序章 悪役貴族の目覚め
――あ、そうだ。俺は悪役貴族だ。
唐突に気づいた。というよりは、思い出したと言った方が正確か。
この世界はとあるラノベのファンタジー世界。そして、俺は主人公ではなく悪役貴族……この事実だけに気づいた。――さて、どうするか。
「ルーク、どうかしたの?」
「……少し考え事を」
「そう。食事が冷めてしまうから程々にね」
テーブルに並べられたいくつものフォークとナイフ。やたらと豪勢な料理を口に運んでみるが……あまり味がしない。
少し遅れて、ようやくこの奇妙な現実の実感がわいてきた。……なんだこれは。
おいマジか、こんなことってあるのか。うわー、どうしよう。まずどんな物語だったか……あー最悪だ、まったく思い出せん。
ぼんやりと設定や登場人物は覚えている。だが、その程度だ。
「申し訳ありません、母上。少し体調が優れないので、部屋で休んでもいいでしょうか?」
もはや食事どころではなかった。今はとりあえず現状把握に時間を使いたい。
「えぇ!! 大丈夫なのルーク!? 直ぐに神官を呼んで――」
「それには及びません。少し疲れを感じた程度ですので」
「そ、そう……ならいいのだけど。もし辛かったら直ぐに言うのよ」
「はい」
最低限の言葉だけで返事をし、俺は歩き出したが――
「……ルーク」
呼び止められた。
「はい、父上」
「本当に大丈夫なのだな?」
「はい。嘘はございません」
「そうか、行きなさい。アルフレッド、何か異変があればすぐに知らせろ」
「かしこまりました、旦那様」
まったく……過保護な両親だ。
アルフレッドという名の執事と共に自室に向かいながら、俺はそんなことを思った。
なるほどな、ルークというキャラが出来上がるわけだ。とてもぼんやりとではあるが、俺にはルークとしてのこれまでの記憶もある。しかし、怒られた記憶が全くと言っていいほどない。
何をやっても大抵のことは直ぐにできてしまう才能。どんなに俺が悪かったとしても、叱ってくれる者が誰一人としていない家庭環境。
そりゃあ、自尊心が膨れ上がるわけだ。傲慢不遜の権化にもなる。
正直、コイツの人格はこの環境が作り上げてしまったと言わざるを得ん。
「それでは、ルーク様。何かあればお声かけ下さい」
「あぁ」
扉の前にアルフレッドを控えさせ、俺は中へと入る。そのままベッドにダイブ。枕に顔を埋め、思考を巡らせる。さて、本当にどうするか。俺はこれからどうするべきか。
しばらく今後のことを考えてみる。やたらと優秀な頭脳のおかげなのか、刹那に無数の思考が巡る。だが……どんなに考えても答えは一つしかなかった。
目指すは――幸せだ。
もはや、ルークとかいう悪役になってしまったことはどうにもならない。
どうせ主人公にボコられるのだろう。主人公の名は確か……『ア』から始まる名前だったと思うが、靄がかかっているかのように思い出せん。まあ、そのうち思い出すだろう。
とにかく、俺は幸せな人生をおくりたい。俺の人生がハッピーエンドであって欲しい。幸い、貴族なんだ。大抵のことは困らないだろう。
でも、そうだな……何もしないのはつまらない。せっかくこんなファンタジーな世界なんだ。剣や魔法を存分に堪能したいという、この強烈な欲求に抗うことなんてできはしない。――いや、この俺が我慢する必要などない。
その時、ふと頭にある考えが降ってきた。
「……そうだ。努力してみるか」
確か、ルークというキャラは全くと言っていいほど努力ということをしたことがなかったはず。正確には努力する必要なんてなかったのだ。
人が必死に努力して獲得する能力を、ルークは初めから持っている。だから傲慢不遜の極みのような性格であっても、誰一人として文句を言えない。本当にタチの悪い……いわゆるヘイトキャラだ。
ヘイトを集めに集め、主人公がぶっ飛ばすことで読者をスカッとさせるための存在。
まったく、そうはなりたくないものだ……だが、面白い。本来努力なんてしないはずのキャラが努力する。それはこの世界にどんな変化をもたらすのか、少しだけ興味がある。
程々に頑張ってみるとして、とりあえず現在の俺の年齢は十。
魔法の才能がある俺はおそらく順当にいけば、十五で王都にある魔法学校に進学することになるだろう。これはルークの記憶が教えてくれたことだ。
……まあ、その学園に行ったら出会ってしまう気がするんだが。――主人公に。
まあいい、主人公に会いたくないという感情よりも、魔法について学びたいという欲求の方が余裕で勝ってしまっている。それに、こういう世界は強さがそのまま自由に直結すると思う。強ければそれだけ選択肢が増える。そのためにも、魔法を学び始めるのは早い方がいい。
ただ、入学まで五年もあるな……それまでの間はどうするか。独学で学んでみるか? いや、誰か教えてくれる人間を探した方がいいな、さすがに。
そうだ、剣についても学ばないといけないんだ。何も、学ぶべきは魔法だけじゃない。
そういえばこのキャラ、というか俺は、剣と魔法のどちらが得意なんだろう?
