一章 大迫祐樹 その3

 映画の後は決まって感想戦をカフェですることになっている。

 月摘さんは長い名前の期間限定のカフェフラッペを頼んで、僕はカフェオレを頼んだ。

「いい映画だったね」

 大満足らしい月摘さんは未だに赤い目を少し恥ずかしそうに拭っている。

「本当にいい映画になってたね、二時間の枠でどう納めるのかすっごく考えられてたよね、削る部分と補填する部分の選択がしっかりできてたし」

「うん、でもやっぱり絵が綺麗になってて、アニメの時より入り込めたかな」

「作画はかなり良かったね、背景までかなり描き込まれて綺麗だった」

 感想戦は概ね褒める言葉が続いて、月摘さんは時々思い出したのか、涙腺を緩めていた。

「あっ、ハンカチは洗って返すね」

 目頭を拭う時に思い出したのか、手に持った僕のハンカチを見る。

「別にそのままでもいいけど」

「ダメ、かなりグチャグチャだから」

 それがいい、というのは流石に変態じみているから自重することにした。

「うん、でもアカも来られたら良かったのにね」

 僕の言葉に月摘さんは少し不思議そうな顔をする。

「私は祐樹君と来られて良かったけどね、二人だけでって初めてだし」

「月摘さんはアカと一緒に来たりしないの?」

「しないかな、祐樹君がいないとあんまり凛空君とも話したりしないし」

 それは意外な言葉だった。自分がいない時の二人の様子なんて知りようもないけど、きっと僕がいる時よりも親密なのだろうと勝手に思っていた。

「そうなんだ」

「それにアニメの趣味が合わないし」

「アカはバトル系が好きだもんね」

「だから今日、祐樹君と二人で来られて嬉しかったな」

 なんだか、僕の思っていた人間関係が微妙に間違っていると言われたような気がした。

 僕は赤根凛空と月摘知海という美男美女の間に存在する付属品で、アニメって媒体を通して彼らを繋げるだけのキャラだと思っていた。

「祐樹君はどうだった?」

「僕も」

 言いかけて、嬉しかったって言葉にどれほどの意味があるのかを考えてしまう。

「僕も?」

 言葉の続きを催促するように月摘さんが首を傾げた。

「僕も嬉しかったけど、月摘さんがデートなんて言うから変に緊張しちゃったよ」

 できるだけ変な意味にならないように僕は笑う。

 趣味が合うからと言って本来僕みたいなモブキャラが隣にいていい人じゃない。

「えっ、デートでしょ?」

 心底意外そうに月摘さんは目を丸くした。

「あれって冗談じゃ」

「ないからね」

 僕の逃げ道は食い気味に否定された。

 いつの間にか、会話が地雷ゲームの様相を呈している。

 いやいやいや、ない。月摘さんが僕を好きだって可能性はない。

 こんなに可愛くて、アニメが好きで、素敵な女子がモブキャラの僕を好きだなんて可能性はない。

 月摘さんは僕の言葉を待っているように見つめて来る。

 明るい茶色の吸い込まれそうな瞳から目を逸らせない。

 ここで少しでも友達以上の好意を示唆するような言葉を使えば、これまでの関係さえ失ってしまうに違いない。

「それじゃ、そろそろ帰ろっか」

 なんとか絞り出した言葉に、月摘さんは少し不満そうながらも頷いてくれた。


 バスに乗るまで、気まずいのとは少し違うなんとも言えない沈黙がずっと流れていた。

 月摘さんは窓側に座って外の風景を見ている。

 隣に座った僕は、微妙に近いバスの座席の距離感に落ち着かないまま、月摘さんの横顔越しに外を見ていた。

「て」

 小さく月摘さんがつぶやく。

「て?」

 僕の言葉に応えるように月摘さんが右手を中央の肘掛けへと掌を上向きにおいて開く。

 僕を待っているようなそれに、少し戸惑いながら左手を被せた。

 柔らかい月摘さんの右手がしっかりと僕の左手を握り返す。

「祐樹君ってさ、凛空君のことすっごく意識してるよね」

 こっちを向かないまま月摘さんの手が少し熱くなったように感じた。

 その熱が伝染したように、僕の頭も火照って本心以外の言葉が思いつかない。

「アカは主人公だからね」

「祐樹君は違うの?」

「僕はモブキャラだから」

「モブキャラじゃないよ」

 振り向いた月摘さんと目が合う。

 夕日が照らすような時間でもないのに、月摘さんの頬は赤く染まっていた。

 きっと僕の頬も同じように染まっているのだろうと、熱っぽさを感じる。

