3章 見てはいけないものを見ている(1)

『へえ~、紫陽花まつりか~』

『家族でよく行ったな~。出店に美味しいのいっぱい出てるんだよねぇ』

 あれが美味しかったこれが美味しかったと、タブレットの画面の向こう、妹ふたりは思い出を肴に賑やかだ。

 海外にいるふたりとこうして気軽に顔を合わせて話ができるのだから、技術の進歩はありがたい(昔はどうしていたのだろう?)。

『でもまさか、甘音お姉ちゃんが雷原家御用達のお出かけスポットへ、しれっと男とふたりでデートに行くとはねぇ』

「違うよ、デートじゃないって」

 双子の下の方、花音かのんの言葉をわたしは苦笑して否定する。いまだに男女の恋愛感情をよくわかっていない姉のわたしと比べ、花音はよっぽどそのあたりの意識が強い子だ。

 ……高校三年生が中学一年生に情緒の発達で負けるとは、いったい?

「地藤さんとはそういう関係じゃないの。お出かけしているのは、わたしの苦手克服に付き合ってくださってるだけ」

『いい人だね~。やさしそ~だし、なんか大人って感じ~』

 双子の上の方、詩音しのんがマイペースな口調で言った。元気な花音とおっとりとした詩音、顔立ちはそっくりだが性格は正反対だ。

「そうなのよ。地藤さん、とてもいい方だし、同じ高校生とは思えないほど穏やかで落ち着いてて」

 バイトをずっとしてきたと言っていたけれど、そういう社会経験を積むとああなれるのだろうか。大人っぽくて、なにが起きても動じず対処できそうというか。

「同年代の男子って、みんなあんな感じなのかしら」

 クラスの友だちから彼氏の話をたまに聞くけど、もうちょっとやんちゃな印象があった。惚気の範疇だろうけど「ほんっと子どもっぽくてさ」なんて愚痴も聞いたし。

『ないない、同い年なら大抵、男って女より子どもだよ!』

 花音が鼻息荒く言い切った。思うところがあるのかもしれない。妹は語気強く続ける。

『その人が特別大人なんだって。今回のお姉ちゃんの馬鹿みたいな奇行を受け入れるなんてさ。地雷系の格好でストーカーしてくる、ついでに言うならあんなに笑顔の妖しい女を相手に、普通は絶対そんなの無理だよ』

「はい……」

 なにも否定できない。笑顔が妖しいというのもそうだ。自分ではあまり自覚はないのだが、特に嬉しく感じたとき、わたしはまあまあ邪悪な顔になるらしい。

『で、そんな人に協力してもらったけれど、お姉ちゃんは成果を出せませんでした、と』

『でもさ~花音、甘音お姉ちゃんって感じじゃんそれ~。人に「疲れた」とか言う暇あったら、誰かのお世話して元気回復するタイプだよ~』

『そりゃそうだけどさあ詩音、わたしたちはよく知ってるから「そりゃそう」で終わりだけど、他所からしたら意味不明のびっくり生物でしょ。なんでそれで回復するのよ』

『たしかに~』

「うう……」

 言われっぱなしだが、またしても一切否定できない。

『さんざお姉ちゃんに甘えてあれこれしてもらってきたわたしたちが言うのもアレだけど~……、やっぱり変えられるなら変えた方がいいのかな~、お姉ちゃんのその性格~』

「変えなきゃダメなの、お姉ちゃんは変わると決めたのです」

 詩音へわたしがそう宣言すると、花音がこちらから目を逸らしつつ言う。

『……ま、応援はするけどね』

 姉だからわかるんだからね花音、あなた全然できると思ってないでしょ……。

 そう思わせる振る舞いをしてきたのはじゃあ誰ってわたしなので、なにも文句は言えないけれど。

『でもさあ、その地藤さん? だっけ? もさあ、すごいこと言うよね~』

「? すごいって?」

 わたしが聞き返すと、相変わらずのマイペースな口調で詩音は答えた。

『え~? だって、疲れたときに「疲れた」って言うことが甘えだなんて、なんかすごくない~?』

『はぁぁ? 詩音あんた、お姉ちゃんの話聞いてた? あのね、そこまで思いっきり甘えのレベルを落としに落とさないとお姉ちゃんがダメだからでしょ? お姉ちゃんがダメなの。うちのお姉ちゃんはダメなの。……あれ、何の話だっけ』

