◆入学式

 冬の寒さが少し和らぎ、陽の昇りが早くなって来た春先。

 ジャージを身に纏った背の高い少年・水無月彩人が、河川敷を走っていた。

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」

 大きくストライドを伸ばし、一定のリズムで軽快に。

 けれど、いつもより少しだけ早く、慣れた道を駆け抜けていく。

「おぉ、おはよう彩人君」

「おはよう、じいさん! 今日も元気だな」

 折り返し地点に来たところで、顔馴染みのお爺さんに声を掛けられた。

 彩人は元気よくそれに応えると、速度を緩めその場で足踏みに切り替える。

「ハッハッハー。彩人君には負けるわい。いつにも増して元気そうじゃの」

「おっ、分かる? 今日俺高校の入学式なんだよな」

 いつにも増して元気そうな彩人にお爺さんがどうしたのかと尋ねれば、嬉しそうに今日が高校入学の日だと語った。

「おぉ、それはめでたいな。入学おめでとう」

「ありがと。電車通学とか初めてだから、めっちゃ楽しみなんだよな」

「そうかそうか。頑張ってきんさい」

「おう。流石に入学式遅れるわけにはいかないからさ。もう行くな。じゃあなじいさん」

 お爺さんからの応援の言葉を最後に、彩人は別れを告げるとランニングを再開した。

(まぁ、でも何だかんだ一番楽しみなのはアイツと一緒に学校行けることだな)

 少し距離が開いたところで、彩人は口元を微かに緩ませる。

 思い浮かべるのは幼馴染の少女。

 彼女とはとても仲が良くかれこれ十年近くの付き合いになるのだが、家がかなり遠く小中は別々の学校に通っていた。

 が、今高校入学を機にようやく同じ学校へ通えることになったのだ。楽しみじゃないわけがない。

 二人とも合格したと分かった時は、あまりの嬉しさに彼女を抱き上げくるくる回って喜んだのを今でも覚えている。

「よしっ! さっさと帰って準備しないとだな」

 早く幼馴染と学校に行きたい。

 そう思ったら、足は自然とより前へ前へ。

 気が付けば、ほぼ全力疾走状態。

 この後の反動が物凄いことになるだろうことは目に見えていたが、ハイになっている彩人は自分の意思で足を止めることが出来なかった。

「ぜぇはぁ……ぜぇはぁ……調子に乗り過ぎた」

「あら、今日は早かったわね彩人」

 家に帰宅すると、案の定彩人はヘロヘロになっており靴を脱ぐとすぐに廊下に倒れ伏す。

 その音に反応して、母親の矢花やばながリビングから顔を出した。

「ぜぇはぁ、あぁ~疲れた」

「珍しいわね、体力バカのアンタがそんなになるなんて」

「いやぁ……テンションが上がっちゃってついさ」

「なるほど。気分が高揚すると後先考えない癖は高校生になっても相変わらずね。はい、さっさとシャワー浴びてらっしゃい。汗臭い状態で莉里ちゃんに会うわけにはいかないでしょ」

