序章 四角い世界 1-7
「さあ……もういいでしょう。俺をこのゴミ
「はーい。でも、もう本当に仲間の皆に言うことはないの? もう戻ってこれないよ? 後で正気に戻って後悔しても遅いよー? お別れしなくて大丈夫?」
メイアが気を使ってそう言うと、ようやくそれに気づいたと言わんばかりに鈴木がアキトの方を振り返った。
そして、にこりと天使のような微笑を浮かべると自信に満ちた足取りで歩み寄ってくる。
「そう言えば、一つ忘れていましたね……。アキトくん。これを受け取ってくれ」
「えっ……」
そう言うと、鈴木はまだ自分の手元に残っていたチケットの残り、その120枚ほどを差し出した。戸惑うアキトの手を取り、無理やりそれを握らせる。
「いい思い出なんかない場所だったが……君のおかげで俺はゴットカードを手に入れた。これはそのお礼だ。大したものじゃないが受け取ってくれ」
「……いいんですか? 苦心して
「いいんだ。もう、俺には必要ない」
薄汚れたそれを手放すと、アキトの顔を見て言葉を続ける。
「もしかしたら、幸運が残っているかもしれないしね。……ありがとう。いつか君がゴットカードを引いて神の世界で再会できる日を願っているよ」
そうして
そして、アキトの手を握り固い握手をする。その手は、先程の握手とは違い汗ばんでもなく、また鉱夫らしいゴツゴツして荒れた感触でもない、柔らかく、そして冷たい手だった。
「……それでは、ありがたくいただきます。……鈴木さん、どうか、お元気で」
「ああ、君も。……じゃあね」
そう言うと、鈴木は手を放し行ってしまう。
そうして、アキトの手元には、彼のチケットとその冷たい感触だけが残った。
「さあ、では行きましょう女神様」
「はいはーい☆ じゃーみんなぁ、今回はメイアのガチャを回してくれてありがと~! 皆のおかげで、とおっても楽しいイベント期間だったよ☆ ありがとうねー!」
「ああっ、メイア様っ、どうか行かないで! やだああ!」
「ああああっ、俺も連れてってくれええ! 一人ぐらい多くても良いでしょう、頼む、こんな仕事もう嫌だぁ!」
女神との別れの時間がきたと気づいた鉱夫たちが口々に叫ぶ。だが、女神メイアはちっちっちと指を振って笑顔で答えた。
「だーめ、連れていけるのはゴットカードを当てた人だけだよ! 皆もこっちに来たかったら、頑張って当ててね! 次のシーズンはぁ、
そう言うと、すっと鈴木の腕に自分の腕を絡め、女神メイアは空いている方の手を高く掲げ光を放ち始めた。
「じゃあ、皆に幸運の光があらんことを! ゴッド☆ブレス☆ユー! ……ばいばーい!」
そして、その輝きが最高潮に達し、次の瞬間には、鉱夫たちの
「……行っちまった……。はあ……信じられねえ……。夢見てるみたいだったぜ……」
「女神様……ほんとすげぇ……。ああっ、あの輝きが頭から離れねえっ……。ちくしょう、また会いたいよぉ……。ああっ、あの野郎、羨ましいなんてもんじゃねえ! ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!!」
気がつけば、プレイルームもきらびやかなステージから元の薄汚れたもの……いいや、あの輝きの後ではもっとくすんで見える部屋に戻ってしまっていた。
まさに夢見るような時間は夢から覚めるように終わってしまい、後には薄汚れた自分と仲間、そして
「ああっ……俺が手に入れるはずだったのに……。あの野郎、ムカつく、ムカつくっすよぉ……ちくしょうっ……」
「……俺は、虫じゃない……虫じゃ、ない! 取り消せよっ……取り消せよ、あの野郎っ……。ああああっ……ちくしょう、ちくしょおおっ……」
ネズミと
ガチャを当てた者と外した者。この世界において、両者にはあまりにも無残な格差がもたらされる。
やがて、熱気に当てられていた鉱夫たちの頭も冷え、ついにはよたよたと三々五々散っていく。プレイルームには、ほんの数人が
「……はあ。毒気を抜かれちまったな……なんだありゃ。ゴットカードってのはあんなもんか。思ってたのとは、相当違うな……」
「納得できませんでしたか?」
「ああ、まるでできんね。外見も変わる、おつむも変わる、生活も変わる。見たかよ、おっさんのあの
「そうですか」
「人間ってのはよ、てめえのままで成功するから意味があるんだ。なにもかも〝成功したビジョン〟にすり替えられちまったらそりゃもう自分じゃねえ。〝成功した何か〟に乗っ取られただけだと思う。俺は」
「……」
なんと言えばいいのかアキトにはわからない。
それを自分には決めることができない。アキトは、そう思った。
「それにな、なんだよ〝ゴットカード〟って。神が出てくるカードなら普通は〝ゴッドカード〟だろ。どういう意味なんだ、ありゃ? うさんくせえったらありゃしねえ」
「そう言えばそうですね。考えたこともなかったです」
子供の頃から存在を知るそれの意味など考えたこともなかったが、たしかにそうだ。
ゴットカード。その名には確かな違和感があった。
「いつかゴットカードを当てて、願いを
そう言うと、指田はタバコを
「あなたなら、うまくやりそうですね」
「そりゃどうも……じゃあな」
感情のこもらない言葉でそう返すと、
それを見送ると、アキトはひとつ小さくため息をつき、やがて部屋の奥に鎮座するガチャに歩み寄った。
その残数は、
残り、14万ほど。そしてその画面には、ゴットカードを引かれてしまい、大半の人間にとって魅力を失った中身が
「…………」
特に表情を動かさず、それに己のチケットを一枚投入する。それに気づいた鉱夫の一人、まだプレイルームに残っていた者が
「おいおい、あんた! なにやってんだよ、そのガチャもうほとんど当たりが残ってねえぞ。少ししたら新シーズンに入れ替わるんだぜ、いま回すともったいねえぞ」
「ええ、わかってます。けど、1日1回回すのが日課なんで」
親切心からかけられたであろう言葉にそう返す。アキトにとって一枚引きは仕事の後の決まった行事だ。何かがあろうと、回すことには変わりがない。
「はー、アンタ変わってんなぁ……。まあそれでも数百万ぐらいの価値があるらしいのは、いくつか残ってるけどよ、どうせなら大当たりがある時に引くもんだろう。もったいねえなあ」
そう言うと、
その背中を見送りもせず、気負うところのない様子でアキトはガチャのボタンを押した。
するとほとんどタイムラグもなく、テテーン、と軽い効果音がなり、特に演出もなく、しゅっとカードが排出された。くすんだ灰色のカード。
最低のレアリティに位置する、レアリティNのカードだ。
いわゆるガチャのハズレ枠であり、大体が数百GPの価値しか持たないレアリティであり、そして……アキトの手の中のそれは、その中でも特に価値の無いものだった。
「……【ダンゴムシ】……」
レアリティNカード、【ダンゴムシ】。〝動物カード〟と呼ばれる種類のものであり、コールすれば中から一匹のダンゴムシが出てくる。
世にハズレカード
「……またこういうのか」
はあ、とため息を
──そう、このアキト。ガチャ運が人生を決めるこの世界において、まさに致命的なことに……異様なほど、ガチャ運がなかったのである。