「わたしがダメな話です……」

『そうだよね、そうだった』

 うんうんと頷く花音。ダメなお姉ちゃんでごめん……。

『え~? 違うよお、「疲れた」が甘えだなんてすごいって話で……花音の言うこと、よくわかんないな~。うちのお姉ちゃんがダメだからとかそんなの関係なしにさ~、「疲れたは甘えだ」って気持ちがないと出てこない言葉だから、それってすごいなぁって~』

 ……そう言われてみれば、そうかも。花音の言うように考えていたけれど、詩音のような捉え方もあるのか。

 わたしは、地藤さんがどういう方なのかまだまだわかっていない。……ストーカーをしていた負い目が重いので、こちらから探るようなことを言うのがとても憚られたからだ。

 そして地藤さんは、自分のことを積極的にあれこれ明かすタイプでもなさそうだった。今日増えた情報といえば、重箱のお弁当が初めてだったことくらい。

 わたしは、彼のことをよく知らない。


「う~ん……、う~~~~~~んと……」

「ゆっくりで構いませんので」

 紫陽花まつりへ出かけた日から一週間、またやってきた日曜日。

「……わ、…………わたしが観たいもの、ですよねっ」

「そうです。雷原さんが、自分のことだけ考えて『観たい』と思うものです」

 俺たちがやってきたのは、街の中心部にある映画館だ。

 今まで『自分の買い物に連れ回す』『疲れたときに「疲れた」と言う』でそれぞれ失敗してきたので、今度はもうその場で一発すぐにできる内容のものにした。

 映画館へいっしょに行き、自分が観たい映画を選ぶ、である。

 最初の買い物のときも、「自分のために自分が行きたいところなんて出てこない」と言っていた雷原さんだ。このお題だって簡単ではないだろう。

 だが、あのときは「いろんな店に連れ回すと思うと余計に難しい」とも言っていた。それと比べて、今回のわがまま感は減っているはず。また、疲れたと言うチャレンジと違って体の状態も関係ないので試しやすい。