 久しく見ていなかった息子のお疲れモード。

 心配になって矢花が理由を尋ねれば、返ってきたのは彩人らしいもので。

 心配して損したと呆れ顔を浮かべ、風呂に入るよう促した。

「……うい~」

「……本当に大丈夫かしら?」

 返事をするだけで全く動き出そうとしない彩人を見て、一抹の不安を感じながらも矢花は朝食作りに戻った。

「あむ……うま! 母さん今日のだし巻き卵も相変わらず火加減が最高だぜ」

「ありがとう……はぁ、そういえばこういう子だったわね」

 数分後。

 それが完全に杞憂だったことを矢花は思い知る。

 シャワーから戻ってきた彩人はいつもの調子に戻っており、ガツガツと勢いよく朝食をかき込んでいた。

 風邪を引いても、少し寝ればすぐ元気になるような子だ。あの程度で心配するだけ無駄だったと矢花は溜息を吐いた。

「大丈夫だとは思うけど、一応確認。待ち合わせ何時になってるの?」

「確か、七時半にあっちの駅集合だったはず。ちょっと待って確認してみるわ」

 山盛りのご飯がみるみるうちに減っていくのを横目に、矢花は時間は大丈夫なのかと聞いた。

 昨日の夜散々確認したため大丈夫だと彩人は思ったが、話してる途中に何だか不安になってスマホを開く。

 メッセージアプリを開き幼馴染とのやり取りを遡った。

「大丈夫。合ってた。そういうわけだから、俺七時前には出るから」

「そう。気をつけて行きなさい。昨日話した通り母さんと父さんはもう少し後から行くわ」

「分かった。ご馳走様!」

「はい、お粗末様」

 幸い、彩人の記憶違いということはなく集合時間はそのままだった。

 心の中で胸を撫で下ろしつつ、彩人は残りのご飯をあっという間に平らげ席を立つ。

 使った食器を軽く水洗いし、自分の部屋に戻った。

「やっぱ新品の制服は苦手だな」

 部屋に戻って早々、制服に着替えた彩人。

 姿見の前に立ち、色々動かしてみたがどうにも息苦しい。

 キッチリした服とは相性が悪い。

 そう思いながら、締めていた第一第二ボタンを外し、ネクタイを少し緩めた。

「これくらいなら大丈夫だろ、多分」

 そうすると、姿見に映る自分はツンツンとした髪型や快活な顔と相まって、どこぞのヤンキーに見えなくもない状態になっていた。

 しかし、これくらいは誰でもやっているから大丈夫と無理矢理言い聞かせ、通学鞄を片手に部屋を出た。

「彩人。おはよう」

「おはよう。父さん」

「制服似合ってるな」

「……そうか?」

 部屋を出ると、同じタイミングで斜め横にある寝室から父親のようが現れる。

 朝の挨拶を交わすと息子の制服姿を初めてみた陽から似合っていると褒められた。

 だが、先程ヤンキーっぽいと思ってしまった手前、彩人はなんとも言えない顔になる。

「どうした? あんまり嬉しく無さそうだな」

「いや、別に」

「大丈夫だ。お前はイケメンな俺と美人な母さんの自慢の息子だからな。自信を持て、お前はそこそこ顔がいい」

「自己評価高ぇなおい」

 彩人が自分に自信を持ててないと勘違いし、陽はフォローしてくれたのだろうが、あまりの自己評価の高さにびっくりしてしまった。

 母親である矢花はともかく、陽はお世辞にもイケメンと言えない顔をしている。

 元気付けるために盛ったのだろうが、流石に無理があるんじゃないかと彩人は思いつつ、余計なことを言うと怒られるのでそれ以上は何も言わなかった。

「まぁ、ありがと。俺、そろそろ行くわ」

「あぁ、いってらっしゃい」

 長く話しているとボロが出そうなのでその場から離脱を選択。

 一旦洗面所で寝癖直しと歯磨きをしてから、家を出た。

 家から駅までは三キロと程々に遠く、歩いていくと時間が掛かるので自転車で移動。

 道中、まだ小中学生の登校時間ではないからか人が少なく、歩道を使えたので想定した時間よりも早く着くことが出来た。

「うげっ、この時間なのにめっちゃ人いる」

 駐輪場に自転車を止め、改札に登ると結構な数の人がいた。百人強は間違いなくいるだろう。

 手狭な駅に、しかも朝の七時前にこんなに人がいると思っておらず彩人は顔を顰める。

(てっきり椅子に座れると思ったのに)

 高校のある駅に行くまで結構時間が掛かるので出来れば座りたかったのだが、この様子を見るに無理そうだ。

 彩人は肩を落としながら、定期を使って改札をくぐる。

 ホームに降りてすぐ近くにあった列に並び、色んなソシャゲのログインボーナスを回収していたら電車がすぐにやって来た。

 それは本来彩人の乗る予定よりも一つ早いものだったが、早めに行っておくに越したことはないだろうと思い電車に乗り込む。

 そこそこ窮屈な思いをしながら、電車に揺られることしばらく。

 待ち合わせをしている駅に着いた。

 電車を降りてすぐ、キョロキョロと幼馴染の姿を探す。

 どうせまだ来ていないだろうが念のため、そう思いながら周囲を見渡していると端っこの方に人だかりが出来ているのを見つけた。

(まさかな)

