プロローグ
あなたは私のヒーローです。
かつて、涙で顔をグシャグシャにした中学生にそう言われたことがある。
──街が雪で染まり始めた土曜日の朝。
路上で立ち尽くしていた少女の姿は、冬の風に耐えるようだった。
雪の粒をまとった制服。冷たそうな手に握られた受験票。
顔の半分を覆ったマフラーから覗く目の内は、必死になにかを堰き止めているようで。
きっとそいつは「高校受験」という大事な日に、なにかトラブルに遭っているのだろうとひと目で分かった。
……面倒ごとには関わるべきでない。
音を立てずに自転車を押し、前カゴに載せたレジ袋に視線を逸らし、見なかったことにしてその場を通り過ぎる。
そんな簡単なことがどうしてもできなくて、俺はまたウソをついた。
未来の後輩よ、君を助けるためにやって来た。
道に迷った? 寒さでスマホのバッテリーが落ちたのか、そりゃ災難だったな。
大丈夫、まだ間に合う。だからもう無理だとか、簡単に諦めるな。
これから試験会場まで走り抜ける。しっかり掴まって。絶対に離さないで。
錆だらけの自転車は愚直に進み、荷台の少女は背中にしがみついて咽び泣く。
昨日おろしたばかりのコートはきっと彼女の涙でぐしゅぐしゅだ。こんな後輩ができたらたまったもんじゃない。そう思って目的の高校まで送り届けたところで、そいつはボロボロになった顔をマフラーで隠しながら、まるで英雄でも見るような目を俺に向けていた。
あなたはこの学校の先輩ですか? このご恩は絶対に忘れません、と。
ひとつ結びの後ろ髪を揺らす背中を見送った後。
ひとりごちるとともに、足元の薄雪を蹴り飛ばした。
「……俺はここの学校の生徒じゃねえよ」
それはたった二ヶ月前のこと。
あの日は、本当に寒かった。