第二の噺/件の騙り(1)
かっ……たたたぁっん。とっ……たたたぁっん。
かっ……たたたぁっん。とっ……たたたぁっん。
独特の心地いい音をおともに、民営の電車は走る。ここらの運行は、確か、百鬼夜行商事が担っていたはずだ。だが、乗客にとっては、誰が動かしているのかなどどうでもいい。
ただ、便利に、時間通りに、走ってくれさえすれば、それでかまいやしなかった。
定期的な振動にいい子いい子とあやされて、ユミはすっかり寝入ってしまっている。狭い座席のうえで、彼女は器用に丸くなっていた。だが、ときおり、わたわたとバランスを崩す。のぺっと落下しては、ユミは座席へと自力で這いのぼった。
向かいの席では、皆崎が頬杖をついている。彼は揺れ動く、窓の外を眺めていた。
分厚くも、傷だらけの窓ガラスに映る光景は、水槽の中のごとく濁っていた。流れる景色は夢のよう。どこか遠く、ぼうっと淡く霞んでもいる。やがて、そこに色とりどりの国旗が翻った。青い空、白い雲を背景に、今や意味のなくなった他国の印が、長いロープに結ばれてはためいている。その先は、紅白で彩られた、まぁるいテントへと繋がっていた。
皆崎はつぶやく。
「あそこですね」
視界にチラシが舞う。誰かの手放したものらしい。表面には仰々しい文字が謳っている。
世にも奇怪華麗、摩訶不思議な技の数々をご覧あれ……空中ブランコ……ナイフ投げの達人……骨なしの少女。サァカスサァカス。天下逸品の大サァカスだぁ……なにせ此処は、
「『死なない件』のいるサァカスだ」
天晴れ! とユミが寝言で叫んだ。そのまま、彼女はころりと落ちる。
ぺとっと、ユミは床に潰れた。そのお腹を、皆崎は片手で抱えあげる。
荷物もなく、ふらりと、彼は電車の出口へ向かった。
かっ……たたたぁっん。とっ……たたたぁっん。
かっ……たたたぁっん。とっ……たたたぁっん。
かっ……たたたぁっん。とっ……おおおん。きしきし、ぎしぎし。
電車は止まる。旧い車体は重く軋む。
そして、皆崎たちは目的地に着いた。
***
「運賃の調達には難儀しましたが、珍しく電車が通じているところで、よござんしたね」
「てやんでぃ、バーロー、ちきしょうめぃ! 体がすげぇイテェぜ!」
「そりゃあね、ユミさん。あんな寝方をしたら、痛めないほうがおかしいですって」
「なら、先に言えってんだい!」
「言いましたよ、五回ほど」
「なんだとぉ。俺様の返事はあったかい?」
「きっちり、五回、寝息が返りましたねぇ」
「この、トーヘンボク!」
ぺしんっとユミは皆崎を蹴った。結果、己のつま先のほうを痛めたらしい。ひゃいっ! と彼女は跳びあがった。その頭を撫でてやりながら、皆崎は目の前のサァカスを見あげる。
「これはまた見事なもんで」
駅前まで、紅白のテントは張りだしていた。そのさまはでっぷりと脂ののった腹を突きだした、異形のごとしだ。今や観客も少ない、一般のサァカスのテントとは大きく異なる。
ここが、これだけ立派なのにはワケがあった。
以前、こちらは押しも押されぬ大盛況で、駅周辺にまで、わんさと人が溢れていたのだ。まるで角砂糖に蟻の集まるがごとしだったらしい。それをいち早く迎え入れるべく、また、すべての客を収容しようとテントは拡張に拡張を重ねた。だが、膨張とは破裂で終わるもの。ここでも限界を超えたことによる悲劇が起きた。人々が集いに集い、群れに群れての転倒と将棋倒しの事故が重なり、サァカスは高額予約制へ颯爽と切り替えられたのだ。そうして、今ではひっそりと、しかし、がっぽりと営業をしているらしい。
その唯一の目玉にして、稼ぎ頭は。
「『死なない件』の予言……か」
「でもさぁ、今度はその件から手紙がきたんだろう?」
高い声で、ユミが問う。
それに、皆崎は深くうなずいた。山高帽を押さえて、彼はささやく。
「ええ、あなたさんの言うとおり。件からの手紙をもらいましたよ」
くるり、彼は手を回す。骨ばった指の間にキセルが出現した。
