武神伝 生贄に捧げられた俺は、神に拾われ武を極める

第一章(5)

「わ、私が……亜神様の弟子、ですか……!?」

 その信じられない言葉に、俺はつい聞き返す。

 すると、亜神様は鷹揚おうよううなずいた。

「そうじゃ。先ほども言ったが、儂は死ぬ前に世界を見て回った。その中で、儂は自分が見落としてきた世界の素晴らしさに気づいたんじゃ。それと同時に、もはや儂と世界のつながりがないことにも……」

「せ、世界との繋がり……?」

「亜神はごく一部を除けば、皆基本的におのが領域に閉じこもっておる。そのせいで、世俗との繋がりは完全に断たれるのじゃ。それに、儂らは亜神になる前から、それぞれの道を極めようとしてきた者たちじゃ。そのため、人間であった頃から世俗との繋がりは希薄だったんじゃよ」

「は、はぁ……」

「つまり、儂が生きたあかしは、この世界に何も残らんのだ」

「あ……」

 俺はようやく亜神様の言ってることが分かった。

 亜神様は少し寂しそうな表情を浮かべる。

「……前はそれでもよいと思っておったんじゃ。しかし、死ぬ前に世界を見て回ったことで、わしはこんな素晴らしい世界との繋がりを切ってしまっていたのかと、そう思った。そして、その素晴らしい世界には、儂の生きた証は何も残らない。この肉体が滅び、消えれば、誰も儂のことなど覚えておらんじゃろうしの……」

「……」

「そこで、お主じゃ」

「わ、私が?」

「ああ。儂はまさに生涯をかけて、この拳――――【覇天拳】を磨いてきた。言ってみれば、この覇天拳こそ、儂が生きた証である。ゆえに、この覇天拳を伝承することで、儂はこの世界との繋がりを保とうと思うんじゃ」

「そ、その伝承が……」

 俺が恐る恐るくと、亜神様は再度力強く頷いた。

 確かに俺は生き抜くための力が欲しい。それは間違いない。

 そういう意味では、亜神様が持つお力を伝授していただけるのであれば、これ以上の話はないだろう。

 だが――――。

「……私なんかには、もったいないです」

「む?」

「話しましたよね? 私は魔力が扱えぬ欠陥品。このような体では、亜神様の武術は……」

 俺が歯噛はがみしていると、亜神様は穏やかに笑った。

「そのことなら心配するでない。お主の魔力もどうにかなる」

「え!?」

 それは、俺にとって、何よりも望んでいたこと。

 ただ、そう簡単に信じられる話ではなかった。

「ど、どうにかって……この体が治るとでも言うんですか!?」

「ああ、治るとも」

 簡単に言ってのける亜神様に対し、俺は呆然とした。

 そんな簡単に言い放つなんて、本来ならはらわたが煮えくり返っていただろう。

 俺がこれまでの人生をどんな気持ちで過ごしてきたのか、何も分かっていない。

 しかし、それは普通の人間に限った話である。

 もしかしたら、亜神様なら……。

 そんなわらにもすがる思いでいると、亜神様は険しい表情を浮かべた。

「じゃが、それにはお主の想像を絶する苦痛が伴うじゃろう」

「それは……どういうことでしょうか?」

 思わずそう訊くと、亜神様は俺の背中に手を当てた。

「ふむ……お主の体を治癒した時も思ったが、誠に不幸じゃのう」

「不幸……?」

「そうじゃ。……お主は【てんたい】というものを知っておるか?」

「い、いえ」

「天武体とは、すなわち武術に最も適した理想的な体のことを指す。先天的にこの肉体を持っている者もいれば、鍛錬で後天的に獲得できる者もいるのぅ」

「はあ……」

「そんな天武体とは別に、【てんたい】というものが存在するんじゃ。これはまさに、魔力を扱う上で最も理想的な体のことを指す。魔力量が多く、体内を巡る魔力の流れも豊かで、普通の人間が使う魔法より強力な魔法を扱えるのが特徴じゃ。ちなみに、天武体を持つ者はまだある程度は存在するが、天魔体を持つ者は非常に少ない」

