プロローグ(2)
ところ変わって、『邪』が行動を始めた頃、先日レクシアたちが訪れたレガル国の城の地下で、秘密裏にとある実験が行われていた。
黒いローブ姿の人間たちが、大規模な魔方陣を囲み、それぞれが本などを手に取りながら、話し合っている。
ローブ姿の人間は、このレガル国が抱える魔術師たちだった。
「――――調子はどうだ?」
「! 陛下」
すると、そこに、レガル国の国王であるオルギスと、一人の品のいいドレスに身を包んだ女性が、階段を降りてきた。
女性は優夜と同い年ほどで、縦に巻かれた長い金髪に、同じく金色の瞳と、派手さと上品さが混在していた。
そんな女性は、意志の強そうな瞳を伏せ、オルギスの背後に控えている。
すると、ローブ姿の男の一人が口を開いた。
「順調でございます。まさか、このような魔法が存在するとは思いもしませんでしたが……」
「それは当然であろうな――――異世界から勇者や聖女を召喚するなど」
オルギスの口から語られたその言葉は、もし優夜がこの場にいたら、聞き逃せないものだっただろう。
オルギスは近くにいた魔術師から本を受け取り、それに軽く目を通す。
「遥か昔……それこそ、この間話題にもなった伝説の竜が出てくるような、おとぎ話の世界。あくまで伝承として存在したとされる、人間でありながら神へと至った、たった一人の人物――――賢者。かの賢者が、一度だけ、異世界へと迷い込んだ話を元に、生み出された魔法らしいな」
「ええ。その賢者は、異世界の存在を認識したことにより、そこにもう一度移動するための魔法を生み出しました。そして、その研究資料の一部を、我々は手に入れたのです」
「うむ。そして、その研究の応用が、この魔法陣というわけか……」
オルギスはそう言うと、目の前に描かれた巨大な魔方陣を見つめる。
一時期、世界に散らばる賢者の文献を求め、多くの冒険者が世界を旅し、また、国々は争った。
やがて時が経つと、国々は賢者の文献を巡る戦争を止める条約を作り、冒険者もそれらを探し求めることが禁じられた。
ただし、すでに手に入っている文献はその国々の宝として取り扱われ、それらを持つ国々は文献の研究が進められていた。
だが、その魔法はどれも強力であり、普通の人間には制御できない。
さらに、中には発動させるまで効果が分からないものや、危険なものも存在するため、研究こそ許されてはいるものの、賢者の魔法の発動は世界で禁じられていた。
「賢者の物語の中では、その異世界では、我々の知らない未知なる技術が発達しており、とても栄えていたそうです」
「その未知なる技術に頼るほど、我々は追い込まれているのだな」
「……ええ」
オルギスの言葉に、魔術師の一人は重々しく頷いた。
そして、オルギスも苦い顔で目を伏せるが、やがて決心した様子で目を開いた。
「……だが、こうでもしなければ……我々は『邪』に滅ぼされる。やるしかないのだ」
「……」
「『剣聖』殿は心配無用と口にしていたが……各地で『邪』と対抗するべき『聖』が、姿を消している。これの意味することが、果たして『邪』に討たれただけなのか、それとも……」
最悪の事態を想像し、思わず顔をしかめるオルギス。
オルギスは、迎え入れた『剣聖』から『邪』の復活だけでなく、どんどん姿を消していく『聖』の話も聞いていた。
もちろん、『剣聖』は、多くの『聖』が『邪』に降ったことを知っていたが、『邪』との戦いは『聖』の役割だと認識していたため、オルギスに伝えることをしていなかった。
大きなため息を吐いた後、オルギスは背後に控えていた女性に声をかける。
「……ライラ」
ライラと呼ばれた女性は、オルギスの娘であり、このレガル国の第一王女だった。
その美貌と聡明かつ気の強い性格は、アルセリア王国のレクシアのように、国民から慕われ、大きな人気を誇っていた。
そんなライラは、凛とした様子でオルギスの呼びかけに応える。
「はい、お父様」
「我々は、この召喚を行えば……おそらく、世界中から非難を受けるであろう。我々の問題解決のために、よその世界から人間を呼び寄せようとしているのだ。それは、拉致と何ら変わらん。もちろん、呼び寄せるからには、我々は国を挙げ、もてなすつもりだ。もし勇者が召喚されれば、ありとあらゆる美女を与えよう。そして……お前も、捧げなければならぬかもしれん」
「……分かっております」
ライラは、ここで行われる魔法の重要性と、その残酷さを理解していた。
召喚に失敗すれば、この世界の人類に未来はなく、成功すれば、よその世界の人間は我々のために戦ってもらうことになる。
どちらに転ぼうが、後がない。