 次に言うべき言葉が見つからない。いや、多分僕はその言葉を知っているけど、それを言う勇気がない。だから僕はモブキャラなんだ。

「お降りの方はボタンを押してください」

 運転手の声が僕たちの降りるバス停を告げる。

「月摘さん、ボタン」

「名前で呼んで」

 僕の方を見たまま、月摘さんは手をきつく握った。

「ち、知海さん」

 単語ではなく、名前として口にするとその新鮮な感触になにかが塗りつぶされてしまうような気がした。

「やっぱりさん付けなんだね」

 いつものように笑って、月摘さんは右手を離し、ボタンを押す。

「次、停まりまーす」

 まもなくバスが停まり、僕は立ち上がる。

 左手と顔が空気に晒されても全然冷める気配がないまま火照っていた。

 先にバスから降りた僕の背中に甘い匂いが覆い被さる。

 匂いは感覚を連れてきて、直ぐに月摘さんが後ろから抱きついているのだと分かった。

 柔らかいとしか形容できない感覚が背中を占領する。

「祐樹君も私にとっては主人公だよ」

 走り出すバスのエンジン音に紛れて、月摘さんの声がした。

 同時に月摘さんが離れる。

「じゃあねっ」

 振り返った時には月摘さんは既に走り出していた。

 僕より少し低い身長、大きくない歩幅、柔らかに揺れる髪、そのどれもが現実ではないように思える。

 僕は全く収集のつかない頭で、彼女を見送ることしかできなかった。


 未だに普通の思考を取り戻せていない僕はなんだか軽く宙に浮いたような足取りで家へと帰り着いた。家のにおいが非現実から僕を少しだけ現実へと引き戻す。

「ただいま」

 返事がない。母さんは夕食の買い物にでも出掛けたのだろう。

 部屋でゆっくりと頭を冷やす必要がありそうだ。

 その上で、月曜日どう月摘さんと接するかを考えないといけない。

「やぁ、おかえり」

 自分の部屋のドアを開けた僕を迎えたのは、見たことのない男の子だった。

「えっ?」

 おかっぱに切りそろえられた髪と子供用のタキシードをしっかりと着こなした男の子はとても時代錯誤に思える。明らかな異物に思考が上手く動かない。

「まぁ落ち着きたまえ、ここは君の部屋だろう、座ったらどうだ?」

 見た目に似合わない口調で男の子は僕の学習机の椅子を引いて、僕に座ることを促した。

「君は誰、ですか?」

 迷子やその類いにはとても見えない落ち着きを持った男の子に思わず敬語になる。

「誰、うむ少し難しい質問だが、名前ならいくつもあってね、そうだな、便宜的ににぎ抄造しようぞうとでも呼んで貰おうか、最も使っている名前だからね」

「和さん?」

 促されるまま椅子に座り、男の子と目線が同じくらいになった。

「よろしい落ち着いたかな、君に朗報を持ってきたよ」

 彼はジャケットのポケットから指輪を取り出し、僕へと差し出す。

「君へのプレゼントだ」

 手渡された指輪は金属製で、小さい真っ黒な石が固定されている。

「はめてみるといい、どの指でも構わないよ、指に合わせて大きさが変わるようになっている」

 男の子は当たり前のように、当たり前ではないことを言った。

 試しに右手の小指にはめてみると、全く違和感なく指輪はフィットした。

 外して、人差し指にはめてみても同じようにフィットする。

「形状記憶とかそういう」

「異能だよ」

 男の子は聞き慣れない単語をさも当然と言う。

「えっと」

「君も持っているだろう、異能を」

 中学生の頃ならそういう妄想をしたこともなくはないけど、現実に自分がそれを持っているわけではない。その程度の分別はある。

「えっと、和さんはなんでここに」

「その指輪は大会参加のチケットなのさ、そして得るべき宝物でもある、なくさないようにしてくれたまえ、なくしたら死ぬからね」

「死ぬって」

 過度な誇張や冗談の類いとは思えないテンションで言う男の子に少し笑ってしまう。

「本来の性質とは異なるのだが、無闇になくされても困るからね、大会期間中だけそういう性質を付与させてもらったよ」

「大会?」

「異能者による生存と願望をかけた大会だよ、君たちにはその指輪をかけて戦って貰う、指輪を全て集めた者、まぁ必然最後まで残った者が勝者となり、その時その指輪は賢者の石になる、聞いたことくらいあるだろう、いかなる願いも叶えることができる石だよ」