 なんてことをツラツラ考える俺の隣、映画館の壁に貼られた今日の上映リストの前で、雷原さんは悩み続けている。

「……観たいもの、観たいもの、観たいもの、わたしが観たいものを、言う…………」

 映画は好きだと聞いているので、興味がないわけじゃないのだ。ただ、こういう状況で自分の好きを通すのが、彼女の不得手だという話で。

 下手に声をかけるよりも、ゆっくり待っている方がいいだろう。俺は館内の様子をなんとはなしに眺め、時間を潰す。

 映画館、か。実はほとんど来たことがない。ずいぶん昔に叔父さんに連れていってもらって以来だろうか。

 これから始まる楽しいことを待ち侘びている顔もあれば、受けた衝撃の余韻に浸る顔もある。

 そうか、映画館とはこういう雰囲気の場所だったか。休日の楽しみとするのにいい場所なんだろう、大多数の家庭にとっては。

 ……いや、思考が逸れた。

 とにかく、今日は三度目の正直が成るか成らないかの話だ――

「…………地藤、さん!」

「っはい」

 その瞬間は、意外にあっさり来た。

「……わたし、これが観たいです!」

「――はい、ぜひ観ましょう」

 ひとつの映画のタイトルを指差す雷原さんに、俺は頷く。

 がんばりましたね、なんてわざわざ告げるのは無粋だろう。自然に、それはあくまで日常の中に普通の顔をしてあっていいものなんだというように、彼女の提案を受けるべきだ。

「…………で、でも地藤さんの好みではないかも……た、退屈させてしまうかも……」

「そんな。俺は観たいですよ、雷原さんが観たいと思ったもの。……ええと」

 雷原さんが指していたタイトルを確認すると、……意外にも、ゴリゴリのアクションものだった。封切りされたばかりの、ハリウッド製の大作である。

「……あのー、こういうの、お嫌いだったりしますか?」

「いえ、まさか。むしろ……」

 わかりやすく男臭いタイトルなので、こちらに気を遣ったようにも見えることが気になる。

 そんな俺の思いを察したのか、雷原さんはブンブンと首を横に振る。

「観たいんです、ほんとに! ……じ、実は、この監督さんの作品は古いものも全部見ていて……ブルーレイも持ってます」

「あ、へえ、そうなんですね」

「はいっ、いつも妹たちといっしょに観に行っていたんですが、母や友人はこういうの好きじゃなくて、かといってひとりで観るのも寂しいなと思っていたところで……」

「そうですか、ならちょうどよかったですね」

 そしてわかるのは、やはりさっきの時間は、観たい映画がなにかで迷っていたわけではないことだ。推しの監督作品が封切りされたばかりなら、雷原さん的に観たいものなんてこれで決まり切っていて、あとはそれを言えるかどうかの葛藤だったのだ。

「……よ、よかったです。……な、なんかすごい感覚……いいのかな……」

「いいんです、さ、チケットを買いに行きましょう。次の回の時間は……あのモニターに出てるのか。……ん、なんだあの表示」

 直近の回に【4DX】と注記がある。……なんだそれ?

「あ、4DXなんですね。映画の内容に合わせてシートが揺れたり、風や水しぶき、他には香り付きのミストが出たり、などなどするんです」

「へえ、おもしろそうですね」

 そんなのがあるのか。……いや、言われてみればそんなのがあると友人から聞いた覚えがある。

「前に妹たちと体験してみましたが、ふふ、アトラクションみたいで……!」

「いいですね、ぜひそれにしましょう」

 映画館ならではで、たいへんいい。

 ちょうど次の回がもうすぐ始まるらしかったので、俺たちはチケットとドリンクを買い、シアターへと入っていった。


 映画館に来たなと思うのは、建物に入るときではなく、薄暗いシアター内で本編開始前のCMを観ているときだと思う。

 ドキドキの時間だが、今日のわたしの胸には別のドキドキがある。

 ――言えた! 言ったのだ、わがまま……らしきものを!

 すごい気分だった。

 自分の中に出来上がっているたくさんの歯車で出来た機械が、「なんか変なもの挟まったぞ!?」と驚きながらギイギイ音を立てているのがわかる。

 落ち着かない。ドキドキする……いや。

 しっくりこない、というのがいちばん正直なところだ。

「…………」

 この気持ちを誤魔化してはいけないと思う。これと向き合って、その上でわたしは変わらなければならないのだ。

 他人へさせてもらうお世話ばかりを考えて、自分本位で動かないわたしを、封じて埋めて終わりにする。

 するのだ、きっとできるはず。きっと。

 そんなことを考えるわたしの前、上映前CMの作品が切り替わった。甘いセリフがシアター内の空気にふわりと溶けていく。青春恋愛もののようだ。

 ……さすがに、わたしとて。

 薄くて暗くて、そしてデート定番な場所に同年代の男の子といることに、なにも思わないわけではない。

 映画上映前のドキドキ、わがままらしきことをやれたドキドキ、そしてこの状況のドキドキ。ぜんぶ種類が違う。

 甘音もそのうち、好きな人とデートしに来るわよ――なんて、いつかの映画館の帰り道で母が言っていた。そのときは、そんなものなのかなんて思ったけど。

「……どうしました?」

 地藤さんが小声で問うてくる。わたしが横顔をじいっと見ていたせいだ。

「い、いえっ、なんでも」

 同じく声量を抑えながら、わたしは首を振る。

 ……デート、かぁ。

 デートとは恋人同士のお出かけを呼ぶのであって、男女が出かけることを指すんじゃないはず。だからこれは違う、のよね?

 いやいや、そもそもそんな風に考えていること自体が地藤さんにたいへん失礼だ。わたしの苦手克服のためにこうして付き合ってくださっているのに、勝手にデートだなんだと浮つくなんて。

 ……ほんとうに地藤さんは素敵な方だと思う。優しすぎる、と言ってしまってもいいかもしれない。ストーキングをしていたわたしの話を聞いて、こうして協力してくれるだなんて。

 素敵な人だなと思うこと、すごく感謝をしていること。このふたつは確かだ。

 じゃあ、……男性としては?

