第一章 自殺は他殺より神を困らせる ①
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「えーっと……日笠月? 変わった名前だなぁ」
目を開けると、目の前に男が座っていた。黒いジャージを着た、これといった特徴のない顔に、短く整えた黒い髪。人畜無害と無個性という単語を掛け合わせて擬人化したかのような男だ。
「え……誰?」
男に問いかけるが、無視される。
「へぇ~、結構良い大学出てるんだ。で、有名な会社で働いてて、役員にも気に入られてて、昇格試験も合格してて、それで電車に頭ぶつけて自殺、と……」
男の手元には、線が何十行も横に引かれた紙が五枚。それを見下ろしながら、男は独り言を続ける。
「傍から見たら、そう悪い人生でもなさそうなのにねぇ。何で自殺したの、お前?」
ようやく関心を向けてきた男は、笑顔を張りつけていたが、内心で相当苛立っているのは、その笑みのぎこちなさから伝わってきた。
「借金まみれだとか病気で苦しいとかならまだ分かるよ。それでも困るは困るんだけど。でもお前、これ普通に幸せになれる人生じゃん。何でそれ捨てて電車に頭突っ込んだの? 教えてくれよ、おい」
ねちねちとした男の追及に数秒思案し、そして答える。
「……勢いですかね?」
「勢いに頼る場面じゃねぇじゃん! 何してくれてんの⁉ お前みたいなののせいで監査引っ掛かったんだからな。反省しろやボケナス!」
さっきまでの不気味なほどの無個性が消えて、勢い全開で怒鳴られる。
「ちょっと、意味が分かんないから。ちゃんと説明して」
怒鳴られるのには慣れているだけに、自分でも驚くくらいに冷静だ。男はそんな態度にため息を吐いたかと思うと、線を引かれた紙をテーブルに放って、呆れたような調子で答える。
「お前、死んだんだよ。電車に頭突っ込んでな」
「はあ……は?」
何かの冗談だろう。それなら今の自分は何なのか。問い質してやりたい気持ちを汲み取ったのか、男は指を打ち鳴らした。
男との間を隔てる真っ白なテーブル。そこに映像が映し出され、スピーカーもないのに音声が流れてくる。
『――いや~、でもこの案件、結構な長丁場になりそうですよね。これから先が思いやられますよ』
『ほんとな。いつまでこんなこと続ければ良いんだろうな』
「え、俺?」
映像の被写体に、奇妙な既視感を覚える。ストライプの入った紺色のジャケットに、悪目立ちする赤のネクタイ。それに周りより頭一つ高い長身にスラっとした体形。そして保険会社の総合職らしからぬと苦言を呈された、耳を隠すツイストパーマの黒髪。それを見上げるこの視点の声の主は、間違いなく同じ部署の後輩だ。
「これ後輩の視点だから、ルンさん」
男が冷やかすように補足した、その時だった。
『――まもなく、六番線に、電車が参ります。危ないですから、黄色い線の内側までお下がりください』
『あれ、ルンさん?』
ホームにアナウンスが流れると、眠たげな顔をした自分がふらりと前へ出る。ホームドアに手をかけて身を乗り出した、次の瞬間――
『えっ、ちょ……うわああああああああああ! る、ルンさん⁉ ああああああああああ!』
ホームに進入した電車の警笛に、弾き飛ばされる自分。そして、断末魔のような悲鳴を上げる後輩。
全てを思い出すには、十分だった。
自殺したのだ。営業支援システムの刷新プロジェクト。その初顔合わせで本社に赴いたその帰りでのことだった。
「思い出したみたいだな。全く、迷惑かけてくれたよ」
男はわざとらしくため息を吐いて、頭を掻いた。
「俺が死んでるんだったら、あんたは何なんだよ?」
既に死んでいるなら、ここは死後の世界ということ。となると、天使か、悪魔だろうか。
「お前らの言葉で言うところの神だな」
