第3章 人外転生主人公

第36話 「少女たちの矜持」


 森の細い道を、ケルピーはためらわずに歩いてゆく。


 その後に続くのが、俺とスターシア。道中に魔物の姿はなかった。インプたちがそうだったように、魔物はケルピーを恐れているんだろうか。しかしケルピーに特殊なスキルがあるようには見えなかったんだけどな。


 どっちにしろ、好都合だ。


 俺たちは駆け足でケルピーを追いかける。


 洞窟があった方向へしばらく進んでいると、森の中に人の足跡を発見した。リルネがここを通ったのだろうか。


 もう少しでリルネに追いつけるかもしれない。俺たちは足を早めた。


 開けた場所に出た。ここだけがさんさんと太陽が照りつけてくる。


 森の奥深くにしては、不自然な広場だ。竜巻になにもかも吹き飛ばされたかのような。


 その中央に、いつものように銀髪をくくったリルネの姿があった。俺たちに背を向けていて、杖を構えている。


「リルネ!」


 俺が叫ぶと、その背中がびくっと震えた。


 彼女は驚きながら振り返る。


「ジン、それにシアも、どうしてここが……、え、その馬って?」

「こいつが案内してくれたんだ」


 俺は黒い馬の背を撫でる。馬は首を回しただけで、そこに大人しく立っていた。どこかに去ってゆく気はないようだ。


「リルネさま、一緒に帰りましょう? おひとりだけでこんな森の奥に入るだなんて、危ないですよ。お腹も空いちゃいますし……」

「あ、あんたたちがふたりで来るほうが危ないわよ! なに無茶してんのよ、もう!」


 そう怒鳴るリルネに近づこうとする。しかし手を伸ばすと、指先になにか痺れのようなものが走った。


 鋭い痛みに俺は顔をしかめる。なんだこれ。指が焦げている。


「危ないわね、まったく……。足元に結界が敷いてあるのよ。あんたたち普通の人間は中に入れないわ」


 なんでそんなことをしたんだ。


「……まったく」


 リルネはその場から動かない俺たちを見ると、大きくため息をついた。


「あんたたちのお察しの通りよ。あたしはルサールカと一対一で決着をつけるわ。魔力を触媒に精霊を召喚するの。そうしたら、ルサールカはあたしを倒すまでここから出られなくなる。今度こそ逃さないわ」

「しかし、勝算はあるのか? 前の戦いは……」


 レベルはリルネのほうが上回っていたが、相性の関係で押されていたように見える。もし彼女になにか秘策があるのなら……。


「……リルネさま」


 スターシアが胸元をぎゅっと握りながら、彼女の名を呼ぶ。


「もしかしたら、お体の具合がよろしくないのでは……?」


 えっ?


 言われてみれば、遠目にもリルネは荒い息をついているように見える。汗で髪が貼り付いていた。


「……別に、大丈夫よ、これぐらい」

「お前、昨日あんなにびしょ濡れになったから! まさかスターシアみたいに熱出しているんじゃないのか!?」

「大丈夫だってば! 薬も飲んだから!」


 リルネの声はかすれていた。


「そんな体調で戦うなんて無理だろ! 戻ってこいよ、リルネ!」

「……どっちみちもう無理だわ。すぐにルサールカは来るもの」


 なんだって。くそっ、間に合わなかったのか。


 リルネは思い詰めたような顔でうつむいた。


「次こそルサールカが誰かを殺すかもしれない。だから、戦って勝つわ。それが村を救う方法なら、あたしはそれを選ぶしかないのよ」


 テトリニの街が滅んだのが、誰もリルネのせいだなんて思っちゃいないのに……。こいつはいつまでもそれを気にするんだな……。


 俺がなにを言おうかと迷っていた、そのときだ。リルネの前の地面がもぞもぞと動いた。地中から液体が噴き上がる。


 もう来たのか、ルサールカが──。


 水は人の形を取った。だが、ルサールカよりは小柄だ。水は少女の姿をして、学生服のようなものをまとっている。


 水原流花だ。


「……どうして、あの子を刺激しちゃうようなことを」

「あんたに用はないわ。親玉のほうを出しなさいよ」


 流花は静かに首を振る。


「りるるんじゃあの子には勝てないよ。見たでしょ、あの力。あの子は誰かを壊すことを、りるるんみたいに躊躇したりしないんだから」

「あたしだって、ためらわない!」

「……無理だよ、あの子は本当にこわいんだから。私は絶対、かなわない」


 俯く彼女に、リルネは歯噛みする。


「なんなのよ! 相手が誰だろうと、あたしは負けてらんないのよ! 父さまの仇を討つって誓ったんだから! どんな相手にでも! どんなコンディションだろうと、関係ない!」


