4. 第二の試練 2
真夜中のことだ。
一度、コウは目を開いた。彼は室内の光景を見る。
窓からは、月明かりが降り注いでいた。
そして、銀色の中に、一人の女性が立っていた。
最初、コウは白姫かと思った。だが、違う。
黒いドレスを着た、女性だ。白い首筋には銀の鎖が輝いている。その先端は、豊かな胸の谷間へと消えていた。艶めかしい姿で、『彼女』はコウの眠るベッドを見下ろしている。
黒い髪と目は夜のようで。
白い肌は雪のようだった。
何故か、コウは『彼女』がいることに疑問を覚えなかった。ただ、不思議な懐かしさに、胸を満たされた。一方で、女性はとても寂しそうな目を、コウに向けている。
彼を覗き込もうとするかのように、『彼女』は少しだけ屈んだ。黒髪に隠された耳元に、蒼色の何かが輝いたように、コウには見えた。やはり、女性は悲しそうな表情を崩さない。
なんで、『彼女』がそんな顔をするのか、彼にはわからなかった。
だから、白姫を起こさないように気をつけながら、コウはベッドを少しだけ横に詰めた。
毛布を捲って、彼は口を開く。
「君も、入ったらどうかな……ほら、くっついてれば、寂しくないからさ」
女性は目を見開いた。『彼女』は唇を震わせる。だが、女性は頑なに首を横に振った。
蒼色がまた、その耳元でキラキラと輝く。
泣きそうな顔で、『彼女』は己の胸を押さえた。『彼女』は片手をコウへ伸ばす。
縋るように、求めるように、『彼女』は指を震わせた。だが、ぎゅっと掌を握り締めた。
すぅっと、その姿は急速に薄まった。
夜闇の中に、女性の姿は消えていく。
やがて、朝が来た。
コウが目を覚ますと、部屋の中に誰かがいた痕跡はなかった。
不思議な訪問者の足跡さえない。
きっと、夢だったのだろう。
そうとだけ、コウは思った。
***
しばらくして、身支度を整えた後のことだ。
トントンと扉が叩かれた。
「はい?」
「早朝に失礼する……開けてはもらえないだろうか?」
分厚い木の扉越しに、くぐもった声が響いた。
首を傾げながらも、コウは扉を開いた。
顔に包帯を巻いた、男子生徒が現れる。鋭い隻眼と、赤髪が特徴的な姿を見て、コウは目を細めた。彼の困惑に配慮してのことだろう。相手は穏やかな調子で口を開いた。
「やぁ、突然すまない。今、いいだろうか?」
「構いませんが、……貴方は」
昨日の記憶を、コウは探った。彼の顔と声には覚えがある。
自然と、コウは教室内でのある会話を思い出した。
『ツバキ君、殺しは厳禁だ。君がカグラに殺されるぞ。それでも構わんと言うのかね?』
『ヒカミは黙っていてください』
(この人は、ヒカミという男子生徒だ)
不意に、ヒカミは手を差し出した。数秒後、コウは握手を求められていると気がついた。
慌てて、彼はそれに応える。ヒカミの掌は皮が厚く、複数の傷跡があることが判明した。
握手を終え、ヒカミは改めて名乗った。
「三年生のヒカミ・リュウという。昨日の試合は途中で水を差してしまい、すまなかった」
「いえ、あれは……おかげで助かりました。ありがとうございます」
そう、コウは頭を下げた。実際、彼の制止がなければ、ツバキが油断をしてくれたか否かはわからない。ならば、いいがと、ヒカミは微笑んだ。続けて、彼は徐に咳払いをした。
「また、実は第二の試験のことなんだが」
「第二の試験」
「転科生の最初の夜のみ、【キヘイ】の暴走の可能性があるため、学徒二名以上での監視が義務づけられていてな……その、昨夜のことは全部見ていたし、聞いていた。すまない」
「わーっ」
コウは間の抜けた声をあげた。昨夜の白姫とのやり取りを思い出し、彼は赤くなる。思わず、コウは頭を抱えたくなった。だが、その前で、ヒカミは必死に言葉を続けた。
「いや、大丈夫だ! 【花嫁】と【花婿】の仲がいいのは実に結構なことだ! 恥ずかしがる必要など何もないぞ。試験も十分に合格だ。胸を張りたまえ!」
コウより余程慌てて、ヒカミは言い募る。どうやら、随分と気を使う人柄のようだ。
なんとか落ち着いて、コウは頷いた。
「わ、わかりました。監視役、ありがとうございました」
「う、うむ。落ち着いてくれたなら何より……【花嫁】との契約は、いつも急なものだ」
