第二章 清水さんと調理実習(1)
「さて今日も恋バナ始めようぜ」
朝、自分の席に着くと早々に、俊也が僕のところまで来て声をかけてきた。
「俊也、サッカー部の朝練は?」
「もう終わった」
「また恋バナするの?」
「まだまだ聞きたいことがあるからな」
「いいけどまだ話すことある?」
「もちろん。俺からも教えるから頼むよ」
俊也が顔の前で手を合わせる。既に俊也には好きな人教えてもらったから、僕が聞きたいことはもうないのだけど。いつもの癖で周囲を確認する。どうやら僕たちの話に耳を傾けている人はいないみたいだ。清水さんが隣の席に既にいるのが少し気がかりだけど、イヤホンをつけスマホをいじっていることから僕たちの話を聞いているとは思えない。
「まあいいや。それで今日は何が聞きたいの?」
「大輝は清楚な女の子がタイプなのはもう分かった。今回はそんな子にしてほしいことを聞いていきたい」
「してほしいこと?」
「そうだ。健全な男子なら好きな子にしてほしいことの一つや二つあるだろ?」
「そうかな」
正直あまりピンときていない。
「そうなの。今日は大輝の欲望をさらけ出してもらうぞ」
俊也の顔にはニヤリと表現するのがふさわしい笑みが張り付いている。
「言い方、もうちょっとなんかなかったの」
「そんな顔すんなって。まあいきなり言われても出てこないだろうから俺から話すか。俺がしてほしいことは、サッカーの試合の時に応援してもらうことだ。運動部の男子なら好きな子に応援してもらうのって夢だろ?」
「それはちょっと分かるかも」
確かに頑張っている時に好きな子から応援されたいという気持ちは、運動部ではない僕にも理解できる。
「分かってくれて良かった。こんな感じで好きな子にしてほしいことを考えてみてほしい」
「了解。ちょっと時間もらうね」
「オッケー。まだホームルームには時間あるし、じっくり悩んでくれ」
好きな人にしてほしいことか……。考えてみるが何も思いつかない。
「うーん。思いつかないな」
「無欲かよ。してもらいたいことないのか?」
別に欲がないわけではないけれど、わざわざ人にしてもらうほどのことが思いつかない。
「輝乃になら、してほしいことあるんだけどね」
「妹にしてほしいことを言ってもしょうがないだろ。輝乃ちゃんも相変わらずみたいだな」
「少しでいいから僕の家事を手伝ってほしいな」
「それ、兄ちゃんというか母さんみたいな願いだな」
僕には輝乃という中学三年生の妹がいる。うちは両親が共働きで遅くまで帰ってこないから、平日の夕食作りなどの家事は僕がしているのだけど、輝乃はあまり積極的に手伝おうとはしない。ゲームやアニメ鑑賞はいつも一緒にするので兄妹仲自体は悪くないと思うから、多分単純に家事が面倒くさいだけなのだと思う。
「あっ」
そんなものぐさな妹のことを考えていると、さっき聞かれたお題の答えを思いついた。
「どうした?」
「してほしいことあった」
「おお! それはなんだ?」
「一緒に料理してほしい」
僕がそう言った瞬間、なぜか清水さんがスマホをいじる指が一瞬止まった。
「それって輝乃ちゃんにしてほしいことじゃないか?」
俊也が呆れた顔で僕を見てくる。
「確かに輝乃にも料理手伝ってほしいけどね。普段一人で夕食作ってるから、誰かと一緒に料理したいって思ってさ」
平日は一人で夕食を作るし休日は両親が二人で食事を作ってくれるから、僕が誰かと料理をする機会はほとんどない。だから前々から誰かと一緒に料理することに憧れていた。
「なるほど。そういえば前の恋バナで、好きな子と一緒に何かしたいみたいなこと言ってたよな。ということは大輝的には料理できる女の子が好みなわけか」
「そうかも」
そこまで料理が上手くなくても、一緒に料理してくれるだけで嬉しいけど。
「なんか一緒に作りたい料理とかあるのか?」
「そこまでは考えてなかったけど、作るとしたら普通の家庭料理かな」
手伝ってくれる人がいるなら楽しく料理したいから、作りなれた料理の方がいい気がする。
「カレーとかハンバーグとか?」
「うん。そんな感じ」
「ふむふむ。いいぞ。妄想が具体的になってきた」
僕の話を聞いているだけなのに俊也はなぜか嬉しそうだ。ふと清水さんの方を見てみるとスマホを素早くタップしている。音ゲーでもしているのだろうか。
「大輝どこ見てるんだ?」
「あ、ごめん。話続けて」
「ああ、分かった。ただ今の話だと、好きな子にしてほしいことってよりは一緒にしたいことって感じで、前に考えた時と少し被るな。何か他にしてほしいことないのか?」
「他にしてほしいこと……。難しいな」
さっきのように輝乃にしてほしいことから考えてみるが、どれも何か違う気がする。
「大輝が思いつかないなら俺もシチュエーションを考えるか……。そうだ、さっきの話から繋げて料理作ってもらうのはどうだ」
「それだったら僕も手伝いたいな」
「まあ大輝ならそうなるよな……」
俊也が目をつむり、ああでもないこうでもないとうなっている。数十秒ほどそうしていると勢いよくカッと目を見開いた。
「いや、待てよ。手作り弁当ならどうだ」
「手作り弁当?」
「そうだ。大輝っていつも昼飯は購買で買った惣菜パンだろ?」
「そうだけど」