 男の子はすらすらと、何一つ疑問はないだろうと言わんばかりに語る。

「あの、全然わからないんですけど」

「奇妙だな君、他の者は割とすんなり受け入れたが、ああ、忘れていた、一つ君の願いを疑似体験させてあげることができる、時間はそれほど長くはないがね、そうすれば直ぐにわかるだろう」

「願い、ですか」

「君も人の子だ、なにかしらあるだろう?」

 男の子はにやりと笑った。その表情は願いを叶えてくれる妖精と言うより、対価を求める悪魔のようだ。

「いえ、特には」

「つまらないことを言うものではない、凡人ならいざ知らず、異能者がなんの願いも持たないなどあるはずがないだろう」

 僕はその凡人なんだから仕方ない。本心を言えば、願いが全くないわけではないけれど。

「まぁ、体験するもしないも自由ではある、言ってみればこれはモチベーションの為のサービスに過ぎない、しかし、賢者の石の力をいぶかしむのなら経験しておくべきだろう、その気になれば世界さえ変え森羅万象を手中に収めることのできる力だ、なにより実際にそれを手に入れることができるのはたった一人、擬似的にでも願いを叶えればよかったなどと後から悔やんでもつまらないだろう?」

 世界を変えるなんて言われても、僕はこの世界にそれなりに納得している。森羅万象なんて言われても漠然としすぎてて、実感が湧かない。

「もう一度だけ聞くが、君の願いはなにかな?」

 男の子はもう一度、にやりと笑った。

 言うことを信じたわけではないけれど、そこまで言うならやってもらおう。

「特別」

「ん?」

 でもきっと僕の願いは叶わない。僕が変えたいのは世界じゃなくて自分だから。

 一瞬、アカの顔が脳裏を過った。

「特別な存在になりたいんです、主人公に」

「わからない願いだね、まぁしかし賢者の石なら汲み取ってやるだろう、この石を見てその願いを思い浮かべなさい」

 男の子は指輪に嵌まっているのと同じような黒い石を僕の前へと差し出した。

 言われるままに、その石を見つめる。

 まるで電流が走ったような衝撃が一瞬、身体の中を駆け抜けた。

「なるほど、それが君の願いかね、鏡を見るといい」

 鏡に映っていたのは、アカだった。スポーツができて、頭がよくて、格好良くて、僕にない全てを持っている主人公。

 手を動かすと鏡の中のアカの手が動く、視線の位置がいつもよりも高い。僕は紛れもなくアカになっていた。

「変身願望はよくある願いの一つだな、理解できないが否定はしないでおこう、さて時間だ」

 男の子が言うと、目の前が白くなり、次の瞬間には鏡に映っているのはいつもの冴えない僕になっていた。

「今、本当に?」

 にわかには信じがたい現象が僕の身を通り過ぎたことを上手く飲み込めない。

「君も異能者ならわかるだろう」

「僕はそんなんじゃないです」

「おかしなことを言う、そうでなければ指輪を持ってきたりしない」

「でも、そんな力、僕には」

「その歳になるまで自らの異能に気がつかない人間がいるのは面白い、しかし君が納得するまで待つ暇はなくてね、これを引いてもらえるかな?」

 どこから取り出したのか、男の子はいつの間にか両手で箱を抱えていた。

 その上面には手が通るように丸い穴が開いていて、薄暗い箱の中には数枚の紙が見える。

「引くって」

「クジ引きくらいやったことがあるだろう」

 男の子は急かすように箱を目の前へと持ち上げた。

 今度はどんな不思議なことが起こるのだろうと、少し恐れながら手を箱に入れて、紙を一枚取り出す。

 しかし特に不思議なことは起こらなかった。

「広げて見るといい」

 四つ折りにされた紙を広げると、中に赤い丸が書かれている。

「おお、おめでとう、当たりだ」

「当たり?」

「ああ、これも説明していなかったか、毎週土曜日、君たちにはクジを引いて貰う、当たったら日曜日の二十二時から対戦だ、外れたらまた来週までお預け、総勢十三名の異能者が最後の一人になるまでこの形式で対戦を繰り返してもらう、これが大会の概要というわけだ、そういう事だから君は明日戦って貰う、会場は、そうだな工場跡地にしよう、街外れのあそこだ、わかるだろう?」

「い、いや、ちょっと待ってください」

「遅刻と欠席はしない方がいい、どうせ死ぬのなら戦って死にたいだろう?」

「えっ、死ぬって?」

「何を驚く? 異能者がその力を用いて願いをかけて戦うのだから、どちらかの死亡以外に決着の方法など有り様筈もないだろう」

「そんな、僕には異能なんて」

「何度も同じ事を言うのは好きではないのだが、君に異能がなければここには来ていない、なにか発動条件が特殊なものなのかもしれないが、まぁ対戦までにわかることを期待しているよ」

「ちょっと」

 言いかけた時には、部屋のどこにも男の子の姿はなくなっていた。

 夢?

