序章 四角い世界 1-3

「おほおおおおおおおお!!」

 踊り子のような衣装を身にまとったそれが、甘い声と共にネズミのほおに口づけをする。

 ネズミはたまらず奇声を上げ、周囲からは羨ましがるようなため息が漏れた。

「〝シチュエーションカード〟、【踊り子との愛とけんそうの日々】か……さすがランクSRのシチュエーションカードだ、出てくる女もマブいぜちくしょう!」

「ああー、くそ、いいおっぱいしてやがる……。あんなネズミ野郎にはもったいないぜ! ちくしょう、ガチャってのは不公平だ!」

 などと盛り上がっている鉱夫たちから少し離れた位置で、すずつぶやいた。

「ランクSRを引いたのか! たいしたもんだ、ありゃめつにお目にかかれないぞ」

「ええ、SRのシチュエーションカードを引いたみたいですね。なるほど、そりゃ盛り上がる」

 納得した様子の鈴木にアキトが返す。その視線の先には、プレイルームの奥に設置された四角い箱のような機械があった。

 ネズミたちが熱狂しているそれは、女神が人のために設置した〝ガチャ〟と呼ばれる装置だ。その装置に労働の対価として得られるチケットを投入することで、多数の魅力的な品を手に入れることができる仕組みなのである。

 その中に込められた品はまずカードの形で排出される。

 その中身は食料や貴金属など即物的なものから、人の身ではどういう仕組みなのかすら理解できない超常現象を引き起こす宝まで様々であり、ネズミが手に入れたシチュエーションカードとは、そのガチャから排出されるカードの一種類である。

 手に入れたカードは、その持ち主が定められた解放の言葉〝コール〟を唱えることで、中身を実物化させることが可能だ。そしてそれがシチュエーションカードのような人物系カードである場合は、中から人物が飛び出して、その期限終了まで様々なことをしてくれるのである。

 たとえば専属料理人として毎日料理を振る舞ってくれたり、メイドとして尽くしてくれたり、さらには架空のおさなみとして日々を過ごしてくれたり。

 このようにシチュエーションカードには様々な種類があるが、おそらくネズミが手に入れたあれはその中でも恋人系のもの、すなわち期限が切れるまでの間、幻想の恋人が付き合ってくれるというたぐいのものであると思われる。

「やあ、いいなあ……実に美人じゃないか。僕も異性にはとんと縁がないからな、引けたらうれしいところなんだけどねえ。……アキトくんも好きだろ? シチュエーションカード」

「……そうですね」

 問うてくるすずに生返事を返す。正直に言うと、アキトはシチュエーションカードがあまり好きではなかった。

 なぜならば、あれは自分の意志を持たないただの現象に過ぎないからだ。

 声をかければ返事をするし、それらしい受け答えもするが、基本的にはただの幻想でしかない。使用者が「止まれ」と命じれば完全に動きを止めるし、「消えていろ」と言えばこつぜんと姿を消してしまう。

 それがいい、と言う人も多いがアキトにはそれが不満だった。

 ……そうだ。俺が手にしたいのはああいう便利なだけの道具ではない。俺が手にしたいのは、もっと……。

「あっ!? おい、なんだよ、今頃来たのかよ、ずっと探してたんだぞ! おい鈴木さん、あんた、たしかチケットめてたよな!? なっ! それ、俺に売ってくれよ、頼むよ!」

