第三章 フィオナとフィオナ(1)
いったいどういうことだ――?
教壇の前に立つ転校生に、俊斗の体がゾクリと粟立つ。
闇色の髪に、雪のような白肌。どこか影のあるアメジストの瞳。
隙なく整った面立ちの彼女は、まさに鳥肌モノの美貌――だけど、それだけじゃない。
彼女の放つあまりにも懐かしい波動が、強い磁石のように俊斗を惹き付ける。
視線に気付いた転校生が、俊斗の方を向いた。
憂いを宿した深紫の双眸に、ゆらり――七色の虹が浮かび上がる。
あの虹はフィオナの……!
あまりの衝撃に、たまらず椅子から立ち上がる。と――
「陽高君、美人だからってがっつかないの」
更紗先生が、ゴホンと咳払いした。
やっべぇ、ホームルーム中だってこと忘れてた……!
「これはその……足がやたらアクロバティックなつり方しちゃって、その反動でつい……」
クスクスとクラスメイトたちが笑う中、どうにか誤魔化して席に着く。
「それじゃ、自己紹介お願いできる?」
仕切りなおした先生に促され、形の良い唇をゆっくり開いた転校生は、
「夜神(やがみ)瑠衣(るい)です」
低体温な声で微笑みもなく告げると、それきり黙り込んでしまった。
どこから来たとか、よろしくとか言わないんだ?
その場にいた誰もが困惑し、気まずい沈黙が流れる。
「ええと、名字の漢字が珍しいのよね。弓矢の矢じゃなくて夜の……あ、せっかくだから書いてもらえる?」
話を盛り上げようとした先生が、瑠衣にチョークを差し出す。
しばらくの沈黙のあと、華奢な手でチョークを受け取った瑠衣は、カッ、カッと『夜』の上部分、『亠』を書いたところで、
「――私、こういうのはちょっと」
美しい眉を不機嫌そうに寄せ、チョークを先生に返した。
「ちょっ、あそこでやめちゃうんだ!?」
「サインNGのアイドルかよ」
まさかの行動に、みんなザワザワしている。
「もしかして緊張しちゃった? 先生も若いころは板書苦手だったかも……って今もそれなりに若いのよ?」
特に後半を力強く主張した先生が、瑠衣の代わりに続きを書いた。
「はい、これで『夜神瑠衣』さん。みんな仲良くしてあげてね。それじゃ、夜神さんは後ろの空いてる席を使って?」
先生の指示で、瑠衣は窓際最後尾の席に座った。廊下側最後尾の俊斗からは、間に三人挟んだ、近いようで遠い距離だ。意図しなければ、視界にすら入らない。
それなのに、視線はどうしても彼女へ吸い寄せられてしまう。
だって気のせいなんかじゃない。彼女からは確かに『フィオナ』が感じられて――
いったいどうなってんだ? フィオナの生まれ変わりは恵令奈ちゃんのはずなのに……。
前世の恋人がもう一人現れるという不可思議な事態に、困惑が止まらない。
ふっと脳裏に浮かんだのは、昨夜のミリュビルの言葉だ。
『もっと慎重になった方がいいと思うんだよねぇ~。誰が愛しのフィオナか――答えを間違えたら、契約不履行の代償を払ってもらうよ?』
まさかあれ、恵令奈ちゃんと夜神さん――二人のどちらかは偽物で、それを見抜けなきゃ本物のフィオナが犠牲になるって、そういう意味だったのか――?
「マジかよ……」
突如降りかかってきた難題。前世からの思わぬツケに、頭が真っ白になる。
当然のことながら、その日は全くと言っていいほど授業に集中できなかった。
だけど、上(うわ)の空だったのは二人目のフィオナ――瑠衣も同じらしい。
というのも授業中、彼女と何度も目が合った。一限目も二限目も三限目も……それに昼休みだって。
「食事は静かにとりたい主義なの」
そう言って女子たちの誘いを断った彼女は、自席で一人黙々と弁当を食べていたが、それでもチラチラとこちらを窺っていた。
「僕に話でもあるのかな……」
一緒に弁当を食べていた誠司が不思議そうにしていたが、恐らくは違う。
これだけ距離があるのに頻繁に目が合うってことは、彼女の方も積極的にこっちを見てるってことで――
夜神さん、俺が『レオ』だって気付いてるのかもしれない――?
