序章 四角い世界 4

「うわっ、なんすか、これっ!?」

 酒の買い足しを終え、プレイルームに戻ってきたネズミが悲鳴を上げた。そこには、机からこぼれ落ちたNカードが一面に散らばっていたからである。

「うわっ、なんだこりゃ、Nカードだらけじゃないかっ……。どういうことだ、これ? ……おっ」

 続いてビニールの袋を下げた手ぬぐいが入ってきて、似たような反応を示す。カードを踏まないように注意して中に進み、そして、ガチャの席に座ったままかがみ込んでいるアキトに気づいた。

「……おいおい、まさかこれ、全部アンタ一人で引いたのか? ひどいなこりゃ、ほとんどNカードじゃないか。チケット、何枚放り込んだんだよ。……おい?」

 話しかけても、返事がない。不審に思ったネズミと手ぬぐいが顔を見合わせると、やがてアキトは彼らに背を向けたままボソボソとつぶやいた。

「……ずっと、思ってたんです。挑戦しても、多分無駄だって。……俺は、運が無い。人と同じレベルのものすら引けないって。俺は、くず運だ……やはり、ガチャは向いてないんだって」

「……あ、ああ……。ま、まあ、元気出せよ。ガチャなんてしょせん運じゃないか。落ち込むことないさ」

 どうやらアキトが爆死(ガチャで大敗することを人はそう呼ぶ)したらしいと気づくと、手ぬぐいはぬるい笑顔でフォローに入った。他人が爆死した時は慰めるのが普通だ。

 だが一方のネズミは、ニヤニヤと汚らしい笑顔を浮かべると小馬鹿にしたような声色で言った。

「まっ、そんなもんすよ。クズがいきなり大勝負したって勝てるわけがないんす。普通はね。まーあんたもこれに懲りたら身の程ってものを……」

「……でも」

 ネズミの言葉を遮り、アキトが身を起こした。

 そうして、うれしげに、誇らしげに、抱きしめていたカードを掲げてみせる。そこには……。

「……最後に残った一枚を、俺は引けた。俺は……不運なんかじゃ、なかった」

 たしかに、ランクSRのカード……【秘書カード:金銭特化NO.371】と書かれたカードが握られていた。

「……うっ、うおおおおっ! SRカードじゃないか! あんた、当てたのかよっ……」

「えっ、う、うそっしょ!? 俺でもSRなんてこの前の一枚しか当てたこと無いのにっ!」

 手ぬぐいとネズミがわっと飛び込んできてそれをのぞき込む。部屋の照明に照らされたそれは、たしかにSRの輝きをたたえていた。

「……」

 アキトは、すずがゴットカードにしたように、そのカードをいとおしげにぜた。人生初のSR。己の人生の、相棒となるべきカードだ。


【秘書カード:(金銭特化)NO.371】

私ぃ、お金とかだぁ~い好き! 世界中の富が欲しいナッ! ──とある秘書カード


 そのカードには、わずかにそれだけの情報が刻み込まれていた。

 カードのキャラクターイラストの場所には、美しい銀髪の少女がこちらに向けて笑顔と共にウィンクを飛ばしている。可愛かわいらしい顔だった。

「……たしかに、最後の一枚を引くぐらいじゃないと自分には引けないと思ってたけど……。まさか、本当に最後の一枚とはね」

 そう、このカードはガチャの底の底。最後の一枚に埋まっていたものだった。ガチャのカード残数は見事に0を表示し、完全に沈黙している。

 アキトのチケットすべてを賭け、その上をさらに積み上げてようやく届いた女。なんて高い女だろう。それだけに、すでにアキトはそれに愛着のようなものを感じ始めていた。

「あ~も~……! なんなんすか、もう……! なにSRとか引いてんすか!? これだけやって当たりを引かない、それが底辺ってもんでしょ!? もー……白けるなあ……! こんなん引けるなら、十分強運じゃないっすか! あーもーすずのウンコ野郎と同じぐらいむかつくっすよー!!」