 昨日、妹たちとちょっとそんな話にもなったから、ダメダメ失礼と思っていても、ついつい考えてしまう。

 でも、正直わからない。

 そもそも、これ! ってわかるようなものなのかな。そこからしてわからないのがわたしである。

 ……まあ、たとえ好きになったとて、地藤さんがわたしを相手にしてくれるかというと……ストーカー含め、あれだけ醜態を晒しているわけで……。


「ほら、も~、ギリギリになっちゃったじゃないっ」

「だって……」

「だってじゃないの!」


 ……あら。

 気がつけば物思いにふけてCMも頭に入っていなかったわたしの意識が、そんな隣からの声で現実に戻される。

 チラリと見ると、わたしの左隣に(右隣は地藤さんだ)ひと組の親子が来ていた。お母さんと小学校低学年くらいの男の子である。

 慌ただしく彼らがシートに着いたタイミングで、ちょうど映画本編が始まった。

 頭のシーンから派手なアクション。映画館ならではの音の洪水が押し寄せてくる。ビリビリ揺れる空気の中、シートも左右にグワングワン。

 そうそう、これが4DXの迫力だ。右隣を窺うと、地藤さんも感心したような顔をしていた。口の端もすこし上がっている気がする。こちらの視線に気づいた彼は、声を出さずに口の形だけで「最高ですね」と言ってくれた。

 よかった、楽しんでくれているみたい。

 なんて思ってると、

「あっ……」

「あーもう! なにしてるのよ……!」

 あらあらあら……。

 左隣では、男の子が手に持ったジュースをすこしこぼしてしまっていた。シートの揺れのせいかしら。

 拭くもの拭くもの、とハンカチを取り出そうとして、いやいやこういうことをしない自分になるのだと思いとどまる。

 ……そ、そうよね、お母さんがいらっしゃるんだもんね。部外者がいきなり嘴を突っ込むべきじゃない。

 それに今のわたしの格好は地雷系ファッション。わたしはとても好きな服装だけど、ちょっと圧は強いかもしれない。いきなり話しかけたら驚かせてしまうかも。

 そんなことを考えて、なんとか衝動を抑え込まんとしている間に、お母さんが男の子のこぼしたジュースをちゃんと拭き取っていた。

 うん、やっぱりなにもしないでよかったのだ。お世話の機会を奪うべきではない。あの幸せを。

 …………いいな~~~~~~、なんて気持ちは封じるのだ!

 しかしその後も、男の子は何度かジュースやお菓子をこぼしたり、トイレに行きたいと言ったり。

 我慢、……我慢我慢我慢!

 ギャンギャンに刺激されてはち切れそうな自身のお世話欲を、わたしはなんとか抑え込む。ダメダメ、色即是空空即是色……。

「だからママ言ったじゃん、なんであんたはあの、お姉さんすみませぇん、さっきから騒がしくてご迷惑を……」

「いえいえまったく」

 全然大丈夫ですご迷惑だなんてなんにもところでよければわたしにお世話させていただけませんかあらぁボクお口ちょっと汚れてるねお姉ちゃんが取ったげよぉかぁ、なんて言葉たちが、一瞬でも気を抜いたら口からスルスル流れ出てしまいそう。