ソレを、皆崎はガチリと噛む。ひと吸い、ひと吹き、ひと言。
「死ぬことができない……とのことでして」
件から、救いを求める手紙が送られる。
『魍魎探偵』である皆崎トヲルにとって、これすなわち、なんらおかしなことではない。奇妙奇天烈、摩訶不思議にさえふくまれない。だが、同時に手紙の内容は……いや、それ以前に、サァカスにいるという存在が、ナニヤラおかしく、怪しくはあった。
いやはや、果たして。
「死なない件は件かな?」
***
件とは人と牛が一体化した妖怪だ。
簡潔に言うなれば、人面牛である。
彼らは牝牛の胎から生まれ、すぐに予言を行い、数日のうちに死ぬ。
希少な妖怪であり、今の、常世と混ざった国内でも多数が観測されたという報告はいっさい聞かない。その予言の内容は、稲作の豊凶や疫病の流行についてだ。つまり、件の存在は国の命運すらも左右しかねないといえる。だからこそ、件は世界の混ざる前から伝承に語られ、畏れられ、存在と死亡を記録されてきた。予言をしたあとに生き残った件は今まで一体たりともいない。だが、此度の『死なない件』は予言の後も死ぬことなく、対個人の未来予知を行っているという。
確かに、今はいつ、どんな災厄が降りかかるかわからず、明日には死が待つご時世だ。運が悪けりゃ、夜市の鍋の中でグツグツと煮こまれる末路すらありうる。そんなこんなで、『死なない件』には、予言を頼みたい人が続出した。
だが、すぐに死なない段階で、それが件か否かはなんとも言えない。
『死なない件』にまつわる手紙。
そこに人の『騙り』はあるか。
それを確かめるためにも皆崎たちはサァカスを訪れた、の、だが。
すったか、ぼっこのぼっこぼこの、ぼっこべっこの、ずったぼろ!
「あー、あー、こりゃ、ひどいや」
「スッゲェ、流血沙汰じゃねぇか」
皆崎が嘆き、ユミは目を丸くする。
ふたりの前では──いかにも団長という──蝶ネクタイに金糸で縁どられた赤い上着とシルクハットを合わせた男性が、これでもかとすたぼこのズタボロにされていた。黒いスーツ姿の男たちが、こちらも──見るからに富豪といった──老人の命令で、団長を蹴ったり殴ったりしている。ヒューヒューと、団長は荒い息を吐いた。
彼に向けて、金の着物姿の老人は己の顎髭を撫でて言う。
「ちったあ懲りたかな? あの件の予言は、大ハズレ。真っ赤な嘘だったよ。ほれ、予約のときに渡した、高い金を返してもらおうか?」
「ぺっ、ぺっ! うちの件はですね。元々、予言の的中率は三分の一だと言ってあったはずです。三回に一回は必ず当たる! それが、うちの『死なない件』でさ! あだーっ!」
「三回に一回は、『必ず』とは言わんのだよ」
老人の命令でスーツ姿の男たちは団長にさらなる暴行を加えた。すったか、ぼっこのぼっこぼこの、ぼっこべっこの、ずったぼろだ。地面に血が飛び散り、骨がミシミシと鳴る。
だが、耐えがたいだろう痛みの中にあっても、団長は堂々と叫んだ。
「くっそう、私は屈しないぞ! 金とは人の命よりも重いのだ! 地球よりも重いのだ! つまり、私の命よりも金のほうが大切なのだ! あだーっ!」
ボコォッと、その腹が蹴られる。
面白いほどきれいに、団長は胃液を噴いた。キラキラと濁った黄色が陽の光に輝く。
やれやれと、皆崎は首を横に振った。
「守銭奴もあそこまでいけば、立派なもんかもしれませんねぇ」
「いや、ねぇよ」
「そこのアンタたち!」
ブンブンと、ユミが首を左右に振ったときだ。ふたりに、声がかけられた。
どこの誰かと、皆崎とユミは視線をさまよわせる。そうして、テントの陰に隠れる存在に気がついた。声の主は奇妙な娘だった。派手な美貌を必要以上の化粧で飾りつけ、ピンクのスパンコール貼りのタイツで全身を覆っている。震えながらも、彼女は団長の騒ぎをうかがっていたようだ。そのコッテリと盛られた顔を確認して、皆崎はああとうなずいた。
「もしや、サァカスの演者さんで?」
「そうよ! 骨なし軟体の蛇少女! アジアの奇跡!
