プロローグ
「うーん、どこかに困ってる人はいないかしら?」
青い空の下、レクシアは金髪をなびかせながら、遥かに続く街道を見渡した。
数日前、リアンシ皇国の皇女シャオリンと共に恐るべき【七大罪】を撃破してリアンシ皇国を救ったレクシアたちは、街道に沿って大陸を南下していた。
きょろきょろと辺りを見回すレクシアに、銀髪の少女――ルナが呆れたように口を開く。
「人助けなら、ここに至るまでに散々してきただろう。足の悪いご婦人の荷物を持ったり、溝に嵌まった荷馬車を救出したり、魔物にさらわれた子どもを助けて母親の元に送り届けたり……」
涼しげな青い瞳に、絹のようにきらめく銀糸の髪。華奢ながら美しく引き締まった肢体は、研ぎ澄まされたナイフを連想させる。
ルナは可憐な見た目とは裏腹に、かつて裏社会で名を馳せた【首狩り】という凄腕暗殺者であった。
愛用の糸は、切れ味鋭い武器であると同時に、使い方次第では馬車さえ持ち上げることもできる万能のアイテムである。しかし扱いが難しく、常人には思い通りに動かすことさえ不可能なのだが、ルナはそんな糸を自在に操り、道中で凶悪な魔物を倒すのみならず多くの人を助けてきたのだった。
そんなルナの言葉に、隣を歩く獣人の少女――ティトも指折り数えながら付け足す。
「あとは、水が涸れた土地に井戸を掘ったり、村人を困らせていた山賊を壊滅させたりもしましたね!」
金色の大きな瞳が人懐っこそうにまたたき、桜色の唇から小さな牙が覗く。純白の髪には大きな猫耳が生え、その背後では同じく真っ白なしっぽが揺れていた。
希少な白猫の獣人であるティトは、世界最強の一角を担う『爪聖』の弟子でもある。元々強さは折り紙付きであったが、レクシアやルナとの旅を経て心身共に成長し、今や旅に欠かせない一員となっていた。
三人が旅の傍らでこなしてきた、人助けの範疇を超えた数々の偉業に、しかしレクシアは満足していないようで、ちちち、と指を振る。
「もちろんそういうのも大事だけど、もっと私たちにしかできないことがしたいの。国を救ったり、世界を救ったりね!」
陽光を切り抜いたような見事な金髪に、陶器のごとく白く透き通る肌。指先に至るまで美しく整った容貌は、道行く人が十人中十人振り返るほどに麗しく、絶世の美少女という表現がぴったりと当てはまる。
街道を意気揚々と歩く姿には、溌剌とした中にも抑えきれない気品が溢れていた。
それもそのはず、レクシアはアルセリア王国の第一王女――正真正銘のお姫さまなのである。
そんなレクシアが王城を飛び出し、故国から遠く離れた地で、こうして人助けをしつつ旅をしているのには理由があった。
「私はもっともっと、世界のためになるようなことを成し遂げたいの! そうじゃなきゃ、ユウヤ様に相応しい淑女になれないもの!」
レクシアは、この世界の危機を幾度となく救い、数々の武勇を打ち立てた最強無双の少年――『
レクシアの大胆な発言に、ティトが目を丸くする。
「も、もっとですか……!? もう充分成し遂げていると思いますが……!」
「それに、そうそう国や世界の危機などあってたまるか。今までが異常だったんだ」
ティトとルナの言う通り、レクシアの思いつきから始まったこの旅で、三人は立て続けに三つの国を危機から救っているのであった。
しかしレクシアは首を横に振りつつ腕を組む。
「だめよ、ユウヤ様に相応しい伴侶になるためには、まだまだ足りないわ! 世界のひとつやふたつは救わないとねっ!」
「ユウヤさんって、本当にすごい方なんですね……!」
「まあ、会えば分かるが、何もかもが規格外なんだ。その上、本人には自覚がないからな……存在自体がでたらめだ」
「そ、そんなに……!?」
レクシアの護衛兼お守り役のルナは、やれやれと肩を竦める。
「それよりも、レクシア。さすがにそろそろアルセリア王国に帰らないと大変なことになるぞ。公務も滞っているんだろう?」
するとレクシアは「んむむむむ……!」と頬を膨らませた。
「どうして公務の話なんてするのよ!? そんな退屈な話、聞きたくないわ!」