 なんとか耐えながら、笑顔で小さく首を振る。

 お母さんは反対側に座る方にも謝っていた。たいへんそうだ、映画の間くらいゆっくり休んでもらって代わりにわたしが――いやいや、だからダメなのだそういうのは。

 必死に耐えるわたし、揺れるシート。シートの揺れでまたジュースをこぼす男の子。男の子の様子にまた決心を揺さぶられるわたし。

 映画の上映時間は見事まるまる、わたしの精神修行の場と化した。




「た、たのしかったですね!」

「はい。……ところで、だいじょうぶですか? なにか、とても疲れ切ったように見えますが……」

「い、いえ、そんなことは」

 耐え切った。耐え切ったのです、わたしは。

 ……映画の内容、あまり頭に入ってこなかったかも。自分の未熟さを思い知らされる。

 そんな話もしながら、地藤さんとふたり、シアターから出て映画館のエントランスに戻る。照明が一段明るくなって、ああ、ともあれ映画の時間が終わったんだなと実感する。

「地藤さんは4DXどうでし…………あら? すこし顔色が……」

「……そうですか?」

 自分の気のせい? でも、ちょっと青ざめているような……。


「ママ言ったよね!? シート揺れるから気をつけてねって!」

「……ごめんなさい」

「もういい! 二度と映画来ないからね!」


「あら……」

 怒鳴り声に振り返ると、先ほど隣にいた親子だ。

 う~~ん、お母さんの方もたいへんそうだったし、かといってあれくらいの歳の子どもがちょっとした粗相をしてしまうのも仕方のないこと。


「なんであんたはいつもそうなのグズグズグズグズして!」

「ごべんなざいぃ……!」


 あらあらあらあら……。


「うわ~、いるいる、ああいうお母さんブチギレ親子」

「子連れスポットのマジあるあるじゃん。つかあたしも昔あんなん言われまくったわ」


 近くにいたカップルのそんな会話が聞こえた。たしかに、ショッピングモールやスーパーなんかでもよく見る光景だ。

 う~~~ん、まさか「迷惑じゃなかったですよ、だいじょうぶですよ。なのでその辺で」なんて声をかけに行くのは違うだろう。

 結局、「もういい! 帰るよ!」とお母さんは大股で出口へ向かい、男の子はトボトボとその後をついていった。

 ああいうの、難しいですよね……なんて言おうとしたタイミングだ。

「……雷原さん、すみません。すこし手洗いに行ってきます」

「あ、はい。お待ちしてますね」

 こちらへ再度「すみません」と言って、地藤さんはお手洗いへ向かった。

 ……声に元気がなかったのと、動きの妙なぎこちなさが、すこし気になる。

 すると、ほどなくしてスマホへメッセージ。

『シートの揺れで酔ってしまったみたいです。申し訳ないですが、少々お待ちいただけると』

「あらあらあら……!」

 だいじょうぶかしら! 顔色が悪かったのはそういうことだったのね。

 無理せずごゆっくり、辛かったらすぐにご連絡ください! と打って返信。お礼を言う可愛い犬のスタンプが返ってきた。

 心配しながら待つことしばし。

「……すみません、お待たせしました。いや、情けないていたらくで」

 帰ってきた地藤さんは、やはりいくらか顔が青白い。

「そんな! ごめんなさい、普通の上映回にしておけばよかったですね……」

「いえいえ、自分もぜひ観たいと言ったので。はは、正直すごく楽しかったんですが、体が合わないこともあるようで」

「すこし休んでいきましょう。そこのお店、コーヒー美味しいんですよ。……あ、地藤さんの働かれているお店ほどではないかもですが」

「よかった。立地のよさでこんなに負けているのに、味まで上回られたら勝ち目がなくなってしまいます」

 冗談めかして言う地藤さん。その口調は、いつもよりすこし張りがない気がする。

 ゆっくり休んでいこう。

 ふたりで映画館備え付けのお店に入り、飲み物を買って席に着く(「わたしが買ってくるので席で休んでいてください」と言ったけれど、「今日の趣旨に反しますよ」と聞いてもらえなかった)。

 ところでどうしよう、映画のことを話そうにも隣の親子が終始気になって内容をあまり覚えていない……なんて心配をしていたが、地藤さんも地藤さんで、シートの揺れであまり集中できなかったと笑った。

「いや、お恥ずかしいところを。……情けないですが、元々は体調を崩しやすいところがありまして。小さいころなんて、しょっちゅう熱を出してたんです」

「そうだったんですね……」

「いまはだいぶ頑丈になったつもりなんですが、季節の変わり目なんかは不調になることもあったりして」

「あらぁ……。……ちょうどいまの時期なんかそうですよね。風邪にはお気をつけくださいね、今日からまた夜はグッと冷えるらしいですから」

「あ、そうなんですね。このところすっかり暖かかったのに。ありがとうございます、気をつけます」

 同年代の男の子というより、しっかりした大人っぽい男性というイメージの方が濃いものだから、勝手に体もお強いような気がしていた。

 でも、そうでないならばとたんに不安になってくる。明らかにがんばり屋さんなので無理をしてしまいそうだし、それこそ……、

「……わたしが言うのもなんなのですが、なにかあったら周りの方をきちんと頼ってくださいね。……つくづくわたしが言うのもなんなのですが」

「そうします」

 地藤さんは頷いて、穏やかに笑った。

 うーん……。

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