第二幕 悪役令嬢は可愛げがないので泣かない その2



 ゲームのたいになっている学園は広い。むやみやたらにさがすのは体力の無駄だとわかっていたので、アイリーンはまずものを倒すイベントが起こる、寄宿舎裏へと向かった。

(マークスを見張ってもいいけれど、イベントが起こる前に魔物を見つけるのなら後手になるわ。そもそもイベントに関係ないのなら、マークスを見張っても意味がないし)

 寄宿舎の裏門をけると、聖騎士団の訓練場へと抜けるいしだたみの道がある。聖騎士団への入団を目指すマークスは、授業が終わるとひそかにそこへと通い、訓練をつけてもらっている──という設定があった。その道すがら、魔物とそうぐうするのがイベント内容だったはずだ。

 その周辺で魔物の姿がないのならば、そもそも迷子の魔物がイベントと無関係という線も考えなければならない。

「あっさり見つかってくれると助かるのだけれど──あら」

 寄宿舎裏に近づくにつれ、けんそうが聞こえた。いやたぐいの笑い声と、けものの悲鳴だ。

「くっそ! 角が固い、木の棒じゃ無理だ」

「早くしろ、わなに引っかかってる内に殺すんだよ!」

「まずなぐって弱らせろ! フェンリルを倒したなら、聖騎士団入りも夢じゃないぞ」

 その短いやり取りだけでじようきようが察せられた。こぶしにぎったアイリーンは、急ぎ足で寄宿舎裏に広がる畑のすみで何かを取り囲んでいる男子生徒の背中に向かう。

 同時に、がうがうと必死でうなっている、あどけない獣の声も聞こえた。

「角ときばは傷つけるなよ。フェンリルの角と牙は高く売れる──」

「何をなさっているの」

 男子生徒達の背中がふるえた。り向いた顔を、ばやくアイリーンはかくにんする。

しやくの子息ばかりじゃないの。マークスをおぼつちゃんとかげで馬鹿にしていた──そのわりには、情けないこと)

 男子生徒のすきから、いわゆるトラバサミにまえあしはさまれた白の獣が見える。小さくもふもふしているが、可愛かわいらしい見目に反するするどい角が額から二本生えていた。つめも大きく、どう見ても犬ではない。だが足に食いこんだをどうにかしようと必死でもがいている姿を見て、なお痛めつけようと思える精神は、とても騎士道精神に見合わない。

 あざけりをかくさず、アイリーンはゆう微笑ほほえむ。

「魔物を殺すおつもり? 不戦条約をご存じないのかしら」

「──ア、アイリーン様……退学なさったって、聞きましたけど」

「び、びびるなよ。こんな女……」

 相手にする時間もしいと、アイリーンは男子生徒達の間をすり抜けた。

(確か、解除の仕方はお兄様に教えてもらったはず……!)

 真っ先に罠に手をばそうとすると、横から唸り声といつしよにかみつかれた。うでの衣服がける音に、男子生徒達の方が悲鳴を上げる。

「かっかまれた!」

「おだまりなさい! ──かしこい子だわ、この子」

 血はにじんでいたが、肉をえぐり取られたわけではない。まだ手加減しているのだろう。クロードの命令を覚えているのだ。

 一呼吸おいてから、アイリーンは唸る魔物の子供に微笑みかける。

「初めまして、わたくしはアイリーン。あなたを迎えにきました」

 手首をそっと魔物の子供の鼻先に差し出す。ふわっと風にらいだタイに、魔物の子供が目をまたたかせた。

「わかるわね? 少しまんしてちょうだい。動かれるとこの罠をはずしてあげられないの」

 じっとタイを見つめる目が迷っている。だが次のしゆんかん、ぐいとアイリーンの体が後ろ向きに引っ張られた。足首が嫌な音を立てたあとで、しりもちをつく。

「何をなさるの!」

「うるさい! 人間を傷つけたんだから、こいつはもう殺していいんだろう!」

 再び全身の毛を逆立てて唸り声を上げ出した魔物の子供を、くわを持った男子生徒が取り囲む。

「やめなさいと言って──」

 ちゆうで言葉がかげに飲まれた。アイリーンがはっと顔を上げたのと同時に、男子生徒が情けない悲鳴を上げてだつのごとくげ出す。

 ぬっとかべを飛びえて地面に足を着け、現れたのは魔物。罠にはまって鳴いていた子供が甘えた声を上げる。

(──これ、イベントの魔物……そうか、親!)

