四章 『月の兎亭』その1
ギルドに戻ってきた俺達は、早速クエストボードの前に立つ。そこには特定素材の採取クエストからドラゴン討伐のクエストまで、様々な依頼書がびっちり貼り付けてあった。
「さぁて、いよいよ初クエストだが何を受けるよ?」
「えっと、その事なんですけど……実際に活動を始めるのは明日からにしませんか?」
「へ? そりゃまたどうして?」
「外を見て下さい」
「外……おおぅ」
リーリエに促されて窓から見える景色を眺めると、そこからは黄昏色に染まった空がくっきりと見えた。
思えば、ここミーティンに着いて初日だというのに色々な事をいっぺんにこなしていたので、当然時間も経っている筈である。
だが、俺にとっては何もかも新鮮な事ばかりだったので、時間の事などすっかり頭から抜け落ちていた。
「確かにこりゃ明日からにした方がいいな。夜間の行動はリスクが高ぇ」
「はい。それでなんですけど……ムサシさん、まだこの街での活動拠点って決めてませんよね?」
「活動拠点……寝泊まりする場所って事か?」
「そうです。これから本格的に活動を始めていくなら、きちんと身体を休められる拠点は必須です」
「ごもっとも。しっかしなあ、俺今日来たばっかりだから泊まる当てなんてないぞ」
宿泊施設は当然あるんだろうけど、街の地理なんてリーリエと一緒に行った場所くらいしか把握してないしなぁ。
「……あの、ムサシさんさえ宜しければ私がお世話になってる宿屋を紹介しましょうか?」
俺が思い悩んでいると、リーリエが意を決したように素晴らしい提案をしてきた。渡りに船とはこの事か。
「マジすかリーリエさん、いいんすか?」
「はい。部屋も空いていた筈ですし、宿泊費も他の宿よりも安いですよ」
「おお、いいね。何から何まで世話になってホントに悪いな、明日からの働きで返すから」
「いえいえ。あ、それと一階部分は食堂になっていまして、そこの女将さんが作ってくれる料理がこれまたとっても美味しい――」
その瞬間、俺は電撃的な速度で動いた。
「行きましょう是非行きましょうすぐ行きましょうリーリエ様!!」
「えっ、きゃあっ!」
ひょいっとリーリエを抱え上げ、疾風の如く駆け出す。
飯が美味い、これは非常に重要な事だ。食は人間を形作る大切な要素である。
そして俺は食事が大好きだ。山で暮らしていた時も山菜、狩りに慣れてからは熊肉鹿肉、魚にドラゴンの肉まで片っ端から食していた。
食事くらいしか楽しみが無かったとも言えるが……つまり何が言いたいかと言えば、俺は今すぐ美味い飯が食いたいんだよ!
「イクゾー!」
「お、落ち着いて下さいぃ~目が回ります~! それと宿は反対方向ですからぁ~!」
◇◆
その宿は《月の兎亭》という名前だった。建物は木造の二階建て、兎の形をした洒落てる看板が入り口の上から吊り下げられている。その中からは食欲をそそる良い匂いが漂ってきていた。
今すぐにでも中に入りたいが、残念ながらそれは出来ない。
……何故なら、俺は今道の上で正座をさせられ、リーリエにお説教を受けている最中だからだ。
「聞いてますか、ムサシさん!」
「ハイ、キイテマス」
腕を組んで仁王立ちしているリーリエの後ろには不動明王が見える。おいおいドラゴンより怖いんじゃないか?
「全く……いくら早くご飯が食べたかったからって、私をあんな……お、お、お姫様抱っこして街中を走り回るなんて!」
顔を赤くし涙目になりながら捲し立ててくる。しかしこんな事を考えるのはアレかもしれんが……美少女が恥じらいながら怒ると絵になるねぇ。
「……ムサシさん? 今 何 を 考 え て い ま し た ?」
「リーリエは怒り顔も可愛いなといだだだだ! 痛い!」
馬鹿正直に口からポロっと零したら両頬を思いっきり引っ張られた。えっちょっ痛ッ! 何これ、火事場の馬鹿力!?
「は・ん・せ・い・し・て・く・だ・さ・い」
「分かりました!」
俺が必死にそう答えると、溜息を吐きながら頬を放してくれた。おぉ痛ぇ痛ぇ。
「もう、これじゃどっちが年上なんだか分からないじゃないですか……」
「すんまへん……まあそれはそれとして、割とガチですまんかった」
さっと居住まいを正して、頭をきっちり下げる。
夕暮れ時で通った道に人が少なかったのが幸いだが、それでもとんでもなく悪目立ちしたのは目に見えている。この事でリーリエに良からぬ事言ってくる奴がいたら……俺が〆よう、うん。
「……ちゃんと反省してくれたのならそれでいいです。次からは気を付けて下さい!」
「相分かっ――」
「それと! 私以外の女性にあんな事しちゃダメですからね!」
「しねーよ! そんな事したら捕まっちま――ちょっと待て。それはつまりリーリエ相手ならやっていいって事?」
「そうです! ……ち、ちがいましゅ!」
「どっち!?」
「おい! 人の店の前で何やってんだ……おや、リーリエじゃないか。一体どうしたんだい?」
ギャーギャー騒いでいたところ、バンッ! と建物の扉が開かれた。これは間違いない、女将さんの登場だ。