 そんなことはあるはずが無いと思いながらも、彩人は人だかりの方へ向かう。

「あそこの子めっちゃ可愛くね?」

「芸能人かな? スタイル良過ぎでしょ」

「金髪ってことは外国人か。クソッ、俺英語話せねぇよ」

 ある程度、近づいたところで男子学生達の話し声が聞こえてくる。

 それを聞いた瞬間彩人の中にあった疑念は確信に変わり、彼らの視線を追った先には案の定ひときわ目を引く美少女が佇んでいた。

 亜麻色のサラサラとした髪は腰まで届くほど長く、その一部を瞳と同じ青色のリボンと一緒に編み込んでいるのが特徴的。

 また、女性にしては背が高く、スタイルも出るとこは出て引っ込むとこは引っ込んでいるグラマラスな体型。

 まさに、絵に描いたような理想の美少女。

 しかし、周りに人が集まるだけで話しかける者はいない。

 それは、少女が纏う雰囲気が故だろう。近づく者を全て拒絶する吹雪のように冷たいオーラが彼女から発せられているからだ。

 誰もがそれに尻込みし、遠巻きに眺めているだけの中、一人の少年が彼女に近づいた。

「よっす!」

 その少年とは勿論、彩人だ。

 周りの空気や彼女から出ているオーラなど知ったことかと、全て無視し馴れ馴れしく美少女に話しかけた。

 絶対零度を思わせる冷めた瞳が彩人に向けられる。

 誰もがそれを見た瞬間『アイツ終わったわ』と思った。

「……。おはよう、彩人」

 しかし、次の瞬間冷たい空気が溶け出し、ふわりと柔らかいものに変わって彩人のことを歓迎する。

 あまりの変化に周囲の人間達は目を剥くが、こうなるのは当然のことだった。

 そう、目の前にいるこの美少女こそが件の幼馴染。街鐘莉里。幼少の時に、たまたまキャンプ場にて出会い仲良くなった女の子だ。

「おはよう莉里。集合時間よりもかなり早いけど何でいるんだ?」

「何となくだよ。彩人なら早く来そうだなって。まさか、本当に来るとは思わなかったけど」

「マジかよ。……って、どうせ母さんが連絡したんだろ」

「あっ、バレた?」

 テヘッ、と悪戯な顔で舌を出す莉里。

 彩人は流石にこんくらい分かると呆れた。

 長い付き合いだ。流石に彼女が勘なんて不確かなもので動かないことは知っている。

 彼女が自分を見つける時は大抵何かしらの理由があった。

「矢花さんから彩人が出たってメールが来て、驚かせようと思ったんだけどね~」

「人が大勢いる場所でお前に隠密は無理だろ」

「あはは、そうだね」

 お互いに周囲を見渡し苦笑いする。

 流石にこれだけ人を集めておいて驚かせようというのは無理があるだろう。

「とりあえず移動すっか」

「うん」

 流石にジロジロと周囲から視線を向けられて居心地が悪い。

 彩人と莉里は、視線から逃れるように人だかりを飛び出し誰もいない場所を求めて移動する。

「何か変な感じ」

「分かるわ、俺もちょうど思ってた」

 その間、莉里がぽつりと呟けば同じことを思っていた彩人も頷いた。

 莉里と会うとなれば時間は昼か夕方のどちらか。

 朝の七時過ぎから一緒にいたことが殆どなく、隣にいることの違和感が凄い。

「ふふっ、でも本当に同じ高校行けるなんてね。彩人の学力だと正直無理だと思ってた」

「まぁ、文字通り死ぬ気で勉強したからな。本当にあの時はヤバかった」

 彩人と莉里の学力は相当離れており、本来ならば一緒の高校に通えるものではなかった。

 だが、ずっと昔から寂しそうな顔で一緒の学校に行きたいなと口にしていたのを覚えている。

 だから、彩人はどうにかしてそれを叶えてやりたいと思い勉強することを決意したのだ。

「受験会場で会った時、呪文のように教科書の内容を呟いているの面白かったなぁ。その時の動画あるけど見る?」

「やめろ、あの時のことは思い出したくない」

 自分でそう決めてやったのだから後悔はないが、中学三年生の間ずっと勉強漬けだったからか頭がおかしくなることが多々あり黒歴史は多い。

 彩人の思い出したくない唯一の暗黒期だ。

「お前、人の心とか無いのか?」

『織田信長は楽市楽座をして、円周率が三点一四で、レ点が一個後ろに戻って――』

「あぁぁぁ!」

「人の心がないとか言うからだよ」

 動画が再生され、発狂する彩人。

 莉里はそんな彩人を見て自業自得だと息を吐く。

 元々、莉里として動画流すつもりは莉里に無かった。

 が、人の心が無いと言われてしまえば仕方がない。指が勝手に再生ボタンを押していた。

 その後、二人の黒歴史暴露合戦が始まり熱中し出したところで電車が来て結果は痛み分けで終わった。

 精神的ダメージが大きく、休みたいと二人は思ったが車内は案の定、人が多く空きはない。

 彩人と莉里は二人並べるくらいのスペースを見つけると、そこに身体を滑りこませた。

 吊り革に捕まり、もの凄い速さで流れていく景色をボッ~と眺める。

(んっ?)

 高校のある駅にもうすぐで着こうとした時、不意に近くにいるメガネをかけたサラリーマンの男の怪しげな動きを鏡越しに捉えた。

 何をしているか気になり、よくよく観察してみるとゆっくりと手を伸ばしている。

 向かう先は、莉里のスカート。

 これを見るに十中八九痴漢だろう。

 痴漢を止めるため、彩人が腕を掴むと別方向から同じように誰かが男の手を掴んだ。

「痴漢です!」

 直後、車内に少年の声が響き渡る。

 何処にでもいるような、特徴的のない声質なのにも関わらず、その少年の声はやけにすっと周囲にいた人間の頭に入った。

 が、今回の場合はそれが良くない方向に働いた。

「嘘! どこ?」

「もしかして、貴方?」

「違う。私じゃない」

「いや、この人です」

 誰かが痴漢をしている。

 最初にこの人と、相手を名指しで痴漢が起きていると言わなかったからか、車内にいる全員が全員を疑い出しパニック状態。

 想定外の出来事に、事態を落ち着けようと少年は声を上げたが、周りの喧騒に揉み消されてしまった。

「あっ!」

(クソッ)

