第30話 「森の中の進軍」
あの黒い馬に出会ったのも、もう数時間前のことだ。
日も高くのぼり、傾き始めている。もう少し進んだら休む場所を見つけなければならないだろうな。
マリーゴールドはおっかなびっくりと馬車を引く。道はうねりながらも林と森の中間地点のような場所を進んでいた。今のところ魔物の姿は見えない。
「止まって」
リルネの鋭い制止の声がした。スターシアは手綱を操り、馬車を停止させる。俺も御者席に顔を出した。
「どうかしたか?」
「アシードが教えてくれるわ。魔物が近いって」
見れば、リルネはその手の上に親指大の精霊を呼び出していた。相変わらず厳格な顔をした蜥蜴が、チロチロと炎の舌を出している。
「アシードは使わないって言っていなかったか?」
「……なにが起きるかわからないから。いけない?」
「いいや、英断だろ」
黒い馬の姿を見て、リルネも思うところがあったのだろう。恐らく、この森が自分の手に負えるものではないということが。
だが、それでいい。人は万能ではないのだから、任せられることは誰かに任せたほうがいいと俺は思う。いわばこれもチームプレイだ。
「またひとつ大人になったな、リルネ」
「もともとあんたよりずっと大人だけど……」
年齢を自分の都合で使い分ける女が、半眼でこっちを見つめてくる。
「しかし、魔物っつっても、姿が見えねえな」
「そうね……、アシード、相手はどこにいるの?」
アシードはくぐもった声を漏らした。俺には聞き取れない。精霊の体の大きさは、契約者に与えられた魔力の多寡によるらしいから、今のアシードの魔力では人語を操ることができないのだろう。
しかしリルネには聞こえているようだ。彼女は目を凝らして前方に広がる木々を睨みつける。
「すぐ近くにいる、みたいだけど……、どこかしら」
「カメレオンみたいに姿を隠しているのかね」
擬態能力をもっていて、音もなく俺たちを殺そうとしているのだろうか。俺は口を開いて「ジャッジ」を使う。あるいはもう視界に入っているかもしれないからだ。
データが現れた。
個体名:フォレストトレント
種 族:魔物
レベル:52
スキル:巻きつき、養分吸収
解 説:歳月を重ねた樹木が多量の魔力を吸収し、魔物化した姿。
ツタから養分を吸収するタイプと、
獲物の骨を折って地中に埋める二種類のタイプが確認されている。
森王樹マナレジカのトレントは強力である。
木の魔物だと……?
俺の視界の端に揺れるツタが映った。弾かれたように叫ぶ。
「リルネ! 相手はフォレストトレントだ! どこかから俺たちを狙っているぞ!」
「――っ!」
「きゃあああああああ!」
直後、スターシアが逆バンジージャンプのように高々と舞い上がった。
とっさに上を見上げれば、彼女の足首に細いツタが巻きついている。それは一本の木に向かって伸びていた。
「スターシア!」
「わ、わ、わ、じ、ジンさま! これは、いったい……!?」
さかさまに吊り上げられたスターシアは眉を八の字に歪め、顔を真っ赤にしながらメイドスカートを押さえていた。
「大丈夫だ、今助ける!」
俺は迅剣ヴァルゴニスを抜いて、馬車から飛び出す。だが、それよりも早くリルネがロッドを一振りした。風の刃が撃ち出され、ツタは一瞬で断ち切られた。
頭から落下してくるスターシアを、俺は剣を放り出して抱き留める。
「大丈夫か?」
「は、はい……、あの、ありがとうございます……」
俯きながら蚊の鳴くような声でお礼を言うスターシア。よっぽどこわかったのだろう。
だがこれで、相手の場所は特定できた。森の中にひっそりと潜む一本の大樹がある。あれがフォレストトレントだ。
魔物はツタを斬られて本気になったのか、無数の触手じみた腕をこちらに向かって伸ばしてきた。何十本のツタが一斉にこちらに這い寄ってくる。ひとりじゃとてもさばききれない数だ。
「こいつ!」
「任せて」
リルネは大きな杖をトレントに向けた。
「粉々にしてやるわ!
