1章 なんで、真っ赤なんだ? 7

「ありがとう、それじゃ」

 通話を切り、わたし──久城紅は大きく息を吐いた。

「はぁ~~~~…………あああああぁぁぁぁぁ……」

 全身から力が抜けて、体がからずり落ちていく。自室の机の前で、わたしは今、そこそこ変なポーズだ。

 しばらくそうしていると、ガチャリとドアが開いた。

「お姉ちゃ~ん、なんかタブレットが調子悪くってさ~……って、どしたのそのポーズ。首痛めるよ?」

「そうね……」

「あ、わかった! 『宮代くん』さん関係だ! なになに、なにかあったの!? 進展あった!?」

 ふたつ年下、中学三年生の妹は社交的でうわさ好きでゴシップ魔だ。姉であるわたしに対してもその精神を大いにはつしてきて、おかげで言うつもりのなかったことを、すでにいろいろと暴かれてしまっている。

「……とう、姉は今、ものすごくがんばった直後につき、とても疲れています。なので寝ます、もう寝るの」

 いずるようにしてベッドの上に移動し、わたしはタオルケットにくるまった。寝の体勢だ、今夜はもうおやすみです。

「なになになになに! なにがあったの!? 寝るな寝るな寝るな、起きて起きて起きて教えて教えて教えて!」

「うるさいうるさいうるさい……」

 こちらの上に乗ってバインバインと妹はまわる。重いし痛い。きやしやな体格の妹だが、残念、わたしはひんじやくなのだ。

「話してくれるまで続けるよ! だったら早く言っちゃった方がいいんじゃない? それがお姉ちゃんの大好きな最善手ってヤツ!」

「そうかもしれないけど、この状況を作っている当人から言われると腹が立つわね……。……電話しただけよ」

「それでそれで!?」

「電話して、……いっしょにゲームをやりました」

「それでそれで!?」

「それだけよ」

「……は~~~~あ!?」

 それだけと言いつつ、わたしとしてはたいへんな大冒険だったのだが、妹は伸びやかなソプラノの声を響かせてあおると、さらにたたけてくる。

「え、なに、それだけでそんなやり切った感出してるの!? ええええええ! お姉ちゃんそれ小学生レベルだよ! いや、小学生以下!」

「以下だったら小学生も含まれたままになるわ」

「小学生よりダメ!」

しんらつ……」

 シンプルに未満でいいはずでは。いや、小学生未満と言われるのもきびしいが。

「あのさあお姉ちゃん、さっさとガンガンにアピって落としちゃいないよ。力押しでいいんだよ力押しで! すっごくムカつくけど、めっちゃくちゃカワイイこのわたしより、あろうことかお姉ちゃんはさらに顔面が良いんだから! てかその顔面偏差値で彼氏がいないってどうなってるの?」

「別に……彼氏が欲しいわけじゃない」

 そういうわけでは、なくて。

 タオルケットにくるまったまま、わたしはそれを口にする。

「……宮代くんと、……お、………………お近づきに、なりたいだけ」

「めっちゃ純情じゃん乙女おとめじゃんお近づきになりたいだけとか大正時代じゃん発想がもうアッハハハハウケる!! あ、ごめんごめんウソウソ!」

 たおしてやりたいが(そもそもいったい大正時代のなにを知っているというのだ……)、その気力がない。

 わたしは今、ほんとうに疲れ切っている。好きな人に電話をかけるのがこんなに緊張するなんて知らなかった。途中で何回か気絶しそうになったくらいだ。

 それを終えた今、妹に応戦する力などどこにあるという。

「ってか、そんな恋愛スキルゼロ感全開なんだから、相手にももうバレてるんじゃない?」

「それはないわ」

 たしかにわたしに恋愛スキルなどというものはないし、ましてや相手は脈アリ判定を特技に持つ宮代くんではある。

 だけど。

「だってわたし、すごくポーカーフェイスだもの。バレっこない」

「…………うーん」

「あなただって、しょっちゅうわたしに、なに考えているかわからない顔って言うじゃない」

「言うけどさあ、それはそうなんだけどさあ、……顔はわかりにくいんだけどさあ、お姉ちゃんって、わりとそれ以外でこつな反応してるよ?」

「そんなことないわ」

「……まあ、お姉ちゃんがそう思うなら別に良いけど」

 妹はなにかを諦めたかのようにそう言うと、またバインバインとわたしの上で跳ね始める。

「ていうかほんとマジ奇跡なんだからさ! お姉ちゃんが他人に興味を持つなんて! しかも好きになっちゃったとか! しかもしかもそんなベタれとか! 逃しちゃダメっしょこれは!」

「…………」

 言われながら、タオルケットの中で、わたしはスマホで彼の写った写真を眺める。

 心拍数の有意な増加が認められた。あと顔がにやける。

 すごくにやける。

 ……めちゃくちゃだわ、やっぱり。恋愛感情なんて。

「心配だな~、お姉ちゃん常識がないからな……。宮代くんさんにちゃんと送ったわけ?」

「送る? なにを? プルリク?」

「なによプルリクって。ラヴィンのメッセージに決まってるでしょ! 遊んでくれてありがとう的な、楽しかった的な、ていうかまた遊ぼうね的な!」

 ちなみにラヴィンとは、日本人ならだいたいみんな入れている、有名チャットアプリだ。

「…………困難」

「ヘタレめ……」

 言い返せない。

「ゲームいっしょにやったって言ってたけど、なにやったの?」

「あれよ、わたしが開発手伝ったヤツ」

「あー。協力プレイが売りなゲームなんだっけ? ぴったりじゃん。……でもあのゲーム、『めっちゃ無理なスケジュールの炎上案件で、どうにかできないかって泣きつかれたけど、さすがに断ろうかと思ってる』とか言ってなかったっけ?」