 クロードの言いつけを破り、結界を越えてさがしにきたのだ。そのひとみにはいかりが燃えている。

 この状況を見れば、当然だ。罠にはまって前脚から血を滲ませた子供。不自然に曲がった後ろ脚。人間に傷つけられた、そう考えない親はいない。

 アイリーンをめ付けた魔物が、おそろしい牙が並んだ口を開ける。えようとする仕草に、アイリーンはとっさに声を上げた。

「待ちなさい! 吠えては、人がくる!」

 制止したアイリーンは、立ち上がろうとしてひざしずませた。さっき男子生徒に押しのけられた時、足をくじいたらしい。だが歯を食いしばって、いずりながら罠に手を伸ばす。

おこるのはわかるわ。でもあとになさい、今はこの子が先でしょう!」

 吠えるのをやめた魔物がぎょろりと視線を動かす。その間に急いで罠の解除を始めた。兄に教えてもらった手順通りに操作すると、すぐにみ合っていた罠が開く。

 か細い声を上げて魔物の子供が、親のもとへ向かおうとする。アイリーンは恐らく言葉が通じているだろう、親の方に声をかけた。

「子供を連れてすぐ人気のないところへ行きなさい。クロード様が迎えにきてくれるわ。も治してもらえるでしょう。森へ帰るのよ」

「……」

「早く行きなさい。あとはわたくしがなんとかしておくから、早く!」

 すでに背後がさわがしくなってきた。たいけんしたマークスがやってくればイベントが始まる。さすがにマークスの剣の腕をしのげるほどの力はない。

 魔物はじっとアイリーンを見ていたが、子供の首筋をくわえ、ひょいと壁を飛び越した。ほっとしたが、気が抜けたのは一息分だけだった。

「──アイリーン。どうして君がここにいる。自主退学したんだろう」

 マークスの苦々しげな声と、あとに続く厳しい強面こわもての面々。恐る恐るといったように、リリアもついてきていた。

(……やっぱりイベントだったのね)

 迷いこんだ子供を痛めつけられ怒った魔物の親が人間をおそってしまい、たおされる。そういうじんきわまりないイベントだったのなら、たとえ自分の進退に関係なくてもかいできて万々歳だ。

 いい気分で、アイリーンは優雅に微笑む。

「忘れ物を取りにきましたのよ」

「忘れ物、か。……魔物が出たと聞いたのだが」

「ええ、いましたわね。そちらの罠にはまっていたので、逃がしてやりました」

「逃がしただと? こんな獣用の罠を、こうしやくれいじようの君が解除できるわけないだろう」

 そう信じて疑わないというこわいろに反論しそこねてしまった。

(……まあ確かに、つう、できませんわね)

 そのちんもくをどうかんちがいしたのか、マークスがそつちよくたずねる。

「君が罠にかかったものを傷つけ、リリアを襲わせようとしているという報告を受けた」

「──は?」

「ここはリリアの部屋の、真下だろう」

 てきされ、アイリーンは横にある寄宿舎を見上げる。

 そうなのかというみようなつとくと共に、笑いがこみ上げてきた。

鹿鹿しい計画ですこと。穴がありすぎますし、真っ先に自分が死にますわ」

「それでも君ならやりかねない。現に、返りちで襲われていたとも聞いている」

 ちらとマークスのうしろを見ると、さきほど逃げ出した男子生徒がいた。自分達のやったことを先回りしてアイリーンにかぶせたのだろう。そう言えばマークスはそれを信じるから。

