第一章 『爪聖』の弟子(1)
王都の
「だが、旅といってもどこに行くんだ? 行き先は決まっているのか?」
「決まってないわよ?」
けろりと答えるレクシアに、ルナは膝から崩れそうになった。
「いくらなんでも無計画すぎるだろう……!」
「仕方ないじゃない、急に決めたんだもの」
「まあ、それはそうだが……行き先がないことにはどうしようもないぞ。せめてあてはないのか? 他国に知り合いとか……」
「うーん、知り合い……」
レクシアは少し考えて、ぱっと顔を上げた。
「それならレガル国に行きましょう! レガル国ならオルギス様やライラ様がいるわ!」
レガル国はアルセリア王国の隣国で、世界一の魔法大国である。そしてレクシアはアルセリア王国の王女として、その大使を任されていた。
元々、両国は友好関係にあったのだが、レクシアが、レガル国王オルギスの娘──ライラ王女と
「確かに隣国だし行きやすいが……急に押しかけて迷惑がられないか?」
懐疑的なルナに、レクシアは自信満々に胸を張った。
「ここのところお会いできていなかったもの、きっと歓迎してくれるわ。出立のご挨拶もしたいし。それに、オルギス様やライラ様が何か悩みを抱えていたら、私たちが助けられるかもしれないしね! もしそうだったら、人助けをするっていう旅の目的がさっそく果たせるわ!」
「はあ。そううまく運ぶといいんだがな」
諦めたようなため息を
「というわけで、行き先はレガル国に決定ね! レガル国に着いたら、まずは王城に行くわよ!」
「やれやれ、先が思いやられるな……」
***
「レクシア殿、ルナ殿。
レガル国の王城へ着くと、二人はすぐに謁見の間へと通された。
重厚な服に身を包み、厳格な顔立ちをした男性──レガル国王オルギスが、突然の訪問に驚きつつも二人を迎える。
「ごきげんよう、オルギス様。突然だけど私たち、旅に出たの!」
「た、旅? 旅とは、まさかお二人だけでか? 一体どういう経緯で……」
「まあ、そういう反応になるだろうな」
オルギスが戸惑い、ルナが小さく
しかしオルギスのそんな反応を気にすることなく、レクシアは切り出した。
「それよりオルギス様、顔色が優れないように見えるわ。何かあったの?」
「! ……ああ、いや、このところ忙しくてな。少々疲れているだけだ、心配は無用──」
「オルギス様だけじゃないわ。城内にも活気がないし、みんな元気がなかったみたい。──それに、ライラ様の姿が見えないわ。ねえオルギス様、ライラ様はどこなの?」
レガル国の第一王女であるライラは、輝くような美貌と
「それ、は……」
動揺するオルギスを見て、レクシアは真剣な顔で身を乗り出した。
「もしかして、ライラ様の身に何かあったの?」
「……ライラは……」
オルギスが一瞬言葉に詰まる。しかしいつまでも隠し通せることではないと腹をくくったのか、沈痛な面持ちでゆっくりと口を開いた。
「……実は、まだ他国の王にはもちろん、国内にも公表していないのだが……ライラは今、サハル王国にいる」
「サハル王国に!?」
「一体なぜ……」
レクシアとルナは思わず驚きの声を上げた。
サハル王国は、南の方角に位置する、古くからある大国だ。交易が盛んで、熱気と活気、歓楽と陽気さに満ちた国柄から、太陽の国と呼ばれている。
しかしレガル国からはかなりの距離があり、両国の親交が深いという話も聞いたことがない。
オルギスは苦渋に満ちた声を絞り出した。
「南の大国であるサハル王国のブラハ国王から、第一王子との婚約を申し込まれてな……我は行かせたくなかったのだが、ライラは国同士の平和のためになるならと、サハル王国へ
「婚約ですって!? そんな、今まで婚約の話なんて、全然なかったはずじゃない」
「随分急な話ですね」
レクシアは驚きのあまり目を丸くし、ルナも同調する。
オルギスは肩を落とし、深い息を吐いた。
「我も突然のことで驚いておる。一日でも早く来てほしいと
