プロローグ 戦禍に咲く花(1)

「ルーナ、水をあげておいてちょうだい」

「はいっ!」

 母の指示を聞いて、ルーナはすぐに準備を始める。まだ七歳という小さな体を一生懸命動かして、建物から出てすぐのところにある井戸から木桶で水を汲み如雨露に移す。この水は、花にあげるためのものだ。

「……ふう」

 額にかいた汗を手の甲で拭って空気を大きく吸い込むと、どこか焼け焦げたような臭いが鼻につく。少し遠くへ視線を向けると、黒い煙が立ち上っている。ああ、あそこで戦いが行われているのだとルーナは思った。


 戦いの様子を想像し表情を歪めた少女は、名前をルーナという。

 手伝いのために亜麻色の髪を後ろで一つにまとめ、両親が誕生日に贈ってくれた髪飾りを着けている。薄紅色の瞳がパッチリしている、可愛らしい子だ。オフホワイトをベースに、深緑を差し色にしたワンピースの上に白のエプロンを着けている。あしらわれたレースは、まるで花びらのようだ。


 今ルーナがいるここは、コーニング王国の戦場近くに自然とできた集落。

 戦争をしているのはルーナと同じ人間が住むコーニング王国と、夜人という人間ではない者が暮らす、エデルと呼ばれる国だ。

 大陸の最西端が広大な森になっており、その地下にエデルがある。人間は自分たちと違う容姿の彼らを化け物と蔑み、エデルのことを死の国と呼ぶ。

 コーニング王国とエデルは約三百年前から戦争を繰り返している。戦う理由は、互いがほしいものを持っており、容姿が違うからということが大きいだろうか。人間はエデルで採れるマナを含む夜石をほしがり、夜人は植物が育つ地上に自分たちの領土がほしいのだ。

 数ある人間の国のうち、なぜコーニング王国ばかりがエデルと戦争をするのかといえば、コーニング王国の国土だけが夜人が住むエデルに面しているからだ。そのため、戦地は必然的にエデルへの入り口に近いコーニングの国土内となった。

 そんな二国間にあるのが、ルーナがいるこの集落だ。

 しかしこの集落には、人間と夜人の両方が暮らしている。いや、暮らしている……なんて、一言で済ませていい問題ではないかもしれない。ここは、戦争で傷を負った者たちが逃げ、集まってできた場所なのだ。

 最初にここへ辿り着いたのは、傷を負ったコーニング王国の兵士だった。どうにか敵から逃げのびたものの、辺りには誰もおらずこのまま怪我が悪化して死ぬのだろうと思っていた。が、そこに通りかかったのがルーナとその両親だった。

 ルーナの両親は兵士と同じように近くで身を潜めていた怪我人たちを集め、治療を行った。それを人間だけではなく、夜人にも同じように接した。

 きちんとした家と言っていいものは、ボロの二階建ての小屋が一つだけ。おそらく、昔は旅宿か何かとして使われていたのだろう。一階には受付も兼ねた広めの玄関と、厨房と部屋が二つ。二階には、客室として使われていただろう六畳から十畳ほどの部屋が全部で五つあった。今は誰も住んでいないため、こうしてルーナたちが使っている。

 そのほかの居住区といえば、簡易的な天幕だ。集落の住人は戦争で怪我を負った人間と夜人、そしてルーナとその両親。合わせて数十人、というところだろうか。


 白金色の如雨露に水を入れたルーナは、小屋の二階の角部屋へ行く。ここはルーナと両親にあてがわれている部屋だ。室内にはベッド二つと机があり、歩くスペースをわずかに残して、鉢植えで埋め尽くされている。

「お母さんとお父さんは怪我の治療で忙しいから、わたしが花のお世話をしなきゃ!」

 床に如雨露を置いて、ルーナは何度か深呼吸をして精神統一を図る。今から行うことは、集中しなければ失敗してしまう難しいことなのだ。

「自分の体の中にある『マナ』を意識する……」

 目を閉じて、ルーナは自分のマナを感じとる。

 マナというのは地上の生物すべてが持つものだが、その量は種族や個体によって差がある。夜人と違い人間はそれほど多くのマナを持てない上に、扱いもあまり上手くない。ルーナは両親に教わり、最近やっとマナの扱いが上手くなってきたところだ。