「……気が変わったの」

「ふーん……ん、あ、もしかして、これを見越して開発手伝ったの? 宮代くんさんといっしょにやれる内容だから?」

「…………」

「え~!! けな~~~~!! お姉ちゃん超カワイイじゃ~~~ん!!」

 なにも答えていないのに、妹は勝手に盛り上がっている。……いや、図星なんだけども。

「うわ~! うわ~! ね、ね、ね、どうやって誘ったの!? どうやっていっしょにやろうなんて言えたの? よくヘタレなかったね?」

「それは、宮代くんがちょうどあのゲームを検索してダウンロードしたみたいだったから、このタイミングを逃したら……その……」

 もう一生無理だと思った。だから『えいや!』と電話したのだ。

「へえ~! お姉ちゃんとこんな話するの超しんせ~ん!! ……ん、てか、なんでお姉ちゃん、宮代くんさんがそのゲームを検索してダウンロードしたのわかったの?」

「勘がわたっていたのよ姉にはそういうところがあるのさつしたのよそれぐらいは察せますていうか逆に聞くけど察した以外になにがあるのよ眠いからもう寝ます」

「あ、早口になった! なんか隠してる証拠じゃん! ちょっと!」

 そう言われても、こればっかりは妹相手にも明かすわけにはいかない。

 こちらの口のかたさにやがて妹は諦めたようで、話を変えた。

「同じく宮代くんさんをねらってるライバルとかはいないの? もしくはもう彼女いるとか」

「彼女はいない、はず。ただ……」

「ただ?」

「ひとつ年下の幼なじみがいるわ、すごく仲のいい」

「へえ~。かわいい?」

「とても」

 宮代くんに用があるとかで、彼女はたびたび教室にやってきている。宮代くんとの仲の良さも、その容姿の愛らしさも、よくよく目につく。

「はえ~、幼なじみかあ。かわいくて、仲がいい。……周りには秘密にしてるけど、実際はもう付き合ってるパターンとかもあるな~。お姉ちゃん既に負けてる説」

「…………」

「あ、ウソウソ、わかんないって! ……いや~、お姉ちゃんをこうまで恋する乙女に変えた宮代くんさん、気になるな~! 絵が上手いんだっけ?」

「そうね」

「わたし、才能のある男の人って好き~! 筋肉があるとなお良し~!」

 妹は筋肉フェチらしい。わたしにはもうひとつ理解できない趣向だが。

「ね、宮代くんさんって筋肉はどうなの? ガタイはいい? じようわんさんとうきんの具合は?」

「いえ、別に……わたしは筋肉を部位ごとであくしてないし」

「あーでも、絵描きさんなんだもんね。筋肉ついてるイメージないなー。どっちかっていうと、ちょっとヒョロっとしてる感じっていうか。うーん、それはやだかな~」

「あ゛?」

「え?」

「橙子」

「え、あ、はい」

「今、もしかして、──宮代くんをバカにした? ふうん……」

「いやいやしてないしてないしてないよ言葉のあやだよ綾! え、怖い怖い怖い! なになになに!?」

 妹の下から抜け出て、タオルケットからも這い出て、わたしは机の引き出しの奥からあるものを取り出した。

「なにそれ……? スマホの充電器、だよね?」

「そうよ。正確に言うと充電用のACアダプター。ごく普通のものに見えるでしょう?」

「そうじゃないの……?」

「中をちょっとだけいじってあるわ。簡単に言うと、これにスマホをつなげたが最後、加えてはいけない電圧がブチ込まれてその機体は一発で終わり。これはACアダプター型スマホ破壊機よ」

「は? え、まさか……」

「橙子、あなたの部屋にあるACアダプター、……いつの間にかこれにすり替わっていなければいいわね」

「……こっっっっっっっっっっわ! わっっっっっっっっっっる!! そんなおどかたする女子高生いる!?」

「あなたの姉よ」

「最悪!!」

 おののく妹に、わたしは追撃をかける。

「ねえ橙子、あなたはこれからずっと、充電をするときに、『これはあのスマホ破壊機じゃないよね……?』とおびえながら生きていくことになるの」

「呪術師のそれだもんやり方がほうふくの! 不安にさせてストレス掛けてじわじわ殺すやつ!」

 平安時代に帰ってお願い……と妹は弱々しくつぶやいた。

 このようなやりとりは、久城家においては割といつものことだ。

 わたしはこうやって、家族とはいろいろ話す。

 だが、それ以外の人間に、どうしても興味がなかった。喋る必要を感じられなくて、学校では『人間嫌い』なんて呼ばれている。

 それは合っていると思っていたし、そのままで良いとも思っていた。

 思って、いたのだけど。

「はあ……」

「ひぃ~……なんのため息なのそれ……? お姉ちゃんを恋するカワイイ乙女だなんて思ったのが間違いだったよぅ……」

「…………そうね」

 ごめんね、橙子。

 あなたが今思っているよりもさらにもう何段階か、姉はロクでもない人間なのよ……。

 言えないけれど、誰にも。


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試し読みは以上です。


続きは好評発売中の

『あなたのことならなんでも知ってる私が彼女になるべきだよね』

でお楽しみください!

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