それでもなお、この手段に縋るのは、もはや『邪』に対抗できる存在がこの世界にはおらず、ただ、滅びゆくのを黙って見ていることができなかったからだ。
人類がまだ、『邪』の手から逃れ、生き延びるためには、誰かが犠牲になってでも、新たな力に頼るしかない。
別世界からの拉致という大罪を犯し、全世界が敵に回っても、『正の力』で溢れる世界で人類が生きていくために、やらなければいけなかった。
そして、ライラにはさらなる重要な責任があった。
レガル国は元々魔法の研究が盛んにおこなわれており、世界一の魔法国家として知られていた。
そのため、賢者の魔法を一部、限定的とはいえ、こうして再現することに成功している。
そして、魔法大国のトップである王族は代々高い魔力量を受け継いでおり、ライラは中でも歴代最高の魔力量と言われ、この賢者の魔法を発動させるのに必要な存在だった。
「……この魔法は、この国で一番の魔力を誇るお前しか発動させることはできない。そんな重責をお前に――――」
「お父様。わたくしは、大丈夫です。ですから、安心してください」
ライラは凛としたまま、悠然と微笑んだ。
その様子に、オルギスだけでなく、周囲で作業していた魔術師たちも、何も言えなかった。
決意をしたライラの笑顔は、とても力強く、美しかった。
その笑顔を受け、オルギスはしばらく呆けていたが、やがて苦笑いを浮かべた。
「フッ……本当に……お前は強い女子だな。これではお前を嫁にもらう男が可哀想だ」
「当然ですわ。わたくしを娶るんですから、強い殿方でなければ納得いきませんわ。それこそ、召喚される殿方……勇者くらいでなければ……」
「ならば、この世界でお前が嫁に行く宛てはないな。……いや、そういえば……」
「お父様?」
ふと、何かを思い出した様子のオルギスに、ライラは首を傾げる。
「いや、この間のアルセリア王国の王女との会合を思い出してな……とても信じられぬが、伝説の竜……創世竜を従えた人間がいるらしい」
「なっ!? そ、それは本当ですの?」
「レクシア王女の反応を見ると、ウソではないと思うが……とはいえ、そもそも伝説の竜が存在していること自体が信じられぬほどだ。だが、この間の地響きは尋常ではない。元々アルセリア王国の近くにあるという渓谷で眠っているという伝承もある。その竜が目覚め、一人の男が手懐けたそうだ」
「ま、まさか……それで、その殿方の名は?」
「ああ。確か、名はユウヤ、と言っていたが……」
「……聞き慣れない響きの名前ですわね」
「うむ。ここら辺でも聞かぬ響きではあるな。アルセリア王国でも聞かぬ響きであるし、他国の人間であろう。ただ、その人間はレクシア王女の婚約者という話だ。本当かどうかは知らぬがな」
「はあ……」
「だが、もし仮に、そのような男がいるのなら、お前の旦那としても相応しいし、何より、『邪』との戦いでも期待が持てる」
オルギスの話を聞いていたライラは、首を振った。
「お父様。確かに、そのような殿方がいれば、わたくしは喜んで身を差し出しましょう。ですが、あり得ませんわ」
「何?」
「そもそも、伝説の竜と言いますけど、それこそ賢者のおとぎ話では、賢者に討たれたという話ではありませんか。実在したのかすら怪しいですわ」
「それは……だが、賢者の研究資料を基に、こうして魔法を生み出したのだ。伝説の竜も存在したのでは?」
「だからこそですわ。賢者が存在したということは、おとぎ話の中で、暴れていた伝説の竜を倒したという賢者の話も本当になりますわよね?」
「……それもそうだな」
「確かにあの地響きと咆哮は尋常ではありませんでしたが、伝説の竜とは思えませんの。伝説は伝説ですから。なので、【エンシェント・ドラゴン】だとわたくしは思いますわ」
「なるほどな。だが、【エンシェント・ドラゴン】であったとしても、それを従えているだけでも脅威だがな」
「そうですわね……ですが、先ほどのお父様の話では、その殿方はすでにレクシア王女と婚約しているのではなくて?」
「うむ。そのようにレクシア王女は語っていたが……護衛についていた少女の反応を見るに、本当に婚約しているかも怪しい。何より、アルセリア王国の王女が婚約となると、大々的に知らせるはずだ」
「それは……そうですわね」
「そのように謎の多い人物だが、今回の建国祭で、『剣聖』殿と御前試合をすることになったのだ。そこで見極めればよかろう」
「それは楽しみですわね」
「ああ。建国祭は、存分に楽しもう」
「ええ。そのあとは、この魔法を――――」
レガル国では、強い信念のもと、大きな計画が動き始めているのだった。