兄を部屋に招待する妹達 その2

「おお……」

 室内に入った俺は、思わず声を漏らしてしまった。別に何か変わった様子だったってわけじゃないが、女の子の部屋に入ったって感動で、つい。

 机、タンス、本棚、ベッドなど、一通りの家具が置いてある普通の部屋だったが、全体的に落ち着いたシックな雰囲気で、いかにも菫らしい感じが出ていた。窓際に置かれた小さな観葉植物とかレースのカーテンなんて、お淑やかな菫にぴったりだ。

「やっぱ、昔とは雰囲気が違ってるな。成長したってことなんだろうな……」

 俺は昔の記憶を思い出しながら、感慨深く呟く。菫の部屋には子供の頃にも入った記憶があるが、その時はもっとこう、いかにも女の子っぽい部屋だった気がする。

「お、お兄さんに見られています……! 私の部屋をお兄さん、じっくりと……! こ、こうなったらもう、責任を取っていただくしか……!」

「なあ椛、菫は」

「気にしないで。発作みたいなものだから」

 事実、しばらくしたら収まった。なんなんだ。

「ん? こいつは……」

 そんなこんなで俺は菫の部屋を見渡していると、ふと壁に写真が貼られたコルクボードがあるのを見つけた。

「昔の写真じゃないか。懐かしいな」

 それは俺がこの家で厄介になってた頃の写真だった。

「はい、大切な記念です。お兄さんと一緒にいる写真を飾ってあります」

「ほんとだ、全部俺が写ってる……。でも、なんで俺の写真をこんなに飾ってるんだ?」

「そ、それは……!」

 菫が顔を赤らめて目を逸らす。その反応に、俺は思わずドキリとしてしまう。

 ……な、なんだ? なんか照れた感じでモジモジしてるし、さっきからチラチラと意味深な視線を向けてくるし……。

 俺はそんな菫の様子に、さっきまでのことも思い出しながら、ふとこんな考えを抱いてしまう。もしかして菫は俺のことを好きなんじゃないか、と――

「も、もちろんそれは、私がお兄さんのことをわぷっ!?」

「な、なにを言おうとしてたのかなーお姉ちゃんは?」

その時、何か言おうとしていた菫の口を、なぜか椛が突如ふさいだ。

「勘違いしないでねお兄ちゃん。これはお兄ちゃんを家族として迎え入れる練習のためにしてることだから。ほら、昔の感覚を思い出すみたいな? だから変な意味はないし、当然お姉ちゃんがお兄ちゃんのことを好きで好きでたまらなくてこんなことをしてるなんてことは絶対に、完全に、100%ないから。ねえお姉ちゃん?」

「も、椛、あなた、なんということを……!」

「約束」

「む、むむむ……! も、椛の言う通りです、お兄さん……! そんなことは、あり、ありません……! く……っ!」

 まるで血を吐きそうなくらい苦し気に言う菫に、そんな姉をこめかみに青筋を立てながら冷ややかな目線で見つめる椛。

 な、なんだかよくわからないが、俺は菫の口から直接考えを否定されたことで、残念に思いつつもホッとしてしまう。

 ……そんな目で見ないって決めたのに、何考えてんだ俺は。菫は家族としての善意から好意を見せてくれてるだけなのに「もしかして俺って好かれてる?」なんて思うとか、理想の家族を追い求める者としてはあり得ないことだった。反省しろ俺。