(あらどうしましょう、マークスがぼつらくする未来しか見えませんわ)

 冷たく笑うアイリーンに、マークスが厳しく告げる。

「魔物とは不戦条約があるとも知らないのか、ドートリシュさいしようのご令嬢が」

「待って、マークス。私はアイリーン様がそんなことをたくらんだとは思えないの。何かの誤解だわ。そうでしょう、アイリーン様。私は信じますから」

 さすがヒロインだ。正解にたどり着いている。だがこんやく者をうばった相手によくも信じるなどと出てくる。こちらにはそちらを信じられる要素などまったくない。

 だからアイリーンはあえて黙ったまま、何も言い訳しなかった。それをどう思ったのか、マークスが舌打ちする。

「……何もなかったわけだし、リリアのやさしさにめんじて許してやるが。さっさと学園から出て行くことだ。失礼する。行こう、リリア」

「マークス。アイリーン様、怪我をなさってるんじゃないの?」

ごうとくだ。這って帰ればいいんだ」

 ちらとアイリーンのあしもとを見たマークスは、アイリーンの足の負傷にも気づいているのだろう。ざとい。さすが未来の団長候補様だ。たくさん残念なところがあるだけで。

(でもこれで騒ぎにならずにすんだわ。何もかもわたくしが悪いのはしやくだけれど、特にこれで落ちる評判でもないし──)

 胸は痛みはしなかった。とっくにあきらめているからだろう。立ち去るマークス達の背中を、ぼんやり見送る。その時だった。

 ゆうやみに染まりかけた空が、ねじ曲がった。

「な、ん──っ」

 マークスがリリアを背にかばい、剣に手をかけたところで、固まってしまう。

 夕暮れの空によいやみかみしつこくのマントがなびく。赤い目が、ゆっくりと開かれた。

 空にかぶその姿は、人間ではあり得ない。

おう……?」

「まさか、森から出てこないって」

 だれかがつぶやいた。アイリーンも瞳をいっぱいに見開く。

(……どうして、クロード様が?)

 今、彼が出てくる理由はどこにもないはずだ。

 つま先から地面に足をつけた魔王の姿に、人間達がられたようにこおりついている。

 そのじゆばくから真っ先に解かれたのは、マークスだった。

「──貴様、何者だ! 魔王か!?」

「……」

「答えろ。……でなければ、しん者とみなしてばくする!」

 夕日にけんさきがきらめく。だがアイリーンが静止するより先に、クロードの剣がそれを受け止めていた。マークスが両目を見開く。だがすぐさま次のけんげきり出した。

 アイリーンの目には見えないマークスの剣さばきを、クロードは目線も投げずにその場にとどまったまま受け止め続ける。あつとう的技量の差が、素人しろうと目にもわかった。

「──くそっリリア、うしろに下がっていろ」

「は、はい」

「おおおおおおおぉ!!」

 たけびといつしよに、剣をにぎり直したマークスがとつげきする。

 だが、クロードがめ息と一緒に、しらけたつぶやきを落とした。

「うるさい人間だ」

 何が起こったのかは見えなかった。マークスも目を丸くしてしりもちをつき、剣を首元にきつけられた格好でぼうぜんとしている。

 クロードは最後までマークスに目を向けず、剣をさやにおさめた。その音を聞いて、マークスがさけぶ。

「──待て、どうしてとどめをささない!」

「アイリーン・ローレン・ドートリシュ」

「は、はいっ?」

「あなたに感謝を申し上げる」

 完全にマークスを無視したクロードは、胸に手を当てて、アイリーンに頭を下げた。

 ざわっと周囲にどうようが走る。同じようにアイリーンも動揺した。何が起こっているのかさすがに理解が追いつかない。その間に、クロードの口上は続く。

わなにかかりおびえたフェンリルの子供がかみついてもひるまず助けの手を差しべたあなたに、魔王である私から直接礼を言おうと、ここへきた」


 クロードの口調がいつもとちがう。よそ行きのしゃべり方なのだと察したが、どうしてクロードがそんな風に自分に語りかけるのかわからず、アイリーンはこんわくしたまま口を動かした。

