『ブラコン悪役令嬢と家庭教師』
「あっはっは」
皇都ユールノヴァ公爵邸の広大な庭園の一角、花の植え替えのために黒々とした土が剥き出しになっている区画に、大きな笑い声が響き渡っていた。
笑っているのはアナトリー・マルドゥ。大柄なたくましい体躯の持ち主だが、眼鏡をかけた顔は温和な印象だ。公爵令嬢の家庭教師で、魔力制御を教えている。
彼の前で澄ました表情、けれど口の端だけは笑みを抑えきれずにいるのが、十五歳の公爵令嬢エカテリーナ・ユールノヴァ。藍色の髪に紫がかった青い瞳、大人びた美貌の持ち主だが、実は日本で過労死したアラサーSEだった前世の記憶を持っていたりする、令嬢の皮を被った社畜なのである。
そんなわけで、今も内心では『笑かしてすいません』とド庶民に謝っているのに、外側はいかにも令嬢然と言う。
「まあ先生、わたくしの魔力制御は、そんなに可笑しゅうございまして?」
「ははは、いやいや、素晴らしいです。お嬢様に魔力制御をお教えして一カ月、今まで一度も学んだことがおありでないとは信じられないほど、進歩なさいました」
エカテリーナは病弱だったため、今まで一度も魔力制御をきちんと学ぶことができなかった。
というのは建前で、祖母の嫁いびりにより半年前まで母親と共に幽閉されていたのが真相だ。
半年前に父親と祖母が立て続けに亡くなり、公爵位を継承した兄が母とエカテリーナを救い出してくれた。けれど、寝たきりだった母は直後に息を引き取ってしまい、エカテリーナは誰とも話そうとしない引きこもりになっていた。一カ月前に前世の記憶が戻り、ようやく世界と向き合うことができるようになったのだ。
エカテリーナの魔法学園への入学が近づいたことから、授業の集大成として、土属性の魔力制御では花形といえるゴーレムの生成と操作を実技で行うことになったのだが。
「いや、本当に。初めての生成で、全長三メートルものゴーレムを生成するのは、なかなかできることではありません。お嬢様には、すぐれた素質がおありです。し、しかし、動きが。いや、このような操作ができるのは素晴らしいですが。あっはっは!」
さきほどマルドゥから生成したゴーレムを動かすようにうながされて、エカテリーナはついついやってしまった。
(あ、よいよいよいやさっと)
ゴーレムに、盆踊りを踊らせたのである。
この世界にはもちろん盆踊りは存在しないが、妙な動きは家庭教師の笑いのツボに見事はまってしまったのだった。
「ゴーレムを踊らせる人は初めてです! いや素晴らしい動きでした、初心者はゴーレムを動かすことさえ難しいものなのに、あれほどなめらかに動かせるとは、大変な才能です。しかしあの踊り」
もうゴーレムは土に還っていたが、思い出しても可笑しいらしく、またひとしきりマルドゥは笑う。
「そんなに楽しんでいただけて、嬉しゅうございますわ」
表情をとりつくろうのをやめて、エカテリーナも笑った。
「課題がこなせて、嬉しくなってしまいましたの。お許しくださいましね」
「楽しませていただいて、許すなんてそんな」
首を振り、マルドゥは眼鏡を外して涙をぬぐう。
「お嬢様は、見かけによらず愉快な方ですね」
「先生は、今日はいつもより少し沈んでおられたようでしたわ」
エカテリーナの言葉に、マルドゥはぎくりとしたようだ。
「不快な思いをされたようでしたら、申し訳ありません」
「そのような。わたくしこそ、ぶしつけな言葉でしたわ。申し訳のう存じます」
「いえそんな」
マルドゥはあわてて首を振った。
「本当にすみません、大したことではないのです。もともと期待していなかった就職先が、無理だとはっきりしただけでして」
「まあ!」
エカテリーナは大きく目を見張る。
「それは、お辛いことでしたわね。わたくし一カ月教えていただいて、先生はたいそう学識深く、応用力にも富んだ有能な方と感じておりますの。その就職先は、せっかくの機会を逃がして残念に思うべきですわ」
「身に余るお言葉です」
マルドゥは破顔した。
「ですが、身の程知らずでした。アカデミーで研究者の職を得ることは、多くの学者の夢ですので。妻子を養わねばならない身で、夢など見るべきではなかったのです」
