第一章 運命の再会(1)
「しっかし、何度来てもすげぇな……」
クラスメイトでもある親友・
俊斗の部屋の二倍……いや、三倍はあろうかという広々とした空間には、勉強机にベッドに本棚……はいいとして、ゲーミングパソコンに高級ヘッドホンなどなど、子ども部屋とは思えぬ贅沢品がゴロゴロしている。
っていうかあの壁掛けテレビ、ウチのリビングのよりデカくね?
今座ってるこのソファも、ちょうどいい硬さで座り心地良すぎだし。
「あぁ、俺もこの家の子になりたい……」
自分の家に不満があるわけじゃないが、ごく一般家庭に生まれた身からすればただただ羨ましい。
それにしても――男子高生の部屋とは思えぬほどのイイ香りがする。
ルームフレグランス的なやつ……も使ってそうだけど、これはたぶん――。
俊斗はチラリ。己の肩に寄り添い本を読む親友――の妹、七星
ふんわりと巻かれたプラチナブロンドの髪に、淡いブルーの瞳。
清楚なワンピースから覗く、細くて長い手足。
クォーターなだけあって日本人離れしたルックスの彼女は、平たく言うと美少女……なんだろうけど、そんな言葉じゃ全然足りない。
類い稀な美貌は、絵本に出てくる妖精や女神にたとえた方が近いんじゃないか? お気に入りの本――ロミオとジュリエットを読む様がもはやアートだ。
「陽高先輩もなれるんじゃないですか、ウチの子」
視線に気付いた恵令奈が、本から顔を上げて俊斗を見上げる。
「たとえばほら、私のお婿さんになるとか」
クスッと小首をかしげる恵令奈。シャンプー、それとも香水か?
ふわふわと揺れる髪から、男子高生の部屋らしからぬ甘い香りが広がる。
「や、さすがにそれは現実的じゃないでしょ」
「えー、そうかなぁ」
可憐な唇を尖らせた恵令奈は、ぼふん! 俊斗の膝に勢いよく体を倒した。
「あると思うけどなぁ、お婿さん」
あどけない笑みを浮かべた恵令奈が、膝の上でゆらゆらと頭を揺らす。
ったく甘えん坊だなぁ、すっかり枕代わりにされちまった。
自分にも妹がいるせいか、ふっと微笑ましく思う一方で――
前々から思ってたんだけど、距離感おかしくないか? と危機感も覚える。
いくら自宅とはいえ、世の妹ってのは『兄の親友』の膝でこんなにまったりするもん?
ウチの妹――小町(こまち)もかなりの甘えん坊だし、肩に寄っかかってくるとかは日常茶飯事。それもあって恵令奈ちゃんの甘えっぷりも流してきたけど、さすがにこれは……。
膝の上ですりすりすり。子猫のように頬を寄せる彼女にドキリとしてしまう。
生暖かい熱気――ズボン越しに伝わる吐息が気まずいことこの上ない。
やっぱマズいよな。小町は小三だけど、恵令奈ちゃんはもう高一。
もし小町が恵令奈ちゃんの歳になってもこんなことしてたら……兄としてはすげぇ心配だし要指導案件だ!
「あのさ恵令奈ちゃん、前から思ってたんだけど、兄貴の友だちとはいえ男に無防備すぎるの、どうかと思うんだけど……」
「先輩、恵令奈のことイヤ?」
「イヤとかそういうんじゃなくて……。世の中には不埒なやつもいるし、もうちょっと警戒心持った方が安全だよって話。ほら、過度なスキンシップはあらぬ誤解を……」
「安心してください。こんなことするの、先輩にだけですから」
恵令奈がぱちぱちと、つぶらな瞳で
なんだそっか、それなら安心……ってそれはそれでどうよ?
妙に懐かれてるとは思ってたけど、これってたぶん、そういうことだよな……?
