公爵令嬢ティアレシアの復讐/奏舞音
※こちらはビーズログ文庫「公爵令嬢ティアレシアの復讐」の書き下ろしショートストーリーです。
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タイトル『夢の中でも』
ふわふわと落ち着かない心地で、ティアレシアは見慣れた王城を歩いていた。
前世クリスティアンの〈
それも、昔の美しい姿のままだ。
「どうしてかしら……? 荒れていたはずなのに」
柔らかな曲線を描く宮殿の外観、可愛らしく微笑む天使像。
少しだけ違和感を覚えるのは、そのすべてがうすぼんやりと光っていること。
「クリスティアン――っ!」
突然、叫び声が聞こえた。
そして、その声はものすごい勢いで近づいてくる。
声の主を見つけた瞬間、ティアレシアの表情は固まった。
「あぁ、ようやく見つけたよ」
美しい金髪を振り乱し、満面の笑みでこちらに駆け寄る男。
かつての婚約者、セドリックである。
「なんだか、今日のクリスティアンはいつもと違う気がするな。僕が作り出した幻じゃないよね?」
「いいえ、幻ですわ」
「あぁ、本物だ! 僕の質問に答えが返ってくるなんて!!」
神様ありがとう、と目の前でセドリックが天に向かって拝み始める。
無視すればよかった。
しかし冷ややかな眼差しを向けても、セドリックは気にせずにうっとりと頬をピンク色に染めている。
どういうことだろうか。
セドリックは幽閉されているはずだ。
ティアレシアは何かがおかしい、と思い、周囲を見回す。
〈紫水晶の宮〉だけがやけにくっきりと目に映り、遠くはよく見えない。
自分の身体も自分のものではないような気がして、ふと自身の髪が目に入った。
(なっ……どうして、金色なの?)
ティアレシアの髪は銀色だ。
しかし今、髪色は金色――まるでクリスティアンと同じような。
「え、私……クリスティアンに……?」
戸惑うティアレシアをよそに、セドリックは幸せそうにこちらを見つめている。
「僕の愛しのクリスティアン。毎晩君のことを考えて夜も眠れなかったんだよ。でもまさか、クリスティアンの方から僕の夢に現れてくれるなんて……僕の想いが君に届いたんだね!」
ティアレシアはセドリックの夢に迷い込んでしまったらしい。
(……最悪だわ。どうにかして夢から覚めないと)
どういう訳か分からないが、夢ならば目が覚めれば現実に戻れるはずだ。
最初のうちは、そう考えていた。
しかし。
「――……あ、あの時のことは覚えている? 君が初めて僕に刺繍入りのハンカチをプレゼントしてくれた時のこと」
「…………」
「恥じらいながらハンカチを差し出す君が可愛くて可愛くて。勢いのままに押し倒さなかった自分を褒めたいぐらいだったよ」
何故か延々とセドリックの思い出話を聞かされるはめになっていた。
ティアレシアが喋ればさらに盛り上がってしまうので、ひたすら無言を貫いている。
クリスティアンの姿で、セドリックの思い出話を聞かされるなんて、かなりの苦痛だった。
(いつになったら目が覚めるの……っ!?)
