1-2 サンタとの出会い

「ただいま」

 家に着くと、誰かの返事があるわけでもないのに挨拶をする。

 一人暮らしをしていて、寂しいなと思う瞬間である。

 大学と実家はさほど離れていないが、一人暮らしに憧れて親に頼み込んだ。

 友達を家に呼んで遊びたいと思っていたのだが、俺にとって一人暮らしはデメリットの方が多かった。

 特にご飯が出てこないというのはとてもつらい。

 お気に入りのジャンパーをハンガーに掛けて、スマホをじゆうたんに積まれた洗濯物の上に放り投げた。

 瞬間、スマホの電源が付く。新着メッセージを表す色に顔をのぞかせると、彩華からラインが届いていた。

『クリスマスに合コンやるんだけど、来なさいよ』

「クリスマスにかよ」

 思わず声に出して返事をしてしまう。

 明日はイブ。

 随分急なお誘いだが、明日は志乃原との約束があるし、なによりイブとクリスマス両日に家から出るなんて気が重い。

『予定できたから無理』

 送信。

 すると二秒後には着信を示す画面が表示された。案の定、名前には彩華と書いてある。

「んだよ」

『こっちのセリフよ、何噓ついてんのよ』

「噓?」

 そうか、彩華は俺に予定ができるとはじんも思っていないらしい。

 実際サンタに会わなければその通りになっていたことが、ますます腹立たしい。

『人数足りないのよ。ほら頭下げるから、この通り』

「いや見えねえから」

 どうやら合コンで男と女の人数が合わないようだ。

 顔の広い彩華が人数集めに焦るのは珍しい。

 彩華が一声鳴けば、寄ってくる人たちはいくらでもいるだろうに。

「ていうか男の人数は男サイドに任せろよ、なんでまたお前が動いてんの」

『今回は私がりすぐりの男友達を、友達たちに紹介しようって感じなの』

「はあ、選りすぐり」

『そこで貴方あなたは見事入選を果たしたのです! おめでとう!』

「切るわ」

『ごめんごめん待って!』

 慌てた声を出す彩華を見るに、相当切羽詰まっているようだ。

「なんだよ! 第一、お前の選りすぐりじゃ、俺が行ったって浮くだけだろ」

『あら、そんなことないわよ。私は結構あんた好きだけど?』

 キョトンとした声でそう言われる。

「お、おう。なんだお前、頭でも打ったか?」

『お、照れてる照れてる。それで、何よ予定って。ほんとに噓じゃないの?』

「お前……」

 まんまと動揺させられたことに唇をむ。

「……サンタに誘われたんだよ」

『はあ、サンタ?』

 何言ってんの、と言いたげな口調だ。

「サンタの格好した年下に。まあ、色々あってさ」

 そこから先程のことを説明する。

 事のてんまつを聞くと、彩華はうーんと唸った後にいぶかしげな声を出した。

『……あんただまされてんじゃないの?』

「げ。そう思うか」

『チラシバラまいたくらいで待ち合わせをこじ付けたあんたもあんたで、さすがナンパ王ってとこだけど』

「おい待て、俺ナンパなんてしたことねえぞ」

 聞き捨てならないと俺が抗議したが、「話遮らないで」と一蹴される。

 遮られるような事を言うのが悪いと思う。

『それでね、初対面の年上を誘うその子のほうがもっとヤバいと思うの。デートしてるところに別の男がやってきて金を要求してきたり……』

美人局つつもたせかよ。さすがにないだろ」

『どうだか。でもま、良かったわ。約束の日が明日のイブだって分かったし』

「は?」

『じゃ、明後日あさつて午後六時にいつもの駅前でね。ばいちゃ』

 ブツンと切れたスマホの画面をぼうぜんと眺めた。

 高校時代から傍若無人ではあったが、最近ますます俺の扱いが雑になってないか、こいつ。


    ◇◆


「お待たせしました」

 クリスマスイブ、志乃原との約束の日。

 元サンタこと志乃原は、集合時間ぴったりの登場だ。

「おっす。ぴったりだよ、待ってない」

「ほんとはもう一本早い電車で来るつもりだったんですけど……人が多くて、乗りそびれちゃいました」

 その言葉に俺は思わずうなずく。電車に乗っているカップルが心なしかいつもの倍はいたように感じていた。

「行きましょっか」

 案内します、と言われたので、後ろに付いていく。

 道行くカップルの彼氏がチラリチラリと志乃原を見ている。

 志乃原は心なしか、昨日よりメイクに気合が入っていて、年下のような雰囲気はどこにもない。

 ハッとするくらい可愛かわいい志乃原に、俺も不本意ながら胸の高鳴りを感じていた。

 高架下をくぐり、カップルであふれかえる大通りから少し外れた道に出る。

 閑散としているとは言えないものの、先程より人の数は明らかに少なくなった。

 十階建てや、もしくはそれ以上のビルが建ち並ぶ大通りと違い、二階建ての建物が多い。

 そのどれもがクリスマスカラーの飾り付けがされており、一目でカップルが出入りするお店の多いことが分かった。

「ここです」

 志乃原が指差したのは二階建てのビルではなく、地下へ続く階段だった。

 こちらを振り向きもせずに進んでいくのを見て、昨日彩華から忠告されたことを思い出す。

「? どうされたんですか?」

 志乃原は途中で立ち止まりキョトンとした表情を見せた。

「いや、なんでもない」

 彩華の忠告を頭から振り払って、俺も階段を降りた。厚めのドアがあり、志乃原はドアノブに手を掛ける。

 一目で重そうだと分かったので、後ろから引いてあげた。

 シャララン。

 クリスマスとよく合う音が、ドアを開けた瞬間俺たちを迎えた。

 お店の人から、チェーン店では滅多に見ない、いんぎんな礼をされて思わず背筋を伸ばす。

「十八時半から予約している志乃原です」

 志乃原の言葉を聞いて、お店の人はもう一度礼をした後店の奥へと歩き出した。

 店内は薄暗く、廊下から様子をうかがえる席は一つもない。全てドアで仕切られて個室になっている。

 案内された部屋は、二人が隣り合うソファー席。

 テーブルには既にグラスが用意されている。

 これは明らかに……

「カップル専用、って感じなんだけど」

「そりゃ、クリスマスコースですもん」

 サラッと言うと、志乃原は奥の席に座る。視線で俺にも座るようにと促している。

「えーっと」

「これ、おびのはずですよね?」

「……そうだった。悪い」

 その一言で、これは自分から言い始めた事だと思い出す。

 いくら昨日知り合ったばかりだからといって、いきなりこんなお店に連れてこられては意識しないわけにもいかなかったが、少し冷静になろう。

「コースですけど、ドリンクの注文は都度できますよ。お好きにお酒でもどうぞ」

 そう言って志乃原はドリンクメニューを差し出す。どれもそこらの居酒屋の三倍程の値段で、財布と相談しながらの注文になりそうだった。

「ここ、まじでコースも八千円で済むの?」

「そうですよ。穴場ってやつです」

 志乃原はふふん、と得意げに言った。

「なら良かった。……それで、なんでまた、俺をここに連れて来たがったんだ?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 俺の質問で、待ってましたとばかりに目をらんらんと輝かせる志乃原には、美人局なんかではない理由がありそうだった。