「そ、そっか、わざわざこんなことまでしてくれてたんだな。ありがたいよ」

 俺は気を取り直して、改めて菫の善意に感謝する。

 ……まあ、当の本人はなぜか椛と「むむむ」「うぐぐ」って感じで睨み合ってて聞いちゃいなかったんだけどな……。

「あれ? このスペースはなんなんだ?」

 とその時、俺はコルクボードの中心に不自然な空きスペースがあるのに気がついた。

「むむむ……! え? ああ、そこはこれからのためにあえて空けているんです」

「これからのためにって?」

「そ、それは――」

「はいはい、もうお姉ちゃんの部屋は見たでしょ? 次はあたしの番」

 何か言いかけた菫を、椛が間に入って遮る。

「も、椛、早くないですか? まだいろいろやるべきこともあるのに」

「部屋を紹介するだけなんだからもう十分じゃん。見せる物はもう見せたでしょ? やるべきことって何よ」

「そ、それは、……たとえばお兄さんが偶然クローゼットに触れて、運悪く中のものが散乱してしまい、し、下着が見られるようなハプニングが起きるかも――」

「お兄ちゃん、そのクローゼットには絶対触らないで。じゃ、あたしの部屋に行くよ」

 菫が「ああ、せっかくバランスまで完璧に計算したのに……!」と謎の台詞を呟く中、椛は俺の腕を引っ張ってさっさと部屋から出ていく。

 ……なんかものすごい問題発言があった気がするが、椛に訊いても「気にしないで。病気みたいなものだから」と真顔で一蹴されてしまった。

 廊下に出て、今度は隣の部屋へと案内される。

「え、えっと、ここがあたしの部屋。……ああもう、なんか照れるなぁ……」

 椛はドアを開けて俺を招き入れると、顔を赤くして拗ねたようにそっぽを向いた。

「これが椛の部屋か……」

 一方俺は、室内を見回しながら呟く。

 椛の部屋は菫のところと同じくらいの広さだったが、印象はまるで違った。

 机やタンスの上、ベッドの頭などに、ぬいぐるみや可愛らしい小物などがたくさん置かれているのがまず目につく。カーテンや家具のデザインなんかも、菫のところに比べて明るい印象だった。

 部屋の真ん中には小さなテーブルと、それを囲むように動物(猫かな?)をかたどったクッションが置かれていて、全体的にいかにも女の子っぽい部屋だ。

「い、言っとくけど、あたしの部屋に入った男の人は、お父さん以外はお兄ちゃんだけなんだからね? そこ、大事だからちゃんと覚えてて」

「え? それはどういう」

「深く考えなくても大丈夫ですお兄さん。椛はただ単に客観的な事実を言っただけで、そこに深い意味はありません。ええ、ありませんとも」

 恥ずかしそうに目線を逸らす椛に、なぜか冷ややかな反応を見せる菫。

 ……またなんか空気が変な感じになってるけど――うん?

「このぬいぐるみは?」

 その時ふと、俺はベッドの上に一つだけ毛色の違うぬいぐるみがあるのを見つけた。

 他は全部動物のぬいぐるみなのに、それだけはデフォルメ化されてるけど明らかに人間だってのがわかる。

「あ、ああそれは、お兄ちゃんのぬいぐるみだよ」

「へ? 俺のって?」

「だ、だから、そのぬいぐるみはお兄ちゃんをモデルにしたものなの。……そ、その、あたしが自分で作ったんだ」

「お、俺をモデルにって、なんでまたそんなぬいぐるみを? それに、ベッドの上にあったけど、まさかそれって……」

 ――もしかして、そのぬいぐるみを抱いて寝ていたりするのか?

 と、そんな疑問が浮かんだが、さすがに恥ずかしくて口には出せなかった。

 けれど、椛には俺の言おうとしたことがわかったみたいで、

「う、うん、まあ、その……」

 かあああぁと真っ赤になりながら頷く。

「ど、どうしてだ? わざわざぬいぐるみを作ってまで?」

「そ、それは、お兄ちゃんのことがうぷっ!?」

「……何を口走るつもりだったのですか椛?」

 バッと素早い動きで椛の口を手で覆う菫。

「お兄さん、誤解はしないでください。椛はあくまでお兄さんを家族としているための訓練として、そのようなことをしているにすぎないのです。ぬいぐるみを作ったのも、毎晩抱いて寝ているのも、あくまでお兄さんとの生活に慣れるための行為であり、決してお兄さんに対する身を焦がすような愛情の発露などではありません。よろしいですか?」