 ではないことを人差し指にはまった指輪が教える。

 今日という日の情報量が多すぎて、頭がクラクラした。

 月摘さんのことだけで頭が軽くキャパオーバーなのにその上で、異能?

 そんなものが僕にあったのなら、こんな平凡なモブキャラみたいな人生を歩んでいるはずがない。そんなこと誰に言われるまでもなく僕が一番よく知っている。

 賢者の石に異能。ラノベを読みすぎた夜だってもっとマシな夢を見る。

 その上に殺し合いなんて、現実離れしすぎてて冗談にもならない。

 でも、あの和抄造と名乗った男の子が嘘や冗談を言っているようには思えなかった。

 なによりあの瞬間、僕は間違いなくアカになっていた。

 完全に信じたわけではない。ただ、あり得ない経験をしたことだけは間違いなかった。

 万が一、なにかの間違いで僕に異能があるってことも本当かもしれないと微かに思った。

 それでも信じたわけじゃない。

 ほんの少し考えただけだ。

 異能があるのなら僕は特別になれるのかもしれない。

 主人公になれるのかもしれない。

 月摘さんに見合うような。

 自分の手を見る。至って普通のつまらない手だ。

 こんな僕に異能なんて、まだ疑っている方が大きい。

 でも、あの男の子が言ったことはやっぱり全くの嘘にも思えなかった。もしくは、少しでも自分が特別かもしれないって可能性を信じたいのかもしれない。

 あの子の言うことが本当に本当なら、明日の二十二時までに異能を見つけなければ僕は殺される。それこそ悪い冗談だろう。まだ死にたくはない。

 警察に通報しよう、そんな考えが頭を過る。

 それで僕はなんと説明するつもりだろう?

 知らない男の子が異能者に賢者の石をめぐって殺し合いをさせようとしている。

 そんなことを言ったら十中八九いたずらだと怒られるか正気を疑われる。

 きっと誰に言っても同じ反応になるだろう。

 つまり、僕の選択肢は二つだった。

 あの男の子の話を夢か冗談か、そういうなにかとして流すのか。大真面目に受け止めて、今から必死に自分の異能を探すのか。

 どちらにせよ、明日の二十二時が来れば結果はわかる。

 信じたわけじゃない。

 でも、僕が特別になれる可能性が少しでもあるなら答えは決まっていた。

 発動条件が特殊な異能を見つけ出さなければならない。

 これまでの人生で一度もしていないこと、例えば逆立ちしながら歌うとか……?

 それで発動する異能ってなんだよ、と思いつつも軽くやってみる。

 当然なにも起こらない。

 夕食さえ食べずに、ひたすら思いつくままに普段やらないようなことを試してみる。

 疲れているはずだったけど、変な緊張が続いて眠さがやってこなかった。

 思い付く限りを試し、窓の外が白み始め全裸で自分の尻を叩きながらベッドを上り下りすることまでした所で、いよいよ自分がナニをやってるのか分からなくなってきた。

 ダメだこんなんじゃ埒があかない。冷静になるために取り敢えず服を着て、床に座る。

 そして、薄々感じていた可能性について考えてみた。

 これだけやって、これまで生きてきて、発動したことのない異能。

 そして、万が一、僕がこの世界で主人公なのだとしたら、持ち得るべき異能は一つなんじゃないのか?

「異能を打ち消す異能」

 呟いて、それが妙にしっくりきたような気がした。

 確信のような感覚、僕の異能はきっとそれだと思った。

 異能の目星がついたところで少し気持ちが落ち着いて、そう言えば帰ってから一度もスマホを見ていないことを思い出す。

『今日は楽しかったね、変なことしてごめんね、でも最後に言ったことは嘘じゃないから』

 開いて直ぐに目に入ってきたメッセージに、死ぬわけにはいかないと強く思った。

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