「ご大層な売り文句のワリに、名前は普通じゃねぇかよ」
「ギャップを狙ってんのよ! 悪いかしら?」
「悪いってこたぁねぇけどさ」
「それよりもさ。いったいナニをヤッテンノヨ! アンタたち、ボウッッとしてないで、早く団長を助けておあげなさいよ! かわいそうじゃない!」
ツンッと天を仰いで、愛子は高慢に告げた。その鼻は山のように高く、雪のように白粉まみれにされている。ユミと皆崎は顔を見あわせた。うんとうなずき、ふたりは口を開く。
「あなたさんは?」
「テメェはなにもしねぇのかよ!」
「まあ! このやわらかくて儚くて、ふにゃんふにゃんになる以外は、なんにもできない、稀なる肉体の柔軟性と骨のしなやかさをあわせもつだけのアタシに、よくもそんな野蛮なコトが言えるわね!」
「自己評価が高いんだか、低いんだか、これはわかりませんや」
「団長ーっ! 団長ーっ!」
「あっ、テメ」
ユミは愛子を止めようとする。だが、サイレンのごとく、愛子はカン高い声を張りあげ続けた。団長ーっ! だんちょぉーっ! だぁああああんああああちょおおおおおおっ!
やがて、老人のほうが何事かと首をかしげた。どうやら、やや耳が遠いらしい。
「むむ、なんだ?」
「団長ー! 助けよ! 助けがきてくれましたよー!」
「おのれ、この嘘つきに力を貸すとは、何奴か! モノども、かかれぇ! かかれぇ!」
杖を振り回して、老人は叫んだ。号令の下、パリッとした黒スーツ姿の男たちが走り寄ってくる。その体型は、どいつもこいつもひき締まっていて、ひどく手ごわそうに見えた。
だが、慌てることなく、皆崎はキセルを食んだ。
ひと吸い、ひと吹き、ひと言。
「やれやれだ」
そうして、彼は─────。
振るわれた拳をてのひらでいなし、キセルでひとりの突きを払って、回転蹴りで全員を転ばせ──そのまま、するりと猫のごとくすり抜けて、ドサドサと敵の群勢を地に倒した。
どう転んだものか、面々はあっけなく気絶する。
情けなく積みあがったものたちに、皆崎は悠々と告げた。
「『魍魎探偵』この程度は余裕で」
「べべん、べべん、べんべんっ!」
「ひいいいいいいいいいいいっ!」
泣き叫びながら、老人は逃げだした。
皆崎は後を追いはしなかった。ちらりと、彼は埃まみれで土まみれの団長に目を向ける。
そしてキセルをくるりと回し、ユミにささやいた。
「見てください、ユミさん。ちょうどいいや。催眠にも荒事にも、頼る必要はなさそうですよ。これこそ、人助けの醍醐味。情けは人のためならずってやつです」
「ケッ、そうかよ」
その間にも、団長はくるりと四つん這いになった。さらに、カサカサと這い寄ってくる。ひしっと、彼は皆崎の手を握った。次いで上下に振りまくると、泣きながら声を弾ませた。
「ああ、親切なお方! ありがとうございます。ありがとうございます。あなた様は命の恩人だ! どうお礼をもうしあげればいいものか!」
「礼はけっこう。しかし、コイツはちょうどいいや」
「はい、ナニガでしょう?」
はてなと、団長は首を横にかしげる。
キリッと、皆崎は意味なく顔を整えた。そして団長に頼みを告げる。
「よければ、あなたさんの『死なない件』を僕らに見せてくださいな」
「えっ、嫌です」
キッパリと、団長は答えた。皆崎は頭上にでっかいハテナマークを浮かべる。ハアッ? と、ユミはすっとんきょうな声をあげた。その反応にもめげることなく、団長は続ける。
「金は人の命よりも重いんです!」
『死なない件』は、高額予約制!
なるほどと、皆崎は思った。
守銭奴も、ここまでくればハタ迷惑だ。
「『魍魎探偵、通すがよかろう』!」
「結局こうなるんじゃねぇかよぉ!」
呆れたように、ユミは頭の後ろで手を組む。
かくして、皆崎たちはサァカスへと侵入を果たした。