第35話 「ケルピーと」
ルサールカの繰り出した魔法は、夕焼けに照らされた村に深い爪跡を残していた。
水浸しになった土地は農作物や家畜が流され、復興まで長い時間がかかるだろう。村人は土砂を除けたり、なんとか今夜の寝る場所を作っていた。
軽度のけが人はいたけれど、死者が出なかったことだけは幸いだ。それもすべて村長の避難誘導が上手だったからだろう。さすが上に立つ人は違う。
その村長と、俺とリルネは村の外れで顔を合わせていた。
「すみません、あいつを倒すことができなくて」
「……あたしの力不足です」
リルネはずっと気落ちしている。彼女の様子を窺いながら、俺は頭を下げた。
長は静かに首を振る。
「お前たちのせいではない。村を守れなかったのは、我らの力不足じゃ。もとより森の民は自尊心が高い。誰も人間に助けてもらおうとは思っていないじゃろうて。気にするな」
きっと俺たちを慰めてくれているんだろうな、というのはわかった。
「しかし、魔霊ルサールカか……。とんだ大物が現れたものじゃ。これは樹都に早鳥を飛ばさなければなるまい」
「樹都?」
「森王樹マナレジカの中心に立つ我らが都、ユグドラルのことじゃ」
あ、エルフの王国か。
「応援はすぐに来るのか?」
「ルサールカを下すほどの戦力となると、即座にというわけにはいくまい。すぐに皆が動けるというわけではない以上、それまではなんとか持ちこたえんとな」
つまり、もう一度ルサールカが村を襲った場合、打つ手がないってことか。
厳しい状況だな……。
「しかし、あのウンディーネはいったいなんだったのだろうな。まるで我らを助けるように現れ、魔霊ルサールカとともに去っていったが」
長の独り言に、俺は黙り込んだ。関係があるのは間違いないだろう。しかし、あのときの琉花は、ルサールカに付き従っているように見えた。まるで弱みを握られているかのように。俺の勘違いだろうか。
「お前たちがここを離れるなら、止めはしない。あいにく、こういう状況だ。代わりの馬車を用意することはできないが……」
「そうだな、ちょっと考えてみるよ」
申し訳なさそうに頭を下げる長にそう言って、俺とリルネはスターシアの様子を見に行くことにした。
リルネは終始、辛そうな顔で黙ったままだった。
あんなことがあったけれど、一日休んだスターシアの熱はすっかりと下がっていた。薬が効いたのかもしれない。
長の屋敷に俺たちは今晩も泊めてもらうことにした。
「すみません、ご迷惑をおかけしました……」
「いや、無事でよかったよ。スターシアにもしものことがあったら、俺もリルネも生きていく希望がなくなる」
「そんな、大げさです。すべてジンさまやリルネさまのおかげです。おふたりが無事で、本当にホッとしました」
スターシアは眉を下げながらも、笑顔を見せてくれた。森族語の使えないスターシアはひとりできっととても心細かっただろう。済まないことをした。
彼女は消沈したリルネに気づいて少しだけ心配そうな表情をしたが、特になにかを言うわけではなかった。
「それで、これからのことなんだけどさ」
俺は洞窟で出会った水原琉花という少女のことを話した。スターシアは最後まで話を聞くと、俺の目を見つめながら尋ねてきた。
「ジンさまは、その方をどうするおつもりですか?」
「できれば助けてやりたい。そして、あいつが望むなら、ここじゃないどこかに連れていってやりたい。例えば、仲間がたくさんいるようなところに」
そう言うと、スターシアは悲しそうに目を伏せた。いつものように賛成してくれると思っていただけに、そのリアクションは予想外だった。
「わたしはジンさまのご決断に口をはさめる立場ではありませんが、そのためにジンさまが危険を冒そうとするのは……、不安です」
「スターシア……」
あのルサールカが繰り出す激流を目撃したからか、あるいはずっとずっと前からそう思っていたのか、スターシアはぽつりと本音を吐露した。
彼女はすぐに慌てて顔をあげる。
「す、すみません。わたしがそんな」
「いや、いいんだ。気持ちは嬉しいよ、ありがとう」
「そんな言葉意味ないわよ、シア」