突然、ヒカミは話題を切り替えた。
過去に何があったのか、彼は重い口調で言う。
「君も、戸惑うことも多くあるだろう。だが、『我ら【百鬼夜行】。己の【花嫁】と実力こそが全て』。安心してくれていい。試合を見る限り、君には【百鬼夜行】の適性がある……これから、共に精進していこう」
「あら、ヒカミ。先を越されてしまいましたか」
不意に、涼やかな声が響いた。コウは廊下の奥に視線を向ける。
ヒカミの背後から、嫋やかな女生徒が姿を見せた。昨日、説明に立った先輩、ミレイだ。甘茶の髪を揺らし、彼女はコウとヒカミを交互に眺める。悪戯に、ミレイは唇を尖らせた。
「私がもう一人の監視役ですよ。少し揶揄おうかとも思いましたが、今更野暮ですね……、挨拶を失礼しましょうか──カグロ・コウさん。改めまして、【百鬼夜行】へようこそ」
豊かな胸に、ミレイは手を置いた。少し頭を下げ、彼女は歓迎を示す。
柔和な笑みを浮かべながら、ミレイは続けた。
「強き者を、私は歓迎します。我ら闇に潜み生きる者なれば、実力は必要ですもの──同時に、我々は学生生活を送る者でもあります。肩の力を抜いて適当に楽しみましょうね」
「ミレイ君、緊張しすぎもよくないが。やはり、適当、というのはどうかと」
「全く、ヒカミは真面目すぎるんですよ。この人、いつもこうなんですよ?」
ヒカミの肩に手を置き、ミレイは微笑んだ。むむむっと、ヒカミは眉根を寄せる。
二人の様子を見て、コウは思わず問いかけた。
「失礼ですが……先輩達は、もしかしてお付き合いをなさっているんですか?」
「私とミレイ君が、かね? ハッハッハッ。面白いことを言う」
「天地がひっくり返っても、それはありませんねぇ」
揃って、二人は首を横に振った。ヒカミとミレイは、仲睦まじく見える。だが違うのかと、コウはやや驚いた。勘違いを、彼は謝罪する。別にいいですよと、ミレイは微笑んだ。
「己の【花嫁】以外を、伴侶に考える気はありません。ですが、ヒカミとは腐れ縁でしてね。私達はほぼ同時期に、【百鬼夜行】に入っています。長い付き合いとは言えますね」
「ミレイ君とは、互いに支え合ってここまで来たと言えるだろう。それは確かだ」
なるほどと、コウは頷いた。彼ら二人は、【百鬼夜行】に入って以来の友人関係らしい。
大きく頷き、ヒカミは言葉を続けた。
「私は【蜂級】、ミレイ君は【鬼級】だ。彼女の力に、助けられたことも数多い」
「ヒカミはこう見えて、利便性の高い能力を発揮します。【百鬼夜行】の中でも、多くの任務で活躍していますね。きっと貴方も、助けられることは多いでしょう」
「褒めすぎだ、ミレイ君。誰が教室一頑張る、健気な働き者さんかね」
「ふふっ、誰も言っていないんですよねぇ」
ヒカミはポーズを決めた。そこに間髪入れずに、ミレイがツッコミを入れる。
二人の親交の深さを、コウは改めて感じた。そのままを、彼は素直に伝える。
「お二方は本当に仲がいいんですね。少し、羨ましく思えます」
「我々も仲間だ。これからは親しくしてくれたまえ。それと、だ……同学年にも、いい学友が見つかるといいな……さて、普段の【百鬼夜行】についても少し教えておこうか」
「そうしましょう。コウさん、まずは食堂についてですが……」
続けて、ヒカミとミレイは、幾つかのことを教えてくれた。【百鬼夜行】の面々は基本的に気紛れ──食事は期待してもいい──本日からは通常の授業もある──等々の情報だ。
長居するのも悪いからと、二人は連れ立って部屋を後にした。
お疲れ様ですと、コウは彼らを見送った。
扉を閉じ、彼は背を伸ばす。
これから、【百鬼夜行】での、コウ達の生活が始まろうとしていた。
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試し読みは以上です。
続きは2020年7月20日(月)発売
『終焉ノ花嫁』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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