3. 最初の試練 3

「ほらほら、その程度なのかしら! 【鬼級】に匹敵するのではないのかしら!」


 高い声で、ツバキは囀った。踊るように、彼女は指を動かす。

 コウの左右から、また岩壁が迫った。頭を下げて躱し、彼は二枚を激突させた。そのまま、コウは反転。新たに宙に生まれた一枚を蹴った。反動で、彼は背後の一枚に剣を刺す。

 その度、教室中に歓声と野次が湧いた。

「行け!」

「悪くはないぞ!」

「まだ、遅い」

「予想の域を出ないな」

「後少し、速度がいる」

 何とか、コウは全てを捌き続けていた。だが、誰かが評した通り、動きに余裕はない。ツバキの揶揄も当然だった。彼女が、先程『双方にとって不幸だ』と言った通りだ。

 本来、これだけの攻撃を捌く実力など、カグロ・コウにはない。故にコウは──、

 ひどく、『落ち着き始めていた』。

(わかって、きた──視野が狭いんだ)

 自身が不利な理由の一つを、彼はそう悟った。

 人間の目は二つしかない。当然、映せる視界には限りがあった。

 四方八方から迫る、ツバキの壁は捉えきれない。気配を読んで対応するには、コウは未熟だ。打つ手はない、はずだった。だが、彼はギリギリで捌き続けている。

 本来ならば、既に潰されていてもおかしくないにも拘わらず、だ。

 間に合っているのには、理由があった。

 定期的に、コウの視界には別の視界が割り込んでいる。ソレは背後から、コウとツバキの全貌を捉えていた。また、その情報を元に、剣はコウの反応よりも速く動いている。

 二つを無意識的に利用し、コウは見えない位置の壁にまで対応していた。

 視界の元が何かを、コウは察した。

(────コレは、白姫の『目』だ)

 いつの間にか、二人は繋がっていた。

【花嫁】に、【花婿】は接続している。

(それなら!)

 己の視界を、彼は彼女のソレに完全に移した。そのまま、コウは白姫の『目』を使い続ける。また、彼は体から『力を抜いた』。コウは動きを、剣に導かれるままに任せていく。

「───やるな」

「確かに」

「へぇ、予想外」

「あぁ、同期性が異様に高い。会ったばかりの【花嫁】との連携とは思えない」

 どこかで、誰かの声が聞こえた。だが、コウにはどれがどの人物の発言か、確かめる余裕はなかった。岩壁の出現頻度と接近速度は増していく。剣には更なる反応が要求された。

 一度でも気を抜けば、潰されるだろう。

「────ッ!」

 上から迫る壁を蹴り、コウは回転した。足を広げ、体を平たく保ち、下方の壁を切断する。剣を上に戻し、彼は右に転がり、左を貫いた。一連の動きの間、思考は放棄している。

 最大限に、コウは速度を上げた。次々と、彼は壁を捌いていく。

 その様を見て、ツバキの無表情が変化を始めた。翠の目の中に、奇妙な愉悦が浮かぶ。今まで、彼女は決して真剣ではなかった。『潰す』と言いながら、好戦的とも称しかねた。

 だが、『気が変わった』のだろう。

 一転して、ツバキは凶悪な笑みを浮かべた。嬉しそうに、彼女は声を弾ませる。

「あぁ、いいわ! 可愛らしくも、愛らしくもないけれど、決して悪くありません! それでは本気で参りましょう! この、カゲロウ・ツバキが潰します! 今、此処で!」

 瞬間、コウは『全方向』を取り囲まれた。

 彼を真ん中に、『崩壊した球体状』に壁面が浮かぶ。

(避けようがない!)

 一部を壊す余裕も与えられなかった。瞬間、ガチッと、壁は球体状に噛み合った。

 ───コウを中心に。

 空中に、岩の丸い塊が完成する。ヒカミという男子生徒が叫んだ。

「そこまでだ! まさか、死んだのではないだろうな? 救出にかかるが構わないな?」

 球体の内側で、コウはその声を聴いた。

 剣をつっかえ棒にして、彼は球体が完全に閉じ切るのを防いでいた。コウは考える。ヒカミの発言に、ツバキは気を取られているだろう。また、彼を仕留めたとも油断している。

 勝機は此処にしかないと、コウは悟った。彼は囁く。

「白姫───もう一枚だ。おいで」

「了解した、コウ──隷属を、助力を、貴方に。私の全ては貴方のモノだ」

 岩の中からでも、コウにはわかった。瞬間、白姫は翼から羽根を一枚飛ばした。ソレは球体を外側から貫く。コウは内側の刃を突き出した。内と外からの同時攻撃。

 中に込められた魔術は、炎と氷。

 二つの猛烈な反発が起こった。球体は爆散する。

 壁面は細かく割れた。一斉に、ソレは飛び散る。

 降り落ちる直前の瓦礫に、コウは足裏を当てた。瞬間、彼は太腿に力を込めた。爆発的な勢いで、コウは跳躍する。瓦礫の隙間を、彼は猛烈な速度で直進した。

 そのまま、コウはツバキへ向かって肉薄した。

 彼女は翠の目を大きく見開く。

 コウは、白姫の羽根を突き出した。咄嗟の混乱の末、ツバキは微かに笑った。

「──敗れ、ましたね」

「はい、そこまで」

 羽根は、カグラの手に止められた。

 コウは瞬きをする。何が起こったのか、彼にはわからなかった。生身の手に制止されるとは信じ難い。本来ならば、コウにはツバキを貫くことができたはずだ。だが、よく見れば、カグラの掌には魔法陣が描かれていた。完璧に、ソレは白姫の羽根を防いでいる。

