第二章 二人目のジュリエット(2)


         🗝


「…………で、ごめんなさい、私…………」

 薄暗い小屋の中で、フィオナが何かを打ち明けている。

 そうか、ここは中立国コアレーテスの山小屋。二人がよく密会に使っていた場所だ。

 それにしても、何があったんだ――?

 白銀に輝く髪に、澄んだ湖の瞳。

 人間離れしたフィオナの美貌は相変わらず――だけど、ひどく弱って見える。もともと白い肌からはすっかり血の気が失せ、青白い頬が痛々しいくらいだ。

 建国祭のときは、元気そうだったのに……。

 これっていつごろの記憶だ? 思い出せずに戸惑っていると、

「つまり精霊石があれば君は助かる、そういうことだね? それならこれを――先祖代々伝わる精霊石のお守りなんだ」

 そう言ってレオが取り出したのは――見覚えがあるなんてもんじゃない。先ほど『現世』で目にしたばかりの、黒い宝石の輝くあのペンダントだった。

 そっか……病気……いや、呪いの類いか……? 詳細までは思い出せないけど、フィオナは命の危機に瀕してて、だけど精霊石があれば助かるって聞いて、レオ(俺)は彼女にお守りを渡そうとした。でも、このあと……。

 おぼろげな記憶を繋いでいると、やっぱり――。

「勝手な真似はよせ、一族以外への譲渡は契約違反だ!」

 中性的な子どもの怒り声とともにペンダントが光った次の瞬間――宇宙にも似た異空間にレオだけが飛ばされる。

「こんなトコに呼んで悪いね。けど、あの子の前で込み入った話はできないからさぁ」

 レオを待っていたのは、黒い蝶の羽が生えた紫のウサギもどき――現世にも現れたアイツだ。

「ボクはミリュビル。キミのお守りに――魔石に宿る魔獣さ」

「何の話だ、あのお守りは先祖代々伝わる精霊石。魔石なわけ……」

「ほんとやんなっちゃうよねぇ。いつの代からか、精霊石に間違われるようになってさぁ」

 紅の瞳を不本意そうに細めたミリュビルが「そもそもは、気が遠くなるほど昔の話さ――」と肩をすくめる。

「人間を脅(おど)かすのが趣味で日々愉快に暴れ回ってたのに、ちょっとしたヘマからキミの先祖に捕まっちゃったんだよねぇ。危うく封印されそうになって、契約を持ちかけたんだ。『ボクを助けてくれたらキミの一族を未来永劫守り続けてやる』って。それ以来、キミの一族のお守(も)りをしてきたってわけ」

「とんだデマカセだな。魔石の力は一代限りのまやかしと聞く、未来永劫の契約なんて……」

「失敬だな、ボクは魔石の中でも至高――人間の言葉を借りるなら『奇跡』の存在なんだ。源さえあれば無限の力を生み出せる」

「無限……? それならフィオナを救うことも……」

「ぷはっ、そんなの楽勝だよ」

 小馬鹿にしたように笑ったミリュビルは、「ああでも……」と醒めた目で続ける。

「力としては可能でも、実行はできないよ」

「どういう意味だ?」

「言ったろ、契約だよ。キミの先祖と誓ったのは『一族』への加護。適応範囲外の人間にまで力を貸したら、契約違反でボクが灰になる」

 ぶるぶるっと身震いしたミリュビルが、「こっちもウンザリなんだ」と鼻を鳴らす。

「封印なんて御免だし、キミの家系ならさぞ愉しめると思って契約したのに、無欲なヤツばっかで張り合いってもんがないよ。悪事にはまるで関心がないんだから」

「わざわざ悪事を望むとは……魔獣ってのは、ろくなもんじゃないな」

「なんだよ、ボクの加護がなきゃ少なくとも四回は死んでるくせに!」

「そ、そうなのか……?」

「そうだよ。大した旨みもないのに、初代との契約通りキミたち一族を守り続けてるボク……ああ、なんてカワイソウなんだ。本来ならキミみたいなツマンナイやつとは話もしたくないんだけど、契約を破ろうとするから、つい実体化しちゃったよ」