 琉花は悲しそうな顔をしていた。


「あの子が誰かを傷つけるの、もう私は見たくないの。だから、ここはもう帰ってよ」

「あいつを放置したら、村が!」

「それは私が絶対になんとかするから、だから」


 俺は口を挟む。


「水原琉花。神奈川県で水難事故に遭い、命を落とす。しかし彼女はその前日に事件を起こしていた。……そうなのか?」


 琉花がハッとした。俺を見て驚いた顔をしている。


「どうして、それを……?」

「調べてきたんだ。日本に戻ってさ」


 リルネやスターシアのいる前で口を開くには抵抗がある。しかし、ふたりともルサールカに襲われた身だ。聞く権利はあるだろう。


「そこまで知っているんだったら、もう全部わかっちゃっているよね……。そうだよ、私が殺しちゃったんだ。私が、この手でさ」


 流花は自らの両手を見下ろしながらうめく。


「ずっとずっと前から、そうだったんだ。私の中には、押さえきれない化け物がいて、ときどき顔を出しそうになっているんだ。それはどんどん膨れ上がって、我慢できなくなっちゃうときもあった。でも、当時の私は走ることが大好きだったから、くたくたになるまで部活に打ち込むことで、なんとか耐えてきた。そうしていたら、化け物も姿を見せなくなって……、なにもかもうまくいっていたのに」


 彼女は「なのに」と首を振った。


「少し私の足が速かったからって、あの子たちは私を仲間はずれにしたり、陰口を叩くようになったり……。別に、それぐらいは我慢できた。けど、大会前にとんでもないことをしたんだよ! いたずらなんかじゃすまないようなことを! 大怪我を負った私は走れなくなって、あの子たちもさすがに謝ってきたけどさ……、もう、そんなの意味なかったよ。時を戻すことなんて、できないんだ」


 流花の指先がわずかに黒く染まってゆく。それはまるでルサールカのように。


「私は主犯のやつを階段から思いっきり突き飛ばした。大事なものを奪ったあいつらに、手加減なんてする気はなかった。死ねばいいって思った。実際その通りになったんだから、私は後悔なんてしてない……。先にやったのはあっちなんだから! だから!」


 金切り声のように叫ぶ流花。しかしそこで俺は手を伸ばして彼女の言葉を制止した。


「けど、君はその後に水難事故に遭って……、それは、自殺したんじゃないのか?」

「なんで私があんなやつらのために死なないといけないのさ。おうちにも帰れなかった私は、橋の下でダンボールに包まって隠れていたんだよ。そうしたらいつの間にか寝ちゃってて、川の増水に気づかずに……、あはあは、どっちにしたって間抜けだね、私は。だからこんな姿にさせられちゃったんだ」


 流花は両手を伸ばす。彼女は足がなく、もう歩くことはできない。背中にはリルネが作ってあげたリュックがあるけれど、それまでずっと洞窟でひとりきりだったのだ。


 一週間、二週間、いったいなにを考えて洞窟の中にいたのか。


「つまり、ルサールカは流花の中に潜んでいた化け物、ってことなのか……?」


 俺は小さくつぶやいた。


 つまり、こういうことか。流花が人外転生する際に、その体はふたつに分かたれた。水原流花の人格であるウンディーネの姿。そして、攻撃的な彼女の気質を継承したルサールカとしての姿だ。


 もしかしたらルサールカが村を襲ったのも、俺たちが彼女に『近くの村の人から、あんたを退治するように言われてきた』と伝えたからなのかもしれない。


「ね、もうわかったでしょ。私に関わったってロクなことはないよ。ごめんね、最初に君たちの手を取って。助けてもらって、久しぶりに誰かとおしゃべりができて、嬉しかったのはホントだよ。私にはそんな資格、なかったっていうのに」