馬車下の地面から緑色の光が浮かびあがったかと思うと、そこから風が吹き荒れた。ひとつひとつが先ほど放った風の刃と同じような威力のかまいたちが、無数に乱舞しているのだ。
馬車の近くにいる俺たちは台風の目のようだ。目の前でズタズタに魔物の触手が切り刻まれてゆく。なかなかに凄まじい光景だ。
しかしそれはあくまでも露払いをしたに過ぎない。リルネはさらに高らかな叫び声をあげた。
「アシード! トレントの核を貫くわ! 手を貸して!」
ロッドを突き出すリルネ。その先端に碧い光が灯る。幾層にも重なり合う小さな魔法陣が現れ、ロングバレルのように狙いを定めた。
「
耳が痛くなるほどの衝撃とともに、リルネが強力な風の塊を撃ち出した。左右の木々がなぎ倒されてゆき、木の葉が舞い上がった。幹の中央に巨大な穴を空けたトレントは、すぐに動かなくなる。
さらにその全身が徐々にひび割れ、色を失いながら枯れてゆく。魔力を失った魔樹の末路だ。
リルネがトレントを撃破したのだ。
「あ、あのジンさま……、そろそろ、大丈夫ですので……」
「え? ああ、そうだった」
スターシアを抱きかかえたままだった。俺はゆっくりとスターシアを地面に下ろす。リルネは額の汗を拭って馬車から降りてきた。
「ま、なんとかなったわね」
「おつかれ、リルネ。最後の一撃はアシードの力を借りたのか? 風魔法だったように見えるんだが」
「生物学の授業で習ったことを思い出したの。トレントは体の中心に魔力核をもっていて、それを破壊すれば活動が止まるんだって。だから狙いをアシードに任せて、あたしが魔法を放ったのよ。コンビネーションプレイね」
「そんなことまでできるのか」
「ま、ここまで精霊と意識を通わせられるなんて、学校ではあたしぐらいなもんだろうけどね」
「自分をアピールできる機会を逃さないよな、お前……」
まあ、なんにせよ。
俺は剣を拾い、ポケットから取り出したハンカチでリルネの汗を拭いてやる。すると彼女はくすぐったそうにそれを受け入れた。
「な、なによもう」
「いや、なんとかなってよかったな。さすがリルネお嬢様だ。頼りになる」
「ありがとうございます、リルネさま」
スターシアもやってきて頭を下げた。リルネは一瞬だけうぐっという顔をするものの、すぐに自分の胸を叩いた。
「ど、どんなやつがかかってきたって、このあたしが蹴散らしてやるんだから! あんたたちは心配しないでいいからね!」
空元気だったのかもしれないが、久しぶりに見たリルネの自信満々とした顔は相変わらず魅力的であった。
その後も魔物は襲い掛かってきた。
馬車を走らせている最中、茂みから飛び出してきたのは、大小さまざまな黒い影。
「ど、どうしますか、ジンさま、リルネさま!」
「とりあえず速度は緩めないで! マリーゴールドを見ててあげて!」
「は、はい!」
スターシアは必死に手綱を握る。
俺は現れた黒い影の一匹にジャッジを使用する。するとすぐに正体が知れた。
個体名:マナレジカウルフ
種 族:魔物
レベル:44
スキル:噛みつき、連携攻撃
解 説:集団で狩りをする魔狼族の亜種。
凶暴性が大きく増しており、喰らいついた獲物は離さない。
馬車をも襲撃することから、『森の黒い強盗団』の異名をもつ。
狼か。くっ、さすが動きが早いな。剣ですべてを相手にするのは無理かもしれない。
「下がってて、ジン!」
「いいや、俺も戦うさ。こういう機会に戦い方を学んでおかないとな」
そうだ。俺みたいな弱っちいやつは、実戦経験を積んどかないと。こわいだなんて言ってられねえ。