 周りの人が一斉に動き出したのを利用して、二人とも腕を振り解かれる。

 もう一度捕まえようと腕を伸ばそうとしたが、丁度よく電車のドアが開き逃げられてしまう。

「ッチ、逃した」

「彩人、大丈夫。どうせ捕まえても証拠がないから白を切られておしまいだろうし。追いかけるだけ無駄だよ」

「……~~! ……まぁ、未然に防げたんだからよしとするか」

 さらに追いかけようとしたところで、莉里から意味はないと制止を受け踏みとどまる。

 気持ちとしてはまだ追いかけたいが、確かに彼女の言う通り捕まえても、触ったわけではないので指紋が検出出来るわけじゃない。

 彩人はガリガリと乱雑に頭の後ろを掻くと、追走を完全に諦めた。

「触られる前に止めてくれて、ありがと」

「別に。気づいてたんなら、お前でもどうにか出来ただろ」

 あの時は自分しか気が付いていないと思っていたから、咄嗟に腕を掴んで止めてしまった。だが、されそうになっていた本人が気が付いていたのなら話は別だ。

 彩人よりも頭の良い莉里ならば、何かしらもっと良い方法を取っていただろう。

 それが分かるだけにやるせなく、彩人は莉里からのお礼を素直に受け取ることが出来なかった。

「それでもだよ。私を慮って動いてくれたんだから。嬉しかった。ありがとう、彩人」

「……どういたしまして」

 しかし、色々な事情から彩人以外の男が苦手な莉里からしてみれば、知らない男に触られるより触られない方が断然良い。

 彩人には本当に感謝している。

 改めて、そのことをもう一度顔を覗き込みながら伝えたところで、彩人もようやく莉里が気にしていないことを理解した。

 恥ずかしそうに、フィッと横を向き礼を受け取った。

 それから、電車を出ようとしたところで彩人は先程自分と同じように痴漢を止めた少年を見つけた。

 見つけられた理由は、男の腕を掴んでいた手と同じ位置に絆創膏があったからだ。

「なぁ、さっきはありがとな」

「えっ、えっと?」

 少年の元まで駆け寄り、大事な幼馴染を守ってくれたお礼を言う彩人。

 突然のことに理解が追いつかず、少年は不思議そうに首を傾げた。

 童顔だからか、男ながらも首を傾げる姿が女の子のようで。一瞬本当に男なのかと彩人は疑ってしまった。

「あぁ、悪い悪い。説明不足だったな、さっき痴漢されそうになっていたのが俺の幼馴染でさ。止めてくれて助かった」

「……幼馴染? な、なるほど! そういうことか、いや全然お礼を言われるようなことはしてないよ。逃げられちゃったし」

「あんだけ混乱してたらしょうがねぇよ。それに、事件は起きるよりかは起きない方がいい。事前に止められたんだから、気にすんな。っても、俺も幼馴染に言われるまで気にしてたんだけどな」