 漸く、コウは頭が冷えた。一気に、彼はゾッとした。

(刃が届かなくてよかった──我を、忘れていた)

 白姫に人の死ぬところを見たくないと告げながら、自分が殺してどうするのか。

 冷や汗を拭いながら、コウは何度も己に言い聞かせた。

 戦いはこれで終わりだ。

 どうやら、終わらせることができた。

 それをなんとか、コウは理解する。とんっと、彼は床に降り立った。

 途端、教室はわっと、歓声に沸いた。


     ***


「途中、水を差してしまったか……すまなかった。だが、十分だ。戦闘経験もなく、これ程とは、転科生の勝ちと言えるだろう。負傷者も出ず、何よりだ。確かに、悪くはない」

「えぇ、【鬼級】相当と認めましょう。愉しくなってきましたね?」

 ヒカミとミレイが言った。他の学徒達も一転して、ほぼ歓迎の様相を呈している。

 コウは息を整えた。急速に、彼は理性を取り戻していく。

 同時に、コウは疑問を覚えた。

 何が起きたのか、彼には把握できていなかった。【キヘイ】と連携して戦うなど、初めての経験だ。全ては無我夢中だった。己が行ったことすら、コウには理解ができていない。

 彼は戦いの内容を反芻する。

 全てが、自分ではない、他人の動きのように思えた。

(……まるで、最初から戦い方を知っていたかのようだ)

 どうしてだろうと、コウは困惑に襲われる。その時だ。

 突然、彼は何かに包まれた。バサァッと、コウの視界は機械に覆われる。ソレには見覚えがあった。白姫の機械翼だ。ガンゴンと、彼は表面を叩いた。間抜けに、コウは訴える。

「白姫、白姫ー、出してもらえないか?」

「ううっ、流石は私のコウだ。やはり、私の翼は貴方と共にある……ですが、正直、恐怖を覚えました。万が一、貴方が死んでいれば、私はその場で自爆している」

「自爆は駄目だ。絶対に駄目だ」

「駄目ですか?」

「駄目だ。俺が嫌だから駄目……ほら、白姫、落ち着いてくれ」

 優しい呼びかけと共に、コウはガンゴンを繰り返す。

 やがて恐る恐る、白姫は機械翼を解いた。じっと、彼女はコウを見上げる。蒼く、美しい目には涙の膜が張っていた。不思議な話だ。何にも怯える必要がない程に、白姫は強い。

 それなのに、彼女はコウのことが心配で仕方がないようだ。

 自然と、コウは白姫を抱き締めた。ぽんぽんと、彼は彼女の背中をあやすように叩く。

「……コウ?」

「心配ないよ、もう大丈夫だから」

 愛しさが、胸の底から湧きあがってきた。感謝と共に、コウは口を開く。

「ありがとう、白姫……なんとか勝つことができた。全ては君のおかげだ」

 そう、コウは心の底から告げた。彼女がいなければ、彼には一撃たりとも捌けなかった。

 白姫が共に戦ってくれたおかげで、コウは勝利を掴めたのだ。一緒に死線を潜り抜けた相手を、彼は強く抱き締める。白姫も抱擁を返した。だが、同時に、コウは首を傾げた。

「けれども、俺はどうして……あんな動きができたんだろう?」

「私は貴方の翼だ。そして、貴方は私の贄にして、糧にして、主にして、王にして、奴隷にして、喜びにして、運命にして、花婿です。貴方も私を待っていたと、言ってくれた」

 ───これぞ運命ということでしょう。

 白姫は微笑んだ。その笑みに応え、コウは頷く。

 何故戦えたのか。その理由はわからないままだ。だが、結果を出せた事実は変わらない。

 続けて、コウはツバキの方へ視線を向けた。敗れたというのに、彼女も笑っている。何故か、ツバキは満足そうだ。コウに勝負を申し込んだ際の、不機嫌な無表情は消えていた。

 否応なく、コウは理解した。

 どうやら、【百鬼夜行】とは『こういう連中』なのだ。

 パンッとカグラが手を叩いた。高らかに、彼は宣言する。

「はい、それでは───我ら、誇り高き、【百鬼夜行】。闇に潜み、人に謗られる者。我らが【花嫁】と実力こそが全て───彼を迎えることに、異存はないね」

「異議なし」

「あぁ」

「悪くない」

「どちらかと言えば賛成」

 幾つもの返事があがった。

 ある者は足を組み、ある者はにやりと笑い、ある者は机に伏せたまま──賛同を示す。

 止まらない汗を拭いながら、コウは頷いた。

 どうやら永遠にも似た地獄とやらの一端の中、

 無事、彼らは己の居場所を得たようだった。

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