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん勝手に」

「約束はどうしました椛?」

「う、ぐぐぐ……! お、お姉ちゃんの言う通りです……! 単なる訓練で、ぬいぐるみ深い意味はありません……! うぐぐ……!」

 そう言いながらも涙目で睨む椛に、そんな視線などどこ吹く風といった感じの菫。

 ……な、なんかさっきも似たようなやり取りがあったけど、なんなんだ……。

 それはともかく、俺は椛の言葉を聞いてまたもや安堵のため息を吐く。

 家族だってのに、油断してるとすぐにそういう方面に誤解しそうになるから、俺の決意もまだまだ弱い。……いや、自分でいうのもなんだが決意自体は固いのに、それ以上にこの姉妹が可愛すぎるから困る。あんまり思春期の男子を惑わせないでほしい。

「そ、そうだったのか。でもぬいぐるみを自作するとか、椛って実は器用だったんだな」

 俺はそう言いつつ、熱くなった顔を冷ますように再び室内を見渡す。

「うん? これは写真立てか……?」

 とその時、机の上に奇妙なものがあるのを見つけた。大き目の写真立てのようだが、中には何も入っていない。それなのに、机の一番目立つ場所に置かれている。

「なあ椛、これは? 空っぽだけど」

「ああ、それはこれから写真を飾る予定なんだよ」

「へえ……。でも、何の写真を?」

「それは――」

「椛、お部屋の紹介は終わりましたし、一度出ましょう。説明はそこで」

 割り込んで遮る菫。椛は不満そうにムッとして、

「まだ早いじゃん。もうちょっとお兄ちゃんとお話してもいいでしょ」

「用件は済みました。それに、下手にとどまっているとあなたがどんな作戦でお兄さんにアピールしようとするかわかりませんからね。考えるだけで驚異です」

「あ、あたしはそんなこと考えてないし。お姉ちゃんと一緒にしないでよ」

 そんな椛の抗議もスルーして、菫は俺の背中を押して外に出るように促す。

 その途中、俺の足が床に置かれていた紙袋に当たって、中身が飛び出してしまった。急かされてたこともあって、前をよく見てなかったのだ。

「あ、わ、悪い」

 俺は慌てて拾い上げようとするが、その瞬間、ピシッと固まってしまった。

「どうしましたお兄さ――……なっ!? こ、これは……!」

 さらに、後ろから覗き込んだ菫も同じように硬直する。

「ぶ、ブラ……!? も、椛、どうしてこんなものがここにあるんですか!?」

 なぜなら、袋から飛び出してしまったものは色とりどりのブラジャーだったからだ。

「あああ!? み、見ないで! お兄ちゃん見ちゃダメ!」

「はっ!? ま、まさかあなた、お兄さんに見せるためにわざとここに……!? 私と同じことを考えてたというのですか!?」

「お姉ちゃんと一緒にしないでよ!? そ、それは、最近またブラのサイズが合わなくなってきたから昨日新しく買ってきたばかりのやつで、しまい忘れてただけだから!」

「ナチュラルにこんなことができるなんて……! しかも、ぶ、ブラとか……! やはりあなたは胸囲――もとい驚異ですね……!」

「ああもう目が怖いよお姉ちゃん!?」

 姉妹がなにやらギャーギャー言ってるけど、俺は散乱したブラジャーに釘付けだった。 頭の中にあるのはたった一つの単語のみ。即ち『デカい』。

「と、とにかく外に出てってば!」

 ほとんど体当たりされるような勢いで、俺は廊下へと押し出された。

 ドアを閉め、ハァハァと息を荒げながら、椛は真っ赤な顔で「い、今のは忘れること」と言ってきたので、俺はコクコクと頷く。家族なんだから、洗濯物とかで下着を見るのは自然なことだと何度も頭の中で繰り返しながら。

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