「退屈って、お前な……。まあ、私などには、王族の執務がどれほど膨大で多忙を極めるかなど想像もつかないが……こうしている今も、お前の執務机にはどんどん書類が積み上がっているのだろうなぁ」
「聞きたくないって言ってるのにー! なんでそんなイジワル言うのよーっ!?」
「イジワルではなく忠告だ」
ため息を吐くルナに続いて、ティトも心配そうに口を挟む。
「で、でも確かに、一度戻ったほうがいいというのは、その通りかもしれません……旅をはじめてから結構経っていますし、レクシアさんのお父さんも護衛の騎士さんも、とても心配されていましたし……」
一行は、先日立ち寄ったリアンシ皇国で、思いがけずレクシアの父――アーノルド国王と護衛のオーウェンとの邂逅を果たしていた。レクシアを溺愛し、あるいは心配する彼らが他人の目もはばからず取り乱す様子は、見ていて哀れになるほどであった。
レクシアは「む~っ!」と口を尖らせ――ふっと表情を緩めた。
「……そうね、分かったわ」
「ん? なんだ、今回はやけに聞き分けがいいな。それなら、すぐにアルセリアに向けて――」
レクシアの気が変わらない内にと、ルナが進路を修正しようとする。
しかしレクシアは翡翠色の瞳を煌めかせ、高らかに宣言した。
「次の行き先は、南の島よっ!」
「え、えええええええええ!? い、今、完全に国に帰る流れだったのでは……!?」
「お前は突然何を言い出すんだ!?」
「少し羽を伸ばすくらいいいじゃない、帰ったら山のような公務が待ってるのよ!? 可哀想だと思わない!?」
「いや、完全に自業自得だと思うが……」
半眼のルナを華麗にスルーして、レクシアは空に向かって大きく両手を差し伸べる。
「実は、前から南の島に行ってみたかったのよね! 青い海、白い砂浜、眩しい太陽っ! ユウヤ様とのハネムーンに最適だと思わない!?」
「はあ、全く……ティトも言ってやれ」
しかしティトは、目をきらきらさせて食いついた。
「そうですね、レクシアさんっ!」
「ティト!?」
「海で遊ぶなら、水着を買わなきゃですね! あと、浮き輪も必須です!」
「そうそう! ティト、分かってるじゃない!」
「ティトまでどうしたんだ!?」
ティトは興奮に頬を上気させながら、大きな猫耳をぴこぴこさせる。
「実は昔、南の島がでてくる絵本を読んだことがあるんです。それ以来、ずっと憧れてて……! レクシアさんのお話を聞いていたら、とっても行きたくなっちゃいました!」
「そうよね、人生で一度は行ってみたいわよね! というわけで、次の目的地は南の島に決定よ!」
「待て、これ以上アーノルド国王とオーウェンを心配させたら、どんなことになるか分からないぞ! やはり一度アルセリア王国に――」
止めようとするルナに向かって、レクシアは小首を傾げた。
「あら、それならルナは行かなくていいの、南の島? せっかくユウヤ様とのハネムーンの候補地を下見する機会だっていうのに」
「うっ、そ、それは……!」
「きっと楽しいでしょうね、自然がいっぱいの島でユウヤ様と過ごすの。きれいな海で水を掛けあいっこしたり、砂浜で一緒に木の実のジュースを飲んだり……たくさん予行練習しなくっちゃ!」
「ううっ……! わ、私だってユウヤと……!」
ルナは頬を染めて逡巡していたが、やがてため息を落とした。
「……はあ、仕方ない。満足したらちゃんと帰るんだぞ、約束だからな」
「やったわ! ありがとう、ルナ!」
「ただし、今度こそ正体をバラすなよ。面倒なことになるからな」
「分かったわ! 海岸沿いの街まで行けば、南国諸島行きの船が出てるはずよ!」
「待て。その前に、アルセリア国王に手紙をしたためてから――」
「ユウヤ様とのんびり過ごすためには、なるべく観光客がいなくて自然がいっぱいの島がいいわね! そうと決まったら南の島に向けて、いざ出発よーっ!」
「おい、聞いているのか? こら、レクシア! 先に手紙を書け!」
「はわわわ、待ってください~!」
こうしてレクシアたちは南の島を目指すべく、港町へと針路を取ったのだった。