「そっか。それなら良かったよ」

 少し前の彩人同様に少年は素直に礼を受け取らなかったが、自虐を交えながら励ますと少年の顔は少しだけ明るくなった。

「そうだ。こっちゃ来い。コイツも痴漢を捕まえようとしてくれたんだ。莉里からもお礼を言っとけよ」

 そう言って、彩人が莉里にも礼を言うよう伝えると、莉里は不服そうにしながらも近づいてきた。

「……ありがとうございます」

 ある程度近づいたところで小さく頭を下げお礼を言うと、スタスタと彩人を置いて一人歩き出す。

「ちょっ、何処行くんだよ。悪いな、ちょっとアイツ男のこと苦手でよ。でも、根は良い奴だから、あんま気にしないでくれると助かる。じゃあな」

「あっ、ちょっと」

 うかうかしていると、本当に置いてかれそうだ。

 少年には悪いと思いながら、彩人は軽いフォローを入れると莉里の後を追いかける。

 まるで嵐のように慌ただしく去っていった彩人達。

 一人残された少年の声だけが虚しくホームに響いた。

「お前の男嫌いも相変わらずだな。礼を言うだけなんだから、もう少し愛想よくしろよ」

 改札を出たところで、莉里に追いついた彩人は先程のやりとりについて苦言を呈す。

 いくら苦手だとはいえ、流石にあれは無愛想過ぎる。笑顔の一つでも見せれば、相手の印象も良くなるはずだ。

 莉里を思っての発言だったが、彼女はそれを聞くと溜息を吐いた。

「でも、そうしたら男の人って勘違いするでしょ?」

「あ~……あぁ」

 核心をついた一言。

 それは、やけに実感が籠っていて説得力があった。美人な莉里のことだ、小中学校のうちに似たようなことを何度も体験したのだろう。

 彩人自身はイマイチそういった感覚はよく分からないが、消しゴムを拾ってもらっただけで女子が好意を持っていると勘違いして、告白し玉砕した馬鹿な男の友人がいる。

 確かに、あれを間近で見ていた身としては否定しづらい。

「……あれで良かったのかもな」

「でしょ」

 特に関係を持ちたいわけでもないのなら、あれくらいが丁度良いのかもしれない。釈然とはしないけど。

 彩人はそう思い、莉里の意見に賛同すると彼女は満足そうに頷いた。

「そういえば、否定しなかったってことは彩人もそういう経験あるの?」

 今まで、この手の会話をあまりして来なかったからだろう。

 莉里は興味津々といった感じでどうなんだと問うてきた。

「いんや。ないな。消しゴム拾ってもらったからって人を好きになることは今までなかった」

「何か好きになるシチュエーションが物凄く限定されてるような気がするけど。とりあえず何もなかったのだけは分かったよ」

 素直に彩人が答えると、莉里は「まぁ、彩人だしね」と勝手に納得した。

 服よりゲーム。ショッピングよりスポーツ。お洒落なカフェよりその辺のチェーン店。

 高校生になってもなお、彩人の感性は子供の頃から一切変わっていない。

 身体だけは大きくなった子供。それが水無月彩人という人間だ。

「お子ちゃまな彩人にはまだ恋愛は早いみたいだね」

「うっせぇ。今に見てろよ、絶対高校卒業する前に可愛い彼女作って自慢してやるからな」

「はいはい。期待してないで待ってるよ」

 多少自覚はあるが、それを理由に煽られるのは腹が立つ。