「……礼だなんて、わたくしは何も……」

「魔物との争いを起こさぬよう、あなたは魔物を傷つけたのが自分であるというぎぬまでかぶろうとした。自分が傷つけられたならば誰もかばわないからと、そんな悲しい理由で」

 クロードの言葉にざわりざわりと周囲が目配せし合う。マークスがまゆをひそめ、アイリーンと先程魔物の子供を傷つけようとした男子生徒達を見比べていた。

「助けられた魔物が、恩人であるあなたをじよくする人間におこっている」

 そこでちらとクロードは背後の人間達に目を向けた。ふるえ上がったのはもちろん、魔物の子供に暴力をるった男子生徒だ。

「──だが、あなたが許せと言うなら、今回は飲みこもう」

 呆然とクロードの話を聞いていたアイリーンは、やっと気づく。

(……助けにきて、くださったんだわ)

 アイリーンの濡れ衣をはらしに姿を現してくれたのだ。

 そんなことをしても、クロードになんにもいいことなんてないのに。

「……いえ。その言葉だけで、十分です」

 胸に手を置いて、アイリーンはやっと、それだけ答える。クロードはうなずいた。

「そうか。では不問にしよう──あなたに免じて」

 最後まで念を押すことを忘れず、クロードはぱちんと指を鳴らした。たん、アイリーンの周囲を光のつぶう。

 ほうだ。引きかれた服が元にもどり、ついたどろよごれもほどけて消える。にじんだうでの血も足の痛みもなくなった。いつしゆんで起こった光景に、マークスもリリアも目を丸くしている。

「どこか痛みは?」

「だ、だいじようですわ」

「なら、私がしきまでお送りしよう」

 もう一度ぱちんとクロードが指を鳴らした瞬間、今度は真横に銀色にかがやく馬車が現れた。

 立派なたてがみを持つ黒馬による二頭引きの、ごうな馬車だ。

「ど、どこから出したんですか!?」

 さすがにおどろいたアイリーンに、クロードが目を丸くしたあと、かすかに笑う。

(あ)