「その……それが私の体とどう関係しているんでしょうか?」

「お主が、まさに天魔体なんじゃよ」

「なっ!?」

「しかも、お主は天武体でもある」

「ええっ!?」

 まさかの言葉に、俺は開いた口が塞がらなかった。

「見たところ、天武体に関しては後天的なものじゃな。非常に効率よく栄養素を取り入れながら、体を鍛えた結果じゃろう」

「あ……」

 それはまさに、俺が毎日食事として食べていた兵糧丸ひょうろうがんと、日々の鍛錬のことだろう。

 すると、俺の反応を見て、亜神様が笑う。

「どうやら心当たりがあるみたいじゃな」

「は、はい。その……ずっと食事は兵糧丸のみで、毎日鍛錬を続けてきましたから……」

 刀次には否定された俺の鍛錬。

 しかも、ただの栄養補給でしかなかった兵糧丸だけの食事が、結果的に俺の鍛錬を支えてくれていたとは……。

 元々、あの兵糧丸を食べ始めたのは、父上や家の者が俺の食事を作らなくなったことが切っ掛けだった。

 自分で食事を作ろうにも、家に近づくことさえ許されていなかった俺は、台所を借りることもできず、あの物置小屋で一人で過ごしてきたのである。

 幸い、兵糧丸だけは食べることが許されたようで、物置小屋に元々置かれていたそれを、毎日食べて生きてきた。

 それが、こんなことになるとは……。

 だが、まだ分からないことがある。

「その、天武体については理解しましたが、天魔体っていうのは本当なのでしょうか……」

 それだけはいまだに信じられなかった。

 なんせ、俺は魔力が扱えないのだ。

 亜神様の話とはまるで違う。

 すると、亜神様は険しい表情で続ける。

「まさに、そこが問題じゃ。お主の体は天魔体……しかし、不完全なのじゃよ」

「不完全?」

「うむ。魔力は心臓から送り出され、みゃくという器官を通って全身に巡る。体の細部まで巡らされた魔脈から供給される魔力が、筋肉や神経、そして細胞に作用することで、大きな力を発揮できるんじゃ。これが、まだ魔脈の未熟な赤子が弱い理由でもある。……先ほど、天魔体を持つ者は少ないと言ったな?」

「は、はい」

「それは、天魔体特有の魔力量や全身を駆け巡る魔力の圧に、耐えられる子が少ないからじゃ。この魔力の激流に完全に適応できた赤子だけが、天魔体としての力を得る」

「!」

「そして、お主は天魔体に相応ふさわしき魔力を持っていながら、それを巡らせることに適した魔脈を持っていないのじゃ」

「で、ですが、私はこうして生きていますよ……?」

「そこがお主の特異なところじゃ。診たところ、お主の魔脈は、恐ろしく硬く、狭い。本来の天魔体の魔脈は、柔軟かつ強靭きょうじんなもの。天魔体の心臓から押し出される魔力は、強靭な魔脈でなければ簡単に破裂させてしまうからのぅ。しかし、お主の場合は魔脈が狭く硬いがゆえに、どれだけ強く心臓から魔力が押し出されても、体に行き渡る魔力の量は極わずか。結果的に、魔力が流れていないも同じなのじゃ。これこそが、お主の天魔体が不完全であるということじゃよ」

「そんな……」

「不幸中の幸いなのが、魔脈が硬かったことじゃのう。もし魔脈が狭いだけならば、己の魔力の流れに耐え切れず、魔脈が破裂し、体調を崩すことになる。そして最後には、己の魔力で殺されるのじゃ」

「それって……!」

 俺の脳裏に、母上の姿がよぎった。

 母上は、何故なぜか昔から体が弱かったらしい。

 どんな名医に診てもらっても、その理由は不明。

 そして最後には、帰らぬ人となった。

「気づいたと思うが、お主の母親も同じく不完全な天魔体だったからこそ、くなったのじゃろう。……お主を産んだことを考えると、母親もある程度は耐えていたようじゃが……赤子のうちに完全に適応できん限り、寿命は短くなってしまう。そして話を聞く限り、お主の母親は特に戦いに身を置く者ではなかったのじゃろう?」

「……はい」

「そこがお主と違う部分じゃ。お主は戦うために体を鍛えた結果、無意識のうちに魔脈を硬くするという方法で、その身を守ってきたんじゃろう。とはいえ、それにも限界がある」

「……」

 俺の表情を見て、亜神様はびんそうな表情を浮かべた。

「……ともかく、お主の問題は魔脈にあるわけじゃが……儂がお主の魔力に干渉し、魔力の流れを補助する。そして、その流れを加速させ、硬く固まったお主の魔脈にぶつけることで、無理やりこじ開け、膨大な量の魔力を貫き通すことができれば、お主の魔力は完全なものになるだろう」

「それで……私の体は治るのですか……?」

 話を聞く限り、たとえ魔脈を開通させたとしても、魔力の勢いに耐えられる魔脈になるわけじゃない。

「もちろん、ただ開通させればいいというものではない。実際にはお主の魔脈を開通させつつ、激しい魔力の流れに耐えられるよう、お主の魔脈に儂の魔力を浸透させながら、強靭さを獲得させる必要がある。ただ、最初にも伝えた通り、それには想像を絶する苦痛が伴うはずじゃ。その痛みで死ぬこともあるじゃろう。さて……どうする?」