我が家は全員夜型で、朝に非常に弱くお弁当を作る時間が取れない。そのため僕はいつも昼食を購買で買ったパンで済ませていた。
「だったら好きな子が作ってくれたお弁当は、さすがに大輝も興味あるんじゃないか?」
「それは……そうかも」
自分だけが食べる食事にはそこまでのこだわりがないから普段は惣菜パンを食べているけど、たまに人のお弁当をうらやましく思う時はある。だから好きな人からお弁当を貰ったらきっと嬉しいはずだ。
「だよな! 好きな子の手作り弁当憧れるよな!」
「う、うん」
俊也のテンションが目に見えて上がっていく。
「瀬戸さんの手作り弁当……。それに好きな食べ物なんて入ってたら、もう想像するだけでやばい」
テンションが上がりすぎて俊也は半分妄想の世界に浸っていた。本人は完全に無意識だろうけど、瀬戸さんの名前を出してしまっている。幸い周りは僕たちの会話を気にしていないようだけど。
「大輝はお弁当に何入ってたら嬉しい? 俺はオムレツ」
「僕はしょうが焼きかな」
「いいね。夢が広がるな。俺は瀬戸さんが料理できてもできなくても変わらずに好きだけど、手作り弁当くれたら嬉しくて多分泣いちゃうな」
どうやら俊也の瀬戸さん好きは筋金入りらしい。僕はそこまで誰かを好きになった経験がないから尊敬する。本人には調子に乗りそうだから言わないけど。
「お弁当作ってもらえたらいいね」
「ああ、叶えたい夢の一つだ」
夢を語る俊也はいつも本気だから、今回の夢も全力で叶えるつもりなのだろう。そんなことを考えているとホームルーム五分前を告げる予鈴が鳴った。
「あれ、もうこんな時間か」
「時間切れみたいだね」
「まだまだ話したいことは残ってるのに残念だ。しょうがないから戻るか」
俊也はしぶしぶ自分の席に向かい歩いていった。周りを見ると清水さんが熱心にスマホをタップしていた。まだ音ゲーを続けているのか。もう少しでホームルームだからスマホをしまった方がいいと思う。そう清水さんに言おうか迷っていると、俊也が何を思ったか途中で僕の席まで戻ってきていた。
「今思い出したけど、大輝の誰かと一緒に料理したいって願い明日叶うじゃん!」
「明日なんかあった? ……あっ」
最初は何を言っているか分からなかったけど、時間割を見て思い出した。
「そう! 調理実習だよ!」
そうだ。明日は調理実習の日。数少ないクラスメイトと一緒に料理が作れる日だった。
※ ※ ※
「くっそー。瀬戸さんと同じ班なら瀬戸さんの手料理食べられたのに」
「調理実習は班員で作業を分担するから、瀬戸さんの手料理って言えるか微妙なラインだけどね。というか俊也、自分の班に行きなよ」
調理実習当日、俊也は僕の隣でエプロンを着ながら己の不幸を嘆いていた。俊也の顔を見るに本気で悔しそうだ。
「大輝、少し冷たくないか。友が悲しんでいるんだから慰めてくれよ」
言葉を慎重に選ばなければ俊也のメンタルを容易に傷つけてしまいそうだ。エプロンを着ながら脳をフル回転させる。
「俊也は自分のために作ってもらいたかったんでしょ? だったら今回の調理実習の料理はちょっと違うんじゃない? 今は食べられなくても、後から俊也のために作ってもらった料理の方が意味あると僕は思うな」
「だ、大輝!」
俊也の表情がパッと明るくなる。
「そうだよな。俺のために作ってもらうからこそ意味があるんだよな! 元気出てきた! ありがとな大輝!」
「元気になったらなによりだよ」
一件落着と思った次の瞬間、調理室のドアがガラッという音と共に勢いよく開いた。そこにいたのは紛れもなく清水さんだった。
「清水さんがどうしてここに?」
「バカ、清水さんに聞かれるぞ」
調理室中のクラスメイトがざわつく。なぜみんながこれほど驚いているのか。それは普段、清水さんが家庭科の授業に滅多に来ないからだ。特に調理実習など他の人と協力する作業がある授業では、清水さんの姿を見たことがない。それなのになぜ清水さんが進級できたのかは、事情通の間でも意見が分かれているらしい。
「大輝、俺、自分の班行くわ」
横を向くと俊也は既におらず、代わりに清水さんが僕の近くに来ていた。俊也も他のクラスメイトと同様に清水さんを恐れているから、自分の班に逃げたのだろう。
調理実習の席は教室での席の位置と対応している。だから僕と清水さんは同じ班の班員同士なのだけど、今まで清水さんが家庭科の授業に来なかったので忘れてしまっていた。
僕は隣にいる清水さんに視線を向けた。
「清水さん」
「な、なんだよ」
エプロンを着終わった清水さんが僕の方を向いて睨む。
「同じ班だから今日は一緒に頑張ろう。それとそのエプロン似合ってるね」
「おう……」
よかった、いきなり調理実習に来たから少しびっくりしたけどいつもの清水さんだ。
僕が安心していると家庭科の先生が調理室に入ってきた。先生は清水さんがいることに一瞬驚いたように見えたけど、すぐに元の表情に戻った。
「はい、みんな着替えて待っていてくれたみたいですね。今日は前から言っていたように肉野菜炒めを作ってもらいます。班ごとに役割を分担して安全に調理を行ってくださいね」
「はーい」という声が調理室に響く。こうして僕たちは先生の指示に従って調理の準備を始めたのだった。