そこでリルネが口を挟んできた。
「こいつは周りの誰が心配しようが、どうでもいいのよ。誰かの助けになるために生きているような馬鹿だから、言っても聞かないわ。パシリになるために生まれてきたみたいなやつね」
「最後のは余計だろおい」
リルネはため息をついた。
「でもあたしも、そんなところが似ちゃったのかな」
わずかに微笑むリルネは、どことなく吹っ切れたような顔をしていた。
「琉花をあのまま放ってはおけないわ。あの子はあたしたちを助けてくれたもの」
「リルネ……、ああ、そうだな!」
俺はリルネの肩を叩いた。彼女は顔をしかめて「やめてよね」と言ったが、俺は嬉しかった。リルネは村の危機を救えなかったことを悔いているんだと思っていたが、ちゃんとひとりで立ち直ってくれたんだな。さすがリルネ。それでこそリルネだ。
俺たちふたりならきっとできる。そのために、今度こそちゃんと準備をしていこう。
「ねえ、ジン。あたしに考えがあるの。聞いてくれる?」
「おう、なんなりとお嬢さま」
「……、琉花のことなんだけど。どうしてあの子がウンディーネの姿をして、そしてルサールカに従っているのか。そして、エンディングトリガーの成功条件についていっぺんに明らかにすることができる方法があるわ」
「本当か?」
「あんたにしか頼めないことなんだけどね」
リルネは真剣な顔で言った。
「どうしてあの子が死んだのか。死の直前になにがあったのか。それを調べてきてほしいの」
ああ。確かにそれは、俺にしかできないことだ。
俺は翌日の朝早く、まだ片付いていない村の水たまりに飛び込んだ。現実世界に戻り、地区の図書館に足を運ぶ。調べものと言ったら図書館だろう。
自由に使えるパソコンを借り、インターネットに繋ぐ。とりあえず『水原琉花』で検索してみるか。
あまり期待していなかったのだが、次々と情報が出てきた。その一番上には、水難事故に関するつい最近の記事があった。
琉花のあっけらかんとした笑顔を思い出す。なんとなく人のプライバシーを覗いているようなバツの悪さを感じた。
だが、次にルサールカが現れたら、今度こそ村人に死者が出るかもしれない。なにか手がかりが見つけられると言うのなら、こんなところで躊躇している場合ではないんだ。俺は記事をクリックする。
出た。場所は神奈川県。事故の日付は二週間前だ。
水原琉花さん(13)が大雨の日、川に流されて行方不明になった事故。目撃者はたまたま近くを通りがかった警察官。琉花さんの遺体はいまだ見つかっていない。
そこに琉花から聞いた以上の情報はない。俺は検索結果に戻った。スクロールすると、そのうちのひとつに妙なスレッドがあるのを発見した。開く。
驚くべき情報があった。
水原琉花は水難事故に遭う前日、事件を犯していた。
それも殺人事件だ。被害者は同中学校の生徒。名前は出ていない。俺は頭を殴られたような衝撃を覚えた。
琉花は死ぬ直前に……、人を殺していた……?
しばらくインターネットを閲覧した後、俺は図書館にある週刊誌を開いた。まだ最近の事件だけあって、特集が組まれていたのだ。
そこには死者にプライバシーなどは存在していないとばかりに、水原琉花の経歴が事細かに書き込まれていた。
人当たりのいい快活な性格。友達も多く、恵まれた家庭に育った彼女は陸上部に所属しており、神奈川県の県大会において女子800メートル第三位の成績を収めている。全国への切符も手にしていたようだ。
そんな彼女は突然の事故に遭う。医者の話ではもう二度と走れない体になったと言われ、部活を引退。
その後に部員と揉め、仲の良かった友人を階段から突き落とす。
警察からの事情聴衆から逃亡した彼女は翌日、そのままこの世界からも姿を消すことになった。
週刊誌にはクラスメイトの証言などが載っている。もともと水原琉花は気性の荒い人物で、時々『キレる』ことがあったのだと。
未成年犯罪の凶悪化と結び付けて水原琉花は罪の意識から自殺をしたのかもしれない、と末尾にあった。
俺はいつの間にか汗をかいていた。
まさか、あの子がそんなことを、したのか?
