第一章◆新しい力 4
三十階層から撤退した翌週、またもや朝から
できれば『闘気』も身に着けておきたいが……。現在の進捗では難しいだろう。『闘気』の構築は始めているが、物凄く時間がかかりそうだ。理想形まで持っていくのに何年かかるかまだ見えていないほどだ。
風の魔石で発生させた空気を周囲に纏うことで綺麗な空気を吸うことができ、また悪臭が体に着くのを防ぐことができる。
素晴らしい効果の風の魔石だが、周囲の臭いや空気を感じることができないため周辺環境を把握できないことだけは要注意だ。この階層については過去の探索者たちによってガスの濃度はあまり変化がないことが報告されているため、あまり気にしなくても良いかもしれないが、念の為警戒しておこう。これを気にトルネ商会に依頼し、万が一を考えてガスマスクや解毒薬など、使う可能性のある道具を買い集め『
……マッドゴーレムを『
そんなことを考えているうちに三十九階層のボス部屋の前に辿り着いた。ボス部屋は誰かが入っているようで、扉の光が消えていた。少し休んでから入ろうと思っていたためちょうどよかった。気力を回復する活性水と魔力を回復する
暫く休みそろそろ気力も魔力も十分回復したと思ったところで、ちょうど良く扉に淡い光が点った。先客が下の階に降りていったのだろう。
特に気負うこともなく扉を開けてボス部屋に足を踏み入れる。
そこには紫色の四足歩行の……竜がいた。ポイズンリザードの上位種、ポイズンドラコだ。体長は六メートル程度と竜種にしては最小クラスのもので、能力も竜種の中では最弱クラスの魔物だ。また当然の如く、取り巻きとして五匹のポイズンリザードがいた。
そして何より今までのボス部屋と異なっていたのは……鎧や剣、杖、バッグ等といった冒険者の持ち物らしき物がそこら中に散乱していることであった。
「これは……」
あまりの異様な光景に思わず独り言を漏らす。
知識としては聞いていた。
通常は死亡してから
……恐らくここに散乱している装備品は、敗北した先客達の物なのだろう。知ってはいても、直前にこの部屋で目の前のモンスターに人が殺されたと思うと胃液がせり上がる。
しかし魔物達はこちらの気持ちなど関係なしに襲いかかってくる。
『
動揺を抑えつつ、魔術で取り巻きを片付ける。取り巻きがやられたことで怒ったのか、ポイズンドラコがポイズンブレスを吐き出す。回避しつつ、周囲に満ちはじめた毒霧を風魔術で散らす。
回避先が毒霧が薄い場所と限られているせいか、ポイズンドラコは凄まじい速さで回避先に向けて尻尾を叩きつけてきた。咄嗟に
凄まじい威力だ……。感覚的にはムスケル三人分くらいか。しかも敵は鱗が数枚弾け飛んだ程度でほぼ無傷だ。腐っても竜種ということか。
今度はこちらの番だ。
『
若干軌道を逸らされながらも、
「グギャアウゥゥ!」
ポイズンドラコの逆鱗に触れたのか、大音量の咆哮とともに鱗が立ち上がっていく。そして立ち上がった鱗の隙間から、魔力と毒霧を身体中から凄まじい勢いで噴出しはじめた。
風魔術で護っているとはいえあまりに勢いが強いため、後方へと飛び退く。毒霧に触れたポイズンリザードの死体が、同じ毒属性であるにも関わらず溶解しており、その毒性の高さを表していた。
これが直撃したらひとたまりもないな……。毒霧に突っ込む気は起きず、『
しかしポイズンドラコは機敏な動きでそれを躱しつつ、突進してきた。避けきれずにいくつか当たってはいるが、魔術抵抗力の高い竜鱗によって致命傷には至らない。
剣も魔術も効きにくいとか勘弁してくれ……!!
