第二話(1)

 ①下着姿の女子と遭遇した

 ②場所はウチのバスルームだった


 このふたつだけ取っても、俺の人生においては奇跡に等しいのに。


 ③その女子は俺と同じクラスで隣の席の、超かわいいギャルだった


 最後にでっかいオマケまでついてきた。

 一体これは何なんだ?

 つまりどういう状況なのこれって?

 俺は混乱していた。

 だけでなく、凍りついたまま固まってしまった。

 いやあ。

 こんな風になるんだな、人間って。

 想定外のことが起きすぎて、ポンコツのパソコンみたいにフリーズ状態。ただでさえ父が再婚する話を聞かされたばかりでキャパシティーオーバーだったのに。

 いや。

 でも逆にそうか。うちの父が再婚したからこそ、こんな状況になってるわけか。そういうことならちょっと納得。いやあ、バタフライエフェクトってすごいなあ。

 ……固まってる、っていうのはある意味で良い言い訳だ。

 断じてわざとじゃない。不可抗力であることは強く強く主張しておくけれども。

 しっかりと目に焼き付けてしまった。

 一ノ瀬涼風という、宝物みたいな女子の、あられもない姿ってやつを。

 下着姿――ある意味では意外、別のある意味ではなるほどなんだが。下着の色は黒だった。ついでに言うと、レースたっぷりでシースルーまであしらった、お子様ご禁制、大人っぽさ全力の、めっちゃイケイケなデザインだった。

 そしてこちらは、知っていたけれどこの機会にあたらめて確認したこと――下着の色とは反対に、肌の色は白かった。白いだけでなくきめが細かい。触ってもいないのに、すべっすべのお肌だと直感できる。

 さらにこちらも再確認。

 露骨な表現で恐縮だけど、ものっすごいエロかった。

 胸が。大きい。とても。

 大きいだけでなく、これはもう語彙力の敗北だと思うが、とにかくエロい。こんなに大きいのに作り物っぽく見えないって、なんの魔法かな? そのくせ腕も足も腰も細くて、細いけれども絶妙なさじ加減でお肉もついているという、絵に描いたようなバランスの良さを保っているのだから参ってしまう。

 制服姿からでもわかっていたことだけど、ほとんど一糸まとわぬ姿の今となってはもうごまかしようがない。この人エロすぎる。いやもうエロいを通り越して神秘的かもしれん。エロいエロいと連呼してすいません。でもエロいんだ本当に。


 ……何秒ぐらい固まっていただろうか。

 数秒では済まないと思う。あまり考えたくないけど、たぶん十秒以上。俺はぶざまに固まってしまっていたはずだ。

 その間、一ノ瀬涼風が何をしていたかといえば。

 困った顔をしていた。

 眉をハの字にして、ほんのり微苦笑を浮かべて。

 だけど焦るでも取り乱すでもなく、瞳の色はクリアなままキープして――つまりおそらくだけど、彼女は状況を正確に把握していて。

 それでいて、まさに『困ったなあ』としか表現しようのない顔をして。指でほっぺたを掻いたり、横を向いて何度か瞬きしてみたり。

「ええと。ちょっといい?」

 それからようやっと口を開いた。

 ちなみに声もきれいだ。どこまでも持ってる女。

「できれば目をつむっててもらえるとうれしいかな。もしくはちょっとリビングとかで待っててもらえるとうれしいかな」

 自然体すぎて、あるいは色っぽさに惑わされて気づかなかった。

 一ノ瀬涼風は、ほのかにもじもじしていた。ほっぺたもほんのり紅かった。

 少なくとも今この状況を歓迎しているわけでは、ない。

「…………」

 俺はオタクだ。

 もちろんモテない。

 見た目も成績も、よく見積もって真ん中ぐらい。

 ぎり、フツメンあつかいされるかどうか、のポジションでしかないと自覚している。

 だけどひとつだけ。これだけは父の教育のたまもので、実践しているモットーがある。

 すなわち“紳士たれ”。


「――すいませんでしたあああああああああああああああああっ!」


 結果。

 俺が一ノ瀬涼風の『兄』として出会ってから最初の行動は、土下座での謝罪と相成ったのであった。



「だいじょうぶ。気にしてないよ」


 そう言って彼女は微笑んだ。

 ウチのマンションのリビング。

 L字型のソファーにふたりで座って、ようやくちょっと落ち着いたところ。

「わりとシャワー、よく浴びる方なんだけど。誰もいないからって、勝手に使ったわたしも悪かったから」

「いや……あれは俺が悪かった、です。たぶん予想はできたし。予想できなかったとしても、もっと最適な行動があったと思う。本当にすいませんでした」

「気にしてないんだけどなあ。よくあること、だと思うし」

 さすがと言うべきなんだろうか?