両方とも才能があるってことは知っているが、偏りはないのか?
うーん、あったのかもしれんが思い出せん。まったく、不親切な記憶だ。とりあえずはどちらも学んでおこう。それで得意な方がはっきりしたら、そちらに集中すればいい。
「方針は決まったな。……クク、面白くなってきた」
思わず独り言が漏れた。――そうだ、楽しみなんだ俺は。
最初は困惑したが、胸の奥底が熱く震えている。こんな世界、楽しむなという方が無理な話だ。
――コン、コン
ドアをノックする音。
熱くなった思考がすぐさま冷えたものへと切り替わった。
「ルーク様、体調の方はいかがでしょうか? 申し訳ありません。旦那様から一度確認し報告しろと仰せつかっております」
「あぁ、大丈夫だ」
思考に水をさされたことで少しだけ不機嫌に返事をしてしまった。――いや、待てよ。
ふいに浮かんだそれを確かめるべく、俺はガチャりと扉を開けた。
「おいアルフレッド……ん?」
あれ、おかしい。
「アルフレッ……ド」
「どうなさいましたか、ルーク様」
……敬語が使えない。俺はアルフレッドさんと言おうとしたんだ。自分よりも年上の人間に敬語を使うのは当たり前なのだから。なのに、使えなかった。……いや、正確には違う。
――『たかが執事に敬語など使う必要はない』という、強烈な意識が俺の根底にあるのだ。
なんだこれは……“ルーク”の意志が残っているというのか。
俺は改めてアルフレッドを見る。年相応に皺のある顔。だが気品を備えており、有り体に言えば男前で、体格も決して衰えていない。
それもそうだろう。アルフレッドは元王国騎士団の副団長を務めていた男なのだから。
そのことをさっき思い出した。なんだ、剣を教えてもらうのにうってつけではないかと考えたのだが……できるかそんなこと。この俺がたかが執事に教えを乞う?
そんな恥ずかしい真似をするくらいなら死んだ方がマシだ。
……は?
なんだこの抗い難い強烈な感情は。
クソッ、たかが剣を教えてくれと頼むのになぜこんなに苦労しないといけないんだ。
「アルフレッド、俺に……」
ググググ……クソッ、言葉が出ない!! あと少しなんだ!!
「俺にィィィ……」
だァァァァァッ!!!!
「俺にィィィィィィィッ!!」
「どうなさいましたかルーク様! はっ! やはり体調が――」
「違ァァァァう!!!」
思わず大声が出た。全身から汗が吹き出ているのが分かる。おそらく目も血走っていることだろう。
「ハァ……ハァ……」
ダメだ、頼めない。どんなに頼もうと思っても言葉が出ない。なんだこの呪いは……最悪だ。俺はどう足掻いても“ルーク”でしかないのか。――いや、思考を変えろ。
「俺にィィ……剣をォ……教え、ろ……」
言えた!! 命令形にすることで何とか言えた!!
アルフレッドさん本当にごめん! 俺がこれまでたくさん迷惑をかけたことは、ルークの記憶で知っている! マジでごめんなさい!
俺は心の中で盛大に土下座した。
「……はい? 今なんと?」
安堵していたら、アルフレッドさんが絶望的な言葉を吐いた。……冗談だろ。
「聞こえなかったのか……?」
ちょっと……それはないよアルフレッドさん!! もう一回言うのはキツすぎるって!! ……まあ、やるけども。剣を教えてもらうためなら何度でも。
「俺にィィィィィ……剣をォォォ……」
「いや、失礼。老体ゆえ、己の耳を疑ってしまいました」
「ハァ……ハァ……そうか」
俺は静かに返答を待った。アルフレッドさんは何かを考えているように黙る。
でもどうか、どうか断らないでください。必死に抗うけど、断られたら俺はどういった行動に出るか分からないんです。
本当に最悪だ……マジでなんなんだこの呪いは。
「かしこまりました。私で良ければその役目、務めさせていただきます」
「…………」
何とか了承を得られた……良かった。
でも、感謝を言えない。口を開けば憎まれ口を叩いてしまいそうだから無言を貫くしかないんだ。本当に申し訳ない、アルフレッドさん……心から感謝している。
はぁ……ありがとうの一つも言えない俺に、ハッピーエンドは訪れるのだろうか……。