「自分のマナを、如雨露の中へ注ぐ……」

 ルーナが意識すると、ふわりと淡い光が如雨露の水を包み込んだ。これで、ルーナのマナが水に含まれた。

「よしっ、上手くできた!」

 あとは花に水をあげるだけだ。ルーナは花に話しかけながら順番に如雨露で水をあげていく。

「今日もたくさん怪我人が来たんだよ。血がたくさん出てて……わたしはちょっと怖くなっちゃったの。……でもね、お母さんが花であっという間に治しちゃったの!」

 喋るうちに、ルーナは興奮してくる。いつか自分も両親と同じ『花師』になって、多くの人を助けられるようになりたいのだ。

「エデルの人も、お母さんたちにお礼を言ってたんだよ。最初は、人間なんかの助けはいらねぇ! って、怒ってたのに」

 ルーナが楽しそうに話していると、ふふっと笑い声が室内に響いた。見ると、ルーナが話しかけていた花の一つ、息吹の花が揺れ、ほわりとした光のようなものが花から顕現している。ほわほわした光が花から出ていて、小さな顔がついている。体はないので移動はできないみたいだけれど、口があるのでお喋りすることは可能だ。

『わたしたちが役に立ったのかしら。それなら、嬉しいわ』

「うん! 息吹の花を使って、治してたよ!」

『素敵ね。わたしもいつか、誰かの怪我を治すために使ってほしいわ』

 息吹の花の言葉に、ルーナはコクリと頷く。「もちろんだよ!」と力いっぱい告げて、ルーナは大きく手を広げて自身の夢を主張する。

「わたしはいつか、花師になるの! お母さんとお父さんみたいな、すごい花師に!」

『ルーナならきっとなれるわ』

「ありがとう!」


 ──花師。

 それは、この世界の生活を支えていると言っても過言ではない重要な職業だ。花を育て、新たな品種を作るのが花師の主な仕事だ。しかし、花といっても普通の花ではない。

 この世界の花は、いわば魔法。

 たとえば突風を吹かせる花だったり、火を熾したり水を出したりする花などがあり、その種類は膨大だ。身近で使われる花といえば、水を綺麗にする花や、明かりを灯す花、解熱作用のある花などがあるだろうか。生活するうえで欠かせないものばかりだ。

 また、花を植えるとその花の特性によって周囲の自然環境が変わることがある。たとえば湧き水が甘く美味しくなる……など。

 そんな花を育て、生み出すのが花師なのだ。

 とはいえ、花師になりたいと言っても簡単になれるものではない。花師は難しい国家試験があり、それを突破しなければ資格を得ることができないからだ。

 花師になるには知識だけではなく、自身の中にあるマナを上手く扱うことができなければならない。それは一朝一夕で身に付くような簡単なものではない。

 ルーナの両親はトップクラスの花師だが、そこに登りつめるまでに想像もできないような努力をしたことだろう。


 ルーナは手際よく、残りの花たちにも水をあげていく。

「よーし、終わり!」

『ありがとう』

「どういたしまして!」

 室内の花たちのお礼の言葉を聞いて、ルーナは満面の笑みを浮かべる。花たちが喜んでくれると、ルーナも嬉しい。

「それじゃあ、お母さんたちを手伝ってくるね」

『あ、ルーナ!』

 ルーナが急いで出ようとすると、呼び止められた。先ほど話をしていた息吹の花だ。どうしたのだろうと、ルーナは首を傾げる。

『ルーナがわたしたちと喋れることは、ほかの人に言っては駄目よ?』

「わかってるよ、言わないよ!」

 真剣みを帯びた息吹の花の声に、ルーナは「絶対!」と付け加える。その返事を聞いて、息吹の花は『絶対ね』とクスクス笑う。

 実は花から出ているほわほわした花の精は、ルーナにしか見ることができない。そのため、息吹の花を始め花たちはルーナのことを案じているのだ。

「それじゃあ、いってきます!」

『いってらっしゃい』


 如雨露を抱えたルーナが出ていくのを見送ると、花たちが思い思いのことを口にする。その声はどれも心配そうなものだ。

『ルーナは大丈夫かしら?』

『わたしたち花と交流ができる人間は、ルーナ以外に会ったことがないものね。……悪人に利用されなければいいけれど……』

『ええ、本当に。……でも、きっとわたしたちのことが見えるルーナは、そんなものに負けず世界一の花師になるわ。だって、わたしたち花の要望を聞いて応えられるんだもの』

 そうに違いないと、どの花も同意する。息吹の花はもちろん、水花や火花、造血花や灯花も頷いている。そんな花たちの様子から、誰もがルーナのことが好きだというのが伝わってくる。

 ただ問題があるとすれば──ルーナが自分の力のすごさに気づいていない、ということだろうか。だから花たちはルーナが心配で仕方ないのだ。うっかりルーナの能力がバレたりしないように、他人がいるところで話しかけたりはしないが、花たちができることといえばそれくらいだ。

『心配していても仕方ないわ。せっかくルーナがマナをたっぷり込めた水をくれたのだから、わたしたちはのんびり過ごして、少しでも成長しましょう』

『ええ』

 息吹の花の提案にほかの花たちが頷き、室内にルーナが来る前と同じ静寂が訪れた。

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