ティアレシアが限界を迎えそうになった、その時。
「ティアレシア!」
ぼやけた空間に、黒い影が入り込む。
「お嬢様、迎えに来ましたよ」
「ルディ!」
「ったく、無防備に前世の夢なんてみるから、あいつの夢と繋がったんだ」
ティアレシアの中に残るクリスティアンの意識がセドリックの強すぎる執着に引き寄せられてしまったせいで、なかなか目覚められなかったようだ。
馬鹿だな、とルディが呆れたように溜息を吐く。
そして、彼が触れた瞬間に、クリスティアンの姿ではなく、銀色の髪のティアレシアの姿に変わる。
「さあ、帰るぞ」
「えぇ」
「いやいや、ちょっと待て! せっかくまた会えたのに、もう行ってしまうのかい」
ルディの手をとるティアレシアの背後で、セドリックが悲痛な声を上げる。
「ねぇセドリック。あなたの愛は正直重いし、恐怖すら覚えるわ。でも、ずっと私を忘れないでいてくれたことには感謝しているの。ほんの少しだけね」
これは、ただの夢だから。
かつて愛した人に、失望と憎しみだけではない想いを伝えてもいいだろう。
「クリスティアン……僕は、君だけを愛しているから――!」
叫ぶセドリックに背を向けて、ティアレシアはルディに手を引かれていく。
「あんなこと言って、また調子に乗ったらどうするんだ」
「……大丈夫よ。もう前世の夢なんて見ないと思うから」
「ふん、どうだかな」
「今は、“今”だけで精一杯だもの……」
まさか、ルディが来てくれるなんて思わなかった。
導いてくれる悪魔の手を、ティアレシアはぎゅっと握る。
夢の中だというのに、胸がドキドキして落ち着かない。
「どうせなら、次からは俺の夢を見ろ」
「ル、ルディの夢なんて見ないわよ……っ!」
「ふっ、冗談だよ。お前が見なくても、俺がお前の夢を見るさ」
その言葉に、夢の中でも顔が真っ赤になるのが分かった。
(~~~~っ、早く夢から覚めたいわ!)
先ほどとは別の意味で、目覚めを願うティアレシアだった。
◆ ◇ ◆
うっすらと日の光を感じて、ティアレシアは目を開く。
なんとも疲れる夢だった。
さっさと起きて忘れよう、と身体に力を入れた時。
あたたかいものが手に触れていることに気づく。
「…………っ!?」
視線を下に向けると、艶やかな漆黒の髪が見えた。
ティアレシアの寝室に入れる人物で思い当たるのは一人だけだ。
軽く上半身を起こして顔を覗き込むと、彫刻のように整ったルディの顔が見える。
(ルディと、手をつないだまま寝ていた……? え、でも、あれは夢、よね?)
夢の内容はまだ鮮明に覚えている。目覚める前に交わした会話も。
ぼっと火が出そうなくらい頬が熱い。
「そ、そんなはずないわよね……」
きれいな寝顔のルディを見つめながら、ティアレシアはぽつりとこぼす。
従者がお嬢様の手を握って寝ているなど、いつもなら起きた瞬間に叩き起こして注意するところなのだが、まだ夢の余韻を引きずっているのか、そんな気になれなかった。
しかし、いつまでも手をつないだままというのも心臓がもたない。
どうしようか、とティアレシアが悩み始めた時、ルディがすっと身体を起こした。
「……ん? もうお目覚めですか、お嬢様」
寝起きのかすれた声に、ティアレシアは一瞬固まった。
朝からこの色香は危険すぎる。
すぐにティアレシアは手を振り払い、気持ちを切り替えるためにひとつ咳払いした。
「……それで、どうしてあなたが私の寝室にいるのかしら?」
「忘れたのか? 俺はお嬢様のために、あの男の夢から助けてやっただろう」
「あ、あれは夢じゃ」
「夢は夢だが、ただの夢じゃない。あの男のクリスティアンへの執着は相当だな」
「なんてこと……っ」
思わず、ティアレシアはがっくりと肩を落とした。
夢にまで影響を与えるなんて、恐ろしすぎる。
しかし、ルディは心配するなと笑う。
「お前が俺のことだけを考えるようになれば、あんな男の想いに引きずられることはない」
漆黒の双眸に射抜かれて、ティアレシアはルディから目が離せない。
どくんと大きく鼓動が跳ねた。
「ティアお嬢様~!」
扉の外から、メイド頭のキャシーの声がした。
その瞬間にはもうルディは離れていて、素知らぬ顔でキャシーと何やら話している。
(私ばかり振り回されている気がするわ)
ティアレシアは溜息を吐いた。
「さあ、お嬢様。支度をしましょうか」
そう言って、手を差し出すルディに、ティアレシアも手を伸ばす。
十六年前からずっと、ティアレシアはルディに手を引かれてここまで来た。
――この先もずっと、この手を放さずにいられたら。そうしたら……。
なんて。
それこそ夢のようなことを、ティアレシアはぼんやりと思いながら、ルディの手に触れた。