 激発したようにネズミが叫ぶ。言っている内容は完全にくずだが、今のアキトには響かない。

「そうですね、馬鹿な勘違いでした。もう二度と俺は、自分を不運だなんて思いません」

「……で? それ、どうするんだよ。売れば結構な金になるんじゃないのか? 売って豪遊でもするのか」

 感心した様子で手ぬぐいが尋ねる。たしかに秘書カードは、売れば相当まとまった金額になるだろう。CVCに挑戦したいやつはきっとごまんといる。売るのはたやすい。だが。

「いいえ、これは売りません。自分で使うんで。……〝コール〟」

「えっ?」

 驚く二人を尻目に、何気ない動作でアキトは解放の呪文〝コール〟を唱えた。その瞬間、カードからせんこうが放たれ、煙が漏れ出す。

 そうして、それが収まった後には……カードイラストと全く同じ小柄な少女が、目をつぶったままそこに立っていた。

「うおおっ……。これが秘書カードっすか……!」

「…………」

 ネズミが感嘆の声を上げる。少女はやがて目覚めるように目を開けると、一同をくるりと見回し、少し思案げな顔をした後、突然に勢いよく右手を振り上げた。

「……いいいやっほう! ご使用ありがとうございます、マスター! 私こそは、金銭特化秘書にしてお金の申し子! あなたに巨万の富をお約束する、秘書カードの中の秘書カード! その名もおおおおおっ……」

 そして叫んだかと思うと、くるくるとその場で回りだす。ぼうぜんと見守る一同の前でやがて回転を止めると、びしり!とポーズを取りながら、

「キャロル・オールドリッチちゃんでーす! あなたの財布をぉ……ぶちぬくぞっ♡」

 と、飛び切りの笑顔で決め台詞ぜりふらしきものを吐いた。

「…………………………」

 真顔になったネズミと手ぬぐいが、ポーズを決めたままのキャロルと名乗った少女をじっと見つめる。アキトに関しては、相変わらず表情が読めない。

 誰も何も言わないまま時間が流れる。その冷たい沈黙の中、キャロルは、

(やべっ……滑った……)

 と、引きつった笑顔のまま心の中でつぶやいた。

「……なんなんすか? これ」

「そこっ! これ、とか言わない! 敬意と尊敬を込めて、キャロル様とお呼び! キャロル様と!」

 あきれた声を出したネズミに、可愛かわいらしい声を張り上げてキャロルがえる。どうやらなかなかに愉快な性格をしたカードのようだ。

(さすが、ギリギリまで出てこようとしなかったカード。並じゃないな)

 アキトはころころと表情を変える彼女を見つめながら心の中で呟く。

 細身の彼女は銀色の美しい髪を後ろで編み込みおさげにしており、それが動き回るたびに猫のしっぽのように揺れる。

 ふわりとした藍色のトップスに(なんという種類の服なのか、当然ながらアキトにはわからない)、妙に短くふりふりと揺れるスカートを穿いており、そこからは黒タイツに包まれた美しい脚がすらりと伸びている。

 目元は猫を思わせる僅かな鋭さを持っており、身長は、アキトの胸にとどくかとどかないかぐらい。おそらく150センチほどだろう。そして、ついでに言えば……その胸は、実にへいたんであった。

「……え、うそだろ……? これが、秘書カードなの……? こんなのが? ……これが、一千万以上するの? マジで?」

「だから、これとか言うな! 失礼なやつらねー! そのうち、経済的に追い込んでやる! 主に借金とかで!」

 ぼうぜんつぶやくネズミと手ぬぐいにキャロルがキレ散らかす。とりあえずあおり耐性はないらしい。だがやがて自分を見つめるアキトに気づくと、テコテコと歩いてきて笑顔で手を差し出した。

「はーい、マスター! 初めまして、さっきも言いましたが、キャロル・オールドリッチです。今日から期限切れの一年後まで、全力であなたを補佐しますね! どーんと信用して、財布とか預金通帳とか内臓とか預けちゃってください! どーんと!」