 亜神様の言葉が本当なのであれば、俺はその苦痛を乗り越えることができた時、魔力が扱えるようになるはずだ。

 しかし、そのためには亜神様の言葉通り、死を覚悟するほどの痛みに耐えるしかないだろう。

 でも……。

「お願いします」

「……よいのか?」

 再度、確認するようにいてくださる亜神様。

 だが、俺の思いは決まっていた。

「大丈夫です。確かに、その方法がとても危険で、とてつもない苦痛が伴うとしても……それよりも、心の痛みの方がつらいのです」

 俺にとって、体の痛みは耐えられるものだ。

 無能と嘲笑されること。

 大切な母上が侮辱されること。

 不要と断じられ、捨てられること。

 これらすべての原因は、俺が弱いから。

 俺には、自分が弱いことこそ、何よりも耐えられないことなのだ。

 だから……。

 俺はその場に膝をつくと、深く頭を下げた。

「どうか……私に力を……!」

「……よかろう」

 亜神様は短くそう告げると、さっと腕を振った。

 その瞬間、俺の体は宙に浮かび上がり、そのまま空中に固定される。

 そして、俺の背に亜神様が手を置いた。


「では……お主の願いをかなえよう――――!」


「ッ!?」

 亜神様の言葉を合図に、俺の心臓にすさまじい圧力がかかる。

 その圧力によって、俺の心臓はかつてないほど激しく動いた。

「ごぼっ!?」

 人体の限界を超えた心臓の鼓動により、魔力だけでなく血液までもが凄まじい勢いで体内を駆け巡る。

 そして、その勢いに耐え切れず、体中の血管が千切れると、四肢のあちこちから血が噴出した。

 目や口など、穴という穴からも血液が噴き出す。

 さらに、激流となった血液により、酸素が脳に大量に送り込まれ、頭が沸騰しそうになる。

「ああああああああああああああああああ!」

「刀真! 気をしっかり保つのじゃぞ! もし一瞬でも気を抜けば、その瞬間に死ぬと思え!」

「――――ッ!」

 俺は必死に歯を食いしばった。

 すると、激しく鼓動していた心臓から、血液とは違う、別の力が動き始めたのを感じる。

 それはまさに、ずっと心臓部でとどまり続けていた、俺の魔力に他ならなかった。

 俺の魔力は亜神様の補助を受けながら、狭い俺の魔脈をこじ開けていく。

 その瞬間、魔脈が少し開くたびに、付近の筋力や神経が勢いよく活性化され、その勢いに耐え切れず、自分の体があらぬ方向にねじ曲がり始めた。

「があああああああああああああっ!」

「いかん! 活性化が早すぎる……!」

 魔脈が開けば開くほど、俺の体は悲鳴を上げていく。

 骨は超活性化した筋肉に耐え切れず砕け、神経は引き千切れていく。

 内臓はもはや限界を超えた活動を始めたかと思えば、すぐに周囲の筋肉に押し潰された。

「――――!!!!!」

「くぅ……! まさか天武体による弊害があるとは……! 活性化した筋力が強すぎる……このままでは、自身の筋力に押し潰されて絶命するぞ……!」

 もはや俺の耳には、亜神様の言葉は入ってこない。

 あらかじめ聞かされていたとはいえ、それはまさに、地獄のような痛みだった。

 亜神様はこのことを見越していたようで、回復術も同時にかけてくださっていたものの、やはり俺の魔力による活性速度に回復が追い付いていない。

 骨も皮も筋も神経も、何もかも、ぐちゃぐちゃになっていく。

 ああ……確かに、痛い。

 焼きごての熱さや、堕飢に体を食い千切られていたのがわいく思えるほどに。

 文字通り、全身がぐちゃぐちゃになっているのだ。

 こんな痛みは、これから先も経験することはないだろう。

 でも俺は、この痛みに耐えてでも、力がほしい。

 母上に胸を張って、生きていくためにも……!

「ぬぅっ!? あの状況から持ち直すとは……!」

 ――――永遠のような時間だった。

 何度も何度も己の体に殺されそうになるたびに、亜神様のおかげで回復を繰り返す。

 もはや、俺の体に無事だった場所など一か所もなかった。

 すべてが破壊され、再生され、全身が引き裂かれ、へし折られ、かき混ぜられていくのだ。

 だが、亜神様がおっしゃっていたように、何事にも終わりは訪れる。

 ……必死に耐えていた俺の体には、いつの間にか魔力が駆け巡っていたのだ。

「はぁ……はぁ……な、何とかなったのぅ……」

「あ――――」

 そんな亜神様の言葉を耳にした瞬間、俺は糸が切れたように意識を失うのだった。


       ***


「はぁ……まったく、大したもんじゃ」


 わしは目の前で気絶した刀真を見て、そうつぶやいた。

 正直、一か八かの賭けだった。

 魔脈をこじ開けるということは、言葉以上にとんでもない危険性をはらんでいる。

 それほどまでに生物にとって体と魔力は切り離せない関係であり、その魔力を体に巡らせる魔脈に手を加えるのだから、死を覚悟する賭けになるのは当たり前だった。

 だが、刀真はそれを乗り越えた。

 全身が砕け、り潰されようと、必死に生にしがみついたのだ。

 この生命力は、これから儂の【覇天拳】や【とう】を伝承していく上で、大きく役立つだろう。

 そこまで考えた瞬間、不意に儂の心臓に痛みが走った。

「っ……少し、無茶したのぉ……」

 凡人の魔力であればともかく、天魔体の魔力を制御するのは、亜神にとっても非常に難しいことだった。

 魔力の活性化が早すぎて、回復魔法が追い付かなかったほどだ。

 しかし、その甲斐あって、現在刀真の全身には魔力が巡っている。

 あとは儂が、その魔力の扱いを教えるだけだ。

 ただ――――。

「――――あと五年、かのぉ……」

 儂は小さくそう呟いた。

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