「と、年上をからかうんじゃありません」
受け取れない好意を感じて穏便に誤魔化す。――と、不服そうな恵令奈がガバリと体を起こした。
「んもう、先輩ってば子ども扱いしすぎ! 私たち、たった一つしか違わないのに!」
「そうは言われても、初めて会ったとき恵令奈ちゃんまだ中学生だったし……」
それに『親友の妹』って前提があるから、たった一つ差でもすげぇ年下に思えるんだよな。
ていうか誠司、お茶取りにいったきり戻ってこないな。なんか気まずいし――
「そうだ俺、誠司の様子見に……」
「先輩、ロミオとジュリエットってどう思います?」
俊斗の脱出を阻むように、恵令奈が読んでいた本を掲げる。
「どうって、悲恋モノだっけ?」
大まかなあらすじしか知らないけど、敵同士の家に生まれた恋人たちが不幸なすれ違いの末に命を落とす……的な話だよな?
「逆に聞くけど、恵令奈ちゃんはその本のどこが好きなの?」
「好き……?」
「だってそれ、前も読んでたろ? 歩きながら読むくらいだし、お気に入りとばかり……」
見覚えのある本の表紙に、恵令奈と出会った日のことを思い出す。
初めてこの家を訪れた際、二階の階段から彼女が落っこちてきたのだ。この本を熱心に、それも歩きながら読んでいたせいで足を踏み外したらしい。
一階にいた俊斗が慌てて抱き止め、大事には至らなかったが――。
「先輩、覚えててくれたんだ……!」
感激した様子の恵令奈が、可憐に笑う。
「今度演劇部でジュリエット役をやるんです。だから読み直そうかなって」
「へぇ、じゃあ特別好きな話ってわけでもないんだ」
「気にはなりますよ? ロミオとジュリエット、来世で結ばれたりしないのかなって。私が神様なら二人のこと絶対幸せにします。バッドエンドをハッピーに塗り替えるの」
そう語った彼女の声音はなぜだろう、驚くほど真剣だった。
「だって、それが運命だから――」
何かを強く訴えるような眼差し。
溢れ出る謎の迫力に、俊斗はゴクリと唾を呑む。
「そ、そっか……恵令奈ちゃんってロマンチストなんだ……?」
「ロマンチストなのは俊斗もだろ?」
不意に部屋のドアが開いて、スラリと背の高い美男子――誠司が入ってくる。
恵令奈と同じくクォーターではあるが、髪の色は暗めのブロンドで瞳はグレー。
現実離れした華やかさの妹に比べると、ずいぶん落ち着いて見える。
とはいえ涼やかな美貌の彼は学校でもモテモテ。貴公子だの王子だのと騒がれている。
フェンシング部のエースってのもポイント高いよなぁ。
つまり系統は違えど、見目麗しい兄妹には変わりないってことだ。
「はいこれ、今日は水出しハーブティーにしてみた」
手にしていたトレーから、誠司がグラスを差し出す。
ハーブティーって、なんか飲み物までお坊ちゃま感あるよな。ウチなら麦茶一択だ。
クスリと苦笑しつつ、ありがたく受け取る。
「てゆーか、俺がロマンチストってどゆこと?」
「だってよく言ってるだろ、前世の恋人の声が聞こえるって」
「あー、その話……。まぁ事実ではあるけど、急にそんなこと言ったら俺、妄想力高めのヤベぇやつみたいじゃないか?」
前世の恋人の声が聞こえる――なんて話、普通は困惑しかないだろ。
俺だって自分の身に起きてなきゃ到底信じられないし、さすがの恵令奈ちゃんもドン引きしてそう――と思いきや、
「前世からの声? そ、それって具体的にはどんな!?」
引くどころか、すんげぇ食いついてきた。
「それがフラッシュバックの一種……なのかな。ふとした瞬間、頭の中を青い蝶の群れがぶわぁっと駆け抜けるヴィジョンが浮かんで、『声』がするんだよね」
あれは一年前――高校に上がったころからだろうか。
気付けば『ある少女』の声が聞こえるようになった。
聞こえるといっても、たった一言だけ。俊斗を恋い慕うような切なげな声で、
『ごめんね、来世では絶対幸せになりましょう……』
いつもそれだけを伝えてくる。その声を聞く度に、
――ああそうだ、俺は『彼女』を幸せにしなきゃいけない……!