いつだってリルネがそばにいてくれるという保証はないんだ。まずは自分で自分の身を守れるように。その次は、この手の届く連中だけでも守れるように、だ。
というわけで、如月宗一郎に調味料を届けて手に入れた力の、お目見えだ。
「いくぜ、トリガーガントレット!」
俺の叫びとともに、両手に幾重にも光が巻きついてゆく。それらは絡み合いながら輝き、肘から先を覆う手甲となった。光の
光に包まれた両腕を見せながら、俺は叫ぶ。
「リルネ、ここは俺に任せろ……、うぉあ!」
「ちょ、ちょっと、ジン!」
狭い御者席に狼が突っ込んできた。俺はその一体に思いきり腕を噛みつかれる。さすが噛んだら離さないと書いているだけあって、強烈な顎の力だ。しかし、ガントレットに包まれた俺の腕はなんともない。
「し、心配するな! 少しびっくりしただけだ!」
すると今度は右側からも狼が襲ってきた。スターシアをかばうようにガントレットを差し出すと、見事そこに噛みついてくれる。スッポンみたいだ。
両腕に狼が噛みついているこの絵面は、なかなか緊張感があるな。つーかめちゃくちゃ重い。
「リルネ! 早くしてくれ!」
「はっ、そ、そうね!」
呆気に取られていたリルネがロッドの先端を狼に向けた。
「
零距離から放たれたリルネの魔法によって、狼の頭部は串刺しになった。脳漿がぶちまけられてだいぶグロ目の光景が俺の目の前に広がる。
同じことをもう一度。狼が吹っ飛んで俺の両腕は自由になる。
「ふう、さんきゅ、リルネ!」
「ぼさっとしている暇はないわよ! まだまだ来るわ!」
言っているそばから狼が襲い掛かってきた。俺はその鼻先に拳を合わせる。ガントレットの一撃は狼をたやすく弾き飛ばした。おお、これやっぱり強いな。部分的とはいえ、鎧が手に入ったのは大変ありがたい。
俺が前に立ち、跳びかかってくるマナレジカウルフをリルネが始末する。そんなことを三回ほど繰り返すと、狼たちは諦めたのか、それ以上は追って来なくなった。
「お、終わったのか?」
「そうみたいね。実力差を思い知ったんでしょう」
リルネがぷちアシードを手のひらに出して、周りの状況を確認する。本当に魔物はいなくなったようだ。魔物も撤退することがあるんだな。俺もホッと一息つく。
するとリルネに肩を叩かれた。
「なかなかやるじゃない、あんたも」
「はは……、煌炎師サマにお褒めいただいて、光栄だよ」
両腕から光の手甲が消える。持続時間は俺の意志でコントロールできて、出している時間が長いほど体力を消耗するって感じだな。
「きょうはこのへんで勘弁してくれるとありがたいんだけどなあ」
俺はとんとんと肩を叩く。その後、願いはかなわずに二匹ほどトレントに遭遇したものの、リルネがどちらも一発でカタを付けてこの日の行軍は終いとなった。
道の横に逸れて馬車を停めた俺たちは、一カ所に固まっていた方がいいというリルネの言葉を受けて、馬車の中で寝泊まりすることにした。
「きょうはいろんなことがあったな、なんか冒険しているって感じだ」
「まさかこんなワイルドな生活をすることになるとは思わなかったわ……」
「野宿にもすっかり慣れたなー……」
「もう少ししたらこの生活をなんとも思わなくなるのかしらねー……」
ラシードに警戒を任せて、すぐに眠りにつく。緊張と不安で凝り固まっていた神経はなかなか休まらず、俺とリルネはほとんど寝れないまま翌日になった。
翌日からも魔物の強襲は続いたが、その対処法を少しずつ身体で学んだ俺たちは、初日ほど苦戦することはなくなってゆく。
――問題が起きたのは、森に入ってから四日目のことだった。