突進の勢いに合わせて体を回転させ、尻尾をぶん回しながら突っ込んでくるポイズンドラコ。毒霧を噴出しつつ凄まじい速さで回転しながら突進してくる巨大なドラゴンに顔が引き攣る。
身体能力が低い魔術師や弓師がこれに突っ込まれたら絶望だろうな……。どこか冷静にそんなことを思いつつポイズンドラコを引き付け、尻尾ぶん回しが当たる直前に『
その威力は予想を超えてポイズンドラコの太い首を一撃で両断し、更には
先程は尻尾ですら両断できなかったのに数倍の太さの首を一撃とは……。『
ボスを倒したことで部屋を満たそうとしていた毒霧が消えていき、倒れた敵の姿がよく見えるようになった。ポイズンリザードはドロドロに溶けており、素材として持ち帰れる状態ではない。一方身体が残っているが解体や素材の選別が面倒なポイズンドラコはそのまま『
敵がいなくなった部屋に佇み、部屋に散らばる先客達の装備品を見やる。一息ついた後、回収してギルドに報告するべきだろうなと思い、装備品も回収をはじめた。墓場泥棒みたいで気分が良くはないが放置するのもはばかれる、複雑な心境であった。
すぐに
結論から言うと、四十階層はゾンビ、グール、スケルトンなどのアンデッドの巣窟であった。
「シリウス君、わざわざ報告と装備品の持ち帰り、ありがとうね」
セリアさんは寂しそうに微笑みながら、僕が拾った冒険者達のギルドカードを受け取った。ボス部屋で拾った装備品とギルドカードをギルドに提出しようとしたら、ギルドカードだけは回収するが装備品は拾得者の物となると言われ返された。
いらないと言うと買取カウンターで換金できるとすぐに銀貨にして渡してくれた。身近で亡くなった人達の装備品を使う気はどうしても起きなかったのだ。
「それにしてもポイズンドラコを倒して四十階層に行っちゃうなんて……。ポイズンドラコはランクAの魔物なのよ? 普通はランクAの冒険者もパーティを組んで挑戦するレベルの難易度なのに……無茶し過ぎよ。勝てたから良かったけど、ボス部屋に入ったら逃げられないのよ? 本当に気をつけてね」
心配そうな顔をしたセリアさんに手を握られる。ギュッと握られたその強さで、本当に心配してくれている気持ちが伝わってくる。
「セントラル
セリアさんが僕の目をじっと見ながらそう話す。その目は心なしか潤んでいるように見えた。僕に
「セリアさん、ありがとうございます。僕も死にたくはないので、絶対に
「シリウスくん、約束よ?」
「はい、約束します」
セリアさんが差し出してきた小指に僕が小指を軽く絡ませると、彼女は涙ぐみながらも笑顔を見せてくれた。
あれから
まず、魔物の数が多い。そして唐突に地面の下から手が生えてきたりするため、常にあらゆる方向からの不意打ちに注意を払う必要があり、精神的な消耗が激しい。
元々の目的が周辺の森より強い魔物との鍛錬であったことを考えると、今危険を犯して無理やり進む必要もないと考え、四十階層と四十一階層付近での狩りに留めていた。
しかしアンデッドは物理耐久が低いため、『
ただ『
一方『闘気』はというと、まだ実戦で使えるような状態までは仕上がっていない。もしかして何かの役に立つ時もあるかもしれない……という程度だ。
まだまだ準備したりないことは沢山あるが、武道祭は刻一刻と近づいていた。
■
休校日のよく晴れた朝。鍛錬を終えた僕は、腕まくりをしてキッチンに立っていた。
――スイーツが食べたい。
この世界に転生してから、幾度その想いを抱いたことだろうか。
この世界にも砂糖はある。しかし少なくともアルトリア王国では、砂糖はとある商会が製法を秘匿・独占しており市場にほとんど出回っていない。出回っているものも非常に高価で、貴族や王族が薬や嗜好品として楽しむようなものである。
一方、一般市民が甘い物を食べたことが無いかといえば、そんなことはない。甘い果物や野菜は一般市民でも一応手が出る価格ではある。蜂蜜も贅沢品ではあるが、全く手が出ないほどではない。
でも、違う。僕の求めているスイーツは違うんだ。