そんな使命感にも似た衝動に駆られる。
だけど、その『彼女』が誰なのか、まるで見当もつかない。
青い蝶の群れが邪魔で『彼女』の顔は見えないし……。
「声の主は『来世』って言ってるし、前世の恋人か、それに近い誰かだとは思うけど、前世のことなんて覚えてないしなぁ……」
謎の『声』について明かすと、さすがはロマンチスト。興奮した様子の恵令奈が前のめりになる。
「来世では幸せに……ってそれこそ悲恋の香り! 結ばれなかった二人が今度こそハッピーエンドを掴むんですね! 声の主、本当に心当たりはないんですか? それこそロミジュリ読んでみたら悲恋繋がりで何か思い出すかもしれませんよ?」
「うーん、どうせ読むならもっと平和な話がいいかな。ロミオとジュリエット、名作なんだろうけど、バッドエンドってどうも苦手でさ」
「それならいっそ付き合っちゃいます?」
付き合うって、誰と誰が――?
聞こうとしたが、その必要はなかった。
あどけない上目遣いが『私と♡』と誘っている。
「誰かと付き合えば、前世の恋愛を思い出すきっかけになるんじゃないですか?」
「そんなお試しみたいなのダメでしょ」
「えー、不思議な声の謎も解けて、可愛い後輩とも仲良くできる。一石二鳥の名案だと思うけどなぁ」
「それって、単に恵令奈が俊斗と付き合いたいだけなんじゃ……」
フッと苦笑した誠司が、空いているスツールに腰掛ける。
「そもそも毎度のことながらなんで僕の部屋にいるかな。人のソファ占拠しないでほしいんだけど」
「だってぇ、私も先輩と遊びたいし……ってそうだ! 先輩、今日は私の部屋にも来ません? 天蓋付きのベッドありますよ?」
「や、あったところで俺にどうしろと……」
「女の子のベッド、前世での濃密なロマンスを思い出すんじゃありません?」
長い睫毛をぱちぱちと瞬かせた恵令奈が、おませな瞳で見上げる。
ほんと絵になる美人だよなぁ。まだまだ子どもだけど、背伸びした色気が妙に艶っぽくて、見つめられるとすげぇ照れる。
それでもまぁ、あくまで『妹』なんだよな、俺にとっての恵令奈ちゃんって。
「前世の恋人、思い出せないならそれでもいい気がしてるんだ。なんつーか俺、恋愛とかまだピンと来ないし?」
これは受け取れない好意への予防線って意図もあるけど、半分は本当だ。
そりゃ俺だって健全な男子高生。笑顔で歌うアイドルにグッときたり、きわどいグラビアにドキドキすることはある。
けど誰かと付き合いたいとか、誰かを幸せにしたいとか、そーゆーのはまだよくわからないってのが正直なところだ。
それに――。
不思議な『声』の真相を突き止めたい気持ちはある。
だけど、いざ前世について考えようとすると、悪い意味で胸がざわめく。
開けてはいけない記憶の扉――まるでパンドラの箱だ。
ソレには手を付けるな、平和な『今』を守り通せ――。
そう本能が訴えているような――?
「思い出せないってことは、思い出さない方がいいのかもな……」
言い知れぬ不安に襲われ、ボソリとつぶやく。
「先輩……?」
心配そうに眉を寄せた恵令奈が、「そうだ!」と明るく話題転換。
「花火大会行きません? もうすぐ
「乞来……もうそんな季節か」
乞来祭というのは、毎年梅雨入り前の五月に行われる祭りだ。元は雨乞いの儀式だったらしいが、今じゃ『乞』と『恋』を掛けて恋来い――カップルやその予備群に人気のイベントになっている。
夏前の貴重な花火大会とあって、毎年賑わってるみたいだけど――
「祭りってすげぇ混まない? わざわざ行かなくてもニュースの映像で充分っつーか……」
「前から思ってたけど、俊斗って隠居したお爺さん的なとこあるよね。まったりしすぎっていうか、覇気がなくてボヤッとしてる」
呆れ顔で肩をすくめた誠司が「学校でもそうさ」と続ける。
「勉強も運動もできないわけじゃないのに、全然本気出さないだろ? 顔だって悪くないんだし、もっとシャンとすれば普通にモテそ……」
「んもぉ、お兄ちゃんってばう・る・さ・い! いいんですよ、先輩はモテなくて」
先輩には私がいますから! とでも言うように、恵令奈が俊斗の腕に絡みついた。
や、だから距離感……!