 流花は消沈したようにつぶやいた。


 彼女は生涯、ルサールカとともにどこかの洞窟に潜んで暮らすつもりなんだろうか。幼き頃にしでかした罪を抱えたまま、一生。


 そんなの、どうかしている。


「流花、本当にあんたがルサールカをどうにかできるっていうの?」


 尋ねたのはリルネだ。流花は眉根を寄せて彼女を睨む。


「……そうするつもりだよ。だってこれは私の問題だもん」


 俺にとって、リルネと流花はまるで鏡写しのように見えた。


 リルネは一言一言重い言葉を叩きつける。


「村に被害が出ている以上、そんな言葉じゃ済まされないわ。あんたはあたしじゃ勝てないって言ったわよね。でもそれは一緒。あんたでもルサールカには勝てない。わかっているんでしょ」

「……自分のことなんだから、なんとかしてみせるって」

「できるんだったら最初からやりなさいよ。見苦しいのよ、あんたも……、あたしも」

「え?」


 ふたりの言い争いを聞いて、俺は思わず声を上げた。今、リルネは自分のことを言ったか?


 リルネはわずかに震えていた。


「できないことをやるやる言って、それが本当にできるかどうかもわからず、とりあえずあがいてみようだなんて……、全然スマートじゃないわ。負けたらどうするのか、後先も考えずに……。今だって熱でフラフラするし、頭はガンガン痛むし、絶好調とは程遠いし……、ホント、ばっかみたい。旅に出たばかりのときは、もっともっとうまくやるつもりだったのに……」


 リルネは杖をぎゅっと握りしめながら語る。


「自分で自分の面倒を見れないなら、誰かを頼りなさいよ。ヘタすぎるのよ。誰かに助けを求めることがみっともない、恥ずかしいっていうのなら、ひとりでできるって言い張るほうがよっぽどかっこ悪いわよ。あんたを見てて、よくわかったわ」


 あのリルネが、自分の非を認めたのか。


 俺は思わず呆然とふたりのやり取りを眺めていた。


「だったら、どうすればよかったっていうの! 道の往来で助けてくださいなんて声を張ったって、誰も手を差し伸べてなんてくれないよ! 自分のことは自分でやるしかないじゃん! たとえ勝機がないとわかってても! あの子を産み出した責任は取らなくっちゃ!」

「あたしもずっとそう思っていた。でも、中にはちゃんといるって知ったから。あたしがジンに助けてもらったみたいに!」


 リルネはまっすぐに流花を見つめた。その潤んだ瞳が蒼く輝く。


 少しだけ振り向いたリルネは、ぽつりとつぶやく。「ジン、ようやくあたしわかったわ。あんたはいつも、ひとりで戦おうとはしていなかったわよね」と。


 俺は力強くうなずく。


「ああ、そうさ。俺は弱いからな。自分ひとりでなんでもできるなんて思っていないよ」

「別に、自信満々に言うことじゃないでしょ」


 そりゃそうだ。


 今だってケルピーにつれてきてもらって、いざとなったらスターシアに力を借りようと思っているわけだしな。俺が笑うと、リルネもほんの少しだけ笑顔になった。森に入った頃から、しばらくリルネの笑顔を見ていなかった気がする。でも、ようやく見せてくれた。ホッとした気分だ。


 リルネは再び流花に向き直る。


「だから、今度はあたしがあんたの力になるわ、流花。ひとりじゃできないことだって、ふたりならできる。あたしたちでルサールカに勝つのよ」


 リルネの視線を浴びた流花は、身をかばうように胸を押さえる。


「そんなの、どうやって……。私はあいつがこわいのに……」

「一緒に戦うのよ、流花」


 杖でコツンと地面を叩くリルネ。その途端、流花の足元に小さな魔法陣が出現した。魔法陣から流れ出る魔力が流花の青い髪を揺らす。流花はリルネを見やった。


「でも私、戦い方なんて」

「あたしが教えるわ。いいえ、あたしたちが、ね」


 リルネが左手をひねると、そこには尻尾に炎の灯った精霊、サラマンダーのラシードが現れた。ラシードはそうとわかるほどに不機嫌だ。


『まさか主よ、このような凡愚に……』

「黙ってなさい、アシード。あたしが決めたことよ」


 そしてリルネは手を伸ばす。


「水原流花。ウンディーネとしてあたしと契約しなさい。そしてふたりの力で、ルサールカを──あんたが嫌いなあんたを、ぶちのめすのよ」


 

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