 ギャル様はこの程度のことじゃお怒りにもならなければ、動じることもないらしい。やっぱギャルって強者だよな、と素直に俺は思った。この時はまだ。

「『よくあること』じゃないと思うけどな」

 湯気が立つコーヒーカップを手に取りながら、俺は反論する。

「こんなシチュエーションが『よくあること』だったら、スナック感覚で宝くじの当たりを摂取できるってことじゃんか。……ああいや、ああいう事故を『当たり』だと表現するのは間違ってるか。こっちは加害者で、そっちは被害者なのに」

「あは。おもしろい」

「……面白いとこありました? 今の話」

「うん。『お風呂場でばったりお着替えシーンに出くわした』ことを、『宝くじの当たり』って表現するところが」

「いや本当に。その節はすいませんでした」

「あはは。あやまらなくていいのに」

 一ノ瀬涼風は笑った。

 それにしても、今さらながらすごい違和感だ。

 ウチのリビングのソファーに同級生の女子が、それもハイスペックなギャル様が座っていらっしゃる。シャワーを浴びたあとは制服に着替えているから、違和感がさらに二倍とか三倍になってる感じ。

「ていうか知ってた? んですか?」

「なにが?」

「結婚のこと。ウチの父と、そっちのお母さんが再婚すること。いつから知ってたんすか?」

「ふつうのしゃべり方でいいよ。名前呼びで」

「ええとじゃあ……一ノ瀬さん」

「涼風でいいから」

 紙パックのいちごオーレに口を付けながら、彼女は続ける。

「ちなみにわたしのリクエストも聞いてもらえる?」

「……なんでしょう?」

「キミのこと『にぃに』って呼んでいいかな?」

 ぶほっ!

 俺は飲みかけのコーヒーを吹き出した。

「――距離詰めるの早っ⁉ ていうか同級生だから俺とあなたは! そっちが『涼風』でいいならこっちは『新太』でよくない⁉」

「あは。にぃに、リアクションおもしろい」

 いやそんなに面白くはないぞ?

 そして俺は面白いどころじゃないぞ?

 あの一ノ瀬涼風が俺を『にぃに』呼び……だと?

 クラスでナンバーワンどころか、学校でもトップに位置する――いや、俺の知る限りこれまで見てきたどんな美少女よりも美少女な一ノ瀬涼風が。俺を『にぃに』と。

 なんだろこれ? 変な性癖に目覚めそう。

 この当たりくじ、ちょっとオーバーキルすぎやしませんかね?

「キミの方が誕生日が先だって聞いてる」

 両手で頬杖をつきながら、一ノ瀬涼風はこちらを見て微笑む。

「だったら『にぃに』って呼ぶの、おかしくなくない?」

「せめて『お兄ちゃん』ぐらいでお願いできないっすか?」

「んー。なんかそれだとつまんない」

「つまらないかどうかの話じゃないと思うんで。そこはどうかひとつ。じゃないと心臓がもたないっす、こっちの」

「ふーん。じゃあとりあえずはそれで」

「というか話を戻させてもらうんすけど。どのくらい聞いてるんすか? 再婚のこととか」

「たくさんはしらないよ。わたしも今日、ママから聞いたから」


 ざっと事情聴取したところ、以下のことが判明した。

 母親から再婚を告げられたのは、今日の朝だったこと。

 私立青原学園に転入してきたのは、どうやら再婚の布石であったこと。

 青原学園には同い年の兄になる生徒が在籍していること。『でも誰なのか教えない。だってその方がわくわくするでしょ?』と言って、兄の情報を教えてくれなかったこと。

 新婚旅行に出かけるので、しばらくは兄とふたりで暮らしてほしいとのこと。

 それにしても情報の告知の順番がおかしいというか、状況の変化が激しすぎるのではないかと疑問を呈すると、母・侑子は『ごめん忘れてた』と返してきたとのこと。

 母の突飛な行動はいつものことらしく、普通に受け入れたとのこと。

 ちなみに涼風母の仕事は、世界を股に掛けるデザイナーだそうで。そんな人を我が父はよく捕まえられたな、と感心したこと――


 ちなみにだが。

 これだけの情報を聞き出すまでに、かなりの時間が掛かった。

 一ノ瀬涼風は集中力がないタイプかつ、あまり物事に頓着しないタイプらしい。話があっちに飛んだりこっちに飛んだりで、会話そのものもスローペースで、いまいち要領を得なかったのだ。

 まあ納得ではある。

 彼女が転入してきてから二週間。

 となりの席になった俺はつぶさに観察してきたが。確かに一ノ瀬涼風はそういうキャラなんだろうな、ってことはなんとなく察していた。

 あの母親にしてこの娘ありか。

 多くの会話は交わしてないけど、割と納得してしまった俺なのだった。


「……まあ、わかった。大体のことは。わかりました」

 ひととおりの聴取を終えて、俺はようやく一息つく。

 なんかもう疲れた。いろいろありすぎて。

 そして事態は、なしくずしにこのまま進行しそうな気配である。新しい母親ほどではないにせよ、うちの父も微妙におかしな人だからな……仮に俺が現状に断固として反対したところで、なんだかんだと自分の意思を通しそうな気がする。