「ライラ様は前に『わたくしを
「そういう話は聞いたことがないが……」
「レガル国の人たちは、ライラ様の婚約のことはもう知っているの?」
「いや、この話はまだ城内にとどめておる、国民は何も知らん」
「このことを知ったら、国民も
ライラの気高さと気丈さ、そして魔法大国の名を代表するその才能は、レガル国民の誇りだった。レガル国民にとって、ライラを失うことは太陽を失うのにも等しいはずだ。
レクシアは真剣な表情で考え込んだ。
「……この婚約、変よ。あまりに急すぎるわ。それにブラハ国王だって、政略結婚を外交のカードに使うようなお人柄ではないはずよ」
「ああ、我も驚いた。サハル王国も一枚岩ではないのかもしれん。ライラとしても望まぬ婚約だろう、本当ならばすぐにでも呼び戻したいが……責任感の強い娘だからな。サハル王国は国力も強大で、歴史も古い。下手に断れば、事が荒立つ危険性もあった。国と民を思えばこそ、ライラは我の言葉も聞かずレガル国を発ったのだろう……」
そう目を伏せるオルギスの眉間には深いしわが寄り、心からライラを案じているのが伝わってきた。
レクシアは顎に指を添え、真剣な顔で考え込む。
「ライラ様はきっと、この婚約を望んでいないはず。それに、不自然な婚約に漂う、怪しい香り……ライラ様の身に危険が迫っているかもしれないわ……! ──今すぐにサハル王国に行くわよ、ルナ!」
「はあ。恐ろしいほど行き当たりばったりだな」
「ま、待たれよ、レクシア殿。サハル王国に向かうとは?」
困惑するオルギスに、レクシアはまっすぐなまなざしを向けた。
「私たち、困っている人を助けるために、世界を巡る旅に出たの」
「ほ、本当に旅に出られたのか、それもルナ殿一人を連れて人助けの旅とは……よくお父上が許されたな……」
「正確には許したというか、勢いで押し切られた形だったがな」
ルナがぼそりと呟くが、レクシアは
「安心して、オルギス様。私たちがサハル王国に行って、この婚約の謎を解き明かしてみせるわ。そしてもしライラ様の身に危険が迫っているようなら、私たちが助けるわ!」
「し、しかし……」
オルギスは思わず言い
しかしそんなオルギスを、レクシアは柔らかなまなざしで見つめた。
「私、知ってるもの。ライラ様は誰よりもレガル国とレガル国の人々を愛しているって。国民を哀しませてまで遠い異国に嫁ぐなんて、絶対に望んでいないはずよ。私だって、ライラ様やオルギス様が哀しんでいるなんて、放っておけないもの」
「……! レクシア殿……」
オルギスが声を詰まらせる。
レクシアは
「任せて。必ずライラ様を無事に連れて帰るわ! これが私たちの旅に課せられた、最初の使命なのよ!」
オルギスは目を見開いた。
国のために身を差し出したライラの決意の手前、そして王という立場上、引き留めることができなかったが、誰よりも娘の幸せを願う父として、レクシアの言葉は暗雲に差し込んだ一条の光であった。
オルギスはぐっと拳を握り、
「かたじけない。ライラを……我が娘を、よろしく頼む」
「ええ!」
「まったく、安請け合いするような内容ではないだろうに……まあ、レクシアはこうでなければな」
ルナはため息を吐きつつも、小さく笑った。
無鉄砲さに
「そうと決まったら、もうこの国に用はないわ! またね、オルギス様!」
「も、もう!? 滞在時間短すぎんか!? いや、行動が早くてありがたいのだが……!」
「あっ、でも砂漠に行くなら、それなりの準備が必要ね! 荷造りをしなおさなきゃ!」
「あ、ああ、それなら貴賓室を使うがいい、すぐに案内させよう」
部屋を借りて準備を整えると、王城を飛び出す。
レクシアは
「次の行き先はサハル王国に決まりね! まずはライラ様に会って、真意を確かめるわよ!」
「やれやれ、長い旅になりそうだな」
こうしてレガル国を飛び出した二人は、太陽の国・サハル王国を目指すべく、南へと針路を取るのだった。