「私! 先週彼氏に浮気されたんですよ!」


 志乃原は大きく鼻を鳴らす。

 そしてグラスに食前酒がまだがれていないのにもかかわらず口元へ運んだ。

「あれ、中身ない」

「いや、手に取った時点で気付けよ」

 思わずあきれた声を出す。

「てか未成年だろ。食前酒が注がれても飲むなよ」

「堅いこと言わないでくださいよー。先輩も新歓で飲んだクチじゃないんですか?」

 グラスを置きながら志乃原は口をとがらせる。

 お酒は二十歳になってから、というのは新入生歓迎会、略して新歓などでは無視されることが多い。

 これは今のゆとり世代がはしゃいだ結果、ではなく昔からのしき伝統というやつだ。

「んなことない。丁重にお断りした」

「ほんとですかー?」

 志乃原は目を細めてニヤリと笑う。

 その表情は小悪魔をほう彿ふつとさせて、手玉に取られる男は一人や二人では済まなそうだ。

 そこからは同じ大学ということで別の話が盛り上がり、志乃原がハッとして話をめたのはもう次がメインディッシュだという頃だった。

「そういえば何かさらっと私の話流れてません? 結構ショッキングなこと言ったと思うんですけど」

「今お前もちょっと忘れてたろ」

「そ、そんなことないです。ちょっと別の話で盛り上がってただけです」

「だな。昨日会ったばかりだとは思えんわ」

「は、はい。いや、それは置いといて」

 志乃原はコホン、とせきばらいをして間を空けた。

「浮気されたんです」

「お、おう」

 二度目の報告だと、いまいちインパクトに欠ける。

 むしろどんな反応をしようか、そればかり考えていた。俺の時もこんな風に、友達に色々考えさせたりしていたと思うと……

 そんな気持ちをすように、俺は注文していたカクテルを喉に流し込んだ。

「このお店だって、私ちょー下見してやっと決めたところだったんですよ。まさか見知らぬ先輩と来ることになろうとは」

「お前が誘ったんだろ……」

「こんな美味おいしいお肉も、お酒も、スープだってほんとはその彼氏と食べたくて予約したコースだというのに!」

「お前、全然悲しそうじゃないけど」

 どこか芝居がかったイントネーションに、さすがにツッコミを入れた。

「あ、バレました?」

 志乃原はぺろりと舌を出した。

「彼氏は初めてできたんですけど、今までの私、中学高校と男子の告白は断り続けてたんで」

「へえ、結構告白されてたんだ」

「はい、私モテますからね」

 サラッと言った。

 まるでそのことについてはあまり興味ないですけど、と言っているみたいだ。

 実際この容姿でモテないわけがないと思っていたので、そこには素直に頷く。

「じゃあ、なんで今回は付き合ったんだよ」

 志乃原はうーんと悩ましげにうなったあと、パチンと指をはじいた。

「あれです。その、カップルらしいことしたかったんです」

「ほお」

「SNSとかでみんなのつぶやき見てて、いいなあって思っちゃって。私も彼氏作って、色んな場所行ってみたいなって」

「ああ、なるほどな」

 そういった理由で彼氏彼女を作る人は結構多い。

 しかもこの時期となれば、みんなまるで見せつけるかのように投稿が増える。

 普段デート後にしか写真をアップしないカップルが、デート前にもアップするようになったりというようにだ。

 おかげで最近は、すっかりSNSを見る頻度も減ってしまった。

「てなわけで、初めて付き合ってみたんですけど。それが浮気で終わりなんて嫌じゃないですか。いや、終わるのが嫌っていうか、やられっぱなしが嫌ですね」

「ああ、まあされたらそう思う人もいるか」

 俺の時は結構、いや本気のショックで、軽く一週間くらい寝込んでしまったが。

 さすがの彩華も心配して、俺の分のノートを取っておいてくれたっけ。

「あいつは浮気したけど、まだ私のこと大好きですから。ちょっと仕返ししてから別れてやりたいと思います」