度重なる労働で疲れ果て、機能停止寸前の脳に糖を注ぎ込んでくれる天使であるコンビニスイーツの甘美なる味わいよ。コンビニスイーツがなければ僕の寿命はもっと短かったことだろう。今では大分慣れたが、それでもやはり疲れたときには身体が糖を求めるのだ。
チョコレート、ケーキ、クレープ、シュークリーム、エクレア、プリンアラモード……可愛い天使たちよ、待たせたな。
そう。冒険者として大量の素材を冒険者ギルドに売りまくって得た資金で、着々と準備を進めていたのだ。スイーツの材料収集を。
売っていないなら作ればいいじゃない。
そう思い立ってから、ここまで苦労したな……。学生時代にパン作りで戦う漫画や紅茶を飲む人形たちの漫画などの影響を受けて料理やお菓子作りに凝っていた時期があったのだが、そんな厨二時代の趣味がここで生きてくるとは、人生何があるか分からないものだ。
サトウキビのような植物、アマタケを市場で発見した時は大興奮だった。転生してから身に付けた身体能力、魔術を総動員し、砂糖を精製した。アマタケの手絞り一つとっても前世とは桁違いの膂力が遺憾なく発揮された。
牧場からの依頼を見つけた時は即受注し牧場主の人と顔を繋げて、新鮮な牛乳を購入して生クリームを作った。
そして地道に市場に通い、美味しく新鮮な果物を買い集めた。
その努力を結実させる時が来たのだ。
集めてきた材料を『
「さて、クレープを作ろう」
スイーツの中でも特にお世話になったクレープ。
モチモチの生地と生クリープのハーモニー。そして片手で持てるため食べながら仕事をすることもできる。美味しさと効率が両立されている、素晴らしいスイーツだ。しかも作るのは超簡単。異世界初の自作スイーツにピッタリである。
まずは、クレープ生地を焼いていく。
社会人になってからは仕事ばかりで中々料理する機会を失っていたが、学生時代は漫画の影響でよく料理をしていたものだ。二十年以上前の記憶を呼び覚ましながら生地を焼いていくが、思いの他上手く焼けている。身体は覚えているものだな。
芳ばしい香りが部屋に充満していく。もうこれだけでも幸せだ。おっとよだれが……。 生地を二十枚ほど焼き終え、クリームを泡立て始める。
ちなみに二十枚一気に食べるわけではない。余った分は『
泡立て器などはないが、前の世界より圧倒的に身体能力が上昇しているお陰で簡単に泡立てられる。また微小な氷魔術で冷やしながら作業できるのだから、作業効率は抜群だ。
皿に生地を置き、泡立てた生クリームを乗せる。
更に甘酸っぱい果実のベリーの実と、バナヌの実という黄色くて細長い……バナナ的な果実を乗せて、生地で包み込む。
「……素晴らしい……」
完成したクレープを、震える手で持ち上げる。
しっとりとした生地の感触を感じつつ、口に運――ぼうとしたその時、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。
うん、食べてからにしよう。
そう思い再度口に運ぼうとするが、もう一度ノックの音が響いた。こめかみに血管が浮き出るのを感じつつ、クレープを皿に置いてドアを開ける。
「……どなたでしょうか?」
平静を装いつつ即座に尋ねる。いや、抑えきれずに随分とドスの聞いた声になってしまったかもしれない。そこには三人の美少女が立っていた。
「シリウス、突然ごめんね」
僕の顔を見るなり一瞬驚いた顔をした後、非常に申し訳無さそうに先頭にいたエアさんが僕に謝ってきた。後ろにいたアリアさんも申し訳無さそうな顔をしており、もう一人のロゼさんは僕の部屋を覗き込むようにぴょんぴょこ跳ねている。
普段お世話になっているクラスメイトであることが分かり、一旦息を吐いて気持ちを落ち着かせてから話しかける。
「皆さん、おはようございます。どうかしましたか?」
「朝からごめんね。えっと、何か急に良い匂いがしてきて、なんだろうと部屋から出てきたら二人とバッタリ会ったの。それでシリウスの部屋から匂いがしてるみたいで……」
「シリウス、美味しそうなもの作ってる。ちょうだい」