「とはいえ俊斗、ゲームすら理想の島作ったり、牧場広げたりするスローライフ系ばっかりだし。今日こそは熱いバトル系、付き合ってくれよ?」
「いやいや平和が一番だろ。バトルとか心が休まんねぇし……ってそうだ! それこそ花火ならゲームで……」
スッ――。腕にくっついていたはずの恵令奈が、急に体を引っ込める。
「先輩、花火もゲームイベントで済ませる気ですか? そのうち食事までゲームで! とか言い出しそうで怖いです」
「けど乞来祭って混み方エグいじゃん? もうやなんだよ、誰かの足を踏んだり踏まれたり……そんな負の連鎖は俺が断ち切ってみせる!」
カッコよさげに言ってはみたものの、恵令奈の冷たい視線が痛い。
「ま……まぁ、たまにはみんなでリアル花火も悪くないか。誠司も来るんだろ?」
「いや、今年の乞来祭って確か来週の日曜……」
スマホで日程を確認した誠司が「やっぱり……」と申し訳なさそうに首を振る。
「悪いけど、その日はフェンシングの練習試合があるんだ」
そんなの、試合の後ダッシュで来ればいいだろ、花火が始まるの夜だぞ?
……と言いたいところだが、フェンシング部を有する高校は数が少ない。練習試合とはいえかなりの遠出になるケースも多く、移動時間がハンパないそうな。
「そっか、じゃあやっぱ花火はゲームで……」
「え~~、お兄ちゃん抜きで行きましょうよぉ」
「や、でもなぁ……」
カップル予備群にも人気の乞来祭――二人で行ったら変に期待させそうだし……。
恵令奈ちゃんのことは『妹』にしか思えない。だからこそ誠実にいきたいっていうか、気を持たせるようなこと、したくないんだけど……。
「友達と行ってくれば? 女の子同士できゃいきゃい楽しいそ……」
「友達、みんな彼氏と行くんです」
ぶすっと唇を尖らせた恵令奈が、「私だけお留守番なんてヤダヤダ、私だって花火見たい見たい見た~い!」と細く長い脚をバタバタさせる。
「このままだと私、一人寂しくお祭りに……。道すがら野犬に襲われたり、UFOに攫われそうになっても誰も助けてくれないんだわ怖~い! 誰か一緒に行ってくれたら心強いのになぁ~~? なぁ~~? なぁ~~?」
や、野犬とかUFOとか、たぶん俺がいても助けらんねぇし……!
けどあれだな、恵令奈ちゃんみたいな子が一人でお祭りって、変な男が群がる予感しかないし、危険ではあるよなぁ……。
「……しゃーない、保護者役として付き添ってやりますか」
「うにゃーん、ほんとですか?」
キラキラと瞳を輝かせた恵令奈が、「うれうれ嬉し~っ!」と飛びついてくる。
「だから距離感! 過度なスキンシップは誤解のもとだって……」
「先輩になら誤解されてもいいも~ん!」
すりすりすり。恵令奈がまたしても子猫のように頬ずりしてくる。
や、ほんとそーゆーのダメだって!
保護者よろしく注意しようとしたところで――
――ピシリ。
遠くの方で音がした。
卵の殻にヒビが入るような、かすかな――だけど確かな亀裂音。
「なぁ、今なにか聞こえなかったか?」
同意を求めるが、誠司たちには聞こえなかったらしい。
二人とも、ぶんぶんと不思議そうに首を振る。
変だな、確かに聞こえたのに――。
耳の奥の残響に、俊斗の胸は妙にざわめくのだった。