「神って暇なの?」
「暇じゃねぇわ殺すぞ」
「いやもう死んでるから」
「じゃあ地獄に落とすぞ!」
神様らしい脅迫に、押し黙る。
「今回俺が出てきてるのは特別だ。じゃなきゃお前らなんていちいち相手にしない」
人口八〇億、世界中で戦争と犯罪と病気と事故で命が失われる時代だ。神様が全知全能でも、毎回死者と面談なんてできやしないだろう。
となると、気になるのはその理由だ。神様を名乗る男も、それが本題らしく、促すまでもなく切り出した。
「実はな、俺らにも監査ってやつはあるんだよ。で、お前らの住んでる世界がその監査に引っ掛かっちまった」
「へぇ、何で?」
「要約すると、『この世界自殺する奴のせいで魂の循環効率が悪いから改善しろ』とのことだ」
何となく、言いたいことは分からないでもない。
「寿命まで生きずに自分で死ぬから、ってこと?」
「そう。お前ら的には『転生』とかいうんだっけ? あれ自殺した奴にやると、そいつの残りの寿命分が会計上損失扱いになるんだわ」
「あぁ~。減価償却しきる前に備品壊して買い替えなきゃいけなくなった、みたいな感じ?」
昇格試験のために簿記の勉強をしていただけに、何とか理解することができた。固定資産の簿記での扱いは、取得原価を耐用年数で割って、一年ごとに減価償却を行っていく。その途中で廃棄なり売却なりすれば、価額によっては固定資産除却損や固定資産売却損として、会計上は処理される。どういう理屈かはさておき、神にとっては生命も同じような扱いなのだろう。
「さすが簿記の資格持ってるだけあるわ。お前理解早いな!」
「いやぁ、それほどでも」
「じゃあお前がやったことが俺にとってどんだけ迷惑かも分かるよな?」
寿命まで生きることで減価償却しきるのだとしたら、人間一人のコストが取得原価であり、寿命が耐用年数だろう。寿命より先に死ぬとなれば、残っている分が全て損失になるのだから、残りの寿命が五〇年とすると、相当な損失となることは想像に難くない。
「……で、その罪を背負って地獄に行けってこと?」
「いや、残りの寿命分生きてもらう」
投げやり気味に訊いてみると、神は首を振った。
「もちろん葬式も済んでお前の身体は骨壺に入っちゃったわけで、元の世界に戻すことはできない。だから、他の世界に送ってやる。そこで残りの人生可能な限り生きろ」
「おー、異世界転生じゃん! いや、この場合は転移? まぁどっちでも良いや!」
ライトノベルのお約束展開に、テンションが上がる。あの手の小説は後輩から話を聞くばかりで敬遠していたが、実際にその立場に置かれると興奮する。
「死んだ人間を他の世界に送るのは初めてだから、お前らは実験体ってところだな。上手く回れば今後も継続するし、できないようなら別の方法を考える。後進のことを考えるんだったら、真面目にやれよ」
「オッケーオッケー! で、何かすごいチート特典とかもらえるの?」
「あぁ……」
神は訳知り顔で、
「ほんとお前らってそういうの好きなんだな。学会で教授が発表した時はふざけてんのかと思ったけど」
「え?」
「まぁ、あるといえばあるよ。お前の人格とか魂とかを、送る先の世界に適合させないといけないから色々といじるんだけど、その時に特殊な力が身につくらしい。やろうと思えば、こっちから逆算して、狙った能力がつくようにいじることだってできる」
「おー! 良いじゃん、夢あるじゃん!」
どんな能力を与えてもらえるのか楽しみなところへ、神様が水を差す。
「でもお前もう大人だし、言語能力と倫理制限の解除くらいで良いだろ。後は自分で何とかしろ」
「ちょっと⁉ 何かくれても良いだろ! どんな敵でも無条件でテイムできるようになるとか魔法全部使えるようになるとか、色々あるじゃん」