「なるほど、そういうことか……」

 納得したレオはしばらくの沈黙の後、意を決したように言った。

「魔獣相手に我ながらどうかしてるとは思うが――頼む、フィオナを助けてはくれないか」

「言ったよね、契約対象外に力は貸せないって」

 長い耳をダルそうに垂らしたミリュビルが、ふわぁぁぁっとあくびする。

「そもそも、キミが助けようとしてるのはランブレジェの聖女だろ? 敵を助けるなんて大罪、それこそ契約に触れるよ。不本意ながらボクにはキミを守る使命があるんだ」

「だったらなおさらだ。頼む、フィオナを助けてくれ」

 再び要求したレオが、腰の鞘からスッと剣を抜く。

「わぁお、恋人の命を救うためなら手段は選ばないってわけ? でも力に訴えても無駄さ、キミの剣じゃボクに勝てっこない」

「そうかもしれない。だが、これならどうだ?」

 レオはそう言って、剣の先をミリュビル――ではなく己の首へ向ける。

「契約上、俺の身を守る使命があるんだろ? ならフィオナを救う以外に俺を守る手はない。フィオナの命が尽きることがあれば俺の命も――俺を守れなかったお前も終わりだ!」

「彼女の跡を追う気か? バカはよせ、人間の女なんて他にいくらでもいるだろ」

「だとしても、俺にはフィオナしかいない! 彼女を幸せにできないんじゃ生きてる意味がないんだ、頼む! 俺を助けると思ってどうか、どうか力を貸してくれ……!」

 断ったらこの剣ですぐにでも命を絶つ。そう言わんばかりの気迫で嘆願するレオに、

「まさかこのボクを脅迫するなんてね――」

 わなわなとその身を震わせたミリュビルは、だが垂れていた両耳をピンと立て「あはは! ツマンナイ男かと思ったら、とんだ計算違いだったよ」と興奮気味に続ける。

「その激しくて危うい感情、いいよ、すごくいい……! キミならうん、確かにフィオナが死んだら跡追いしかねないし、キミを救うためにフィオナを助ける――それなら契約の抜け道としても充分だ」

「それはつまり、フィオナにも力を貸してくれる……そういうことでいいのか?」

「でなきゃキミを守れない――だろ?」

「あ、ああ、ありがとう……。すまない、フィオナのためとはいえ、脅すような真似……」

 恥じ入るように剣を収めるレオに、ミリュビルはクスクスと笑う。

「礼を言うのはまだ早いよ、キミの本気を見せてもらわなきゃ」

「俺の本気……?」

「初代との契約にないイレギュラーなことをしでかすんだ、それなりの担保がないとね。キミにはフィオナしかいないってこと、ちゃんと証明してよ。具体的にはそうだなぁ、こういうのはどうだい?」

 もふもふの小さな手を掲げたミリュビルが、胡散臭いほどの笑みで言う。

「生まれ変わってもフィオナを愛し続ける――そう誓ってよ。来世でもフィオナを見つけて必ず幸せにする――彼女のこと、本気で愛してるなら余裕だろ?」

「生まれ変わってもフィオナを愛する……か。どんな難題かと思えば、魔獣にしては随分ロマンチックな要求だな」

 急に協力的になったミリュビルに拍子抜けしつつも、「そんなことでいいなら――」とレオは頼もしく宣誓する。

「俺は生まれ変わっても絶対にフィオナを見つけるし、何があっても幸せにする!」

「あはは、契約成立だね。来世が今から楽しみだよ――」

 じゅるりと舌なめずりしたミリュビルが、紅の瞳でにまぁっと笑う。

 その背後には鮮血のように真っ赤な誓約の魔法陣が浮かび上がっていたけど――

 青い蝶の群れと純白の花びらが、ぶわぁぁっと『俊斗』の視界を阻んで、

 ミリュビルの妖しげな笑みが、ぼんやり遠のいていった。

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