1章 緊張感、持ってくださいね(1)

「先輩、また来てますよあの子……」

「……いいことだろ、常連になってくれるのは」

 土曜日の昼下がり。バイト先の喫茶店でレジ周りの整理をしながら、俺は後輩のヒソヒソ声にそう答えた。

「え~、危機感センサー壊れてますってそれ。あんないかにもヤバそう子が先輩目当てで来てるっぽいのに。ほら、ずっとこっち見てる」

「だからって俺目当てってのは……というかお前な、お客さんに対してなんてこと言うんだ。信念が感じられていいじゃないか、ああいう格好も。なんていうんだっけか」

「地雷系、です」

 そう、それだ。

 いま店内にお客さんは何人かいるが、その中で窓際の席に座った件の子は、一際目立つ格好をしている。

 ピンクと黒を基調とし、リボンとフリルとレースのあしらいで飾っている、可愛らしさとダークさが両立した特徴的なファッション――地雷系。

 なぜそんな物騒な呼び名なのか詳しくは知らないが、なんとなく危ない感じがするのはわかるし、それが魅力のひとつなんだろう。好きな人はすごく好きそう、というやつ。

「いや、似合ってますよ。あの子、顔面偏差値クッソ高いし。服装の強さに顔が全然負けてない。髪も黒のハーフツインでインナーカラーにピンク……コッテコテだけどマジで超似合うなほんと」

「褒めてるんだよな、それは」

「……これは女からのアドバイスとして聞いてください。今どき、ああいう格好の子が全員ほんとのメンヘラってわけじゃ全然ないですが、それでも中にはマジもマジなガチモンがいるのも確かなんですよ」

 当たり前のことを説明する口調で後輩はそう言う。そういうものなのだろうか。

「あの子がガチモンだったら大変ですよ、ほんと。先輩そういうのに捕まったら、見捨てられなくてズルズル引き摺られてたいへんなことになりそ~だし」

「そもそも、よく知りもしない相手のことを陰で好き勝手言うな。品がないぞ」

「うえ~っ正論フィーチャリング正論!」

 嫌そうな声をあげて、後輩はギュッと顔をしかめた。感情も表情も豊かなやつなのだ。

「……ま、心配してくれるのはありがとな」

「む……」

「さて、レジ任せるぞ」

 言って、俺は後輩を残してその場を離れる。視界の中に「注文したいから店員近づいてこないかな~」の気配を出している、男女二人組のお客さんの様子がチラリと見えたのだ。

「ご注文でしょうか?」

「あ、はい。俺はこのカフェオレで……あとなんだっけ?」

「わたしはこっちのチーズケーキのセット――あっ」

 男性の持っているメニュー表を覗き込んだ拍子に、女性がコップを倒してしまう。中身がパシャリとテーブルに広がった。

「わ~! すみません!」

「いえ、すぐにお拭きします。お洋服には?」

「だ、大丈夫です!」

 それはよかった。

 俺は倒れたコップを下げ綺麗なおしぼりを取ってきて、テーブルを拭く。それから、女性のもとへ代わりの一杯を届けた。

「え~、すみませんっ、いいんですか?」

「もちろんです。ご注文はカフェオレがおひとつと、チーズケーキのセットがおひとつでお間違いないでしょうか? セットのドリンクは――」

 なんていうやり取りをしている横で、だ。

 …………いや、たしかにめっちゃ見られてるんだよな!