 そもそも再婚自体はめでたいのだ。新しい生活が始まることも、新しい家族ができることも、俺は決してネガティブに受け取ってない。何かと順序がおかしいだけで。


「というわけだから」

 一ノ瀬涼風はぺこりと頭を下げた。

「これからよろしくね、お兄ちゃん」

 ふふっ、と。

 真っ直ぐこっちを見ながら微笑んでくる。

「昔からお兄ちゃんがほしかったから。だからぜんぜんイヤじゃない。それにやさしいしね、キミ。となりの席でいつもお世話になってます」

 再びぺこり。

 うーんこの、なんというか。

 パッと見はクールでミステリアスな雰囲気で、ギャル様グループとしては割とレアなタイプのキャラだと思っていたが。実は妹タイプだったのか。しかも胸が大きい系の。

 何だかギャップの宝庫というか、やっぱ性癖を歪めにきてるとしか思えないんだが。

 それに度胸がすわっている。

 話を聞く限り、ウチの学校に転入してきたのは侑子さんが勝手に決めたことっぽいし。初めて訪れた我が家で、長年住んでた家みたいにくつろいでるし(親の許可を得ているとはいえ、ためらいなくシャワーを使ったりするし)(玄関の鍵を開けっ放しにしていたのはどうかと思うが)。

 状況の急変にあたふたしてる俺が、なんだかちっぽけに見えてしまう。

 着替えシーンを覗かれてもぜんぜんキョドってないしな……ま、ああいう場面でうろたえないからこそ、ギャルはギャルでいられるんだろうけど。

 というか『お兄ちゃん』呼びも普通に攻撃力高いわ。

 あの一ノ瀬涼風が俺を『お兄ちゃん』と……やっぱ性癖が以下略。

「とにかく。これからやることが多いから」

 いずれにせよだ。

 シチュエーションが確定したからには、前に進まなきゃいけない。扶養家族を放置して新婚旅行に出かけた父と侑子さんには後で徹底的に尋問するとして、俺と新しくできた妹には、今この瞬間も課題が山積みになっている。

「決めなきゃいけないことが多すぎる。こんな形で新しい家族ができる流れになったから、何にも用意してないんで」

「まずは何を決めるの?」

「家事の分担、でしょまずは。その他にも生活のいろいろ」

「家事、わたし、やる?」

「やってください。一緒に暮らすからには、それが普通のことだと思います」

「うん。わかった」

 幸いにして、一ノ瀬涼風は協力的だった。

 ヒエラルキー上位のギャル様が、底辺オタクをあごひとつでコキ使う――そんな状況にはならなくて済みそうだ。

 これは地味に助かった。俺が最初に心配したことのひとつが、まずはそれだったので。

 別のギャル……たとえば一ノ瀬涼風と並んでクラス内ギャルツートップの【安城唯あんじょうゆい】あたりが家族になってたら。俺の高校生活はグレー一色で染められていたに違いない。

 教科書を見せるために机を隣にくっつけるぐらいの接点しかなかったけど、普通にいい人なのかもしれないな。この新しくできた妹は。

「とりあえずメシ、食いますか。まずは」

「うん。わたしおなかすいた」

「じゃあメシは任せていいっすか? ウーバーとか出前でもいいんすけど、今日は使い切っちゃいたい食材も残ってるんで。あ、もちろんキッチンとか冷蔵庫は好きに使っちゃってください。何か困ったらいつでも呼んでくれれば」

「うーん? ……うん、わかった」

「俺はいろいろ片付けとかしときます。俺と父のふたりだけで暮らす用に使ってる家なんで。このままだといろいろマズいことが起きるんで」

「マズいことって?」

「いろいろです、いろいろ。とにかくそういうことで、メシの用意は任せたんで」

 ソファーから立って、行動を開始した。

 まずは物置部屋だな。

 リビング以外の三部屋は、俺と父が一部屋ずつ使って、残りは倉庫みたいな状態になっている。一ノ瀬涼風が寝起きするとしたら、この部屋以外の選択肢はない。

 いやしかしなー。

 この部屋、マジで魔窟なんだよな……3LDKのマンションは、男ふたりで暮らす分には広すぎるはずなんだが、何やかんやで荷物が埋まっていくものなんだ。女子にはあまり見られたくないブツもある。まずはその処理をどうにかしなきゃならん。

「さて。やりますか」

 いかにも不案内な様子で一ノ瀬涼風がキッチンに入っていったのを確認してから、俺は腕まくりをした。

 まあ今のうちに言っておくけど。

 この時に及んでも俺はまだまだテンパっていた。

 冷静に状況を判断すれば、もうちょっといろんなことに気づいていただろうし、もっと良い立ち回りもできたんだろうけどな。気づくのはもう少し後になってからである。


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