 冬なのに、花のかおりがする。今、どこかで花がいた。どうしてだか、そう確信する。

「驚くのはまだ早い。──手を」

 言われるがままに、アイリーンは手を差し出す。その手を引いて、クロードが馬車のとびらを開けた。

「この馬車は、空を飛ぶ」

「えっ」

 馬がいななき、その背からつばさを出す。ペガサスだ。

 驚いて思わずクロードのこしきついたアイリーンの体が、馬車ごとふわりと浮く。

 ぽかんと口を開けほうけるマークス達を地上に置いて、馬車がよいやみの空へ向けてけ出した。





 夜空を走る馬車に、あこがれない乙女おとめはいない。アイリーンは窓の外を流れていく夜空と、きらめく皇都をながめる。

 またたき始めた星の光。おうぎがたに広がる、瓦斯がす灯や家かられるあかりの数々。中でも商業区である第三層あたりは色も輝きもきらびやかだ。

「きれい……」

「──そうしていると、つうれいじように見えるな」

 紅潮したほおで窓に張り付いていたアイリーンは、その声で我に返った。真向かいの席にクロードがあしを組んで座っている。観察するようなまなしに、せきばらいをした。

「失礼なことをおつしやらないでくださる? わたくしは普通の令嬢ですわ」

「普通の令嬢はおうやくをもろうとしたりしない」

「……でも、どうして助けてくださったんですか?」

「それはお前が何にも言い返さないからだ、むすめ!」

 とつぜん聞こえた声にアイリーンはきょとんと馬車の中を見回して、ぎょっとした。

 窓の外にベルゼビュートが張り付いている。

「窓からの眺めが台無しですわ……!」

「やかましい! どうして言い返さなかった、娘! 万倍言い返すと思ったのに」

「あなた、それを聞きに空をわざわざ飛んでますの?」

「王が我々は出るなと仰るから、ここまでまんしたんだ」

「ソウダ! 娘! 説明!」

 反対方向の窓はカラスでまっている。アイリーンは真顔になった。

「……クロード様。ひょっとして今、この馬車の周りは」

「魔物で埋まっているが?」

「……色々、本当に台無しですわ……せつかくてきな夜空の旅が」

「いいから答えろ、娘! 王が返事をお待ちだ」

 どう見ても返事を待っているのはこの馬車を囲む魔物達だ。

 深いめ息をき出したあと、アイリーンはぎようく座り直して簡潔に述べた。

「都合がよかったからですわ」

 クロードは相変わらず静かにアイリーンを見つめている。そのおかげでたんたんと説明できた。

「大事なのはあの魔物の子供が無事で、かつ人間側から言いがかりをつけられずにすませることです。あの場があれでおさまるなら、多少の誤解などでしょう」

「……そう、かもしれないが……」

「それに、うまく言いくるめる方法も思いつかなくて」

 ふう、とアイリーンはわざとらしく溜め息をつく。

「学園での信用が最底辺なわたくしが、あの男子学生が先に手を出していたと言ったところでだれも信用しませんでしょう? むしろますます立場が悪くなるだけ──」

ちがウ! 違ウ!」

「まあ、わたくしがうそをついているとでも?」

「そうではなく、どうして我々に証言をさせようとしなかった!」

 思いがけないいきどおりをぶつけられ、アイリーンはぱちぱちと長いまつを上下させる。そしてそのあとで、ぼそりとつぶやいた。

「そんなことをしたらもっとやつかいなことになったような気がしますわ……」

「ど、どういう意味だ」

「あなた方が何か証言したところで、わたくしが魔物をたぶらかしたと思われて余計事態が悪化するだけです。というわけで、余計なづかいですわ」

「なんだと!?」

 苦虫をかみつぶしたような顔で、ベルゼビュートがまど硝子ガラスに顔を近づける。そのむきになった顔に、アイリーンはしゆくじよらしく微笑ほほえみかけた。

「あなた方に助けられるほど落ちぶれておりません、ということです」

「オ前、ダカラきらワレル! 可愛かわいクナイ!」

「あらご明察。わたくし、恩を売られるのが大嫌いですの。恩を売るのは好きですけれども」

「……ベルゼビュート。全員、下がれ」

 静かにクロードが命じた瞬間、窓硝子ごしににらんでいたベルゼビュートの表情が真顔になった。今までのいがみ合いが噓のように、ゆうな一礼を返し、ふっと姿が消える。

 反対側の魔物もいなくなり、あっという間に静かになったところで、クロードが口を開いた。

「魔物達は君を好ましいと思い始めている」

 目がまん丸になった。

「わたくしを……ですか」

「いいか悪いかでの評価ならほぼ悪いだが、フェンリルの子供を助けたからな」

「たかが一回子供を助けただけで、単純すぎません?」