「ちょ! ロゼちゃん!? ち、違うのシリウスくん! 部屋に換気用の風魔石があるの知らないなら教えてあげようかなと思って……いや、凄く美味しそうな匂いではあるんだけど……あはは……」
そうか、換気が不十分で匂いが外に漏れていたのか……。それでスイーツの香りを嗅ぎつけて女子三人が集まってしまったと。
……外に匂いを出して迷惑をかけてしまったんだ、ご馳走くらいするか。
「ご迷惑をおかけしてごめんなさい。換気用の風魔石には気づきませんでした。……ちょうど出来たところだったので、よかったら食べていきますか?」
「え、いいの? な、何か悪いわね!」
「流石シリウス、太っ腹」
「ご、ごめんねシリウス君……。あ、ありがとう……」
「ちょうど多めに作っていたので――」
「むふん!? この芳ばしい香りはシリウス殿であったか!」
「おー、なんか美味そうな匂いしてんなーって思ったら皆集まってんのか」
ムスケルとランスロットも匂いに惹かれて部屋から出てきたようだ。
ねぇ、この寮なんでそんなに匂いが広がるの? おかしくない? それとも皆飢えてるの??
「……お二人もよかったら食べていきますか?」
「いいのであるか!? かたじけない!!」
「やったぜ、タダ飯だ!」
「……飯ではないんですけどね……」
「むっふううん! これは……! 我が家の熟練したシェフですらここまで美味な物は作れないであるぞ!?」
「ッッ!? シリウス! これ、美味しい! 美味しいよ!」
「シリウス君……。お、美味しすぎますぅ……」
「ちょっとこれ……このふわふわして甘い物は何!? こんなの初めて食べたわよ! 色々と規格外だと思ってはいたけど料理でも規格外だなんて……」
「うめぇなー、これ。これってもしかして砂糖使ってんのか? とんでもなく高いんじゃねぇの?」
「……皆が喜んでくれて良かったです」
……自分用に、あとで追加で作ろう……。
あと、ムスケルの家ってシェフがいるの? 塊肉食べてるイメージしか沸かないんだけど……。
「シリウス君……これ、売れるんじゃないかな……?」
「うーん、飲食店開くわけにもいかないので難しいんじゃないですかね」
「あ、そうじゃなくてね。商業ギルドで『特許契約』して作り方を売ればどうかなって」
『特許契約』か、まさかこっちの世界にも特許制度があるとは思わなかった……!
「そんな方法があるんですね! でも、たかだかお菓子のレシピなんて特許登録してもらえるんですかね?」
「た、たかだかじゃないよ!!? こんな凄いお菓子、貴族の人だって皆大金出して知りたがると思うよ!!」
凄い剣幕で机越しに乗り出してくるアリアさん。
ちょ、そんな屈みながら近づいてくると……。
一瞬目が行ってしまったグランドキャニオンから即座に目を逸らす。どことなく他の女子二人の視線が鋭い気がするけど、きっと気のせいだろう。
「そ、そうですかね……。ちょっと、知り合いの商人の方に話を聞いてみます」
あのふくよかな肉体の似非関西弁の商人、トルネさんに話を聞いてみよう。実は
「シリウス、またこれ作って」
あっという間に平らげてしまったロゼさんが、僕の服の裾をちょんちょんと引っ張りながら上目遣いでそう言ってくる。
「そうね……言ってくれれば手伝うから、できればまた食べさせて欲しいかも……」
「わ、わたしも……何でも手伝いますから!」
「そうですね、今度一緒に作りましょうか。材料さえ揃えば簡単に作れるので」
「出来たら俺も呼んでくれよ、味見くらいはするからさ!」
「ふむん……我もまた食べたいものであるな!」
「……二人もなにか手伝ってくれてもいいんですよ? でも皆で集まって食べるのも楽しかったし、またやりたいですね」
自分が作ったスイーツを喜んで食べてくれる友人たちを見て、今度は何を作ろうかなと思案するのであった。
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試し読みは以上です。
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