「就職希望先はアカデミーでしたの。先生は、ご家族がいらっしゃいますのね」
「はい、妻と三歳になる娘が。家庭教師として雇っていただいたおかげで、家族で食いつなぐことができまして、ありがたい限りです」
「三歳なら可愛いさかりですわね。お嬢様はさぞ愛らしいことでしょう」
「恐れ入ります。親馬鹿ですが、さいわい妻に似たようでして……いや、お嬢様にこんな話をお聞かせして申し訳ありません。本日の授業はここまでです、たいへんお見事でした」
「ミナ。次にマルドゥ先生がお出での時、お菓子をたくさんお渡しするよう厨房に伝えてちょうだい。小さなお子様がいらっしゃるのですって」
「わかりました」
いつもエカテリーナの側に控えているメイドのミナが、いつも通りの無表情でうなずく。紫髪ボブの美人で、話し方はかなりぶっきらぼうなのだが、よく気の利く忠義なメイドだ。
そんな会話を交わしながら部屋へ戻ろうとした時、声がかかった。
「エカテリーナ」
「お兄様!」
邸の廊下で行き合った兄アレクセイに、エカテリーナは顔を輝かせる。アレクセイも微笑んで妹に手を差し伸べたので、エカテリーナは喜んでその手に手を重ねた。妹の白い指先に、アレクセイは口付けを落とす。
ユールノヴァ公爵アレクセイは、弱冠十七歳。この若さで公爵としての責務をこなす彼は、どう見ても二十代に見えるほど大人びている。水色の髪に水色の瞳、片眼鏡がトレードマークの知的な顔立ちは、整っていればこそ冷たい印象だ。しかし妹を見る時には、彼はなんとも甘く優しく微笑むのだった。
「お会いできて嬉しゅうございます。お忙しいのではありませんこと、お疲れでは?」
「さあ、どうだったかな。お前に会った喜びで、自分が疲れていたかも忘れてしまった。今はただ幸せだよ」
「まあ、お兄様ったら」
今日もシスコンですね! 私も今日もブラコンです!
アホな心の声は、エカテリーナの通常運転である。
エカテリーナは前世の社畜時代から、アレクセイを知っていた。前世でハマった乙女ゲームの悪役令嬢の兄としてだ。攻略対象ではなかったが、好みにどストライクだったため、攻略対象そっちのけでどハマりしていた。
ゲーム内でもアレクセイは、シスコンすぎるキャラだった。転生して初めてわかったその理由は、両親も祖父母も喪った兄妹はお互いがたった一人の家族であること。アレクセイは長く幽閉されていた妹が不憫でならず、たった一目会っただけで喪った母への罪悪感を、よく似た妹への愛情にすり替えてもいるのだ。
そんなアレクセイはゲームの中で、悪役令嬢エカテリーナの悪事を一切止めず、一緒に破滅する。
ゲームの設定にこんなこと書いてなかった、二人とも可哀想! 破滅なんて絶対させません!
前世の記憶が戻ってすぐ、そう誓ったエカテリーナなのだった。
この後すぐに、エカテリーナは魔法学園に入学し、破滅フラグをへし折るべく奮闘する。
家庭教師のアナトリー・マルドゥは、そうとは知らないながら彼女の助けとなり、やがてユールノヴァ公爵家に思いがけない職を得ることになる。
物語の小さな断片、その光景である。
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角川ビーンズ文庫
『悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします』
浜 千鳥 イラスト/八美☆わん
続々重版出来・大好評発売中!
●待望の第二巻、2020年6月1日発売!
【あらすじ】
破滅フラグを折るのも、皇国滅亡ルート回避も――すべてはお兄様のため!
名門公爵家の悪役令嬢・エカテリーナとして転生した社畜アラサーの利奈。
ゲームでは知らなかった不幸な設定の悪役兄妹のため、最推し(非攻略対象)のお兄様・アレクセイのため、みんなで幸せになってみせます!
※くわしくはコチラから!
https://beans.kadokawa.co.jp/product/322003000265.html