 彩人は絶対に見返してやると意気込んだが、莉里の方は全く信用していないのか右から左へ聞き流した。

「そんなことより学校着いたよ」

「そんなことって……相変わらずデケェな」

 自分の恋愛事情を一言で片付けられた彩人は少しだけ凹んだが、すぐに興味の対象が目の前にある巨大な校舎に移ったことで元気になる。

 駅を出てすぐの場所にあるこの学校は、聖羅高等学校。

 過去多くのプロスポーツ選手や芸能人、有名大学進学者を輩出している県内屈指の名門校で、入学出来れば将来は安泰と言われている。

 本当に何でこんなすごい学校に入学出来たか分からない。

「クラスって何処に張り出されてんだろ?」

「うーん、校舎の前じゃなかったけ?」

「見た感じ人あんま集まっているように見えないな。なぁ、ちょっといいか」

 とりあえず、自分のクラスを確認しようと思ったのだが何処で見られるか忘れてしまった。

 莉里に聞いてみたが、彼女の反応が芳しくないので合っているか分からない。

 彩人は近くで桜の写真を撮っていた男子生徒に声を掛けた。

「えっと、何?」

 天然パーマの少年はビクッと、肩を撥ねさせ困惑したように彩人の方を向く。

 この反応を見るに、自分が話しかけられると思っていなかったようだ。

「あっ、悪い驚かせまったな。クラスを確認したいんだけどさ何処で見るか忘れちまってさ。何処で見るか覚えてないか?」

「……あぁ、そういうこと。それなら、あっちの校庭の方で見られる」

 悪いことをしたなと思いつつ、理由を話せば納得したらしく彼はクラス表が見られる場所を教えてくれた。

「サンキュー。あっ、そうだ。ここで会ったのも何かの縁だし名前教えてくんね? 俺、水無月彩人って言うんだ」

明石海あかしかい

「明石か。かっこ良い名前じゃん。クラスが一緒になったらよろしくな。マジでありとう助かった」

「こちらこそ」

 海に改めてお礼を言うと、彩人は離れた場所にいる莉里の元に戻った。

 戻るまで結構な距離があり、そんなに嫌だったかと彩人は思わず苦笑する。

 さっきの教訓を生かし、今回は呼ばないでおいたのは正解だったようだ。

「校庭にあるってさ」

「そっ。じゃあ、さっさと確認しに行こ」

「せっかくなら一緒のクラスだといいよなぁ」

「私もそう思うけど、結局のところは運だから分かんないや」

 一年のクラス数は五クラス。

 同じクラスになる確率は二十パーセントであまり高くはない。

 そのため、二人ともあまり期待しないままクラスを確認した。

「マジか」

「嘘」

 クラスを確認すると何と二人は同じクラスだった。しかも、苗字が同じま行なため出席番号が並んでいる。

 ということは、おそらくだが最初の席は近いはず。

 何という幸運。

 彩人と莉里は最初それを見た時はあまりの都合の良さに目を疑ってしまった。

「……やっぱりいるんだ」

「ん? なんか言ったか」

「いや、別に大したことじゃないよ。それより一緒のクラスになれて良かったね」

「本当にな。この学校に知り合いは莉里しか居ないからよ。マジで良かった。一年間よろしくな」

「うん、こちらこそ」

 上手くやっていけるか不安だったが、莉里と一緒ならば心強い。

 彩人が手を差し出せば、莉里はギュッと強く握り返すのだった。

(楽しい一年になりそうだ)