友達を殺して、その後に自ら命を絶っただなんて。
話をしたのはほんの少しだが、俺には彼女がそんなことをするような人物には思えなかった。
俺は彼女の無実を信じるような気持ちで、インターネットや週刊誌の記事を漁る。だが、それ以上詳しい情報はどこにも書いていない。
エンディングトリガーの内容は『彼女の本当の姿を取り戻せ』だ。
本当の姿というのは、俺やリルネが出会った朗らかな琉花ではなく……、もっと凶暴な、殺人を犯してしまうような彼女の本性だというのか?
エンディングトリガーを果たすことが彼女のためにならない結果というのも、ありえるってのか?
俺は思わず天井を仰ぐ。だが、放心している場合ではなかった。立ち上がる。
このままでは終われない。俺は本当のことが知りたかった。
結局この日、俺が異世界に戻ったのは日も暮れてからだった。
だが、収穫はあった。彼女を救うためのきっかけが――細い線かもしれないが――見つかった。
村の外れの水たまりから出た俺は、長の屋敷へと向かう。そこではリルネとスターシアが待機しているはずだ。
屋敷に顔を出すと、スターシアが慌ててやってきた。病み上がりなんだからあんまり激しい運動はしないでもらいたい。
「ただいま、スターシア。ふたりにお土産をもってきたよ」
ビニール袋を掲げる。日本の栄養ドリンクだ。消耗した体力を少しは回復してもらえるだろう。
「ジンさま、リルネさまが」
血相を変えた彼女の雰囲気に、俺はただならぬものを感じた。
「……どうした?」
「どこにもいないんです。もしかしたら、お独りで森に行ったのでは……」
「なんだって」
――あいつ。
リルネは思いつめていた。俺はそのことを知っていたはずなのに、どうしてあいつをひとりにしてしまったんだ。
勝手にひとりで立ち直ってくれたと思ったが、それは間違いだった。あいつはきっとなにもかもひとりで終わらせる気だ。
なりふり構わず、自分の命を投げ打ってでも。
「スターシア、リルネが何時にいなくなったかわかるか?」
「いえ……、すみません……。リルネさまは魔力を回復するためにおやすみになられると、お昼に言ったきり……。わたしも、村のお手伝いをしていたもので……」
脳裏に様々な想像がよぎる。単身ルサールカに挑むリルネの、その末路など。最悪の想像だ。
そりゃ俺はお前ほど強くないかもしれないが、だからってひとりで行くなよな……!
「ダメなところばかり俺に似やがって!」
俺は剣を掴んで屋敷を飛び出した。スターシアもあとを追いかけてくる。
どうやってリルネを追跡するか。村の外に出た俺は辺りを見回し、足跡でも残っていないかと探して。
そこで、あの黒い馬を見た。俺たちの馬車の前を阻んだ馬だ。どうしてこんなところにいるんだ。
「あっ、お前。お前のせいで俺たちの馬車が壊れたんぞ、おい」
『……』
そいつはじっと俺を見つめると、鼻先を動かして転進した。少し歩くと、もう一度振り返ってくる。
「……なんだよ」
まるでついてこいって言っているようだ。
「……スターシア、なにかわかるか?」
「いえ……、ですが敵意はないように思えます。わたしたちをリルネさまのところに案内してくれるのかもしれません」
「ああ、そうだな。俺もそう思ったよ」
結局、なんなんだこいつは。なんで俺たちに付きまとうんだ。
「ジャッジ」
俺は手をかざす。すると――。
個体名:ケルピー
種 族:精霊
レベル:8
なんとも貧弱なステータスが出てきた。レベル8って、初めて見たな。俺が初めて仕留めたワイルドボアが28あったぞ。
おまけにスキルもない。それでよく森を生きてこられたもんだ。
ケルピーはいななく。俺たちに『早く来い』と急かしているようだ。
目的がわからない。だが……。
俺はうなずいた。グズグズしている暇はない。
それに今はスターシアもいる。仮に危ない未来が近づいているのなら、彼女が警告してくれるだろう。
「いこう、スターシア。今は手がかりがない」
「はい、ジンさま」
俺たちはケルピーとともに、再び森へ――陽の落ちた昏い森の奥へと足を踏み入れた。
――早まるんじゃねえぞ、リルネ。