「魔物達は人間のように上っつらを重視しない。君が身をていしてまで仲間を助けた、どんな理由だろうがそれがすべてだ。気にさせまいと悪ぶっても、あまり意味はない」

 何もかもかしたような口調がしやくぜんとしないが、理解はした。

「すぐにだまされて痛い目をみそうで、クロード様は目がはなせませんわね」

「君だって似たようなものだ」

「はい? わたくしは騙されたりしませんでしてよ」

 クロードは答えない代わりに、ちらと視線だけを流した。あえててきしないと言いたげな眼差しに、ぴくりと眉をり上げる。

「……元こんやく者のことを仰りたいなら、余計なお世話でしてよ……?」

「君は泣きもせず、言い訳もせず、助けも求めない人間なんだということはわかった」

 目の前のなぞひもいていくような、同情もなにもない赤いひとみで、クロードは続ける。

「だから愛してもいない、しかも人間ですらない僕になぜ求婚しにきたのか、その理由を言わないんだな。今も、言う気はないのか?」

「言っても信じてもらえないと思いますけれど」

「信じるか信じないか、それを決めるのは君じゃない」

 それはそうだ。ふむとうなずいたアイリーンは、にっこり笑った。

「では申し上げますわね。実はわたくし、前世のおくがあるのです」

「は?」

「実は、この世界はわたくしの前世にあった乙女ゲームなんですの。リリア様がヒロイン──主人公で、わたくしは悪役令嬢。いわゆる当て馬のやられキャラですわね。そして婚約は、なんとわたくしが死ぬ未来のフラグなのです。魔物としてりゆうになったクロード様に殺されるんですのよ」

「……」

 クロードの目が冷たい。ものすごく冷たい。だが、アイリーンはにこにこと説明を続けた。

「でも愛の力ってありますでしょ? だからてっとり早くクロード様をわたくしのものにしてしまえば殺されずにすむと、そう考えて求婚しに参りました。うふふ、ご理解いただけました?」

「……ああ。よくわかった」

 クロードがしらけたあいづちを返したしゆんかん、ぱっと周囲が星空だけになった。馬車が消えたのだ。

 頰をでる夜風と、眼下に広がる皇都。あしもとには何もない。

 当然、落ちる。

「君がどうせ理解できないだろうと鹿にして話していることは、よく理解できた」

「いっ──」

 悲鳴が落下に飲みこまれた。雲のすきけるスカイダイビングだ。

(噓! 死ぬ!)

 きようで悲鳴もこおる。パニックを起こしたアイリーンはばされたクロードのうでをとっさにつかみ、首に腕を回してしがみついた。それでも加速度的に増していく落下は止まらない。

 下からの強風にえていると、耳元でくすりと笑う声が聞こえた。背中から落ちていくアイリーンの視界いっぱいに、夜空が広がる。



(あ、流れ星)



 落下速度が不意にやわらいだ。

 クロードのくつ先がしばの上をむ。クロードの首にきついていたアイリーンの足も、ゆっくりとつま先から地面にれた。

 そのまま、へなへなと芝生にへたりこむ──と同時に、った。

「なんってことなさいますの! 殺す気ですか! 人でなし!」

「ああ。僕はおうだからな」

「開き直りましたわね!? 一体どういうつもりでわたくしをついらくさせようとなさったの!」

「夜会には出席しよう」

「──え?」

 とうとつしようだくに、いかりががれた。へたりこんだまま、芝生の上に立つクロードを見上げる。

「ど、どうし、ましたの。いきなり」

「これで貸し借りなしだ。君のねらい通りだな」

「……そ、そうですけれども。ならどうして、笑ってらっしゃいますの」

「ああ。笑っているのか、僕は」

 せいぜつようえんみを口元にかべているご本人には、自覚がなかったらしい。

「魔王らしい感情だな、と我ながら思うな」

「説明を──いえいいです、なんだか嫌な予感が」

「君を、泣かせてみたくなった」

 は、と言葉が空気が抜けるような音に変わった。

 とんと軽い音を立ててクロードが地面をり、夜空に浮かぶ。その背後でまた流れ星が落ちるのが見えた。今日はよく流れ星が落ちる日だ。

 いや、そうじゃない。クロードの感情が流れ星を落としている。やたらときらきら星がかがやいているのはそのせいだ。

(そ、それってどういう感情!?)

 ぼうぜんとするアイリーンをドートリシュこうしやく家の中庭に放置して、赤い瞳の美しい魔王は、三日月の夜空に姿を消した。





※カクヨム連載版はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

続きは本編でお楽しみください。

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