 何の根拠もないけれど、彩人は間違いなく刺激的な一年間を過ごせるそんな予感がした。



 カツ、カツ。

 ローファーの音を鳴らしながら階段を並んで登る。

 繰り返し何度も使っていた階段。

 今更、何も感じることはないと思っていたけれど、隣に前回は居なかった幼馴染の少年がいるからか新鮮さを感じる。

(本当、変な感じ)

 そう思いながら、軽やかに階段を一歩一歩登っていく。

 階段を登り終え、クラスの近くに行くとガヤガヤと生徒達の喧騒が聞こえたところで、ようやく懐かしさを覚えた。

(戻ってきたんだ)

 前回も同じように教室が騒がしく、本当に進学校なのかと疑った。

 それと同時に、このクラスに馴染めるだろうかと不安にもなった。

 タイムリープをして長い時間が流れた今もそれは変わらない。

 ――上手くやれるだろうか?

 ――やっぱり来ない方が良かったんじゃないか?

 と怖くなり、教室のドアを開く手が震えて動かなくなった。

「大丈夫か? 莉里」

 突然固まってしまった莉里の様子に不思議に思った彩人が、横から顔を覗き込んでくる。

『よし! よく言った。お前なら出来る。だから、思いっきりぶちかましてこい』

『うん!』

(そういえばそうだった。覚悟なんてとっくの昔に済ませてたんだった)

「うん、大丈夫」

 彼の顔を見た瞬間、数年前にしたやり取りが脳裏を過ぎる。

 あの日から自分はどんなことがあろうと前に進むと決めた。

 だから、今更怖気付いても遅い。

 この高校に入学すると決めた時から既に賽は投げられている。

 大きく一度深呼吸をし、気持ちを整えると莉里は教室の扉を開けた。

 一斉に教室全員の視線が向けられる。

 一度目は怖くて逃げ出したそれ。

 だが、今回は堂々と受けとめ自分の席に着く。

 すると、近くにいた赤茶色の髪をしたギャル生徒が話しかけて来た。

「ねぇねぇ、その髪って染めたの?」

「違うよ。この髪は生まれつき。母親がフランスの生まれだからその影響で」

「そうなの! 良いなぁ~、もっと明るい色に染めたかったんだけど校則的にこれが限界でさ~。リアル金髪とかマジ羨ま」

「アハハ、そんな良いものでもないよ」

 キラキラと目を輝かせ、心底羨ましそうにするギャル。

 昔に髪色が理由で虐められていた莉里としては、何とも言えない気持ちになり乾いた笑みを返すことしか出来ない。

「はいはーい、私も質問。お肌めっちゃ綺麗だけど化粧品何使ってるのぉ~?」

「彼氏はいますか!?」

「どこ中?」

「好きな食べ物と男のタイプは?」

 ギャルの質問を皮切りに、周りにいた生徒達から莉里の元に質問が殺到する。

 莉里はあまりの量の多さに顔を引き攣らせ、やっぱり逃げた方が良かったかなとさっそく後悔した。

 けれど、一応は想定の範囲内。

「化粧品は基本雪精霊を使ってるかな」

「ご想像にお任せします」

「知ってるか分からないけど、吉乃中学校ってところ」

「甘いお菓子が好きです」

 一度目の人生で同じような質問を受けたことがあるので、何とか捌いていく。

 質問に答えている最中、ふと少し離れたところにいる彩人と目が合う。

 自分を見つめるその目は生暖かく、娘の成長を喜ぶ父親のような雰囲気を出していた。

 幼い頃から、莉里のことを知っている彩人だからこその反応なのだが、普通にムカついた。

 自分の方が誕生日が早いし、精神年齢的にもかなり自分の方が大人なのだ。子供扱いはやめて欲しい。

(彩人の癖に生意気)