とりあえず接触してみるか――。
意を決した俊斗は放課後、自席で帰り支度をする瑠衣に申し出た。
「その……もしよければだけど、これから学校を案内しようか?」
突然の誘いに驚いたのは、周りにいた男子たちだ。「陽高のやつ、チャレンジャーすぎねぇ?」「絶対拒否られるだろ」と、早くも同情的な視線を寄せてくる。
無理もない。瑠衣は今日一日、清々しいほどの塩っぷりだったのだ。
ついさっきも「このあとお茶しない?」とか「カラオケどうよ」とかいう楽しげな誘い(しかもイケてるグループからの!)を秒で断っていた。
帰り際に学校案内なんて退屈な申し出、普通なら『ごめんなさい』一択だろう。
だけど彼女がフィオナで、『レオ』と接触する機会を探してるなら――。
「せっかくだから、お願いしようかしら」
予感を裏付けるように、瑠衣が淡く微笑んだ。
「えええ、夜神さんOKなんだ!?」「ちょっ、笑顔の破壊力ヤバすぎ」「ていうか陽高のやつ、普段やる気ゼロなくせに今日はなんなの?」
孤高の美人転校生、初のスマイル――それから、いつになく積極的な俊斗にクラス中がどよめく。らしくない親友の姿に「俊斗……?」と誠司も困惑気味だが、事情を説明している暇はない。
「悪いな誠司、また明日……!」
早く『正解』を確かめたい俊斗は、ポケットで通知に震えるスマホにも構わず、瑠衣を教室から連れ出す。が――
学校案内……誘いやすい口実ではあったけど、どこに連れてきゃいいんだ?
「こ、このあたりで気になる場所ある? 寄りたいとこあったら案内するけど……」
……って観光地じゃあるまいし、そんなこと聞かれても困るわ、周り教室しかねぇよ!
自分でもツッコみが止まらないが、
「気になる場所――」
わずかに小首をかしげた瑠衣は、
「見つけた」
白く美しい人差し指を構える。彼女が指したのは俊斗の胸――心臓のあたりだった。
ブレザーの袖から覗く銀のブレスレットは、近くで見ると意外とロックなテイスト?
繊細なチェーンというより、小ぶりな鎖を思わせるデザインだ。チェーンを繋ぐハートの南京錠がゆらゆら揺れている。
「ええと、そこは学校じゃないかも……」
まさかの指名に戸惑って、つまらない返しをしてしまう。
けどこれって、心の内を明かして前世の話をしたいってアピールだったり――?
「ふふ、冗談。二人でゆっくり話せるところがいい」
フィオナの影をはらんだ瞳が、意味深に瞬く。
前世の話をするなら、人のいない静かなとこがいいよな……。
最適な場所を目指し、瑠衣を連れて階段を駆け上がった。
「いいお天気」
太陽に手を翳した瑠衣が、心地良さそうに空を見上げる。
やって来たのは屋上だ。先客もなく、二人きりの開けた空間が広がっている。
とはいえ、またか――。通知に忙しいスマホの振動音がハンパない。
それに吹奏楽部のチューニング音や運動部の掛け声なんかも聞こえてきて、あれ……意外と騒々しい? けどまぁ、秘密を打ち明けるには、そう悪くない場所だろう。
「あ、あのさ……」
さっそく本題を――と口を開くと、
「足の調子はどう」
「あ、足!?」
思わぬ質問に、間の抜けた声が出る。
「今朝言ってたでしょう? アクロバティックなつり方をしたって」
「や、あれはただの言い訳……」
「それって、やっぱりがっついてたってこと? 女性に手が早いタイプね」
「ちょっ、違うって! あれは夜神さんがフィオナだったから――」
俊斗の弁解に、ハッと目を瞠る瑠衣。深い紫の瞳が、驚きに揺れている。
この反応は、やっぱり……!
「前世ぶり……だよね、元気してた……?」
……って、なんじゃそりゃ。感動の再会に見合うような、洒落た言葉が出てこない。
だけど『フィオナ』なら、優しく受け止めてくれるんじゃないか。そう思ったのに――
「前世って何の話?」
彼女の反応は、ひどくそっけないものだった。
「や、だって夜神さんはフィオナの生まれ変わりで……」
「なにそれ。私、フィオナなんて知らない。前世とかそういう系の話、好きじゃないし」
「フィオナを知らないって、そんなはずないだろ……?」
今だって、胸が締め付けられるような思いがするんだ。夜神さんの放つ懐かしい波動が、強力な磁石のように俺を惹き付けて――これでフィオナじゃないとか嘘だろ……!
「夜神さんだって、俺のことチラチラ見てたろ? あれって、俺が前世の恋人だって気付いたからじゃ……」
「単に好みだから、じゃいけない?」
どこか挑戦的な流し目が、俊斗の顔をゆっくりと撫でる。
「転校先に好みの男の子がいたから、つい見ちゃったの。そういうのってダメかしら。不躾に見つめるなんて、はしたない女だと思う?」
「そういうわけじゃないけど……」
前世は否定するくせに、そーゆーこと言っちゃうんだ?
気恥ずかしくなって、瑠衣からぎこちなく目をそらす。
「私たち、体の相性がいいのかも――」
「ちょっ、いきなり何の話――!?」
ただでさえ赤い顔が、一気に茹で上がる。
「私のこと、一目でがっつくほど気になってるんでしょう。私もあなたのこと、一目見た瞬間から気になってる。これってある意味運命じゃない?」
俊斗の顔を覗き込んだ瑠衣がクスリ。吐息のように密やかな声で続ける。
「私たち、体の相性ばっちりね」
「……それ、普通に『相性』でよくないっすかね」
無駄に『体』とか付けるから妙に顔が熱い。
フィオナって、こんなこと言う子だっけ……?