「どうやって?」

「それはこれから考えるんですけど、まぁ無難なのは誰か他の人と仲良くしてるところを見せつける、とかですかね。協力してくれる人が必要ではあるんですけど」

「ほう。頑張って」

 それだけ言うと、俺は今しがたメインディッシュに運ばれてきた牛フィレ肉に視線を落とした。

「そこでです、先輩」

「断る」

「まだ何も言ってないのに!?」

 恋人を演じる……そんな題材の作品が以前少年誌で連載されていたが、似たようなお願いをされるかと思ったのだ。

 なんだか嫌な予感がして事前に断っておいたのだが、この反応を見るに間違いはなさそうだ。

「お願いします、ちょっとだけでいいんです! まずはあいつの前で私たちが仲良くしてるところを見せつけるところから」

「やだよ、今日ここに来るのは確かに俺が言い始めたことだけど、その件は関係ないだろ。他の人に頼んでくれよ」

「こんなこと恥ずかしくてよく知ってる友達には頼めないですもん!」

 それはその通りかもしれないが、だからといって俺に頼られても困る。

 もっと他に適役がいるはずだ。志乃原の容姿なら、一声上げればそこら中から男が湧いてくるに違いない。

「ほら、ここのお代は私が持ちます。それでどうですか?」

「あほ、年下の女の子にそんなことできるか。普通に割り勘でいいよ」

 これで相手が自分から誘った女の子であれば、迷わず女の子の分も全額カードで支払っていたはずだ。

 さすがに志乃原におごるつもりはないが、それでも自分が奢られるのには抵抗があった。

「いえ、私サンタで結構稼いだんで、このために先輩を雇えるのなら万々歳です。先輩が何と言おうが私が払うので、諦めて雇われてください」

「ひ、ひでぇ暴論だ……」

「いいですか、ほんとに私が払いますから。余計なこと考えずにこれ、牛肉、食べてください」

「牛フィレ肉な」

 コース表にはロッシーニ風と書いてある。

「先輩、ロッシーニ風ってなんですか?」

「なんだったかな。確かトリュフとフォアグラが一緒に使われてるんだっけ」

「へぇ! 先輩、博識!」

 言えない。同じものを元カノと食べたから知ってるだけだなんて。

 その時食べた牛フィレ肉も結構美味しかったのを覚えているが、値段を鑑みるとどうだろう、という感じだったっけ。

 そんなことを思い出しながら牛フィレ肉を口に運ぶ。

「めっちゃうま……」

 思わず声を漏らして、舌鼓を打つ。

 こういう肉は本来赤ワインなどが合うのだろうが、残念ながらまだ俺には赤ワインの美味しさは分からないので他のカクテルを探しメニュー表を開く。

 志乃原はそんな俺の様子を見て、得意げに笑った。

「ふふふー、しっかりメニューまで吟味したありました。決まりですね、それじゃあ明日よろしくお願いします」

 それを聞いて思わず吹き出しそうになった。

「ま、待って。明日は予定が」

「え、なんで先輩がクリスマスに予定あるんですか?」

「おい、俺の扱いが雑になるの早すぎないか」

「まったくもってそんなことないです。それで、どんな予定ですか」

「合コンあるんだよ。まあそんなに長くはいないつもりだけど」

「……合コン」

 志乃原は何とも言えない表情をする。

「クリスマスに合コンに行くような男で悪かったな」

「いえ、そんなことは。じゃあそれが早く終わったならその後、終わりそうになかったらまた後日ということで。また連絡してください」

 そう言うと、決まりというように志乃原も牛フィレ肉を食べ始める。

 語尾にハートマークが付きそうな声で「美味しい」を連発する志乃原を横目に、こいつも彩華と同じタイプなのかとためいきいた。

 とんだメリークリスマスになりそうだ。

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