「わっ!?」

 突如として横合いからぶたづらの鉱夫が詰め寄ってきて、鈴木に懇願を始める。

 驚いた鈴木は悲鳴を上げたが、そんなことはお構いなしに豚面が続けた。

「なあ、今、何枚持ってる!? なあ教えてくれよ、ベッドの下にめ込んでるの知ってるんだぜ! なあ、何枚あるんだ、なあ!」

「えっ、ひゃ、百枚ちょっとだけど……。どうして急にそんな……」

「それ、全部売ってくれ! 相場の1・2倍で買うから! なっ、いいだろ! ほら、金!」

 動揺する鈴木の眼前に豚面が金を突きつける。そこには10000GPと書かれたヨレヨレの紙幣が束になっており、それなりの量があった。

「えっ、待ってよ、1・2倍とか言われても……。急にそんな事言われてもわからな……」

「理由は、後で説明する! 時間がないんだよ! いいから、早く持ってきてくれ! 俺の人生がかかってるんだ! 早く……ッ!」

「あっ、ちょっと何勝手に交渉してんすか! ぼ、僕も鈴木さんに頼むつもりだったっす! す、鈴木さん! 俺に、〝重労働ガチャチケット〟売ってくれっす! 頼むっす!」

 豚面に続いて、先程まで輪の中心で得意げな顔をしていたネズミが飛び込んできた。

 つい今しがたまで彼にしなだれかかっていた踊り子の姿はどこにも見えない。おそらく一時的に消したのだろう。

「今、絶好調なんスよ! 今引けばまた良いのが来るっす! 金は出します、だから早くチケットをよこしやがってください、さあはやく!」

「ま、待ってよ君たち、なにがなんだかっ……。なんで君たち、そんなにチケットを欲しがって……!」

 腰の痛みを抱えながら二人に詰め寄られて、すずは困りきった顔をしている。

 それを見かねたアキトが助け舟を出した。

「……理由がわかりましたよ、鈴木さん。あれを見てください」

「え、あれって……?」

 アキトが指差すその先には、ガチャにはめ込まれた表示パネルがあった。

 四角い、人の背丈ほどもあるそのガチャの箱には、チケットを挿入するスリットとガチャを引くためのボタン、そして賞品であるカードの排出口の他に表示パネルがついており、そこにはこのガチャ、いわゆる〝重労働ガチャ〟の中にまだ残っている当たりが表示されている。

 そしてそこには、確かに今期のガチャの目玉、世界中の人々の希望、神の世界への通行パス……〝ゴットカード〟の残数1が確かに表示されていたのだ。

「……ああ、大当たりのゴットカードがまだ出ていないのか。皆が熱狂するわけだ。だが、それは昨日までだって同じなんじゃ……」

「問題は、ガチャの残数です。見てください」

「え、どれどれ……」

 鈴木が目を凝らしてガチャの画面を見つめる。

 するとそこには、残っている当たりの下に残数295082という数字が表示されていた。

「……残り、29万5000と少しだって!? 昨日まではもっとたくさんあったのに! どういうことだ、こりゃあ……!」

「おそらく、世界中の人々がチャンスと見て保有しているチケットをぶっ放してるんでしょう。そしてそれでもゴットカードがまだ出ていない……。つまり」

「そういうこった。こいつはゴットカードを引く大チャンスってわけさ、お二人さん」

 突如として彼らの後ろから、アキトの言葉を引き継ぐように言葉がかけられた。

 二人が驚いて振り向くと、そこには切れ長の涼しげな目をした男が立っていた。

「さっ、さしくんか。すごいな、こりゃ。僕も重労働ガチャを引いて長いが、こんな残数までゴットカードが残ってるなんて見たことがないよ」

「俺も初めてですよ。大体気がついたときにはどっかで出ちまって、この宿舎からはゴットカードどころかランクURすら出たことがありませんからね」

 指田と呼ばれた同僚の鉱夫が答える。

 鉱夫としては痩せ型の、それなりに整った顔立ちをした男だ。鉱夫などよりもっと華やかな仕事のほうが向いてそうな外見をしている。

 アキトはこの男を知っていたが、名前までは覚えていなかった。アキトは、あまり周囲の人間に興味がない。

「残数が残数なんで、結構な人数が賭けに出てるんだろうな、さっきから異常な速度で数が減ってきてやがる。だがそれでも当たりがでないとなりゃあ、さらにその尻馬に乗りたがるやつも出てくる。そのせいでさらに加速して、今じゃ残数もこの有様さ。今頃、世界中の重労働者たちが必死な顔でガチャを回してるだろうぜ」

 さしはそう言うと、おどけた様子で両手を開く仕草をしてみせる。

「なるほど。最初は残量1000億からスタートする重労働ガチャの大当たりが、わずか29万5000になるまで残っているなんて一種の異常事態。世界中で引いているとなればこの程度の量はあっという間……。もう一時間もかからない。皆が慌てるわけだ」

 言葉のわりに冷めた調子でアキトがつぶやく。

 重労働ガチャ、とは女神が人類への贈り物として用意したガチャの一種である。

〝労働ガチャ〟と呼ばれる種類のガチャで、仕事を終えた人々は企業からの給料の他に、女神から送られてくるガチャチケットを得ることが出来る。

 そしてそのチケットをガチャに投入しボタンを押せば、その場で抽選が行われ、女神の世界とつながっているガチャからカードが排出されるのである。

 ただ、このガチャは単体で稼働しているわけではない。重労働ガチャと呼ばれるガチャは世界中に存在し、そのすべてで当たりが共有されている。つまり、このガチャの中身を世界中の重労働者たちで奪い合っているわけである。

 まさしく今、世界のどこかで、アキトたちと同じような労働者が全財産を溶かす勢いで抽選に挑んでいるというわけだ。

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