「ああ。よろしく頼む。……内臓?」

 そう答え、その手をにぎる。その手はとても暖かく、特別な感触を持っているようにアキトには感じられた。

 ……自分だけの、秘書カード。夢の、入り口だ。

「俺の名は、たかつきアキト。好きなように呼んでくれ。……俺のもとに来てくれてうれしいよ。君を、歓迎する。ええと……」

「あはは、よろしくおねがいします、マスター。私のことはキャロルでもキャロでもお好きなようにお呼びを。……ちなみに、歓迎してくださるというのなら形としてまずはダイヤのネックレスでも買ってくれたら早速好感度が爆上がりできっと私たちいい感じになれるとおも」

「今はそんなにお金がないからとりあえず言葉だけね。本当にありがとう、キャロ。君は最高だ」

 なにか都合の良いことを言おうとしていたキャロの言葉を遮ってアキトが言葉を伝える。……こいつ、好きにさせたらやべえな、という感想を腹に隠しながら。

(あー、優しいけど財布のひもはしっかり固いタイプかー。この手が一番攻略難しいんだよねえ。でも、いつかキャロルが貴方あなたの口座をカラにしちゃうゾ☆)

 キャロはキャロで、ニコニコ笑顔で物騒なことを考えている。つまりは、そういうマスターとそういう秘書カードなのであった。

「じゃ、行こうか。もうここには用がないし、辞表を出してくるよ。その後、大きな街まで出よう」

 そう言うと、アキトが歩き出す。

 その背中をとてとてと追いかけながら、キャロルが返事をした。

「はぁ~い! ところで、私をコールしたということはぁ、カンパニー設立が目標~、で、よろしいんでしょうか? ますたぁ」

「ああ、もちろんだ。まずは起業を目指す。よろしく頼む、キャロ」

「らじゃっ! お任せください、なにしろ私は金銭特化の秘書カードですからねっ! お金稼ぎは大得意っ!! 弱者からお金をだまし取ったり弱者から間接的に搾取したり弱者に自主的にお金を出させたりが大得意です! もー頑張っちゃうぞ! 主に悪徳の方で!」

「……弱者からまくるのは程々にする方向で頼む」

 などと益体もないことを掛け合いつつ二人は行ってしまった。

 早々に気が合った様子の二人を見送り、ネズミがぼうぜんつぶやく。

「……なんなんすかねえ、あれ……」

「さあなあ……変わったやつだったからな。変わったカードと気が合うんだろうさ」

 同じくあきれた様子で手ぬぐいが返す。本当に変なやつらだった。

 だが……あいつらと自分たちとでは、これから生活が大きく違うものになるだろうということははっきりしている。

 自分たちは、これからも何も変わらない日常を過ごし、一方のアキトたちはまるで違う何かを始めるのだ。それが、少しだけ羨ましかった。

「……まあ、でもあいつ、この大量のNカード忘れてったな。もらっちまうか」

「あ、そっすねー! ほとんどゴミだけど全部売りゃ酒代の足しぐらいにはなるっしょ! じゃあ、ありがたく……」

「ちょっと待ったぁー!」

 二人がそこまで言ったところで、出ていったはずのキャロが再び部屋に飛び込んできた。驚く二人を尻目に、すさまじい勢いで散らばっていたカードを拾い集めていく。

「あっ、ちょっ……」

「もーマスターったら大事なオゼゼの元であるカードを忘れちゃうなんてしょうがないなあー! これはこのキャロちゃんがありがたくポケットにナイナイしてあげましょうねっと……うーん、安物ばっかり! さてはあいつ、ガチャ運死んでんなー!?」

 などとまくしたてながら、キャロはあっという間にすべてを拾い集めると、

「ではでは、今度こそさらば! せいぜい君たちはしょぼくれた人生を楽しんでくれたまえー。アデュー!」

 と言葉を残し、猛烈な勢いで行ってしまう。

「……ほんと……なんなんだ、あれ……」

 そうして、後にはぼうぜんつぶやく二人だけが残された。


 ──かくして、たかつきアキトと秘書カードのキャロルは出会いを果たした。

 はたしてそれがどのような結果を生むかはまだ誰にもわからない。

 そう……たとえそれが、運命をつかさどる女神だったとしても。

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