 じい~っとした視線を、肌にビシバシ感じる。チラリと見れば、その方向にいるのは地雷系ファッションに身を包んだあの子だ。

 妖しいほどに深く見えるその瞳は、俺の一挙手一投足を余さず丸呑みするような雰囲気で……というのは、さすがに俺の自意識過剰だろうか。

 こちらが見ていることに気づいてか、彼女はフイッと視線を切る。……その反応からして、注文をしたいわけではなさそう。

 うーん……。


「せんぱ~い! すみませ~ん! 電子決済ってレジど~やるんでしたっけ!?」


「……いま行く」

 レジでお客さんを前にしている後輩から、こちらへ大声。わからないときにすぐ呼んでくれるのは助かるが、いくらか声のボリュームと勢いは落としてほしいかもしれない。

「どこまでできてる? ん、じゃあレジのここをタップして、……そう、そしたら決済の種類を選ぶことになるから――」

 埃を立てない程度に早足でレジへ戻った俺は、後輩へ手順を教えていく。

 この後輩は、忘れっぽいところはあるが飲み込みのいいやつなので、特にエラーを出すこともなく、決済は無事に終わった。

「ありがとうございました~…………ふーっ、焦った~。先輩すみませんでした」

「いや、いいよ。レジは覚えること多いよな。……ただ、ゆっくりされてる皆さんをびっくりさせちゃうから、呼ぶときはもうすこしだけ静かに頼むな」

「は~い。でもほんと先輩は頼りになる~。いないときがマジでやばいって店長も言ってましたよ~」

「……バイトの高校生に任せすぎだって、お前からも言っておいてくれ」

 コーヒーを淹れる腕前に関しては化け物みたいな人だが、経営者としてはあらゆるところが適当すぎるのだ、店長は。

「もうちょっと、店の経営をするということに緊迫感を持ってほしいんだけどな」

「そうですね~。ところで先輩」

「ん?」

「やっぱりずっと見てますよ、あの子」

「…………」

 緊迫感、持ってくださいね。

 後輩はそんな風にささやいて。

 ――後に、俺は思うことになる。

 このとき、この言葉をもっと真剣に捉えていたら、俺の人生があそこまで激変することはなかったのだろうか、と。


「う~ん、晩飯……」

 バイト帰り、食材を買いに寄ったスーパーで俺はため息を吐く。

 料理するのは嫌いじゃないけれど、自分のためだけに作るとなると途端にやる気が湧かなくなる。

「……ん~」

 栄養価をちゃんと考えなきゃ、そう思ってもモヤがかかったように思考が止まる。

「…………いいか、別に」

 適当に野菜的なものと肉・魚的なものと炭水化物的なものを摂ればいいだろう。たぶん、最低限は。

 いつもと変わらないそんな結論に至った俺は、並べられているレタスを手に取った。

 野菜はいつも、これ一択だ。

 さ、次は……、


「……待、って、くださいっ」


「え?」

 ガシッと、腕を掴まれる感触。

 思わず振り返ると、そこにいたのは――

「……え? …………ん、え?」

「…………急に、ごめんなさい」

 黒とピンクの色彩が放つコントラストと、甘やかなデザインのフリルと蠱惑的なレースのギャップが蛍光灯の下でも鮮やかな、その姿。

 そう、地雷系ファッションに身を包んだ、あの子である。

 カゴにレタスを入れんとしていた俺の腕を、その細く白い手で掴んでいる。

「え、……ええと?」

 どちら様、とは言えない。顔は知っている。しかし、奇遇ですねも違うだろう。知人と言えるような交流はない、はずで。

 じいっと、彼女の瞳は俺を捉えている。

 服装のせいなのかメイクのせいなのか、それともその雰囲気のせいなのか……不思議なほど、その大きな瞳の中には輝きが見えない。

 黒く昏く、周りの光を喰らい尽くすような闇だけがぼうっと浮かんでいる。輝く光より美しい暗闇があることを、俺はこのとき初めて知った。

 それくらい、彼女の独特な美貌はどこか浮世離れしていて……、

「……レタスはっ」

「…………レタス?」

「美味しいですが、そればかりではあまり栄養が……!」

 ……なにか、とても生活感のある言葉が聞こえた気がする。

「お野菜を摂るのなら、色の濃いものもぜひっ。淡色野菜も大切ですが、理想は、食べる野菜のうち緑黄色のものが一日120グラム程度を占めることです」

 ……いや、これもしかして声だけ別の人が喋ってる?

 見た目と話している内容のギャップが大きすぎないか?

「健康的な生活は、まずお食事からなので」

 だってその言葉とは裏腹に、申し訳ないがその身を包むメイクとファッションはいわゆる病み系だとかなんだとか、そういうやつのはずで。

 ……『よく知りもしない相手のことを好き勝手言うのは品がない』という、今日自分が言った言葉が数時間遅れで追いついてきて、俺の後頭部に当たった。

「今日ですと……あ、トマトとナスがお買い得ですよ! お好きですか?」

「ああ、えと、まあ、普通というか、はい」

「お料理はあまり?」

「つい簡単な調理ばかりで済ませてしまうので……」

「でしたら――」

 混乱が抜けず、問われたままに答えてしまった俺に、彼女はトマトとナスを使ったお手軽メニューを次々に紹介してくれる。

「へえ、下味つけてチーズをかけていっしょに焼く……」

「簡単で美味しいんですよ~」

「じゃあ今日はそれにしてみようかな……」

 なぜ話しかけてきたのかはわからないが、中身は特に警戒すべき感じではない、のかな――

「っほんとうですかぁ、ふふ、……よかったぁぁ……」

「……っ」

 なんて緩みかけていた俺の頭の中で、一気に警報が鳴った。

「ぜひ、そうしてくださいねぇぇ」

 だって、それほどまでに妖しい笑顔なのだ。

 夜の闇を封じ込めたような目が弓形にしなり、口は三日月のように割れる。擬音にするなら「ニィィィ……」がいちばんしっくりくるだろう、どこか底知れない笑い方。

 そのファッションも相俟って、映画やアニメで出てきたなら、百人中百人が「なんか裏があるんだな」と予想するタイプの姿。

 ……いやいや、人を見た目で判断してはいけない!

「見ていたらいつもレタスばかりでしたから、心配だったんです」

「……見ていた? いつも?」

「あ」

 しまった、というように彼女の動きはピタリと止まる。

 ……こっちも、さすがに今のはスルーできない!

「ええと、あなたは一体……」

「その、あの、えと、……わ、わたし……す、…………すみませ~ん!!」

「あ、待っ…………足速っ!?」

 明らかに走るのには向いていなそうな靴で、カカカカカッと高速で音高く地面を蹴り、彼女はあっという間にその姿を消した。速すぎる、とても追いつけない。

 すごい、最後の最後までギャップたっぷりだ。

 ……なんだかさっきの一幕すべて、バイト終わりで疲れていたから幻を見たんじゃないか、なんてことすら思ってしまう非現実感で。

「…………とりあえず」

 もうさっぱりわけがわからないけども。

「買ってくか……、トマトとナス」

 おすすめ情報は、とりあえず有益そうだったと思う。

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