 そう心の中で毒づきながら睨みつけたが効果はなし。

 結局、クラスメイト達の質問は先生が来るまで途切れることはなく、それまで莉里は彩人からの視線に耐え続ける羽目となった。

 入学式は特に問題なく終えることが出来た。

 式を終えた生徒達は現在初めての授業であるLHR《ロングホームルーム》を受けていた。

 教壇に立って説明をしているのは、自分達と同じように真新しいスーツに身を包んだ葉山智慧はやまちえという女性教員。

 新任ということもあり、かなり緊張しているらしく所々噛んではその度に恥ずかしそうにしていた。

 これからの授業のこと、行事のこと、成績のこと、教科書のこと、学園で生活する上での注意点などなど。

 配ったプリントを使いながら説明していく。

「――説明は以上になりましゅ。と、とりあえず! これらのルールを守って三年間楽しいスクールライフを送りましょう。では、今日のところはこれで終わります。ありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」

 三十分程度で説明は終わり、本日はお開きとなった。

「よし、帰ろうぜ莉里」

「うん、ちょっと待って」

 各々の生徒達が帰る準備をする中、すぐに準備を終えた彩人が帰ろうと声を掛けてきた。

 まだ荷物を鞄に入れていなかった莉里は少し待つよう頼み、残りの教科書を詰め込む。

「いいよ」

 全ての教科書を詰め終えたところで、莉里は立ち上がり彩人の隣に並ぶ。

「うし。で、お昼どこにする? 父さん達曰く何処でも連れてってくれるらしいからな」

「私まだ決まってないや。彩人は決まってる?」

「バーガーキン○」

「……せっかくの入学祝いなんだからお高いお寿司とか焼肉とか食べようよ」

「バーガーキン○はお高いだろ」

「ハンバーガー屋さんにしてはね」

 この後、二人は両親揃ってご飯に行くことになっているのだが、入学祝いでハンバーガーショップは流石に無いだろう。

 相変わらずのハンバーガー中毒者な幼馴染に莉里は呆れた。

(私がしっかりしないと)

 とはいえ、他の選択肢がない今このままだとハンバーガーになってしまう。

 莉里は何か良い店か悩んでいると、大人しそうな見た目をした女の子が近づいて来た。

「ねぇ、ちょといい? 二人はどういう関係なの? 朝一緒に登校していたのを見たけど」

 男に対して塩対応だった莉里が男の彩人と親しげに話しているのが気になったのか、二人の関係について質問して来た。

「昔から付き合いのある幼馴染だよ」

「おう、そんな感じだ。まぁ、同じ学校に通うのは高校が初めてなんだけどな」

「……ふーん、そうなんだ」

 特に誤魔化すことでもないので、素直に関係について白状した。

 それを聞くと少女は神妙そうな顔付きになり、彩人の方へ目を向けた。

 二人の視線が交差し、何もないまま時間が流れていく。

「……本当みたいね。ごめんなさい。勘繰るようなことしちゃって。少し気になったから、つい」

 数秒後。

 彩人が全く動揺しなかったからだろう。

 少女は自分の勘違いだったと非を認め、無遠慮なことをしたと謝った。

「別に構わないぞ。俺も似たようなことがあったら、もしかしたら付き合ってるんじゃないかって思うしな」

「そう言ってもらえると助かるわ。時間とっちゃてごめんなさい。じゃあね」

「ねね、どうだった~?」

「付き合ってないみたい。幼馴染なんだって」

 彩人が気にしてないと言うと、少女はもう一度頭を下げ別れを告げると自分の席に戻っていった。

 そして、そこで待っていた複数人の女子達に先程の結果を共有していた。

 どうやら、気になっていたのは彼女だけではなかったらしい。

「すげぇ勘違いされてんな」

「女の子はいつになっても色恋沙汰が好きだからね。仕方ないよ」

 彩人と莉里は短く言葉を交わし、顔を見合わせると苦笑い。二人揃って教室を出た。

 その際、莉里が彩人のブレザーをほんの少し摘んでいたのだが、周囲の人間の誰一人気づいておらず、当の本人達も気が付くことはなかった。

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