、同じ種類の精霊を同時に召喚することは極めて難しいと聞いたことはあった。ノームを三体も同時に召喚できれば、もはや天才の域だと。

 にもかかわらず──その男が呼び出したノームの数は、実に一〇〇体にものぼった。しかもその一〇〇体が一斉に大地を操り、地面の中から一抱えほどもある岩を次々空中に浮かび上がらせたのだ。

 一〇〇体のノームと一〇〇個の岩が浮かんでいる光景は、いっそ壮大でさえあった。兵士たちにとって問題があるとすれば、一〇〇個の岩が今後どのような軌道を描くか容易に想像がついたことである。

「多くの子供たちから母親と父親を奪っておきながら、さらに暴力を振るい奴隷にしようなど、想像するだけでもむしが走る。面倒だ、死ね」

 精霊使いがそう言い終えると同時に、雨が降った。ただし、水滴ではない、岩の雨だ。

 反撃の余地も、防ぐ方法もない。岩が頭に直撃した兵士は痛みを感じる時間が短かった分、まだ幸運だった。多くの兵士たちは手足を潰され、その激痛に悲鳴を上げることしかできなかった。彼らは逃げ惑い、仲間の体すら盾にしてひたすら降り注ぐ岩の雨から身を守ろうとした。

 しかも、彼らに降り注いだ岩は一〇〇個だけではなかった。間髪入れず、第二射、第三射が降り注ぐ。一人とて生き残ることすらできないよう、念入りに。

 命乞いをする声すら、岩のたたきつけられるごうおんにかき消された。

 間もなく五〇人の兵士の存在は、文字通り地上から消え去ることとなる。


      ◆◆◆◆


「やれやれ、懲りない連中だ」

 俺は五〇人の兵士すべてが岩の下で押し潰されたのを念入りに確認した。続いてノームたちに穴を掘らせ、埋葬する。

 ここから孤児院までは少々距離があるが、ここまで遊びに来てしまう子供も皆無ではない。もし無残に殺された死体を見つければ、両親のことを思い出して泣くだろう。そういった泣き声に今の俺は耐えられる自信がない。

 入念な後片付けが終わった後、ようやく俺は孤児院に戻った。

「あ、ジレッドだー!」

「ほんとだ、ジレッドだー!」

 庭で遊んでいた孤児たちが、俺を見つけて寄ってくる。

 思わずホッとする光景だ。親を失った子供たちが、今日も笑顔を失わずに済んだからだ。夜が来る度、母を求めて泣く子がいるとはいえ。

「どうしたの? お外でなにしてたのー?」

 彼らの追及は徹底的だ。とりあえずウソではない答えを口にする。

「肥料をいてきたんだ。近いうちに畑を作ろうと思ってな」

「ひりょう? ひりょうってなーに?」

「ねえねえ、畑でなに作るのー?」

「それより遊ぼうよ。またお水一杯出してぇー」

 キリがない。とりあえず俺は水の精霊ウンディーネを数体呼び出し、空に水を撒いた。

 大きな虹ができあがり、子供たちが歓声を上げる。

「こらっ、ジレッドはお仕事で忙しいって言ってるでしょ! 邪魔しちゃダメ!」

「わー、シスターだ! 逃げろぉー!」

 そのときだ。修道服に身を包んだ若い聖女が一喝すると、子供たちはの子を散らすように逃げ出していく。いつもの光景だ。

「助かったよ、シスター」

 彼女の名はシスター・ノア。飾り気とは無縁な修道服を着ていると分からないが、彼女が聖女と呼ぶに相応ふさわしい清らかさと美しさを持っていることを俺は知っている。帝国の野蛮な兵士たちから守ることができてよかったと心底思う。

「どうしたの? また敵が来てたの?」

「ああ、そんなところだ」

「ありがとう、それにごめんなさい。あなたにそんな危険なことばかりさせて」

「気にするな、俺にできることはこの程度だ」

 戦争で親をくした孤児がここには大勢いる。そして今後も増えるだろう。

 俺には孤児たちの悲しみを癒やしてやることはできない。ただ、守ることはできる。少なくとも、子供たちが立派に成長するまでは。かつて彼女に──シスター・ノアにそうしてもらったように。

 俺はふと孤児院を見上げ、全てが始まったあの日のことを思い出した。

 もはや正確な年数は覚えていないが、俺が初めてここにやってきたのは恐らく一〇〇〇年以上、下手をすれば数千年前だ。実感はまったくないが、尋常ではない年数だ。

 だが遠いあの日のことだけは昨日のことのように鮮明に思い出せる。誰も発見に至らなかった時空の精霊クロノスと契約を交わし、ここへ帰ってきたあの日のことを──。

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